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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

「ボヘミアン・ラプソディ」(ネタバレあり)

Bohemian Rhapsody201811

僕は、マニアではないけれど年間50本くらい見る結構な映画ファン。映画館に行く回数は年に4回くらいだけれど、リビングに100インチのスクリーンを降ろして、録画しておいた映画を週末に見ることを何よりの楽しみにしています。

映画というのはあくまでも娯楽であり、作り物の嘘っぱちである、というのは映画をある程度見慣れている人であれば言われなくてもわかっていることで、映画レビューの掲示板で「事実と違う」なんて目くじらを立てている人を見ると、「ああ、この人は普段映画を観ていないんだなあ」と僕は思ってしまう。そのような、おかしな批評をしている人として、以前「ラ・ラ・ランド」でジャズはああいうものじゃないと騒いでいた菊地成孔を批判する記事を書いたこともあります(http://buhaina.blog.fc2.com/blog-entry-293.html)。

一方で、このブログで時折触れている通り、僕はかなりのクイーンマニアでもある。CDはもちろんすべて持っているし、主要なブートレグもほぼ押さえ、更にこれまで出たドキュメンタリー映像作品やライヴ映像もすべて持っている(オフィシャルでない怪しいものは除く)。なんと言っても僕にとって最初で最後のチャンスだった85年の日本公演は初めて観たロック・コンサートだったし、今はメアリー・オースチンが住んでいるとされるガーデン・ロッジ(フレディの家)にも行ったことがあるし、新宿コマ劇場とロンドンのドミニオン・シアターでミュージカル「We Will Rock You」も観ている。世代的には70年代の先輩たちの経験値には敵わないけれど、日本で人気がガクッと落ちた82年以降にもっとも熱中していた相当筋金入りのマニアだと自負しています。

もうだいぶ前からフレディ・マーキュリーの自伝映画が作られるという噂が出ていて、いつになっても完成しなかったものが紆余曲折の末にようやく完成。監督のブライアン・シンガーは途中降板していてパンフレットにはインタビューが載っていないという曰く付きな作品となってしまったようで、それでもファンとしては観に行かないわかけにはいきません。

ただ、期待に胸踊らせて劇場に向かったというわけではなかった。なぜなら、僕はクイーンのことを知りすぎているから。雑誌やムックが出たらほぼすべて読んできたし、フレディの死後に出た本もほとんど読んできたので、自分の中でクイーンというバンドの歴史、ストーリーが出来上がってしまっている。だから映画を観たら、そこは違うんだけどなあとか、自分の中で出来上がっているクイーン観とのギャップが気になってきっと没頭できないだろうなと思っていたんです。映画だから製作者が何らかの方向性をもって、歴史を掻い摘んである部分をクローズアップするのは当然のことで、メッセージを明確にするために史実に手を入れることがあるのも予想できることで、知りすぎていること、思い入れが強すぎる僕がそれを受け入れるのは難しいだろうと事前に予測していたわけです。

結論から言うと、その通りの結果となってしまいました。エピソードは時系列の前後が多く、演奏される曲も「その時期にこの曲はおかしいんだけどなあ」、服装や髪型が「その時期は(あるいはその曲は)そうじゃないんだけどなあ」と思うところが少なからずあって、こんなことマニア以外にはどうでもいいもんなあと思いつつも気になってしまう。まあ、でもそこは予想通りなので途中から努めて頭を切り替えて、映画ファンとして、この映画が何を表現しようとしているのかという視点で観ていました。

実在の人物、バンドというのは当然、うまく行っている時期、落ち込む時期がそれぞれ当然あるわけです。その人、バンドの人生の紆余曲折や苦悩、喜びを描くから人は映画に感動する。では、「ボヘミアン・ラプソディ」はどうか。努めて客観的に一般人が抱いていると思われるクイーンのイメージを想像してみると、ヒット曲を多く持つ華のある超有名グループ、中でもフレディは一番パワフルでエキセントリックな人、という感じでしょうか。史上最高レベルの成功を勝ち取ったグループにも上手くいかない時期があり、スター然としたフレディは実は真に心を許せる人がほとんどいない孤独な人だった、というところがこの映画で表現していたところです。そのあたりの苦悩と、その困難を乗り越える過程をどう表現して観衆を感動させるかが作り手の腕の見せどころになるわけですが、残念ながら踏み込みが浅く、エピソードの再現と、そっくり演技といった演出にフォーカスしすぎてしまった悪影響が出てしまったように思います。フレディの人生とクイーンの歴史を描く映画としては、映画ファンの観点からはあまり高い点数は付けられない。

一方で、そっくり演技とライヴシーンの再現は、大量の映像を観てきた僕が観てもよくぞここまでやってくれたと思うくらいのレベルの高さ。特に、本人じゃないの?と思わせるくらい喋り方が似ていたブライアン、キャラの押し出しが弱くて本来はやりづらい役であろうジョンを表情、仕草、喋り方まで再現していたのはスゴイ。そしてファイナーレに持ってきたライヴ・エイドの再現は五月蝿いマニアでも圧倒されること請け合いです。主演俳優とそっくりさん歌手を組み合わせたと言われるヴォーカルの再現度はそれはもう見事なレベルで、本物の体験と誤解させてくれるほど圧巻のパフォーマンスだったと思います。

ただ、それでも僕にとってこの映画はフレディやクイーンの歴史を描いたものとしてはやはり物足りない。

クイーンの歴史をごく簡単に要約すると、

●デビューするも当時は英国での評判はさんざん
●トップ・オブ・ザ・ポップスに出演して知名度が上がる
●「キラー・クイーン」が英国でヒット
●所属していたマネジメントが悪質でお金を搾取され続け、それでも引き続き安アパート暮らし
●マネジメント会社を変えて、成功に見合った報酬を得られるようになる(ジョン・リードがここから担当)
●音楽的に更に向上、充実し、ツアーも成功
●大げさで華やかな音楽性からシンプルな方向性へ緩やかに転換
●音楽の幅を広げ、シングル、アルバムが念願の全米1位に
●「地獄へ道連れ」の大ヒットでダンスミュージックへ傾倒しはじめる(フレディとジョンが)
●ロック未開の地、南米ツアーを成功させて世界的な人気グループに
●ダンスミュージック路線を突き進めた「ホット・スペース」が商業的、音楽的に失敗
●バンドの方向性が見えなくなり初めての活動休止(83年)
●「ザ・ワークス」(84年)で従来路線の音楽にやや戻して、欧州で大ヒット。
●一方で、アメリカと日本では人気が下火に
●フレディがCBSと破格の契約金で契約を結びソロ・アルバムをリリース(85年)
●フレディだけでなくグループ内での人間関係が悪くなる(特にブライアンとロジャー)

84年頃がもっともグループの状態が悪かったときで、実際に発売された「ザ・ワークス」はあまり内容が良いとは言えず、今聴いてもヒットした2曲以外はデキがもうひとつ。映画ではフレディだけがソロ活動を初めて険悪になったかのように描かれていますが、ロジャーは81年、84年にソロ・アルバムをリリース、ブライアン・メイは83年にソロ・アルバムをリリースしているので、ソロ活動じたいが人間関係を険悪にしたわけでない。ただ、ロジャーとブライアンのソロ・アルバムが商業的成功を目指したものというよりは課外活動的な熱心なファン以外からは注目されていないものだったのに対して、フレディはレコード会社も含めて本気度が高かったのは事実で、フレディがグループ解散、脱退を意図していなかったのだとしても周囲や他のメンバーが、ソロでやって行くつもりなのかと疑うのも無理はない状況でもあった。

ちなみにこのソロ・アルバム「ミスター・バッド・ガイ」は、多額の契約金を払ったCBSのトラウマになっている言われるくらいまったく売れなかった。当時フレディが志向していたダンスミュージックの要素も取り組み、曲の質は悪くなかったものの、やはりクイーンと較べるといろいろなところが欠けている。リズムの面白さが足りないし、アレンジが凡庸で薄いサウンド。一方、肝心の歌は熱唱ばかりの一本調子で通して聴くと疲れてしまう。フレディだけで音楽を作ると、このくらいしかできないんだとよくわかります。これはフレディに限った話ではなく、ロジャーのソロは曲に起伏が少なくて地味で単調、ブライアンのソロは古典的ハードロックで時に派手で大げさすぎるサウンド、ジョンはソロ・アルバムは出していないけれど、ほのぼのポップスとソウルっぽいポップスの曲が書けるというだけでアレンジやサウンド作りが他の3人よりも上手いということは考えにくい(ソロ活動の1曲は凡庸な打ち込み曲)。かようにクイーンは実は1人だけではあまり良いものが作れないのです。クイーンは演奏も、この4人(ピアノ、ギター、ベース、ドラム)が組み合わさるからこそ独特のタイム感とサウンドが出るという相性の良さがあり、曲作りにおいても誰かが作った曲を他の人がどんどん意見して磨いて行くことで、あのクオリティの曲に仕上がる、ということをプロデューサーが証言しています。4人はそれぞれに才能を持っていながら、その才能をどう打ち出せば良い結果が得られるかは各個人ではわかっておらず、一緒に作業することで自然に才能の良いところが出てくる。この4人が集まるからこそあのサウンドが生まれるという、史上稀に見る奇跡のグループがクイーン、ということは熱心なファンなら良くわかっていることだと思います。

長い間、家族のように毎日4人で過ごし、才能があって向上心と自己主張が強い4人(普段はモノをあまり言わないが言うべきときはハッキリと言うとはジョンの言葉)が10年活動してきたら、うまくいかなくなる時期も当然あるわけです。当時、実際に解散も考えたと彼らも言っています。

そんなときにライヴ・エイドの出演が決まったものの、実はあまり乗り気でなかったことも本人達が語っています。リハーサルもそれほどしたわけでもなく、(映画では何年も4人で演奏していなかったことになっていたけど)2ヶ月前に終えたワールドー・ツアーの出がらし状態で出演。英国でもクイーンは過去のバンドと捉える向きがあり、自分たちを見に集まったわけではないオーディエンスを魅了できるか不安があったとロジャーが後に語っています。しかし、いざ曲が始まると大合唱、わずか20分の時間に短縮版の曲を詰め込んだ濃厚なステージを展開。翌日の新聞が掲載した出演者の採点表で10点満点の評価を得るくらいウケにウケ、クイーンにはまだこれだけのパワーがあるのだと彼ら自身が驚き、再認識することになった(翌週、4年前に発売されたGreatest HitsがTop20に再度チャートインしたほど)。解散がチラついていた時期にクイーンの持つ底力を彼ら自身が身に沁みて感じたのがライヴ・エイドだったんです。映画では、フレディが他のメンバーに謝罪し、ライヴ・エイド前にエイズであることを告白することでグループとして結束したことになっていますが、これは事実とまったく異なっています。

こうしてやる気を取り戻して万事スムーズに行くようになったかというと話はそう簡単ではなく、次のアルバム「カインド・オブ・マジック」(86年)はまだまとまりに欠けた仕上がり。映画の中ではライヴ・エイド前にクレジット(作曲者表記)を個人からQUEENに統一することを取り決めていますが、「カインド・オブ・マジック」ではまだ個人の名義でクレジットされており、フレディとジョンの曲はマックが、ブライアンとロジャーの曲はデヴィッド・リチャーズがプロデュースを担当するなど、分裂状態が続いていることを窺い知ることができます。気持ちはまとまっても、音楽で目指したい方向はバラバラなままだったということでしょう。このアルバムは映画「ハイランダー」用に書かれた曲が中心で、描くテーマががあったおかげでなんとかグループとしての体をなしている状態だった、というのが僕の見解です。

87年にフレディがエイズであることを3人に告白し、フレディの命が、グループとして残された時間が長くないことを知ることになります。ここで彼らは、残された時間をクイーンとして、クイーンらしい音楽を残すことを決意して、結束するのです。もちろんそんな裏事情を知らない僕は89年にリリースされた「ザ・ミラクル」を最初に聴いたときに、「おおっ、グループとして一体感がある。初期のクイーンの焼き直しでなく、それでいてクイーンらしさに満ちている」と驚いたものです。当時、日本(とアメリカ)では完全に人気が下火で過去のバンド扱いになっていたため、アルバムリリースじたいがまったくと言って良いほど話題にならなかった(東芝EMIはほとんど宣伝していなかった)んですが、こんなに素晴らしい内容なのにどうして?と悔しい思いをしたものです。後半の曲がやや弱いというウィークポイントはあるものの、「ザ・ミラクル」は傑作だと僕は思っています。今でも「ザ・ミラクル」を評価している人は少ないので、あまりり聴いていない人には改めてしっかりと聴き直してほしい。本人たちも一体感を取り戻したという確信があったからこそ、あのジャケットになったわけですから(仲違いしていたらあんなジャケットの案は出てこないでしょう?)。

「ホット・スペース」以降(=グループ内の関係が悪くなって以降)、最低でも2年以上のインターバルを設けないとアルバムを制作できなくなっていたクイーンが、わずか1年半のインターバルでリリースしたのが「イニュエンドゥ」で、再度グループが上昇カーブを描いている証拠だと当時の僕は思っていました。内容は、クイーンらしさに満ち溢れた素晴らしいもの。このときにはもうフレディに残された時間がわずかであり、最後であることを覚悟して制作されたこと、それ故の短いインターバルでのリリースであり、それ故の力作であることは、今となってはわかっていることですが、悲壮的な焦燥感よりも前向きなパワーが漲っているところに、4人がクイーンとして音楽を創る意欲と充実感が伝わってくるのです。

と、長々と実際の話(もちろん関係者から聞いたわけではなく本やインタビューで知った内容ですが)を書いてきましたが、映画では関係が悪くなったグループがフレディのエイズをきっかけに結束するという大まかな流れこそ事実に沿っているものの、映画の尺に合わせるためにエイズ発覚後を省略し、フィナーレを盛り上げるために時系列を変えることで、ライヴ・エイドはエイズ発覚でグループが結束したステージ、という事実と異なるストーリーとなってしまった。繰り返しになりますが、映画は必ずしも史実通りである必要はありません。しかし、フィナーレへ向かって盛り上がる核となる内容が事実と異なっているために、「ああ、そういう話にしちゃったんだ」と冷めてしまったのは事実です。この種の映画で冒頭で良く出てくる This is based on true story という字幕がなかったのは、映画の構成上、事実とは異なるストーリーになったことと無関係ではないと僕は思っています。

うまく行かない時期があったものの、残された時間がわずかであることを知り、4人のメンバーがすべての情熱をクイーンの音楽を創るために注いできた。最後の2枚のアルバム(と「メイド・イン・ヘブン」)で、フレディが残された時間をクイーンのために捧げ、3人がそれに応えたという、彼らの音楽家としての生き様を映画で描いてもらいたかった。もちろん、その内容で最後に盛り上げるのは難しいだろうし、湿っぽい内容になってしまうであろうことはわかっているんだけれど、4人がクイーンのために人生を捧げたことを上手く表現してほしかった。

でも、そうでないから「ボヘミアン・ラプソディ」はダメな映画と言うつもりはありません。長い目で見て大筋は合っているわけですから。人間ドラマの掘り下げが浅いことと、ストーリーの端折り方、再構築の仕方に問題がある一方で、この映画の特徴は、数多くの曲とライヴ演奏シーンが次々に流れるところにある。しかもクライマックスは、映画の演出ではなくライヴ・エイドの忠実な再現。実在のミュージシャンを描く映画は数多くあれど、これほど多くの曲を流し、ライヴ演奏シーンを長く見せる映画は他になく、音楽そのものが持っている力こそがクイーンの魅力、フレディの魅力であるということを伝えたかったのかもしれない。特に熱心なファンというわけでもない人が、クイーンが残した音楽の素晴らしさに心を打たれ、クイーンを好きになってくれるのだとしたら、「ボヘミアン・ラプソディ」は大いに意義のある映画だと言えるんじゃないでしょうか。

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