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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

ラトル指揮 ロンドン交響楽団 2018年日本公演

ラトルLSO201809

2018年9月24日
サントリーホール
指揮:サイモン・ラトル
演奏:ロンドン交響楽団
【演目】
バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代」
(ピアノ:クリスチャン・ツィメルマン)
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集 op.72
ヤナーチェク:シンフォニエッタ

僕がクラシックのCDを初めて購入したのは2012年の11月こと。

その2年前に結婚した妻は、独身時代は国内オーケストラの定期会員だったことがある(ライトな)クラシック愛好家で、ジャズとクラシックはもう十分聴いた、他の音楽にチャレンジしてもいいかな、と思っていた僕が妻と暮らすようになってクラシックに関心を向けるのは自然の流れだったかもしれません。

ハマりはじめるととことんハマる性格なだけに毎日の通勤はほぼクラシック、オーケストラ音楽オンリーになり、家で聴く音楽もクラシックばかり。また、NHKでは有名指揮者、オーケストラの放送が定期的にあり、CD以外でも聴ける機会が多くあるところがハマり具合を加速しました。

そのNHKの放送は、超有名どころのものが多く、最近はそこに物足りなさを覚えるようになってきたんだけれども、聴き始めた当初はすべてが新鮮な体験で、中でも目にする機会が多かったのがサイモン・ラトルとベルリン・フィル。

ちなみに、最初に購入したCDというのはラトル指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲全集で、選んだ理由は有名指揮者と有名オーケストラだから間違いないだろうと思ったから。クラシックのファンならご存知の通り、この全集はラトルが当時流行りのピリオド奏法を積極的に採り入れて伝統のウィーン・フィルに演奏させたものであるため、今となっては個性的、悪く言うと色物扱いされているもの。僕のクラシック体験は、幼少時代に父が聴いていたものがベースになっていて、つまり70~80年代の録音が中心だったせいか、このラトル&ウィーンフィルの演奏は違和感があってあまり好きになれず、ラトルという指揮者にそれほど良い印象を抱いたわけではありませんでした。

それでも、テレビで何度も見たりしているうちに慣れるというか洗脳されるというか、徐々にラトルの音楽に馴染み始めるようになっていったようです(巨人戦ばかりテレビ中継している地方で巨人ファンになる人が多いのと同じようなものか)。ビジュアル的には、楽しそうに、情熱的に指揮をする人の方が好きなので、その点でラトルへの印象が良かったということもあります(だからビジュアル的にはカラヤンはあまり好きじゃない)。

一方、クラシックにのめり込む前にオーケストラの生演奏体験は実は済ませていて、2010年に新婚旅行でロンドンに行ったとき、初めてオーケストラのコンサートに行きました。そのときに観た楽団がロンドン交響楽団(指揮はゲルギエフ)。もちろんそのときに演奏の良し悪しなどわかるはずもなく、それでも初めて聴く生のオーケストラの音には感激したものでした。

そんなわけでサイモン・ラトルもロンドン交響楽団も、短いクラシック歴の僕にとって縁のある演奏家なのです。

日本のクラシック・オタクはドイツ、ウィーンに関心が偏っていて、英国のオーケストラを話題にすることは少ない。しかし、英国のオーケストラに実力について演奏家達の評価は高く、視野の広いクラシック・ファンからの評価も高いため、今回のラトル、ロンドン交響楽団のコンサートを楽しみにしていました。この9月24日のプログラムも、あまり海外オーケストラで聴けない曲ばかりで、その点も楽しみにしてサントリーホールへ。客席は8割以上埋まっていて、プログラム内容を考えると健闘と言って良いと思います。

まずは、今年生誕100年を迎えたバーンスタインの交響曲第2番から。現代音楽の響きを備え、ジャズのテイストも採り入れたこの曲を好きかと訊かれると、正直なところそれほどでもない。それでも大編成でダイナミックな曲は生で聴くとやはりスケール感が倍増。繊細な弱音をかくも美しく響かせる(ピアノを習ってから弱音とその表現の難しさがわかるようになった)ツィメルマンのピアノ、そして雄弁なオケの響きが一級品の音楽となって、良いものを聴いた感に満たされる。オケのレベルは世界でもトップクラスで、僕がオケの実力の判断基準のひとつとしている、弱音での音の美しさも申し分ない。

次は、より気軽に聴けるドヴォルザークのスラヴ舞曲。躍動感とスラヴ臭漂う哀愁の表現はラトルの得意とするところで、この曲でオケな見事の歌いっぷりがより明確になる。楽しさと美しさを備えたこの曲は、単曲でアンコールに演奏されることはよくあるけれど、このレベルのオケで通して聴ける機会は少なく、躍動と美を交互に配した構成の良さを再認識。ロンドン交響楽団は弦に品位ある艶を備えた美しさがあり、金管木管も技量的に優れていてオケ全体がよく歌う。更にオケ全体のバランスが良いところが素晴らしい。初めて生で観たあのオーケストラがこんなに素晴らしいオーケストラだったとは。今年観たコンサートではクリーヴランド管弦楽団も素晴らしかったけれど、ロンドン交響楽団も素晴らしいオケです。

3曲目のシンフォニエッタはP席の最後列、パイプオルガンの前に9人とトランペット奏者がズラリと並ぶ。冒頭のトランペットによるファンファーレは、それなりの人数によるものだろうとは思っていたものの、9人も居て、しかもこの高い位置から放出されるファンファーレの響きと音圧は相当なもの。CD(オーディオ)ではどうやっても再現できない音響とはまさにこのこと。オーケストラが放出する生のありのままのサウンドをCDに収めることが無理であることはほぼすべての人が知っていることで、やはり生演奏は次元が違うという当たり前の感想は誰もが抱くものです。でも、この日のシンフォニエッタほどCDで聴く音とのギャップを大きく感じた曲はこれまでにない。正直なところCDで聴いてもそれほど良い曲だと思ったことがなかったんだけれども、この日の演奏で、この曲が内包していた魅力を教えてもらえたような気がします。


2018年9月25日
サントリーホール
指揮:サイモン・ラトル
演奏:ロンドン交響楽団
【演目】
ヘレン・グライム:織り成された空間(日本初演)
マーラー:交響曲第9番

というわけで、やや迷った末に当日券で翌日もサントリーホールへ。

1曲目は典型的な現代音楽で、聴いて楽しいものではないんだけれど、20分くらいとあって前菜として楽しめました。あと、この種の音楽は生でホールの響きを感じながら聴かないと曲の面白さがわからないんじゃないかと思います。このような曲を日本で採り上げる意欲的なプログラムは、他のオケにも見習ってほしいところです(有名曲ばかりを要求する主催者と観客にも)。

マーラーの9番は、2年前にバイエルン放送交響楽団で凄いものを聴いてしまったのでしばらく生で聴かなくてもいいと思っていた曲。それでも、前日の演奏を聴いてこれならきっと素晴らしい演奏になるんじゃないかと思ったのと、ラトル&ベルリン・フィルのCDが素晴らしかったこともあって、期待を以て当日券を買い求めた次第です。

この曲は表現の振幅が大きく、大げさにやりすぎると低俗に、抑えすぎると物足りない、ということになりかねないので、そのバランスをどう取るかか指揮者の腕の見せどころ。ラトルは重くなりすぎることなく、しかもスケールの大きい表現をオケから引き出す。この日もオケのパフォーマンスは前日と全く同等(2日続けて同じオケを聴くとデキに差があることも少なくない)の素晴らしさ。

ただし強いて言うならば、バイエルン放送交響楽団に比べると、(前日も感じたところではあるんだけれど)木管がやや弱い。決してダメなわけではく、十分に高い水準に達している。でも、ベルリン・フィルやコンセルトヘボウのような超一流オケと比べると少し弱い(というか木管の一級品は超一流オケでしか聴けない)。繰り返しになりますが、あくまでも欲を言えばの話、頂点の世界で比較した場合の話であって不満というわけではありません。

しかし、この日は「事故」が少々ありまして。

RB席の一番RC寄り左端がこの日の席。一列上がるごとに横に席がズレて行くレイアウト故に目の前は誰もいなくて、前列はひとつ右寄りの右斜め前が左端の席。ステージ右寄りに視線を落とすとその右前の席シートバック上あたりになります。マーラーの9番が始まるとこの席の人が前かがみの姿勢を取り出してステージ右寄りを視界を遮るように。これがオケを見るためにそうしているんだったらまだ理解できるんですが、しょっちゅう1階客席を観察するかのように見ていて、そのために前かがみになって眼の前にその人の横顔がドンっと鎮座するわけです。しかも落ち着きがなく、頭の位置が頻繁に動いたり左側の手すりにつかまったりするものだから演奏に集中できない。堪りかねて第1楽章終了時に肩を叩いて「前かがみにならないでください」と伝えると、外国の方で、面食らいながら「Don't move front side」と咄嗟に言うのが精一杯。それでも伝わり、第2楽章からは快適に見れるようになりました。ちなみにこの方、コンサート慣れしているようには見えず、その後も演奏中にプログラムを読み始めるなど終始落ち着きがありませんでした。

第4楽章はご存知の通り、最後は静かに、消え入るように進みます。ここで誰かが盛大にモノを落とす音が。まあ、これは当然意図してのものではなくアクシデントだからある意味仕方ないことと言えるかもしれません。最後の音が消え、ラトルが手を降ろして頭を垂れたまま直立の姿勢となったとき、1階後方で1人、大きな音で拍手をはじめました。観客の多くは静寂の余韻を噛み締めている最中、唐突な拍手に追随する人はおらず、その人も手を叩くのをやめて再度の静寂、ラトルが姿勢を崩したときに会場全体から拍手が沸き起こりました。

はっきり言って台無しです。フライングの拍手を一番してはいけない曲でやってくれました。3年前のミュンヘン・フィルのブルックナー4番で音がまだ残っていて指揮者が手を降ろす前にブラボーをやられたときも気分が悪かったんですが、今回は曲が曲なだけに、音が消えたから、指揮者が腕を降ろしたから、という一般的な目安だけで勝手なことをしてほしくなかった。

それにしても、フライングで拍手、ブラボーをする人の精神構造ってどうなっているんでしょうか?何のためにそんなことをするのかサッパリわかりません。他の人に先駆けて拍手やブラボーの声援を送ることで何を得られるんでしょうか?拍手は自己満足のためにするのではなく演奏者に対してするものであるという当たり前のことまで言わないとわからないんでしょうか?腹立ちが収まりません。

せっかくの良い演奏も、こうした「事故」があると本当に気分が悪い。演奏者に対しても失礼極まりない。本当になんとかならないもんですかね。

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