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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

音楽教室から著作権料を取るJASRACの暴走

僕が高校生(80年代後半)のころ、レコードは1枚2,800円くらいが相場で、お小遣いをやりくりしてどの1枚を買うのかを決めることは一大イベントだった。長期休みのときだけやっていたアルバイト(校則では禁止だったので)で貯めた貯金を切り崩し、次の休みまでもたせなくてはならないだけに、欲しいからと言ってそう何枚もレコードを買えるものじゃない。そのうち、レンタルレコード店なるものが登場し、お安くレコード借りてカセットテープに録音して楽しむことができるようになった。これはお金のない学生にはとてもありがたいことで、一時期はよく利用させてもらっていた。

しかし、しばらくすると、レンタルレコード店通いはしなくなっていった。利用していた店は僕が当時熱中していた70年代英米ロックの名盤が多く揃っていた、今思えばちょっと変わった店だったけれど、当然のことながら自分の興味のあるレコードをすべて押さえきれているわけではなかった。カセットテープに落とすと音が悪くなってしまうこともやはり歓迎できないことだったし、レコードというものはあの大きさゆえに所有する喜びというものがあり、本当に好きなアーティストは常にレコードで聴きたいと思うようになったからというのが利用しなくなった理由である。

もうひとつ、心の隅にではあるけれども気にしていたのが、レンタルレコードに支払ったお金はアーティスト側に一切入らないということ。レンタルレコードというビジネスが始まったころは法整備がされておらず、作り手側には1円も入らない状態で、学生時代の僕はそれはちょっとまずいんじゃないかと思っていた。素晴らしい音楽を聴かせてくれている作り手にお金が入らない世の中では、音楽の作り手がいなくなってしまう!

大学生になると、渋谷のタワーレコード(当時は場所も違っていて米国直営だった)という、街のレコードショップが足元にも及ばない豊富な洋楽ロックの品揃えと国内盤からおよそ30~40%安く買える巨大ショップの存在を知り、いよいよレンタルレコード店は利用しなくなっていった。もちろん、輸入盤でもレンタルレコードよりはずっと高いけれど、レコードを所有する喜びと、作り手の方々を微力ながら支えているという気持ちを優先したいと思っていたからだ。

と、偉そうに言ってはいるものの、僕も聖人ではないので、何らかの形で無料で音楽を入手したことはあるし、ブートレグという魔物に取り憑かれたこともある。それでも、音楽の作り手にはお金が配分されるべき、という気持ちは基本的に変わらない。音楽にお金を払う人がいたからこそ、太古の昔から音楽を生業とする人がいて、現代まで音楽が存在し続けることができている。バッハやモーツァルトだってお金を払う人がいなければ他の生き方を余儀なくされ、今でも聴かれ続けている名曲がこの世に存在していなかったかもしれないし、世界中の音楽好きを魅了しつけるジャズやロックの名盤だって残っていなかったかもしれない。

そうやって10代のときから「音楽には対価(お金)を支払うべき」と考えてきた僕でさえ違和感を抱くのが、JASRACが音楽教室から著作権料を徴収するという動きである。これはもう音楽文化後進国でしか起こり得ない珍事と言って良いくらい愚かしい。

このニュースを機に考えてみた。一体どういうときに著作権料は徴収されるんだろうか?人に聴かせることを目的とした場合は、生演奏でなくても(CDを流すだけでも)著作権料を支払う必要があるとのこと。カラオケ、イベントで音楽を使う場合はもちろん、レストランや美容室のBGMで流すとそれだけで支払いの義務がある(有線放送が使われることが多いのは自分でBGMを選んでも著作権料を払う必要があり、手続きをするのが面倒だからなんでしょう)。僕は、自らの披露宴で流す曲を、培った音楽知識と手持ちライブラリーから総動員して選曲したけれど、これも披露宴で使うからには著作権料を支払わなくてはならない。ホテルが代行するため(していたはず?)自分で払っている感覚がないからまったく意識していなかったし、その場にいた人も恐らく誰も意識していなかっただろうと思う。

音楽好きとして、音楽は広く親しまれ、音楽が好きだと言える人が増えてほしいと僕は常々思っている。だから、冷静に考えてBGMにもお金が絡むことに気づくとちょっと世知辛い気分になるけれど、これらはまだ理解できるし、曲を公の場で使用する場合には作り手に還元されるべきであるという考えから逸脱しているとまでは思わない。

しかし、音楽教室で音楽を学び、演奏を楽しむ人から徴収するところまで来ると疑問しか湧いてこない。徴収する理由付けはいろいろあるようだけれども、一番の違和感は「人に聴かせることを目的としているから」ということ。発表会ならともかく、音楽教室で練習している曲が人に聴かせるためのものという言い分はこじつけにも程があると言いたい。アマチュアが密室で練習しているミスだらけの演奏、何度も途中で止めて同じところを繰り返している演奏を聴いてそれに価値を感じて楽しむ人がいるとでも言うんだろうか。

ちなみに、ライヴハウスなどでバンドが著作権登録されている曲をコピーして演奏した場合の著作権は、ライヴハウス側が支払っているとのこと。もちろんその原資はバンドが支払った使用料からだから一見問題ない。ところが、ファンキー末吉氏によると配当のルールなどが不透明で、正しい配当がなされていないとJASRACに上申書を提出している(http://www.funkyblog.jp/jasrac/)。ドラマー兼作詞作曲家を務める氏のバンドで全国ツアーを行い、自作曲を延べ数千回にわたり演奏してきたが、全都道府県の主要なライブハウスで計204回ものライブを行いながら、使用料は1円も計上されていなかったと主張している。要は、JASRACも著作権をうまく管理できておらず、徴収はするが実際に作曲家にお金が支払われていないという杜撰な運用をしているということになる(お金はどこへ?)。

音楽教室でレッスンまで「人前で聴かせることを目的としている」と求めるほど著作権料をシビアに運用するのなら、正しく作曲家に還元できるようにするのが先決ではないんですかね。それができないのなら、お金が取れそうなところを嗅ぎつけて、イチャモンつけてお金をむしり取る893と変わらないじゃないですか。僕は、音楽文化の維持のためには作り手にお金を支払うべきだとずっと考えてきたけれど、これから音楽にお金をより払ってくれるかもしれない人を育てる場でもある音楽教室を締め付けるのは自殺行為でしかない。

ちなみに、今回のJASRACの主張では著作権料を一律で音楽教室から取るという。これはつまり、著作権が切れているクラシック楽曲のみをレッスンで使ったとしても徴収することを意味する。どのような曲をレッスンで使ったのか管理できないから、もう音楽教室全体からまとめて取っちゃえ、ということらしい。それをどの作曲家にどのように配分するつもりなんだろう。デタラメもここまで来ると呆れて物が言えない。

仮に音楽教室も著作権料を支払うという判決が出たとしても、音楽教室側はお客様であるレッスン受講者からお金を徴収することしない(音楽教室が負担する)でしょう。特に今回は個人レッスンを対象にしておらず、営利団体がターゲットになっている(ライヴハウスが支払うのと同じ理屈)ことを考えると益々困難なことでしょう。でも、個人レッスンも将来は徴収しようとしていることを踏まえて無理を承知で僕はあえて提言したい。著作権料を支払う義務がある曲を演奏したいと受講者から要望があった場合にはその人から著作権料を取るようにするべきだと。そうすればその曲は選ばれなくなる。あるいは単純にJASRACに著作権管理されている楽曲は、すべての音楽教室で使わないことにしてしまえばもっと手っ取り早い。お金がかかるからと言って演奏する曲に選ばれなくなることを残念だと思わない作曲家は、エレベーターのBGMを作るような職業音楽制作者ではあっても、もはや音楽家(Musician)とは言えない。音楽を心から愛し、文化の担い手であるという自負がある作曲家であれば、そんな状況を看過することができるはずがなく、音楽家の良心を問われることになる。そうすればアクションを起こす人が少なからず出て来るんじゃないかと僕は思っている。

もちろん、それ以前に裁判所がJASRACの主張を退けることが望ましいのは言うまでもない。ここでJASRACの主張が通るようなことがあれば、日本という国はその程度の文化しか持ち合わせていないと世界中に宣言することになる。そんな恥を晒さないでほしい。

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