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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

菊地成孔の「ラ・ラ・ランド」批評は無粋の極み

(この記事は「ラ・ラ・ランド」の内容について触れているため、ネタバレが含まれています)

ジャズ・ミュージシャンである菊地成孔が映画批評を連載しているとは知りませんでした。話題の映画「ラ・ラ・ランド」を酷評していることでネットでもちょっと話題になっていたので読んでみました。書き出しは以下のように始まります。

当連載は、英語圏の作品を扱わないので今回は<特別編>となる。筆者は映画評論家として3流だと思うが、本作は、複数のメディアから批評の依頼があった。大人気である。「全く褒められませんよ」「こんな映画にヒーヒー言ってるバカにいやがられるだけの原稿しか書けませんけど」と固辞しても、どうしても書けという。

そりゃあそうだ。筆者は一度だけヤフーニュースのトップページに名前が出たことがある。ジャズの名門インパルス!レーベルと、米国人以外で初めて契約したから? 違う。女優の菊地凛子を歌手デビューさせたから? 違う。正解は「『セッション』を自分のブログで酷評したから」。流れでさらっと書くがヤフーニュースというのはバカか?

『君の名は』や『シン・ゴジラ』でさえ賛否両論ある世界で、本作は、「観た者全員が絶賛」という、気持ち悪いぐらいの受け方をしている。ここ10年、いや、20年でもいい。これほど絶賛が集中した映画があるだろうか?


もうですね、言い訳の連続なわけです。自分のことを映画評論家としては3流と言っておけば映画に詳しい人からの誤り指摘があっても「だから3流って書いたでしょ」と言い訳できる。そもそも酷評なんて書きたくないんだけど周囲が書けというから書いたという言い分は物書きを生業としている人(彼には作家という肩書もある)がしてはならない言い訳の最たるものでしょう。

事実誤認、決めつけの激しさも呆れ果てますね。「観た者全員が絶賛」って一体誰に確認したんですかね?僕はこの映画が好き(というか観てしばらくしてから好きになった)ですが、入り込めない人がいることは理解できる。鍛え上げられた踊りや、圧倒的な歌と音楽で押しまくる、いかにもミュージカル然としたものを求めたり、斬新で大袈裟な演出を求めたりする人には物足りないでしょう、ということは前回の記事にも書いた通り。ネット掲示板を見ればわかる通り、悪い評価をしている人もかなりいるわけです。「世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね」というタイトルにして注目を集めることができれば、別に事実だろうがなかろうが関係ないんでしょうかね。

この書き出しの前に入稿が2月20日だと書いてあるわけです。公開前に書いたからネット掲示板は含まれていないっていうこれも言い訳なんでしょうか。一方で、公開前に観たということは試写会かなにか映画会社の計らいで観せてもらったというこでもありますね。映画批判を公の場でする人は自腹で観て公開後に、という映画業界では暗黙のマナーがあるらしいんですが、自分は映画業界の人ではないから関係ないんですかね(今回の記事は映画封切り後に公開することだけ押さえたようです)。もしそうだったら原稿料をもらって映画批評の記事を書く資格ないですね。

それにしても、アカデミー賞が絶対的なものではなく、ご都合主義な単にハリウッドのお祭りであることくらい、映画批評を書くほどの人なら誰でも知っているのに「それにしてもアカデミー賞って」と今更語るのは何を狙ってのことなんですかね。その後、実際のジャズはああいうものじゃない、という予想通りのオタク批判が展開されます。一般人が書いているのなら、ああ、やっぱりこういう人っているよね、と思う程度ですが、まさかプロのミュージシャンがそれをやるとは。コレに対しても、

(前略)「ジャズの部」は例によって、考証も描かれ方も演奏も、もれなくとてつもなく酷い。別に筆者がジャズミュージシャンだから点が辛くなっているのではまったくない。

というただ単に字面だけの言い訳(ジャズ・ミュージシャンでない菊地成孔がこの世に存在しているとでも言っているんでしょうか?)をしている。いやいや、プロのミュージシャンがジャズ・オタクの視点で書いているのにそんなこと言っちゃいますか。あと「うっすーいオタク」を批判してますけど、「濃いオタク」ってそんなに立派なんですかね。音楽を映画で扱うことに「濃いオタク」視点がないといけないなんて誰が決めたんでしょう?それに「濃いオタク」って本質を見失っている(音楽を良い音で聴きたいから始まったオーディオ趣味のはずなのに10万円するケーブル選びにハマるような)人が多くて、そんなバランス感覚を欠いた人に映画音楽なんて任せられませんよ。

もうこの時点で言っちゃいますけど、この人、中身は小学生並みですね。冒頭の文章で、インパルス・レーベルと契約していることをわざわざ自慢しているところなんて子供じみているにも程がある。ご丁寧にジャズを知らない人のために「ジャズの名門」って自分で紹介してますけど、例えばサラリーマンが自分の属している会社のことを「わが天下の◯◯会社」と声に出して周囲に紹介していたらどう思われるかっていう想像力もないようです。(実年齢を調べてびっくり・・・53歳とは・・・)

ちなみにこの記事の中で菊地さんがジャズに関して書いてあること、ほぼ100%その通りだと僕も思います。そう、アナタは正しい。僕もジャズ・リスナーの端くれでそれなりに勉強もしてきたので、「ラ・ラ・ランド」のジャズについての突っ込みどころは理解できます。

その上で菊地さんにお尋ねしたい。

拳銃を撃ったことありますか? 僕は過去にLAとボストンで撃ったことがあります。いわゆる観光客向けの射撃場ではなく、ゴルフの打ちっぱなしみたいな感じの地元の人が行くGun Centerで38口径と45口径のリボルバーを。撃ったことある人なら誰でも知っていますが、足を左右に広げて下半身を安定させて直立し、両腕を伸ばしてしっかり構えないと銃は撃てない(的の中心どころか大枠の中にすら当たらない)。そのくらい衝撃が凄くて安定しない。45口径を50発撃ったときには、グリップからの衝撃を受け止める右手の人差し指と親指の根元が痛くなり、その傷みが翌日まで残ったくらい、と言えばその衝撃をイメージしてもらえるでしょうか。例えば、銃の扱いを知っている警察官がハリウッドのアクション映画を観て「銃っていうのはあんなものではない。肘を曲げて撃つことですら安定感を大幅に欠くのに片手で撃つとかありえない。ハリウッド映画は拳銃についての考証が浅い」なんて批評していたら菊地さんは「なるほど、アクション映画は銃の基本を守るべきだろう」って思うんでしょうか。

映画っていうのは嘘っぱちなんですよ。現実的なドラマとして描いているものだって作為的な演出や外連味がある。そういう作られたものを楽しむ娯楽なわけです。現実と嘘っぱちの世界との距離感を自分なりに取って、2時間だけ別世界に連れて行ってくれることが映画の持っている力なわけです。自分が生きているわけじゃない架空の世界、自分とは違う道を歩む人の人生を仮想体験することが映画ファンの楽しみなわけです。(こんな当たり前のことを原稿料貰って批評書いている人に言うのも馬鹿馬鹿しいんですが)

僕だって音楽がネタになっている映画なんかだと「あれっ」って思うことがありますよ。でも、そんなこと映画にとってまったく重要じゃないし、映画ってそういうものだからスルーするわけです。「ラ・ラ・ランド」だってコルトレーンやビル・エヴァンスの写真が出てきて、でも彼らを連想させる音楽性は主人公セバスチャンには感じられないな、とは思ったけれど、そんなことはどうでもいい。2ヶ月くらい前に観た「黄金のアデーレ」という映画の回想シーンは(確か)1953年くらいになっていて、そこで流れていたのは58年録音のアート・ブレイキー「モーニン」収録曲、なんてことがありましたけど、そんなのはよくある話です。「リプリー」という映画なんて50年代が舞台なのに、ブライアン・セッツァーが2000年に発表したオリジナル曲をジャズ・クラブで演奏しているシーンがあります。チェット・ベイカーやチャーリー・パーカーといった実名、レコードが出て来るほどのネタとしてジャズを扱っているこの映画の製作者が2000年の曲だと知らないはずがなく、映画にとって音楽の考証なんてどうでも良いことだと示しているわけです。

リアリティを追求することが映画にとって重要だと思っている人なんていないでしょう?なのに自分が詳しいジャンルのネタが映画に登場すると「あれはリアルじゃない」と言い出す人が必ず出てくる。これって映画を批評しているんじゃなくて、映画を作っている人、さらに言えば「ラ・ラ・ランド」のような話題の映画を作った人より自分のほうが(その部分だけは)詳しくて良く知っているぜって言いたいだけのことでしかない。「ラ・ラ・ランド」(あと「セッション」も)ってジャズの伝統を考証することがテーマの映画でしたっけ?テーマどころか末端要素でもすらない。セブが伝統的なジャズにこだわっている、という雰囲気が出ていれば良くて、映画曲中の音楽が例えばセロニアス・モンク風である必要なんてないんですよ。リアリティがないことがいけないのなら、いきなり路上で歌い出すミュージカルっていうジャンルは現実社会への考証が足りないっていう話になるわけです。映画という娯楽で、リアリティや考証を持ち出すなんて「無粋」の極みというものです。

もちろん、「これはいくらなんでもあり得ない」ばかりの映画だと「嘘っぱち」であっても覚めてしまうのはその通りです。どこまでが許されるかは個人の裁量に委ねられるものなので難しい問題ではあります。でも、「ラ・ラ・ランド」のジャズの扱いはミュージカルという娯楽において「これはいくらなんでもあり得ない」と言えるほど、そして外連味の範疇を逸脱しているほど酷いとはまったく思いません。これが例えば、ジャズは中国が発祥の地であるとか語られてたらさすがにどうかと思いますけど。

あと、

このシーンで、どうやら(としか言いようがないのだが)エマ・ストーンは一発でジャズ開眼するのだが、

っていうのも凄いですね。「気に入らないものだからネガティブ方向に決めつける」という、ネット掲示板にありがちなイチャモンと同レベルの行為ですよ、これ。少なくとも僕は、そのシーンではなく、その後何度も聴かされているうちにきっと好きになっていったんだろうなあと思いましたけどね。僕の受け取り方は勝手な想像ですが否定できる描写は少なくともどこにもなく、菊地さんが言っている一発で開眼したという描写もどこにもありませんね。そうとしか見えないのは、最初から斜に構えて観ているからなんじゃないですかね。

それから、「SNSの存在なんかこの世にないみたいな描かれ方だけれども」というコメントも稚拙の極みですね。続けて、

なんでこんな、シリアスな悲恋モノみたいになるかね? まあ、これ見て「わかるわあ」つってうっとりする人々が世界中にいるのである。すごい速さで書いてしまうが、アホか。

 さすがにネタバレはまずいだろうということで、最後のネタは書かないが、そもそも、この2人、いつどこで、どんな感じで別れたのか、それとも別れてないまま離れ離れになったのか、なんだか全然わからないまま話が閉じてしまう。


SNSがあれば離れ離れになっても別れるのは不自然だと言いたいんでしょうかね。こういう別れた理由みたいなことを描かなくて説明不足っていう意見、他の映画も含めてネット掲示板で素人の意見としてもときどき見かけますが、ホント、どうでもいい。観ている人に想像する余地を与えない説明的なことをする映画は、それこそ鑑賞者をバカにしている。説明がないとか書いている人は、思考が停止した真のアホだという自覚を持っていただきたいですね。そう言ってもわからない人のために補足すると、そういうところは自分で勝手に物語に沿った内容を想像するんですよ。きっとそんな感じだったんだろうな、何かあったんだろうなって。子供じゃあるまいし、そのくらいできて当たり前でしょう?1から10まで説明してもらわないと納得できないっていう受け身の人は映画なんて観ないほうがいいです。

これら以外にも、決めつけの羅列で、長文書きの僕が呆れるほどの長文でどうでも良い内容の批判を書いていらっしゃる。少なくとも菊地成孔は、映画好きのアマチュアよりも映画についての知識も経験もなく、稚拙で無粋であることが今回よくわかりました(そう突っ込まれても言い訳できるように最初に自分で自分を3流と言い訳している器の小ささも)。あと、プロが書く映画批評っていうのは映画の内容について批評するものであって、その映画を観て評価している人をバカにするものではない、という言われなくても知っていて当たり前のマナーすら知らないというのは世間知らずも甚だしいです。ミュージシャンってのは社会性なんてどうでもいいとは思いますけど、物書きに社会性はどうでも良いという言い訳は通用しませんよ(よほどの巨匠ならともかく)。

菊地さん、公開前に映画を観させてもらって原稿料もらって記事を書くならもう立派なプロなんですよ。それなのにこんなみっともない映画批評していて恥ずかしくないんですかね?ジャズってどんなに激しいもの、たとえフリー・ジャズ(「ラ・ラ・ランド」で言ってたフリー・ジャズはまったくフリー・ジャズではありませんでしたね、そう言えば。それも大して重要なことではありませんが)であっても「粋」がどこかに漂っているものだと僕は思うので、ジャズ・ミュージシャンが得意げに「無粋」なことをやっているのを見ると悲しくなります。まあ、一般人にまでは名前が知れ渡っているわけではない人なだけに売名行為としては悪くないアイディアだったのかもしれませんが、チャゼル・マナーとか茶化す前にご自身の足元(社会人としてのマナー)を見つめ直した方がよろしいんじゃないでしょうか。

僕も世間がジャズに抱いているイメージに違和感を持っている熱心なジャズ・ファンで、そういう違和感を過去に記事にしたことがあります(http://buhaina.blog.fc2.com/blog-entry-136.html)。この記事も一般人から見れば十分ジャズ・オタク的な内容です。そのような一般人から見ればジャズ・オタクで、そこそこの映画好きである僕が読んでもデタラメと感じる菊地マナー。ジャズに詳しくない人は「プロが言っているんだからきっとそうなんだろう」だなんて思ってほしくないですね。この映画批評がジャズ愛好家の代表意見だと思われたら多くのジャズ・ファンにとって迷惑です。

(3/11追記)
なんと、アカデミー賞の結果を踏まえての第2弾が公開されました。またしてもイチャモンのような内容、子供のような語り口、薄いのに長い文章で。でも、これで菊地さんの本音がわかりました。大好きなんですね、チャゼル監督と「ラ・ラ・ランド」。ほら、わんぱく小学生が好きな女子をいじめるっていう定番行動ってあるじゃないですか。あれと同じです。だって嫌いなものにこんなに執着できませんよ。とはいえ、映画批評として公開され、一定の人が納得してしまっているようなのでこの僕の記事の主旨は変わりません。そして、もう菊地成孔を今後僕のブログで採り上げることはないでしょう。価値のないものを批判してもしょうがないですから。

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