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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

「Roll Call / Hank Mobley」

Roll Call201806

「Roll Call / Hank Mobley」

Freddie Hubbard (vib)
Hank Mobley (ts)
Wynton Kelly (p)
Paul Chambers (b)
Art Blakey (ds)

オールド・ジャズ愛好家が一段高いところに位置づけ、絶大な評価を受けているミュージシャンがいる。彼らは所謂ジャズ・ジャイアントと呼ばれる人たちである。

マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、ハービー・ハンコック、アート・ブレイキー(このあたりまではジャズ好きでなくても名前を知っている人が少なくないでしょう)、ソニー・ロリンズ、リー・モーガン、ジミー・スミスあたりが巨人中の巨人といったところでしょうか。

その時代に活躍していた中で、今ほとんど振り返られることがない、しかし偉大なミュージシャンの代表的な人としてハンク・モブレーを僕は挙げたい。(「振り返られることがない」は大げさではなく、たとえば日本語のWebサイトでモブレーのディスコグラフィを紹介しているところはほとんどない)

モブレーはハード・バップ創世記から、ジャズ・ロックやフリー・ジャズが隆盛を極めた60年代まで一線で活躍していた。それにもかかわらず、扱いが小さく、たとえば今になってモブレーを扱う書物が出版されるなんてことはまずない。理由はいくつかあると思う。

まず、テナー・サックスのプレイがゴリゴリと押しまくるスタイルでないことが最大の原因でしょう。ロリンズやコルトレーンといった大物中の大物が主流となるスタイルを作り、他にもジョニー・グリフィンやデクスター・ゴードンのようにブリブリ吹きまくる人気プレイヤーが多くいることは確かながら、テナーの吹き方はそれだけではない。アルト・サックスになるとチャーリー・パーカーのようなスタイルでない人(たとえばジジ・グライス)が、軽視されているのと同じような理由でハンク・モブレーは軽視されているように見える。

もちろん、テナーの世界にも力強いスタイルではなく、レスター・ヤングやスタン・ゲッツのようにどちらかと言えば高い音域を主に使うスムーズで軽快なスタイルで今でも人気がある人はいる。ところが、ハンク・モブレーのスタイルはそれともまた違う。テナーらしい音域で、テナーでなければならない音で、しかし、押し出しが強くないモブレーのテナーは、だから埋没してしまっているのかもしれない。

また、モブレー多くの曲を残した作曲家でもある。モダン・ジャズの王道的なスタイルで、親しみやすく、しかしちょっとフックがあって口ずさむにはコツが居るという曲が多く、ジャズの作曲家としてとても優れていることは、オリジナル曲をレコードに残すことに力を注いだブルーノートのプロデューサー、アルフレッド・ライオンが重用したことが証明している。ところが、モブレーの曲は、たとえばセロニアス・モンクやソニー・ロリンズの曲のように多くのジャズ・ミュージシャンに採り上げられることはなく、モブレーの曲を他のミュージシャンが録音したという例はほとんどないように思う(少なくとも僕が知る限りゼロ)。曲としてのスタイルが完成されすぎていて、演奏者が遊べる要素が少なかったからではないかと演奏家でもない僕は勝手に想像している。

リーダーとしてだけでなく、サイド・メンとして参加したアルバムを含め、モブレーが残した録音は強烈なインパクトがないということは、こんな記事を書いている僕も正直に認めよう。そんなモブレーの代表的なアルバムとなるとワン・ホーンでウィントン・ケリーの軽快なピアノも味わえる「Soul Station」を挙げる人が多い。しかし、モブレーのテナー・プレイヤーとしての表現とパワーが最高潮に達し、クインテット編成ジャズの醍醐味を味わえるのは間違いなく「Roll Call」である。

まず、メンツが凄い。フレディ・ハバードにウィントン・ケリー、安定のポール・チェンバース、そしてドラムがアート・ブレイキーというブルーノート人脈でも最高レベルの猛者が集まっている。猛者といえどもジャズ・ミュージシャンは押すところ、引くところをわきまえる理性が例外なく備わっているから、サイド・メンとして参加する場合には抑えることはよくあるんだけれど、このアルバムは全員、思う存分自分のプレイを放出していて、それを引き出すことができるのがモブレーの曲、音楽であると僕は強く思っている。また、「放出」とあえて書いたのは全編、テンションが高い前のめりで熱く激しい演奏で占められているからでもある。ヘナチョコなテナーと思っている人は、「えっ?じゃあモブレーは埋もれてしまうんでは?」と懸念するかもしれないけれど、いやいやそんな心配はご無用と言えるほど、対等に渡り合っている。しかもモブレーらしい歌心を忘れずに。演奏家としてのモブレーの最高の瞬間が捉えられている(テナーのパフォーマンスという点では「Workout」も互角の素晴らしさなのでこちらも合わせて聴いていただきたい)。

サイド・メンのパフォーマンスが凄いことがこのアルバムの価値を高めているのは確かである。でも、モブレーが主役だからこそ、それを引き出すことができたのだと僕は信じて疑っていない。

晩年は演奏家としての活動も辞めてしまったと言われるモブレーは、パンチがなく、薄幸のプレイヤーとして印象を抱いている人も少なくないに違いない。でも、そういう人にこそこのアルバムを聴いていただきたい。モダン・ジャズ全盛期に残された数多くのレコードの中でも屈指の名演として永遠に輝き続けるこのアルバムは、疑うことなく名盤中の名盤である。

ピアノ・レッスン 第30回


(ピアノレッスンの記事は自分のための備忘録を主目的としています)

チェルニー Op.777 第22番。課題だった後半部もソツなくこなし無事修了。この後半部には右手と左手でリズムの変わり目が違う小節があり、うまくつなげるのが難しいので、ここはさすがにだいぶ練習しました。先生としてはスムーズに弾けていることにやや感心した様子。とはいえ、完全にスムーズというほどではないんですが、ピアノ歴1年強の50歳としてはよくがんばったというところなんでしょう。曲のエンディングでややテンポを落とした方が曲の落ち着きが良くなるというアドバイスをいただいたので、実践してみるとどこかピアノがうまくなった感じに聴こえるから不思議です。

次の23番は右手は3度2音のメロディが続く、というか3種類の3度2音の組み合わせを連ねるというこれまでにないパターン。譜読みを始めるとかなり苦戦。ゆっくりやっていると「この曲はMolto Allegro(非常に速く)なので速くやりましょう」と指導。頭で考えながら指をメロディに合わせ進めて行くというよりは、3度2音の型を目まぐるしく切り替えて行く、即ちパターンを手に覚えさせるという手法が必要になりそう。しかもスタッカートで軽快に進める必要がある。ここでのポイントは右手の位置を下げずに弾くこと。先生の模範演奏を見ていると右手が下がらないだけでなく、左右にも動かない。僕は下げない努力をするのが精一杯で右手が左右にブレてしまうけれど、これはそう簡単には修正できそうにありません。中盤では3度の上の音程と下の音程がつながるところがあり、そこがまた難所。しかも左手のリズムパターンも一捻りある。いやはや結構むずかしい。これも練習を繰り返すしかなさそう。

月光は、前回からの課題部分は展開が忙しく変わるところで、ここは頭に入れるのがかなり苦労した部分。ややつっかえ気味ながらこなし「音が完璧に取れていますね(外していない)」とお褒めの言葉をいただく。「いやあ、かなり練習しましたから」と一応言っておく。簡単にできるようになったと思われると宿題のハードルが上がりそうなので、そう言ってしまうわけですが、妻によると「先生、そんなの見てればわかるから」とのこと。いよいよフィナーレに差し掛かって、ここでは左手で主題メロディを弾かなくてはならない。この曲に取り組み始めたときは右手でリズムを取りながら小指で主題メロディを弾くことに苦労してたから左手にメロディが移ったら簡単になるかと思ったら、右手のリズムと同期しない。ゆっくりな曲は簡単に弾けそうと素人は考えがちですが、この曲はやはり難しいです。まあ、ピアノを習い始めてソナタを弾こうというのが大チャレンジなわけですが。それにしても、ここまで長い曲の挑戦は初めてで、しかもこの曲は単純な繰り返しがないのでだいぶお腹いっぱいになってきていて、通して弾くとときどき頭の中が白くなって立ち止まってしまいます。素人なので譜面を全部なぞって指が動くなんてことはなく、ある程度頭に入れないと弾けないわけで、しかし、曲が長いとそれに限界がある。頭に入れることと譜面をところどころ読み取りながら曲を連ねて行く必要があって、それも課題であり、良い訓練になっています。

ところで、最近はピアノレッスンのときの方が家での練習のときよりも全体的に上手く弾ける場合が増えています。家で練習していると仕事の悩みが頭を巡りながら、ということがよくあって集中できていないからミスが多くなる。レッスンのときはさすがに集中するので、より上手く弾けるというわけです。以前は先生を前に弾くと緊張したからレッスンのときの方が圧倒的に上手く弾けなかったんですが、今は逆転現象が起きています。これが技量が上がったことになるのかは不明です。ま、でも悪い意味での緊張が薄れてきているのは良い兆候なのかもしれません。

今回のレッスンまでの教訓
●最後に疾走感を求められる曲でなければ最後にややテンポを落とすと曲の収まりが良くなる。
●右手の位置を下げず、左右にブレさせずに弾くのはやはり基本中の基本。
●3度のメロディ展開は頭で追いかけるのではなく型で覚える。

ピアノ・レッスン 第29回

(ピアノレッスンの記事は自分のための備忘録を主目的としています)

前回から3週間のインターバル。15日あった平日は30分×3日程度しか練習できず、4日あった土曜日曜のうち3日間は1時間ずつ、レッスン前の最後の日曜日(レッスン6日前)に遅れを取り戻すべく2時間半ほど、という練習状況。ここ2ヶ月の中では練習時間が取れた方ですが、やはりもう少し時間が欲しいところ。仕事で帰宅が遅く、平日にほとんど練習できないのが痛い。あと5日間旅行に行っていたので期間のわりにはあまり練習ができていませんでした。

毎日コンスタントに練習できないとどうなるか。平日の5日間まったく鍵盤に触れることができなかったあとの練習ではさすがに指が回りませんでした。まだ譜読みの段階のところは忘れてしまっているし指の感覚が鈍ります。一方である程度弾けていた部分はそれほど劣化せず。経験して思ったのは、5日間何もしないで1日でまとめて2時間半練習するよりも、30分を5日間練習した方が明らかに良いということ。やはり短時間であってもコンスタントに毎日練習した方がベター。ちなみに1日に2時間半練習すると翌日の肩こりが結構酷く、そういう意味でも素人がまとめて長時間練習をするのはあまり良いとは言えないものだなと感じました。

そんなこんなで3週間ぶりのレッスン。

チェルニー Op.777 第21番はこれまでのチェルニーの中でもっとも指を速く、スムーズかつ一定のテンポで弾くことが要求される難曲。あと、4→5→2→5→4→5→2→5(#シドソド#シドソド)3→5→1→5→3→5→1→5(ラドファドラドファド)と16分音符が続くところで思うように指が動かない。5番(小指)を支点に他の指を交互に使うという動きが人間工学的に自然とは言い難く、小指に力が入りにくいことからテンポを上げる間違えずに指を回すことが難しい。これまでの経験でもわかってはいるものの、力が入りにくいとどうしても手首の位置が下がってきて指を寝かせ気味になってしまう。小指を立て気味にして手首の位置を上げるように先生からドバイスをいただくと、ミスも少なく指も滑らかに動くように。これは自分でもちょっと驚く効果で、手首を下げるのは良くないとこれまでにさんざん言われていたにもかかわらず、基礎の重要性を再認識した次第です。走り、モタリしながら、それでもだいぶスムーズに弾けるようになったためこの曲は修了。とはいえ、この曲はしばらく自主的に練習を続けるつもり。右手の運指の良い練習になるし、なんと言っても、スムーズかつスピーディに弾けるとこの曲はカッコいいから。うまく弾けるようになりたいというモチベーションを持てる曲に出会えることもピアノ習得には大事なことであるように思います。

次の第22番は、装飾音符付きの右手を軽快に(譜面にはscherzandoの指示あり)、左手のワルツのリズムもそれに合わせて軽やかに弾かなくてはならないところが難しい。特に左手の小指(ワルツリズムの1音目)はついつい残し気味になりがちで、そうなるとリズムがとたんに重くなってしまう。左手のポジション移動が大きいところがあり、ポジション移動が大きいと小指の離れが遅くなりやすい。それでも上手く弾けているとのことで後半部分の譜読みへ。後半部分はやや展開が変わるものの、軽快さを保つという観点は同じなので、ある程度練習すれば上手くイケそうな雰囲気。

「月光」は前回譜読みしたところの確認から。第1楽章も3分の2以上進み、いよいよ終盤へ。この曲、指の動きにトリッキーなとことがなく(それでも初心者には簡単じゃないけど)、ゆっくりでリズムも一定、しかし単純に繰り返す部分が少なく、さまざまな音階で多様な展開を見せる。まだベートーヴェンのトルコ行進曲とラ・ラ・ランド「ミアとセバスチャンのテーマしか取り組んでいない初心者にとってはこの展開が複雑かつバリエーションが多すぎて、頭に入り切らないので、勢い譜面をしっかり見てなぞりながら弾かざるを得ない。こが意外といい練習になるんです。譜面を追わないといけないので、ぱっと見てどの音かを読み取るスピードが早くなってきていていることが自分でもわかります。

終盤に向けてまた新しい展開に進んで行くと、(繰り返しになりますが)この曲の完成度の高さ、深さに思わず唸ってしまいます。ピアノに触れてからまだ13ヶ月の僕にとっては、正直なところ最後まで新しい展開が続いて行くこと(それを覚えなくてはいけないこと)にそろそろ疲れて来てきているんですが、新しい表情を見せる面白さのおかげで先に進むモチベーションを保つことができるのも事実。今回譜読みを進めた部分は、またここまでとは異なる音階と展開でなかなか頭に入ってこなかい。そこで左手と右手3連符の1音目だけを合わせて流れを掴む方法で練習を進める。その法則性を先生に解説してもらうことでなんとなく目処をたててこの日のレッスンは終了。

今回のレッスンまでの教訓
●自宅練習は1日長時間よりも毎日コンスタントの方が有益
●力が入りにくい小指は寝かせると余計に動きを鈍らせるので立て気味に。
●曲の素晴らしさを感じ取ることが練習のモチベーションになるので選曲は重要。

ウェルザー=メスト指揮 クリーヴランド管弦楽団 2018年日本公演

メストCO2018

2018年6月6日
サントリーホール
指揮:フランツ・ウェルザー=メスト
演奏:クリーヴランド管弦楽団
【演目】
交響曲第2番 op.36
交響曲第6番 op.68
「レオノーレ」序曲第3番 op.72b

クラシックを聴き始めたころ(もう6年くらい前か・・・)に、CDをあれこれ物色していたとき、オーケストラの名前としてやはりすぐにウィーン・フィルとベルリン・フィルが目に飛び込んできたものでした。この2つのオケは、クラシックに関心がない人にさえ名前が知られているだけにそれも当然のこと。そこからいろいろ情報を調べて行くと、コンセルトヘボウやロンドン交響楽団、バイエルン放送交響楽団、ミュンヘン・フィル、それにロシアのレニングラード(元サンクトペテルブルク)交響楽団や、アメリカのシカゴ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ニューヨーク・フィルなどの名前を知るようになってきます。

初めて本気で見たコンサートがマゼール指揮のミュンヘン・フィルで、いたく感動したため、その後CDを買い集めていると、バイエルン放送交響楽団やベルリン・フィル、ウィーン・フィルに混じって出てくるのがクリーヴランド管弦楽団という名前のオーケストラ。

有名オケは都会にあると勝手に思い込み始めていただけに、クリーヴランドという地方都市にあるローカルオケがあるんだなと思い、華やかな経歴を持つマゼールにもそんな時期があったんだと、また勝手に思い込んだものです。しかし、クラシック愛好家ならご存知の通り、アメリカ五大オケのひとつであり、ジョージ・セルが鍛え上げたとされる一流オーケストラという評価をされています。

また、指揮者のウェルザー=メストは、ウィーン国立歌劇場の監督を勤め、ニューイヤー・コンサートも二度振る実績がありながら、どういうわけか日本では不人気。

そんなわけで、人の意見に流されるタイプの人には注目度が低いようで、ベートーヴェン・チクルスであるにもかかわらず連日空席が目立っていた模様。この日もおよそ六割の入りで、やや寂しい客席風景でした。

まずは交響曲第2番から。始まって2分もしないうちに、ああこのオケは上手いと確信。ヴァイオリンはよく歌い、美しく、しかしただ甘味でなく格調高さまで感じさせる。チェロやコントラバスの響きも豊か。木管はどのパートもハイレベルで金管も非の打ち所がない。特筆すべきは、これら各パートのレベルの高さに加えて、全体のバランス、アンサンブルが見事であること。上手いからと言って出過ぎたところ、落ち着けがましいところがなく、しかしオケ全体は余裕を持って豊かに音を紡ぎ出してる。編成としては決して大きくない曲であるのもかかわらず、サウンドがリッチで締りがある。

このオーケストラで聴く2番はまさに極上品。もともと2番は好きな曲ではあるんだけれども、こんなに素晴らしい曲なんだと改めて思い知らされました。特に第2楽章の美しさと言ったらそれはもう言葉に表せないほどで、生涯忘れられない2番を聴いたという思いです。これなら6番は一層期待が膨らむ。何しろ6番は大好きな曲なだけにワクワク感が倍増。

大幅に編成が増強された第6番は、やはり一分の隙もない見事な演奏。ところがテンポ設定が、クライバーかカラヤンかと思うような早めの設定で、僕の好みから言うともう少し落ち着いた演奏で聴きたかったというのが正直なところ。一方で、活力漲る田園と捉えるなら、これほど素晴らしい演奏はない、と感じた方もいたことでしょう。好みのテンポではなかったというだけで残念と思ったわけではなく、素晴らしい演奏を聴いたという思いに揺るぎはありません。

最後に演奏したレオノーレ。これがまた圧巻。序曲は全集の余りスペースに入っていてあまり真面目に聴いていないというのが正直なところでしたが、ここまでの演奏を聴かされると曲の底力を思い知らされる。後半のステージ裏から聴こえるトランペット・ソロがそれはもう見事で、いや本当にいいものを聴かさてもらいましたと大満足。

あまり人気のない指揮者、一般にはほとんど知られていないアメリカのオーケストラ。しかしチケットの価格は高めの設定とあって客の入りは悪かったものの、斜に構えたクラヲタは少なく(有名オケだと休憩時間にオケの批評やあのときに聴いたあのオケは的な自慢会話がいろいろなところから聞こえてきて良い気がしない)、客のマナーも良かったように思います。

この6年間で結構多くのオーケストラを聴いてきましたが、是非また聴いてみたいと思わせるオケはそうはありません。クリーヴランド管弦楽団は、しかしそう思わせるだけの素晴らしいオーケストラで、コンセルトヘボウやバイエルン放送交響楽団に勝るとも劣らないレベルにあり、しかも独自のサウンドと表現を持っていました。こう言ってはナンだけれどもボストン交響楽団よりも遥かに上だと思います。他人の評価や評論家の意見に振り回されてこういう素晴らしい演奏を避けている人がいるのだとしたら本当にもったいないです。

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