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Enjoy Life, Enjoy Hobby

趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

「ベイビー・ドライバー」(ネタバレあり)

ベイビー・ドライバー201709

ごく限られた映画館のみで上映され、評判が良いことから徐々に上映館が拡大、近所のシネコンでもようやく遅れて公開してもらえるようになったこの映画。

監督のエドガー・ライトは英国若手新進気鋭の注目株で、僕が見たことがあるのは「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!」だけ。これ、かなりイッちゃってる映画で、サイモン・ペッグのキャラと相まっていかにもインディペンデントな如何わしいムードが濃厚な映画でした。今回は、ついにハリウッド進出で舞台はアトランタ、俳優もアメリカ人が中心という作りになっています。

タイトルが出るまでのオープニング・シーケンスが痛快。仲間が強盗の間、クルマで待っている主人公ベイビーがiPodを操作して音楽を再生しはじめる。音楽に合わせてステアリングやドアを叩き、雨が降ってもいないのにワイパーを動かしてリズムと同期させながら体を揺らす。妻には僕みたいだと言われたました(苦笑)。強盗を終えて逃げてきた仲間を乗せてからがベイビーの仕事。驚異的ドラテクで警察を煙に巻く。

カーアクションと言うと、単にクルマの姿勢を乱すだけの見せかけであるものが今でも少なくないけれど、この映画ではあくまでも速く走るためのクルマの動かし方をしていることがジムカーナなどのモータースポーツ経験者ならよくわかります。クルマがスライドしているときに車内の様子が映り、前後左右のGに同乗者の体が激しく動いている様がリアルで面白い。その驚異的な車体コントロールをもたらすベイビーの一挙手一投足が音楽にリンクしているところがまた痛快。

音楽とリンクしたカーアクションを撮ってみたい、とエドガー・ライトが思ったのがこの映画制作のそもそものきっかけだったんだとか。それは100%実現できている。カッコいい音楽とカッコいいカースタントがここまでハイレベルでバランスしている映画は他にないでしょう。

そんな成り立ちの映画なだけに、正直なところストーリーは特筆するようなところがあるわけではないし、人間ドラマとしての内容は薄い。でもそれでいいんです。徹底的に音楽にこだわってくれていれば。

僕もそれなりに、そこそこ音楽に詳しいつもりではいるんだけれど、さすが本場のマニアは知識(と体験)の深さが違う。名前を知っているアーティストがたったの半分、知っている曲がハーレム・シャッフル(ただしローリング・ストーンズ版)、ホカス・ポカス/フォーカス、ブライトン・ロック/クイーンの3曲だけという体たらく。それもしょうがない。このサントラに選曲されているのはいかにも英国の音楽好きならではのもので、日本人には馴染みが薄い曲が多いんです。少なくとも、僕の学生時代のミュージック・ライフなどでよく採り上げられていたアーティストとは顔ぶれが全く違うから、日本でこの映画の曲の多くを知っているという人は少ない(何しろ時代もバラバラでジャンルの幅が広い)と思われ、こういう曲を知っている人こそ真の音楽通だと言えるでしょう。

その知らない曲たち、カッコいい曲が多すぎて映画館でそのままサントラを購入。映画のサントラってまったく聴く気がしないから買わないんだけれど「ブギー・ナイツ」以来、2度めの購入となりました。「ブギー・ナイツ」のときにコモドアーズ、オハイオ・プレイヤーズ、ホット・チョコレートなどを聴くようになったのと同じように、ここからまた幅を広げることができるかと思うと楽しいですねえ。

そんなわけでカッコいい音楽に埋め尽くされ、カーアクションが同期する興奮がこの映画の何よりの魅力。それだけに、終盤の展開がちょっと残念。なぜなら、単に銃をぶっ放し、カーアクションは力技の凡庸なものになってしまっていたから。最後にもう一度、オープニング・シーケンスのようなクールなカーアクションが来ると期待していただけに、ガッカリ感は小さくなかった。予算がなかったのかアイディアもエネルギーも前半で尽きてしまったのか・・・。

クイーンファンとしてはブライトン・ロックがフィーチャーされていることに触れないわけにはいかない。曲リストのひとつに入っていたことは知っていたけれど、なんのなんの、一番の主役に据えられているではありませんか。クイーンのベスト盤は数あれど、ロック・チューンを集めた「ロックス」にすら入らないクイーン・ファンのみが知っている曲をクライマックスで採り上げるマニアっぷりに苦笑い。セリフで曲名が呼ばれるのもこの曲だけという厚遇ぶり。

ただですねえ、初期のクイーンは録音が悪くて音が薄いものだから、他の曲に混ざって流れるとそれが顕著にわかってしまう。この映画を観た人、疾走感があることだけは感じてもらえたかもしれないけれど果たしてこの曲の良さをわかってもらえたのかが少々疑問です。そんなの関係ないねっていうことで監督の好みで中心に据えてしまったところがまた痛快なわけですが。

音楽教室から著作権料を取るJASRACの暴走

僕が高校生(80年代後半)のころ、レコードは1枚2,800円くらいが相場で、お小遣いをやりくりしてどの1枚を買うのかを決めることは一大イベントだった。長期休みのときだけやっていたアルバイト(校則では禁止だったので)で貯めた貯金を切り崩し、次の休みまでもたせなくてはならないだけに、欲しいからと言ってそう何枚もレコードを買えるものじゃない。そのうち、レンタルレコード店なるものが登場し、お安くレコード借りてカセットテープに録音して楽しむことができるようになった。これはお金のない学生にはとてもありがたいことで、一時期はよく利用させてもらっていた。

しかし、しばらくすると、レンタルレコード店通いはしなくなっていった。利用していた店は僕が当時熱中していた70年代英米ロックの名盤が多く揃っていた、今思えばちょっと変わった店だったけれど、当然のことながら自分の興味のあるレコードをすべて押さえきれているわけではなかった。カセットテープに落とすと音が悪くなってしまうこともやはり歓迎できないことだったし、レコードというものはあの大きさゆえに所有する喜びというものがあり、本当に好きなアーティストは常にレコードで聴きたいと思うようになったからというのが利用しなくなった理由である。

もうひとつ、心の隅にではあるけれども気にしていたのが、レンタルレコードに支払ったお金はアーティスト側に一切入らないということ。レンタルレコードというビジネスが始まったころは法整備がされておらず、作り手側には1円も入らない状態で、学生時代の僕はそれはちょっとまずいんじゃないかと思っていた。素晴らしい音楽を聴かせてくれている作り手にお金が入らない世の中では、音楽の作り手がいなくなってしまう!

大学生になると、渋谷のタワーレコード(当時は場所も違っていて米国直営だった)という、街のレコードショップが足元にも及ばない豊富な洋楽ロックの品揃えと国内盤からおよそ30~40%安く買える巨大ショップの存在を知り、いよいよレンタルレコード店は利用しなくなっていった。もちろん、輸入盤でもレンタルレコードよりはずっと高いけれど、レコードを所有する喜びと、作り手の方々を微力ながら支えているという気持ちを優先したいと思っていたからだ。

と、偉そうに言ってはいるものの、僕も聖人ではないので、何らかの形で無料で音楽を入手したことはあるし、ブートレグという魔物に取り憑かれたこともある。それでも、音楽の作り手にはお金が配分されるべき、という気持ちは基本的に変わらない。音楽にお金を払う人がいたからこそ、太古の昔から音楽を生業とする人がいて、現代まで音楽が存在し続けることができている。バッハやモーツァルトだってお金を払う人がいなければ他の生き方を余儀なくされ、今でも聴かれ続けている名曲がこの世に存在していなかったかもしれないし、世界中の音楽好きを魅了しつけるジャズやロックの名盤だって残っていなかったかもしれない。

そうやって10代のときから「音楽には対価(お金)を支払うべき」と考えてきた僕でさえ違和感を抱くのが、JASRACが音楽教室から著作権料を徴収するという動きである。これはもう音楽文化後進国でしか起こり得ない珍事と言って良いくらい愚かしい。

このニュースを機に考えてみた。一体どういうときに著作権料は徴収されるんだろうか?人に聴かせることを目的とした場合は、生演奏でなくても(CDを流すだけでも)著作権料を支払う必要があるとのこと。カラオケ、イベントで音楽を使う場合はもちろん、レストランや美容室のBGMで流すとそれだけで支払いの義務がある(有線放送が使われることが多いのは自分でBGMを選んでも著作権料を払う必要があり、手続きをするのが面倒だからなんでしょう)。僕は、自らの披露宴で流す曲を、培った音楽知識と手持ちライブラリーから総動員して選曲したけれど、これも披露宴で使うからには著作権料を支払わなくてはならない。ホテルが代行するため(していたはず?)自分で払っている感覚がないからまったく意識していなかったし、その場にいた人も恐らく誰も意識していなかっただろうと思う。

音楽好きとして、音楽は広く親しまれ、音楽が好きだと言える人が増えてほしいと僕は常々思っている。だから、冷静に考えてBGMにもお金が絡むことに気づくとちょっと世知辛い気分になるけれど、これらはまだ理解できるし、曲を公の場で使用する場合には作り手に還元されるべきであるという考えから逸脱しているとまでは思わない。

しかし、音楽教室で音楽を学び、演奏を楽しむ人から徴収するところまで来ると疑問しか湧いてこない。徴収する理由付けはいろいろあるようだけれども、一番の違和感は「人に聴かせることを目的としているから」ということ。発表会ならともかく、音楽教室で練習している曲が人に聴かせるためのものという言い分はこじつけにも程があると言いたい。アマチュアが密室で練習しているミスだらけの演奏、何度も途中で止めて同じところを繰り返している演奏を聴いてそれに価値を感じて楽しむ人がいるとでも言うんだろうか。

ちなみに、ライヴハウスなどでバンドが著作権登録されている曲をコピーして演奏した場合の著作権は、ライヴハウス側が支払っているとのこと。もちろんその原資はバンドが支払った使用料からだから一見問題ない。ところが、ファンキー末吉氏によると配当のルールなどが不透明で、正しい配当がなされていないとJASRACに上申書を提出している(http://www.funkyblog.jp/jasrac/)。ドラマー兼作詞作曲家を務める氏のバンドで全国ツアーを行い、自作曲を延べ数千回にわたり演奏してきたが、全都道府県の主要なライブハウスで計204回ものライブを行いながら、使用料は1円も計上されていなかったと主張している。要は、JASRACも著作権をうまく管理できておらず、徴収はするが実際に作曲家にお金が支払われていないという杜撰な運用をしているということになる(お金はどこへ?)。

音楽教室でレッスンまで「人前で聴かせることを目的としている」と求めるほど著作権料をシビアに運用するのなら、正しく作曲家に還元できるようにするのが先決ではないんですかね。それができないのなら、お金が取れそうなところを嗅ぎつけて、イチャモンつけてお金をむしり取る893と変わらないじゃないですか。僕は、音楽文化の維持のためには作り手にお金を支払うべきだとずっと考えてきたけれど、これから音楽にお金をより払ってくれるかもしれない人を育てる場でもある音楽教室を締め付けるのは自殺行為でしかない。

ちなみに、今回のJASRACの主張では著作権料を一律で音楽教室から取るという。これはつまり、著作権が切れているクラシック楽曲のみをレッスンで使ったとしても徴収することを意味する。どのような曲をレッスンで使ったのか管理できないから、もう音楽教室全体からまとめて取っちゃえ、ということらしい。それをどの作曲家にどのように配分するつもりなんだろう。デタラメもここまで来ると呆れて物が言えない。

仮に音楽教室も著作権料を支払うという判決が出たとしても、音楽教室側はお客様であるレッスン受講者からお金を徴収することしない(音楽教室が負担する)でしょう。特に今回は個人レッスンを対象にしておらず、営利団体がターゲットになっている(ライヴハウスが支払うのと同じ理屈)ことを考えると益々困難なことでしょう。でも、個人レッスンも将来は徴収しようとしていることを踏まえて無理を承知で僕はあえて提言したい。著作権料を支払う義務がある曲を演奏したいと受講者から要望があった場合にはその人から著作権料を取るようにするべきだと。そうすればその曲は選ばれなくなる。あるいは単純にJASRACに著作権管理されている楽曲は、すべての音楽教室で使わないことにしてしまえばもっと手っ取り早い。お金がかかるからと言って演奏する曲に選ばれなくなることを残念だと思わない作曲家は、エレベーターのBGMを作るような職業音楽制作者ではあっても、もはや音楽家(Musician)とは言えない。音楽を心から愛し、文化の担い手であるという自負がある作曲家であれば、そんな状況を看過することができるはずがなく、音楽家の良心を問われることになる。そうすればアクションを起こす人が少なからず出て来るんじゃないかと僕は思っている。

もちろん、それ以前に裁判所がJASRACの主張を退けることが望ましいのは言うまでもない。ここでJASRACの主張が通るようなことがあれば、日本という国はその程度の文化しか持ち合わせていないと世界中に宣言することになる。そんな恥を晒さないでほしい。

ジャガーXE アイドリングストップ機能不具合の顛末

ジャガー201709

6月のレポート(http://buhaina.blog.fc2.com/blog-entry-317.html)以来、ドライブの友として快調に活躍してくれているジャガーXE。しかし、そのときの記事でアイドリングストップ機能が働かなくなってきたことに対して「あきらめた」宣言をしていました。

ある日、駐車場で視界に入っていないガードレールにフロントバンパーをガリガリとやってしまう失態を犯して、修理でディーラーに入院してもらうとき、「アイドリングストップはその後どうですか?」とセールスマンが確認してきたので「相変わらず機能してないですね」というやりとりはあったものの、特にもう何かを期待していたわけではありませんでした。ところが、クルマを受け取るときに「バッテリーを替えておきました」と、頼んでもいないのに交換してくれていたんです。

その結果、アイドリングストップが新車当時のように機能するようになりました。

アイドリングストップが機能するにはいくつかの条件が決まっていて、それらが揃ったとき、という話は以前から聞いていました。エアコンやらオーディオやらライトやらで電力消費中のときにエンジンを止めてしまうわけですから、バッテリーに過度な負担にならないようにそうなっているのはまあ当然のことでしょう。

でも、交換前と後で何が変わったのかはわかりません。

レーダー探知機が表示している電圧計(正確ならという前提ですが)によると、納車から1年くらいのときまでに示していた電圧から、全体に0.5ボルトくらい下がっていたのが交換前の状態(エンジン稼働時14.7V → 14.2V、アイドリングストップが機能しているときはどちらも12.3Vくらい)。電圧が足りていないということはないものの、新車当時よりも下がってきたという事実が機能しない原因だとしたら、それは仕方ないかなあと思っていたわけです。いや、実際には14Vも出ているのに機能しないのはおかしいんですが、まあ外車なんてそんなもんだろうという僕の感覚があきらめていました。

バッテリー交換後、エアコン稼働時でも殆どの場合にマメにエンジンをストップさせるようになった状態では、むしろ全体の電圧は低く出ています。エンジン停止時の12.3Vの最低ラインはキープしつつ、エンジン稼働時にそれまで確実に14V以上はキープしていた交換前バッテリーに対して13.2V~14.2Vくらいを行ったり来たりと、低めというだけでなく動きが一定でなくなったところも変化点。

というわけで理由はよくわかりませんが、アイドリングストップ機能はめでたく復帰しました。他のXE(あるいはジャガー全体)にも訪れる問題なのかどうかは不明です。まあ、今は保証期間内なので交換してくれてめでたく収まったわけですが、保証期間終了後だったら、特に電圧不足というわけでもないのに1年半でバッテリー交換をしようとは思う人はなかなかいないでしょう。これから1年半後にどうなるかを見守るしかなさそうです。

ピアノ・レッスン 第11回

3週間ぶりのレッスン。

前回レッスンから今回までは出張などもなく、練習をたっぷり積んでレッスンの臨むことができました。

前回からの課題、チェルニー Op.777の8番をまずは披露。「結構いいテンポで弾けていますね」「ポジション移動が大きいところ、スムーズにできますね」とポジティヴなコメントをいただく。それもそのはず、一番練習に時間を費やしてきたのがこの曲だから。まず、曲そのものがチャーミングで気持ちが入りやすいし、その分、何度繰り返して弾いても飽きない。それから、自分の今の技量よりもやや上のレベルの難易度で、それを乗り越えるためハードルがそれなりに高いこと。簡単に言うと、気に入った上に自分の技量ではやや難しい曲で、弾きこなそうという意欲を掻き立てられたということです。

練習曲をこなすには好き嫌いを言うもんじゃないんでしょうが、やはり好きな曲というのはモチベーションが上がるもんだという誰でも想像がつくことを、身を以て思い知ることになりました。練習曲は、表現を含めて完璧に弾けるようになることが目的ではなく、ある程度弾けるようになれば次に進むものですが、好きな曲は時間をかけてきっちり仕上げてみることにするのも技術習得、表現習得にはいいかもしれません(もちろん先生と相談した上で)。

チェルニー Op.777 9番は、右手の複前打音付き3連符を綺麗に、粒を揃えて弾けるかと、左手の1拍目をうまく合わせてしっかり弾けるかがポイントと思って練習してきて、当初はやや苦戦したものの、ある程度練習してからは指の押さえという点では割と早く弾けるようになっていたので、家での練習もほどほどに。レッスンでは左手の2拍目、3拍目をもう少し弱くすると、曲に合ったチャーミングな感じが出るとのアドバイスを受ける。確かに、自分の弾き方だと2拍目と3拍目が強すぎてベタっとした重い感じになっている。指を上から振り下ろさずに鍵盤の上に添えておいて押すようにする方法を先生から提案。確かに自然と弱く鍵盤を押すことになります。ちなみに、僕の悪い癖である右手薬指の押さえが弱いところでは指を上から振り下ろすことを意識するように言われており、その逆の方法ということです。指をどの高さから落とすか、というのは音に強弱を与えるのに結構重要なポイントなんだなあと改めて思わされました。次に後半部分に入ると、この後半への切り替わりのところも軽快にできていないと指摘を受ける。ここでも手を軽やかに持ち上げる感じで弾くようにアドバイスを受けました。

特定の指の運びの形式に限定されたものではないものの、この「重い感じになってしまっている」という指摘を受けるのはこれで4回目くらいでしょうか。たぶん、何も考えずに指を正しく運ぶことに注力していると、力を入れにくいところは弱く、労せず力が入るところは意識していなくても強く鍵盤を押してしまっているようです。だからベタッとした、品のない音楽になってしまう。譜面には表現されていない、しかし強弱を付けることで、音楽として綺麗に表現できるところに自分で気づいて修正して行くのは、やはり素人には至難の業です。あるいは才能のある人というのはこうい表現も含めて上手く弾けてしまうんでしょうか。

「ラ・ラ・ランド」の「ミアとセバスチャンのテーマ」は、最初の15小節までのところは、ゆっくりした曲なだけに指が回らなくてついて行けないということはありません。しかし、ミスなく弾くのが相当難しい。何故かと言うと、これまでやってきた曲と指の運びがまったく違っている上に、手の動き幅が大きいから。クラシックが基本の曲は、特に初心者が取り組む曲はなんだかんだ言って指の動かし方がそれなりに理論立てて書かれているような気がしますが、ポピュラー・ミュージックはもっと自由にメロディを選んでいるせいか、手の動き、指の動きがぜんせん違う。だからゆっくりテンポで音数も少ないのにかなり集中して弾かないと音を外してしまう。あと、この曲は特に左手で指を離すタイミングが結構難しい。粘って残しておくべきところを早めに離してしまうと音が薄くなってしまう。

先生曰く、良く弾けているとのこと。特に「左手がちゃんと動いていますね」とのことで、まあ結構練習した成果がちゃんと出ていたようです。ただ、曲の表現として強調して揺らした方が良い(タメた方が良い)ところがあり、そこを意識することも教えていただきました。譜面通りに鍵盤を押すことで精一杯だとなかなかそこまで気が回りません。左手は先に書いた通り、音を持続させて繋げてゆくところがひとつのポイントなわけですが、指を離さなくてはならないところがあり、ついにペダルが必要になってきました。また、15小節目以降は右手でも指が足りなくなるところがあって同じ指でとなりの鍵盤を続けて押さなくてはいけないところがあり、ここもペダルでカバーしないといけないとのこと。今回のレッスンではまだしっかりとペダルの踏み方まで教えてもらう時間がなかったんですが、家で試行錯誤していきたいと思います。

今回までのレッスンの教訓
●曲想に合わせて弱く弾くところを意識する
●軽快な曲を軽快に弾くための意識と工夫を
●タメを作って曲に情感を与えるところを意識すべし

ちなみに、以前、トルコ行進曲に取り組んでいたときにテンポを上げすぎて雑になって失敗した話を書きました。今回のチェルニーの8番も家では結構テンポを上げて練習して、少しテンポを落として精度を上げるという方法を試してみました。速いテンポで頑張ってから、テンポを落とすと楽に弾けるようになります。実力以上にテンポを上げて弾くことが良くないという思いに変わりはありませんが、決して無駄ではなく、早く弾いてみることでテンポを落として弾いたときにより丁寧に弾けるようになるようです。その後、雑にならないことを意識しながらまた少しテンポを上げてみると、より上手く弾けるようになります。自分なりに試行錯誤して上手く弾けるようになる方法を模索するのもまた楽しいものです。

「ヘッドハンター・コーリング」(ネタバレ控えめ)

A Family Man 201709


この映画も日本未公開でDVD販売もない作品。

主演はジェラルド・バトラー、相手役にグレッチェン・モル、脇の要所にウィレム・デフォーとアルフレッド・モリーナというキャストでは今の日本では商売にならないと配給会社は踏んでしまうんでしょうか。

ストーリーじたいはありきたりと言えばありきたり。競争の激しい極端な成果主義会社に勤めるモーレツ社員が息子の白血病をきっかけに家族を見つめ直すというもので原題「A Family Man」の方がしっくりくる。

日本未公開で主演が、(失礼ながらイケメン俳優としては旬を過ぎた)ジェラルド・バトラーいうことだけ知っていたものだから、息子の病気をきっかけに家庭人に豹変してドタバタする話、場合によってはコメディかと勝手に予想していたら少し違っていました。

主人公は、上昇志向が強く、成果を出すことと出世することこそが第一。商売の資産となるはずの求職者はもはや人間扱いではなく、自分の成果を上げるための駒でしかない。こういう人は忙しさなんて厭わないし、激しい競争の中で生きていることに充実感を覚えてしまっているので、家族を愛していたとしても優先順位は仕事の次になってしまう。それは息子が白血病になったからといってすぐに変わるものではなく、妻の態度や医師、看護師との会話、そして息子と向き合うことで少しずつ変わって行くところがこの映画の見どころです。

かつて「オペラ座の怪人」のころには王子様的な扱いをする向きもあったジェラルド・バトラーも、順調に年を重ねてメル・ギブソンかブラマヨの吉田かというルックスに変貌し、傲慢で家族への想いは抱きつつも家庭人としてはまるでダメダメな父親役が良く似合うようになっています。

こんな役にどうして?というアルフレッド・モリーナは、最後まで観ればなるほどと納得できるキャスティングで、実際さすがの演技をしています。医師役、看護師役も好演で、ウィレム・デフォーも脂ぎった存在感を主張し、この社長のヘッドハンター会社でやって行くには猛烈社員にならざるを得ないということに説得力を持たせています。

ちなみに、転職斡旋会社は日本にも沢山ありますが、経験的に言うと酷いエージェントが多いです。企業がどんな人材を求めているかを深掘りすることもなければ、登録者が活躍できそうな会社を紹介するわけでもない。単に、募集会社の条件を文字にして、高く売りやすい肩書を持った人材を横流しして、マージンを貰っているだけ。マージンはその人材の給料から比率が決まってくるので、とにかく高く売れる人を優先するわけです。この映画でも「よそのパパに仕事を紹介していあげる仕事」と社会の役にたっているかのように息子に説明していますが、若い一部の人を除くとそんな意識を持ってやっている人は見たことがないですね。僕が知る限り、エージェントはベテランで高給取りほど人を人として扱わない碌でもない輩が多かったです。この映画「A Family Man」を描くのにあたって、ヘッドハンターという職種を選んだのはまさに最適な選択だっと言えるでしょう。

最終的な落とし所まで含めて話が綺麗すぎるのはアメリカ映画ゆえに仕方ないとこととは言えますが、あらすじがありきたりであっても良い作品だと思います。重要なのはストーリーそのものではなく過程と人の心情がどう変わって行くかをしっかり描けているか、即ち中身なわけで、そのあたりはなかなか丁寧に描いてあり、これも未公開にしておくのはちょっと勿体ない。配給会社さんには、話題性やあらすじとキャストだけで客が呼べるかどうかでしか判断しないでいろいろな映画を紹介してほしいとお願いしたいものですが、中身よりも字面しか見ていないヘッドハンターと自分たちが被って止めてしまったのかなあ、と妙な邪推をしたくなります。

愛娘ぶらんが我が家にやってきて5年が経ちました

ぶらん201709

愛娘ぶらん(という名前です)が我が家に来て5年が経ちました。大変ありがたいことに、ウチに来て以来ずっと健康優良猫です。

犬しか飼ったことがない僕にとって、猫の習性はいろいろと新鮮で、中でも飼い主に媚びないところは猫と犬との根本的な本能の違いとして、犬好きにとってとても新鮮に映ります。

うちのぶらんは、工事や修理などで家に入ってきた一見さんの業者さんにスリスリやってしまう人間好きですが、人に媚びることは当然ありません。猫だから当然、一人で家に居ても寂しがることはありません・・・・。

しかし、妻と僕とぶらんの3人(?)による生活のリズムはもう完全にできあがっていて、たとえば朝起きた後には腰をポンポン叩きながら撫でてあげるのが当たり前になっていたり、コーヒー豆を挽くガリガリ音が聞こえると自分もおやつがもらえるからとどこか奥に居てもでてきたり、など、ぶらんも我が家のリズムの一部として行動しています。3人いることが我が家の日常というわけです。

最近気になったのが、留守中に監視カメラを設置しておいたら、なんと玄関の前で正座して待っている姿が映っているではではありませんか。

猫はもともと一匹で行動するのが本能、餌を取るために隠れてじっと待機するという習性から、孤独にも待たされることにもストレスを感じないのかいう説があり、僕もそうかと思っていましたが本当は違うんでしょうか。日々、可愛がって仲良く暮らしているうちに寂しがり屋になってしまったのか、という疑念も浮かびます。妻や僕やいるときには、ときどき家の中を走り回っているんですが留守中はそのような行動も取っていないようです。監視カメラに残っている留守中の映像を見ていると、張り合いのない1日を寝て過ごしているだけの様子が伝わってきます(猫はそれが普通なのかも)。

ではお友達をもう一人(一匹)迎えるのも、と思いますが、以前、お世話になっていたシッターさんに「う~ん、ぶらんちゃんはどうかな~。不思議ちゃんだからな~」と、完全マイペース猫で他の子との共存はストレスになるのでは?というプロ中のプロの見解を示され、それに抗うこともできません。

1泊くらいの留守だと帰ってきたときの喜ぶ様子も明らか(しかし犬のそれとはだいぶ違う)で、家族が帰ってきた喜びを表しているのかと思うと留守はちょっと申し訳ないなあという気持ちに少しなりますね。まあ、3泊くらいすると家に帰ってきても反応が鈍くて忘れられているようにも見えるので、家族への執着というよりは、気分次第なのかもしれませんが。

先日、テレビで「脳を休めるには猫の写真とか見るのがいいです」と言っていて、猫に限らず、可愛いくて癒される写真を見ると仕事モードで張り詰めた脳も休まるそうです。確かにこれは身に覚えがあります。仕事で激しく嫌なことがあったときでも、家に帰って玄関を開けたときにぶらんが寝転がっていると、表情が緩んですべてのことを忘れることができます。ぶらんはもう、僕の脳をどれだけ休めさせてくれたのか計り知れません。毎日、僕の脳を休めてくれるぶらんには感謝の言葉しかないのです。

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