FC2ブログ

Enjoy Life, Enjoy Hobby

趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

ガラパゴス日本文化の地盤沈下

今年の東京モーターショーは、イタリア、英国、米国メーカーが出展を取りやめた。ロールス・ロイス、ジャガー、フィアット、アルファロメオ、フェラーリ、マセラティ、ランボルギーニ、キャデラック、シボレーなど、歴史と伝統あるブランドの出展がない。華やかなジュネーヴやパリのモーターショーに比べると寂しいもので、もはや国際モーターショーと言うのが憚れるくらいになってきています。

理由はWebニュースなどで書かれている通りで、市場縮小、メーカーの人気が偏っていることが原因でしょう。でも根本にあるのは日本だけのガラパゴス文化にあると僕は思っています。

このブログで以前、日本独自の「お客様は神様」な文化が特異であることを嘆いたことがあります。
http://buhaina.blog.fc2.com/blog-entry-127.html
(類似関連ページ:http://buhaina.blog.fc2.com/blog-entry-256.html

客だから不満なことがあれば何を言ってもいい、何を要求してもいい、しかも尊大な物言いで構いやしない。だいたい、地下鉄に時刻表がある国なんて珍しいというのに、日本では少し遅れると駅員に噛み付いている人が現れる。もはや病んでいる言ってもいいほどなのに、それをおかしいと思わない。

クルマというものは、確かに道具としての側面があります。特に電車などの公共交通機関が発達していない都市部以外のところではクルマがなければ買い物に行くことさえできなくなってしまうところも珍しくない。移動の足としてクルマは欠かせないわけです。

日本のクルマが壊れないことはもう随分前から世界で認められています。モノを買うときに合理的な選択をするアメリカでは、だから売れた。欧州では、歴史やモノとしての価値、それらを具現化しているブランドを好む傾向があるので北米ほどではないけれど、それでもそれなりに日本車は市場を確保しています。高品質でも高くはない、ということが武器になれば商品として世界で認められるわけです。また、日本車の圧倒的な品質に危機感を抱いて、外国メーカーも品質を向上させ、自動車全体の品質が上がったことも日本車の功績だと言えるでしょう。

一方で、多くの人がクルマにエモーショナルな要素を求めているのもまた事実です。これはクルマ好きな人に限らない話で、デザインや色、装備や快適性、ブランドといった要素に自分の好みを求めているわけです。「クルマなんて動けばなんでもいい」と言っている人をときどき見かけますが、「じゃあ、軽自動車でいいじゃん」と言うと、「いや、軽はちょっとねえ」と言うわけです。今や軽自動車の性能で困ることなんてないわけで、エモーションが働かなければこんな返事が返ってくることはありません。

今回、出展を取りやめたメーカーは、超高級ブランドは別として、日本で人気のない(売れていない)、総じて品質についてはあまり高い評価を得ていないメーカーのように見えます。日本という市場で成功しなかった、努力が足りなかったメーカーだと切り捨てるのもいいでしょう。僕は、合計14年、アルファロメオとジャガーに乗ってきて、たしかに国産車の品質には及ばない細かいトラブルはあるけれど、たとえば旅行の計画が狂ったなどの困った事態に陥ったことは一度もありません。また、かつて品質に難ありと言われたメーカーでもそういう話を最近は聞かなくなりました。走行に影響ない部分の品質は国産車に及ばないし、理詰めでしっかりしたクルマ作りをしているドイツ車のような安心感はないけれど、困るようなことはなく、工業製品としての質を追求するドイツ車、日本車にはない魅力がある。だから、日本以外の国ではそれなりに売れている。欧米ではそういう多様性を受け入れる感性があるから、いろいろなメーカーが生き残っている。発展途上の中国も(嗜好の方向性はともかく)エモーションが働くクルマ選びをしているから、上海モーターショーは大盛況になるわけです。

「日本人は音楽を愛していない。作り手も、聴き手がこんなレベルだからこの程度の音楽でいい」と書いたことがありますが、クルマについても品質以外のエモーショナルな部分は似たようなことが言えると思います。メーカーは魅力的なクルマを作ることをせず、品質ばっかりやっていた。それは即ち、クルマ好きを育てる努力をしてこなかったということです。こんなに国産車のシェアが高い国は他になく、それ(単一の価値観)が異常だと思わない国民の危機感のなさはもはや重症と言ってもいいでしょう。

そんな特異な日本の市場でもその市場が大きいうちは、外国メーカーも日本に合わせてやろうとしていた。でも海外の人はみんなわかってきたんですよ。人間性をないがしろにして異様に高い品質ばかりを追求する非文化国、そして人口減で縮小しか見えてこない市場であることを。

東京モーターショーの出展が減っているのは、あまりにも特異な日本文化の地盤沈下であると僕は強く思っています。日本市場で生き残れなかったんだから勝手にやめれば、と思っている人が多いうちは更に地盤沈下して行くでしょう。日本人は早く気づいた方がいい。品質の要求度だけが異常に高く、それによって失われているものがたくさんあることを。

YAMAH NU1の問題点 - KORG B1を追加することに

NU120170505

電子ピアノが変わり、ピアノらしい鍵盤フィーリングで弾ける喜びに浸りながら練習できる毎日。NU1で練習するようになってからの最初のレッスンで本物のピアノを弾いたときに違和感が少ないことを実感できて、ああ、やはりこれを買って良かったとしみじみ思いました。でも、NU1にはハイブリッド・ピアノならではの特性があります。ネガティブな情報になりますが、今回はその特性について書いてみます。購入を検討している方はご参考までに。

[1] 音色が急に変わる
ピアノに近いタッチと電子ピアノとしてはなかなか良いレベルでピアノ音も再現してくれているNU1。ピアノのように鍵盤を穏やかに叩くとややくぐもった響きの音が出てくれるし、強めにスコーンと叩くと明るくて鋭い、澄んだ音が出てくれます。ところが、そのくぐもったトーンのタッチで弾いているうちに一瞬手応えが軽くなり、1音だけ突然音色が明るく出る場合があります。ほぼ同じ強さで同じ鍵盤を打ち続ける(1秒に1~2回程度)とそのうちの1音だけ、それが発生するのでわかりやすい。電子ピアノはあくまでもデジタルなので、どこかのスレッシュホールドを超えると音のトーンが変わるというのはあり得るでしょう。でも、それにしては急に音色が変わりすぎる。ネットで調べてもそのような情報は見当たりません。普通のピアノや電子ピアノでこのようなトーンの急変ということは当然ながらありません。

ヤマハに問い合わせたところ、一度検査させてくださいということだったので来宅してもらいました。

結論から言うと、この現象はNU1の特性のようです。サービスの方がパネルを明けて、ハンマーむき出しの状態でいろいろやってみてわかりました。ハンマーが完全に戻らない状態(手応えが軽くなる)で次の打鍵が入るとそうなりやすい。他のハイブリット・ピアノがどうなっているのかわかりませんが、少なくともNU1は構造的に避けられないようです。アマチュア、趣味の人にとってピアノ技術習得の妨げになるほどのものとは思えませんが、気になる人はかなり気になると思います。

サービスの方に、ハンマーの初期状態の位置を少し下げてもらう調整をしてもらうことでその症状はやや出にくくなりました。もっと下げると今度は別の問題が出るそうなので、これが限界のようです。ハンマーの動きが存在するハイブリッド・ピアノならではの問題点です。


[2] 打鍵音が予想よりもかなり大きい
確かにネットでもNU1の打鍵音は大きいと書いてありました。それでも、雑音が多い楽器店での試弾では気づきにくいし、家でも音を出しているときは、ピアノの音にかき消されてしまうので打鍵音はほとんど気になりません。問題は消音(ヘッドホンを)しているときで、妻が弾いているときには「虫の大群が行進でもしているんだろうか」と思うような「ゴッゴッゴッゴゴゴ」みたいな打鍵音がかなり聞こえます。

拙宅は、所謂普通のマンション。まだ建物にコストをかけていた時代(築18年)の鉄筋マンションなので、防音は鉄筋のマンションとして標準を下回っているレベルではないと思います(一応、三井不動産物件)。設置場所の床面は畳(ここ20年位にできたマンションの通例通りバリアフリーを口実にした薄いものですが)でマットも敷いています。正直に告白すると、それでも苦情が出てしまいました。「夜中に人が歩いているような音がするので気をつけましょう」という張り紙がされてしまいタイミング的にも「ああ、これはウチだな」と思わざるを得ません。遅いときは12時くらいまで(もちろんヘッドホンで)練習していたんですが、やはり深夜帯だと気になるレベルで打鍵音が響いてしまうようです。ヘッドホン使用であっても今後は遅くとも22時までには終わらせます。ごめんなさい、周囲のみなさん。うーん、22時では遅いのかな、でもそのくらいまでは許してほしいなぁ・・・。もし、昼でも打鍵音で苦情が出るようならもうお手上げです。

平日に腰を据えて練習できるのは22時以降であることがほとんど。早く帰宅できたときでないと平日練習できなくなるのはとても困る。というわけで、打鍵音をさせないための代用品としてKORG B1という電子ピアノまで買ってしまいました。

KORG B1 201705

KORG B1は卓上に設置するタイプで、もちろんヘッドホンでの演奏も可能。電子ピアノとしてはエントリー・グレードのモデルなので、YAMAHA NU1やその前に弾いていたKAWAI CL25と比べるといろんな意味でそれなりです。この電子ピアノは本物のピアノの代わりを求める人向けではなく、気軽にピアノが弾けたらいいな、という人向けのモデルで、それなりに重みを持たせているとはいえ鍵盤のタッチが如何にも電子ピアノ的で、音も少々ショボい感じ。ピアノの感覚を身に付ける練習には物足りないと思いますが、運指の練習機としてはこれで足りている印象。なんと言っても破格にお安い(NU1の1/12の)お値段で、それでいながら電子ピアノの体を成しているところが良い。使わないときはどこかに片付けておけることができる(それでも結構大きいけど)ことを含め、とりあえずピアノをなんとなくやってみようかなあ、昔やってたけどまたちょっと遊びで弾きたくなったなあ、という人なら満足できると思います。

更に買ってしまいました、こちらはロールピアノ。

RollPiano201705

明日から5日間旅行に行きます。また2ヶ月後にも出張で5日間家を空けることになっていて、その間、当然ながらまったく練習はできない。この1ヶ月とちょっと、毎日練習しているので5日間も鍵盤に触れることができないことを不安と感じてしまう。いや、何も上級者を気取っているわけではありません。週に1度、5.5キロのジョギングをしているんですが、予定や天候によっては走れないときがあって、そうなると落ち着かなくなります。ルーチンワークになっているものが絶たれると物足りないというか不安というか、そういう気分になってしまうもので、毎日練習しているピアノの鍵盤に触れることができないことも同じようになるんじゃないかと思ってしまっているわけです。

実は、某楽器屋さんでロールピアノに触れたときに、かなりしっかり鍵盤を押さないと音がでないことを確認していたのでこれは使えないなと思っていました。それでも指と音の確認程度にはなるだろうと、Amazonでもう少し安いものを購入(https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01N1IMWQT/ref=oh_aui_detailpage_o00_s00?ie=UTF8&psc=1)。白鍵、黒鍵ともにエンボス加工されており、それほど鍵盤を強く押さなくても音が出る!しかも和音も歩い程度出る!チャタリング(1度押しただけで2回音が出る)が低くない頻度で起きるのはご愛嬌。また、バッテリーの蓋がかなり硬かったり、その中の形状がかなりいい加減だったり、作りはテキトー感があります。中級者以上の人が曲をちゃんと弾くような使い方には応えられませんが、初心者が指と音の確認で使う分にはそこそこ使えると思います。あと、作りの精度を見るとすぐ壊れちゃうんじゃないかというところが心配なくらいでしょうか。

以上、まだ何ひとつ曲が弾けないくせにピアノの練習のためにそこまでするか、という話でした。

ボーダーライン (ネタバレ控えめ)

ボーダーライン201705

メキシコ絡みで麻薬カルテルを取り扱う映画といえば、かつての「トラフィック」をやはり思い出す。ソダーバーグ監督のスタイリッシュな映像と演出が印象に残りつつ、素材が素材なだけに内容はシリアスな映画だった。

この映画もメキシコからの麻薬密輸組織との闘いが題材に。しかし、演出や映像はもちろん、描こうとしているコアな部分がまったく違う。

「オール・ユー・ニード・イズ・キル」がなければ恐らくオファーが来なかったであろう、エミリー・ブラントが女戦闘員(FBI捜査官)を演じる。冒頭の突入シーンからしてその仕事がハードで厳しいものであることを見せつけ、それに耐えうる優秀な戦闘員であることを観ている人に印象づける。そして国防総省の偉そうな人(ジョシュ・ブローリン)に抜擢されるところまでは、特に目新しいストーリーとは感じない。

ところがチームに参加してからの女戦闘員は、そのミッションに翻弄され続ける。エグすぎる麻薬カルテルとの攻防。麻薬カルテル撲滅のために動いているのはわかるものの、一体何を目指しているのかわからない国防総省の偉そうな人。なんの為にいるのかまったくわからない不敵でくたびれた感じのメキシコ人(ベニチオ・デル・トロ)。

抜擢されたと思っていたら、実は単に利用されていただけれあることがわかってきた女戦闘員は、愚直な正義感で国防総省の偉そうな人に抵抗する。疑問を抱きつつ、自分の信念に基いて行動しているうちに不敵なメキシコ人が何者で何を目的にチームに同行しているかも知ることになってしまう。

女戦闘員は、冒頭のシーンでタフであることを印象づけたものの、しかしそんなものはどうってことがない、というほど闇が深く過酷な麻薬カルテルの様子が描かれていて本当に恐ろしい。実は、その冒頭のシーンでのエミリー・ブラントは華奢で、とてもじゃないけれどタフな戦士には見えない。タフに見えない=一般人の感覚に近いことで、彼女の目線が視聴者の気持ちを代弁する役割を担っており、麻薬カルテルの世界が如何にエグいかを知らしめる効果を狙った設定なんでしょう。でも、もう少しタフでマッチョな雰囲気があって、そういう人の心が折れてゆくところを表していったほうが、より効果的だったように思える。

それにしても終盤のベニチオ・デル・トロの静かで凄みのある演技、というか存在感はちょっと代わりがいないと思わせるものがある。胡散臭さとヤサグレ加減を横溢させるジョシュ・ブローリンも役にピッタリ。映画を観終わったときには、どちらも普通の人から見たら感覚が麻痺した狂人にしか見えなくなる。

この剛直なストーリーと演出、映像は観ている者をグイグイ引き込んで、尚且つプレッシャーを与え続け、観終わるとグッタリしてしまうほど。この感覚、なんとなく覚えがあるなあと監督を調べてみると「プリズナーズ」のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督とのことで妙に納得。この人、今後ちょっと目が離せない感じ。公開中の「メッセージ」も必ず観てみよう。

ピアノレッスン 第4回目


何をアタリマエのことをと言われそうですが、ピアノを習うにあたって自宅での練習の方が断然重要であることがようやくわかってきました。レッスンとレッスンとの間に、いかに練習するか。英会話は家で実践練習できないけれど、ピアノはできる。レッスンは、練習してきた曲を間違えて覚えていたり(単純に音を間違えている、スタッカートやアクセントの指示通りになっていない、など)とか、上手く手が動かないときにこう意識すると良いとか、少し弾き方を変えるだけで表現が良くなる、といことを教えてもらう場のようです。もっと上手くなれば、難しいフレーズをどう弾くかを教えてもらうとかありそう(妻のレッスンはそんな感じ)ですが、今の自分にはそういったアドバイスがほとんど。

というわけで、前回レッスンで宿題となっていた曲の練習状況から。

チェルニー Op.777は、左手について言うと1番と2番は指の2本または3本で和音を出すだけのシンプルなものから始まる。リズムは基本的に全音符か4分音符のみで1小節の中では基本的に同じ指の型での押さえ。だから初めてのピアノ・レッスン者でもなんとかなる。

さて、ここまでチェルニー op.777と書いてきたこの曲、手元にある全音出版社の楽譜には「5つの音による24の練習曲」と書いてあるものの、原題は英語では「24 Studies for left hand(左手のための24の練習曲)」だと調べてみてわかりました。なるほど、その名の通り、ここまで右手は、ポジションを移動しなくて済むドレミファソだけで当然黒鍵はなし。先生は、初日に第1番の左手パートから始めたくらいで、あえて最初から左手の練習に主眼を置いているようです。大人を教えている経験も豊富な方で、何かと物事の評価が厳しい妻が絶賛している方でもあるので指導方針は安心してお任せ。この左手のための練習曲(特に最初の方)はとてもシンプルなのに、かわいらしく馴染みやすい曲なので僕は楽しんで取り組めています。

前回レッスンからの宿題曲の第2番は、第1番から比較すると8分音符が中心になるところが変化点で、しかしながら運指としてはほぼ似たような感じ、左手もコードが2種類だけなのですぐに弾けるようになりました。一方で、これまで右手の強弱指定が p(ピアノ)だけだったところに一部 mf(メゾフォルテ)が入り、そこを意識すると運指が少しギクシャクしはじめてしまうところも。

「左手のための練習曲」が、まったくの楽器初心者に牙を剥きはじめた(大げさ?)のが次の第3番。左手がずっとワルツのリズムを刻んでいて、1小節の中の1拍目、2拍目3拍目で押さえる指が変わり、曲が進むとコードも変わるので難易度が一気に上がります。とはいえ、左手だけならばわりとすぐに弾ける程度のもの。右手はこれまで通り、位置固定でドレミファソしか使わないし、メロディも順序よく上って下ってが中心なのでこちらはもっと簡単。ところが、両手を同時に動かすと、あらあら、まったくできないじゃないですか。右手がソファミレドと順に下がりつつ、左手がド[ミソ][ミソ]でズンチャッチャというワルツのリズムを刻む1小節目からして、たったそれだけのことなのに左右同時にできない。左手のための練習曲というのは、左手だけの練習曲ではなく、右手のメロディに対する左手の感覚を練習する曲だとここで身に染みるわけです。

当初、1小節すらできなかったのに、この2週間、平均1時間くらい練習した成果により、それでもなんとか形だけは全体を通して弾くことができるように。いやあ、最初は絶対ムリと思っていたものが練習すればできるようになるもんですねえ。この「できるようになった」感、重要です。ただ、一部でつっかかり気味になるところがまだあるし、左手の強弱はバラバラ、右手のレガートは疎か気味で運指もギクシャクしている状態で、このありのままの状態(通して弾けるけどスムーズに弾けないこと)で今回のレッスンで先生に披露。第2番の mf 部分の右手ギクシャクと合わせて、スムーズにできていないところを自覚している旨を伝えると、「いや、できてますよ」とのこと。もちろん、薬指が弱くて遅れる傾向にある指摘は受けていましたが、要は、今はその程度できていればいいんじゃないか、ということのようです。「この本が終るころには指が動くようになりますから」とのこと。

というわけで、チェルニー op.777 第4番へ。左手でワルツのリズムを刻んだ第3番から第4番は、左手がドソミソとシソレソをずっと8分音符で刻み続けるという新たなチャレンジ。右手はこれまで通りドからソまでの5音でこれまでよりもむしろシンプル。左手の指の反復なので練習すればできそう。左手の指をずっと動かし続けながら右手を動かせるかが課題という印象。

ちなみに、前回レッスンのときに第3番に進むかどうか少し迷いました。その時点で第2番を弾けるようになるのにどの程度時間を要するかわかっていなかったから。ところが2番はレッスン翌日にもう弾けるようになってしまった(偉そうだな、おい)。これだとちょっと物足りないし、弾けるようになった曲を何度も繰り返し練習しても得るものが少ない。だから第3番に進んだのは結果的に正解。しかし、第3番は今の僕には難しく、かなり練習(=家にいる時間の多くを練習に割いて)してなんとか間に合わせた感じ。つまり、宿題としてはちょっと重すぎました。次回レッスンまでの宿題は軽すぎても重すぎても良くないので、その見極めをしていくことも今後の課題です。

さて次は初めて取り組む曲に選定したベートーヴェンのトルコ行進曲(子供向けの簡易版)のこの2週間の練習状況。まずは最初の8小節までが宿題。この部分までは、実は並行練習中のチェルニー op.777 の3番と指の使い方が似ている。左手はド[ミソ][ミソ][ミソ](4拍子だから1回多いだけ)の繰り返しがしばらく続くだけなので(6小節目までなら)むしろチェルニーよりも簡単。ただし7小節目のリズム・パターンとコードが変わる(ここで曲の調が変わる)ところで、左手のポジションが大きく移動するという初めての動きが入る。右手も最初の(ファ)ミーレレレの次に1オクターブ上のミに移動してそこから1段ずつ下りてソのところで指くぐりが入る。指くぐりと左右両手でのポジション・チェンジがここでの新たなチャレンジということになります。右手の移動ができるようになるのはそれほど難しくなかったんですが、左手のポジション・チェンジは一苦労。このタイミングで右手の指くぐらせも同時に入るところがますます難所。

漠然と繰り返していても一向に上達しないので対策を考える。ポジション・チェンジのときはその手が移動先で押さえる鍵盤をしっかり見定めることを意識してみる。これをやるためには反対側の手が無意識に動いていなくてはいけないので、その部分を繰り返し練習する必要もある。ポジション・チェンジの指の押さえ先をしっかり見定めて、確実にその鍵盤の中心を押さないとその後の指が微妙にズレてしまい運指がスムーズにできないことに気づいたので、このように考えてみたというわけです。その結果、ようやくなんとか格好が付くようになりました。それでも完全に綺麗に決まるのは50%くらいですが。

レッスンでは、スタッカートを譜面通り入れるように指摘が入る。運指優先でそこまではいいやと思って手抜きしていたところを先生は見逃しません(って当たり前か)。でも、それ以外のところはできているという判定。まあ、これもかなり練習したので。というわけでその先の14小節に行きましょう、となる。さて、ピアノ・レッスンにも少し慣れてきて、発汗も少なく、適度にリラックスしてできるようになってきて迎えたこの第4回目。しかし、ここで体が硬直し、大汗をかきました。というのは、予習をまったくしていなかったから。チェルニーは譜面が簡単だから譜読みを入念にやらなくても問題ない。超簡易版ペール・ギュント「朝」も読むというほでじゃない。ところが、トルコ行進曲はしっかり譜面を読まないと音程がわからない。特に、まだ苦手なヘ音記号の読み取りで考え込んでしまい、まったく手が動かずに「う~ん、う~ん」と唸るだけ。「ここはオクターブになります」と言われても頭に入ってこないから先ちっともに進まない。これでは練習にならないってもんです。

埒が明かないので先生にその部分をゆっくり弾いてもらい、録画してレッスン終了。

今回のレッスンの教訓
●次回レッスンまでの宿題量は多すぎるとキツイ
●やはり薬指は意識してしっかり鍵盤を押すべし
●譜読みをもっとスムーズにできるように勉強するべし
●予習はある程度やっておくべし

サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 2017年 日本公演

サロネンPO201705

2017年5月15日
東京文化会館
指揮:エサ=ペッカ・サロネン
演奏:フィルハーモニア管弦楽団
(演目)
R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番(チョ・ソンジン)
(アンコール)シューベルト:ピアノ・ソナタ 第13番 第2楽章
ベートーヴェン:交響曲 第7番
(アンコール)シベリウス:ペレアスとメリザンド「メリザンドの死」

LFJを除くと今年初のコンサート。サントリーホールが改修中ということもあってか、今年前半はあまり惹かれるオケの来日がなく、このフィルハーモニア管弦楽団のみ(秋は大変なことになりそうですが)。コンサート通いが趣味になりはじめてから、手当たり次第に行ってみた感じで、なんとなく評判やオケの格というのがどういうものかというのがわかってきたので、今後は本当に行ってみたいものを選んで行くつもりです。

そんななかでも、良く来日しているサロネンとフィルハーモニア管弦楽団は是非一度聴いてみたかった組み合わせ。

今回はマーラーのプログラムに後ろ髪を惹かれつつ、あんまりマーラーばかり聴いてもどうかというのとベートーヴェンの7番をしっかりしたオケで聴いてみたかったこと、チョ・ソンジンを聴いてみたかったこともあって、こちらのプログラムを選択してみた。

フィルハーモニア管弦楽団といえば、かつてはクレンペラーが率いており、その後も多くの一流指揮者と活動、録音も残している名門オーケストラ。日本のクラシック愛好家はあまり英国のオケを評価しない傾向にあるように感じているけれど、以前、NHK FMの「今日は一日“世界のオーケストラ”三昧」に出演していた演奏家たちが英国オケのレベルの高さを異口同音に賞賛していたこともあって、それなりに高い期待を抱いて会場へ。

颯爽と「ドン・ファン」。なかなか気持ち良い出だし。サロネンはアクションもキビキビと若々しく、オケをリードしている感がよく出ている。緩徐部での優美さが、弦はまずまず美しい響きを聴かせているのに今ひとつ。まあでも1曲目なのでこんなものでしょう。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。チョ・ソンジンは的確かつ正確な、それでいて有機的なタッチ。ただし、緩さや間といった余裕があまりない印象で、上手いんだけど音楽が窮屈な感じがしてしまう。もちろん技術はしっかりしているし、悪い演奏だとはまったく思わない。ありきたりな言い方になってしまうけれど、若さ、青臭さを感じさせてしまっていたように思う。アクションが大きいことが余計にそう感じさせたのかもしれない。好印象だったアンスネス(ちょうど2年前の同じ日に聴いた)、アヴデーエワの演奏と比べると一段落ちるように感じたけれど、実際に年齢もまだかなり若いわけで、若々しい演奏であることは当然のことで、このような演奏を好む人もいたかもしれない。

ベートーヴェンの交響曲第7番、最初の「ジャアン」。どの楽器の音をイメージしますか?もちろん、多くの楽器が同時に鳴っているんですが、普通はヴァイオリンの音が印象に残るところです。この日、聴こえてきたのはトランペット。しかも支配的なほどに大音量の。「あれ、トランペットの人、最初だけやらかしちゃったのか?」と思ってそのまま聴き進んで行ってもここぞというときに他の楽器の音をかき消すほど目立ち続けるトランペット。あれ?今日の席はトランペットの音のホットスポットに当たっちゃった?いや、前の曲まではそんなことなかったな、これは意図的にやっているのかな、なんてことが頭をぐるぐるめぐり続けているうちに曲は終わりました。要はトランペットの音が終始目立ちすぎていて曲に集中できなかったということです。

弦の音は綺麗だったし、ゆったした導入部と躍動的に転じる第1楽章は好みの展開だったのに、このトランペットですべてが台無しに。古楽ティンパニを使って、弦のヴィブラートも控えめだったので古楽的アプローチを採っていた模様。確かにアーノンクールとコンツェントゥス・ムジクスの演奏はこのようにトランペットがやたら耳につくので、これも古楽アプローチのスタイルということなんでしょうか。そうだとしたら肌に合わなかったとしか言いようがない。僕は、金管楽器は鋭さも時に要求される楽器であると知りつつ、そのような場合でも音に品格が欲しいと思っている。ガサツで大音量の金管は演奏を台無しにしてしまうことを今回再認識した、というのは言い過ぎでしょうか。アンコールのシベリウスがほぼ金管なし(ホルンがわずかに補助に入る程度)の演奏でようやく落ち着いて聴けたというのは、ある意味悲しい。

フィルハーモニア管弦楽団の評価云々は今回はちょっとできません。もちろんLFJで聴いたロワール管とは格が違うし、上手くハマったときはもっと良い演奏を聴かせてくれるであろうポテンシャルは感じたので他のプログラムで聴いてみたいところ。

この日、ソリスト、指揮者共に何度もステージに呼び戻されるような拍手は続かなかった(それでもアンコール曲をやってしまう・・・)し、ブラボーの声は少なかった。肌に合わなかったのはたぶん僕だけではなかった、それはつまり良い演奏ではなかったことを意味しているように思う。素晴らしい演奏の後に見られる、高揚感のある拍手と歓声はこの日の東京文化会館には残念ながらありませんでした。

ハイブリッド・ピアノ YAMAHA NU1 がやってきた

ピアノ20170513

あれは前回のピアノ・レッスンのときのこと。

超簡易版ペール・ギュント「朝」は左手がドミの和音で終わる。押さえる指は5番と3番。弾き終わったところで先生から「ドが出てないです」と指摘が入る。あれ?指は押さえているのに。なんのことはない、5番(小指)で押さえる力が弱くて音が出ていなかっただけのこと。でも家の電子ピアノではこんな感じの押さえ方でも音が出ていたはず・・・

よく言われているように電子ピアノは鍵盤を押せばキレイな音が簡単に出ます。ピアノに触れ始めてまだ1ヶ月足らずの僕でさえも、楽器屋で本物のピアノに触れた時に、しっかり押さえないと音が出ないな、ピアノで練習しないとラクな弾き方が身に付いてしまうのかも?と感じはじめていました。その前のレッスンから2週間、家の電子ピアノ(KAWAI CL25というエントリーモデル)ばかりで弾いているうちに、省力化が体に染み付き始めつつあることが早くも見え隠れしてきたというわけです。

正直なところ習いはじめの今は指の運びを覚えることが重要だろうと思っていたんですが、やはりピアノという楽器は音程と同じくらいタッチ(強弱や切ったり伸ばしたりすること)が重要であることを実感しつつあります。やや強めに鍵盤を押したときの音の出方も、電子ピアノだと思ったより大きな音が出てしまうので、むしろ抑え気味に弾こうという感じになってしまうことも、なんとなくわかってきました。上手く表現できないんですが、指の力の入れ具合と音量の大きさがリンクしていない感じがしています(上級モデルは違うのかもしれません)。「子供のピアノ演奏を聴くと、ああ、この子は普段は電子ピアノで弾いているんだなとわかりますよ」なんて話を楽器販売店のスタッフから聞いたことがありますが、あながち本物のピアノを売りたいがための方便ではないかなと思うくらい、やはり感覚が違います。

電子ピアノは、鍵盤を押し下げることでハンマーを動かしてピアノ線を打撃するという普通のピアノで行われるフィジカルな動きがないので、(当たり前のことながら)そのような手応えは感じない。アコースティック・ピアノの鍵盤フィーリングを出すべく、各メーカーとも上位機種は鍵盤とハンマーの動きを擬似的に作って、重みと手応えを感じさせるモデルをラインナップしているとはいえ、やはり実際のピアノの感触には遠く、音がラクに出てしまう感は拭えない。レッスンのときのピアノとの感触の違いが大きすぎるのは、あまり歓迎できるものではありません。

いつか、家にピアノを買うのもいいかも、電子ピアノはそれまでの代用品だから今より良いものは特に要らないかなあ、とこれまでは思っていました。でも今の電子ピアノでは正しいタッチが身に付きにくいであろうことが見えてきてしまった。う~ん、家でもピアノで練習できるようにした方が良いのは間違いない。できることならば欲しい。妻も「本物のピアノが欲しい」と言っている。でも、あんなに高くて、一度置いたら移動もできなくて、お手入れが欠かせないものを買う決断はそう簡単にはできません。

マンション住まいのため、仮にピアノを買ったとしても消音ユニットの装着+ヘッドホン使用が前提での話であり、よく考えてみるとピアノを遠慮なく鳴らすことができる機会なんてほとんどない。せいぜい鳴らすことができたとしても昼間の10分くらいが限界でしょう(それ以上だと苦情が来そう)。ピアノそのものの響きを味わうことができないのにピアノを購入するのはさすがに宝の持ち腐れというもの。

ここまで至らなさを挙げてきた電子ピアノには、実は音量を調整できるというマンション住まいの人にとって素晴らしい機能があります。ヘッドホンばかりでピアノを弾くのもあまり楽しくないわけで、音量を絞れば、近所迷惑にならない範囲である程度の音を出すことができるのは電子ピアノならではの強みだと言えるでしょう。電子ピアノがこれだけ各社からラインナップされているのは、日本の住宅事情というそれなりの理由があるわけです。

以上を踏まえてた上で電子ピアノの購入を検討し始めました。求める理想のピアノは、

●設置面積、大きさがアップライト・ピアノ以下であること
●サイレント機能は必須
●音量を調整できる(音量を絞れる)機能が欲しい
●鍵盤タッチはピアノに近い感触が欲しい
●できることなら価格は抑えめに

ということになります。

妻は「できれば家にピアノが欲しい」と言っていたものの、マンション住まいでは自由に音が出せないこと、音量が絞れる電子ピアノが現実的であることに理解を示し、電子ピアノでも上級機種なら納得できるかもというわけで、ゴールデンウィークは楽器屋さん巡りをして実物にいろいろ触れてきました。(余談ながら某楽器店で触れさせてもらったベーゼンドルファーの澄み渡る美音には感動してしまいました・・・ポルシェ911が買えるくらいのお値段でしたが)

さて、上記項目の観点でピアノを探すとハイブリッド・ピアノというものがニーズにピッタリではありませんか。ハイブリッド・ピアノをラインナップしているのは今のところヤマハとカシオ。いずれも目指すところはグランド・ピアノのタッチで、ヤマハは鍵盤からハンマーまでの構造はグランド・ピアノそのものの凝った造りになっています。カシオもハンマーを動かす構造になっているものの、やや簡略化しているようです。

話はピアノ選びの情報収集の段階に遡ります。

調べてみるとアコースティック・ピアノが良いか、電子ピアノが良いか、はたまたハイブリッド・ピアノが良いかというQ&Aや議論はネット上で結構多く見つけることができます。そこで見かける断定調で回答している人たちを見てなんか既視感があるなあと思ったら、その論調がオーヲタ(オーディオ・オタク)そっくりなんですね。なんというか原理主義的で、理想論と、理論ばかり語って、アコースティック・ピアノと電子ピアノで迷っている人を「電子ピアノなんて話にならない。本物のピアノでないと」などと威圧的にモノを言っているわけです。もちろん、知識のない人に電子ピアノの至らない点を情報として提示しているのは良いことでしょう。しかし、悪いところを強調するばかりの断定調の物言いに質問者の事情を推し量るムードは皆無で、ただ単に自分の理想論を押し付けているだけでしかない。

電子ピアノがアコースティック・ピアノより良くないなんて、んなこたあ、言われなくたって想像がつきますよ。ピアノ線をハンマーで叩くニュアンスが電子楽器で完全に再現できるわけがないことは、アコースティック・ギターを電子音で再現できないのと同じくらい当たり前のこと。でもアコースティック・ピアノの導入を躊躇う理由(価格、重量、大きさ、維持費など)がそれぞれにあるわけです。原理主義者が言っていることは確かに正しいんでしょう。でも、プロの演奏家をみんなが目指しているわけでもないのに理想論を振りかざすのはいかがなものかと思います。そういう人に言わせるとアコースティック・ピアノでもアップライトじゃあ話にならないう論調も少なくありません(ここは後でまた触れます)。

そのような原理主義者的な評価は本物のグランド・ピアノを基準としているので、電子ピアノの各メーカーがグランド・ピアノに近づける方向性は原理主義者の主張と一致しているという一面もあります。でも、例えばグランド・ピアノの鍵盤アクションの特徴であるレットオフ(穏やかに鍵盤を押し下げてゆくと途中で軽いひっかかりがある:誰にでもわかります)という挙動を擬似的に再現しているところなど、どこか本末転倒に思えるわけです。カワイのCA67/97は宣伝文句通りレットオフを作り出していますが、鍵盤そのもののタッチがアコースティック・ピアノに及んでいないのにレットオフだけ再現されていることに意味があるんでしょうか。ピアノ歴12年(子供のころに10年と30代後半に2年)でアップライト・ピアノ育ちの妻は、グランド・ピアノをたまに弾いたときにレットオフを意識したことはないそうです(もちろん鍵盤の感触が違うことはわかる)。レットオフは誰にでもわかりますと書きましたが、それはゆっくり鍵盤を押し下げたときの話で、音を出すために鍵盤を押したときにそれを感じ取ること(感じ取って演奏の表現に影響を与えること)ができるのは、ごく限られた、少なくとも音楽でお金を稼げるレベルの人だけでしょう。だから、レットオフの疑似再現を売りにするのは、原理主義的理屈を鵜呑みにするような人を納得させるためのマーケティング戦略のようにすら思えてしまうわけです。そのスペックが何をもたらすのか、本当にそれを使おうとしている人に影響があるのかという思考が抜けた、単に仕様を理屈だけで評価する人ってどこの世界にも居ますからね。

ピアノ選びの話に戻します。

そんなわけでカワイは鍵盤のタッチが言われているほど良いとは思えず、スピーカーからの音(サウンド、出どころ)も不自然でピアノっぽさがないので機種候補からはすぐに落ちました。

その他、触れる機会があったローランドのLX-17は、鍵盤に手応えがあるものの、タッチはやはり電子ピアノのそれで、しかし簡単に鍵盤の重さ、感度を変えられるところ、ピアノの音の自由度が高いところが魅力。ただし、お値段はおよそ45万円となかなかご立派。

カシオのGP-500は、ハンマーを組み込んで実際にそれを動かす構造になっているせいか、だいぶピアノに近い感触。しかし、完全に同じ構造を取っているわけではないせいかフィーリングが同じとまでは言えない感じ。それでも、個人的にはこれで十分かなあと思いました。3大(?)ピアノメーカーの音をサンプリングしてそれぞれの響きを楽しめるのは楽しいし、フレディ・マーキュリーのファンとしては彼が愛用していたベヒシュタインのロゴが入っているところは相当惹かれるものがあります。お値段はローランドほどでないもののおよそ38万円とこちらも電子ピアノとしてはなかなかご立派。下位モデルのGP-300はスピーカーなどの音源部のグレードが下がるだけで、大きな音で鳴らせないウチならこれで良いかなと思ったものの、つや消し木材の外観がお値段よりもだいぶ安っぽく見えるところが残念。部屋に置いてあれば存在感が大きいピアノだけに家具と同じようにインテリアとしての価値も、と考える人にとってこの差はかなり大きいです。カシオさん、上手いこと上位モデルに価値を持たせています。

尚、僕はメーカーやブランドには一切こだわりがないんですが、電子ピアノなんてなかった子供のころからピアノを弾いてきた妻は、ピアノ・メーカーではないローランドやカシオといったブランドにはかなり抵抗があるようであんまり前向きに検討してくれませんでした(苦笑)。まあ、オーディオに凝っている人がBluetoothスピーカーを買うときにANKERやELECOMブランドに抵抗があるのと似た感覚かもしれません。所有するのに自己満足って大事ですからね。

あとはヤマハのハイブリッド・ピアノ。先にも書いた通り、ハンマーまでの構造がアコースティック・ピアノと同じなので鍵盤のタッチはアコピに近い。その先は電気処理になるので音の出方はもちろんアコースティック・ピアノと同じというわけには行かないはずで、楽器屋スタッフ曰く「やっぱり本物のピアノより音が綺麗に出ちゃいます」とのこと。まあ、でもここは仕方ないですね。あくまでも電子ピアノですから。ヤマハのハイブリッド・ピアノはグランド・ピアノのアクションを再現したN1(およびN2、N3Xのシリーズ)と、アップライト・ピアノを再現したNU1があります。N1の方がタッチが良く、弾きやすいので思わず欲しくなりますがお値段はおよそ70万円。電子ピアノにそこまで払う価値があるのかという思いは拭えません。一方のNU1は電子ピアノとしては高価ではあるものの、前述のローランドLX-17とほぼ同等、カシオGP-500と較べてもほんの少し高いくらいという普通の(?)電子ピアノ上位モデル価格帯。結局、先に書いた5つの要求条件を一番満たしていること、妻が試弾してピアノのフィーリングに近くて良いと評価したことから、このモデルを選ぶことになりました。

このNU1という機種、ネットでは結構叩かれています。褒めたり推奨したりしているコメントはあまり見かけません。そもそもピアノとはグランド・ピアノのこと。アップライトは妥協の産物に過ぎない。構造上、レットオッフがなく、高速連打ができない、つまり鍵盤のタッチと特性がグランドと違うから正しいピアノの感覚が身に付かないということらしい。そんな妥協の産物であるアップライトの構造を電子ピアノで再現することに何の意味があるのか、というわけです。

あのぉ、小曽根真はバークリー音楽院のアップライト・ピアノしか置けない狭い練習部屋で「ここで良く練習をした」とテレビで言ってました(バークリーのWebサイトを見るとそのような小部屋がたくさんあるように見える)し、後にショパン・コンクール優勝&各部門を総ナメにしたラファウ・ブレハッチは家にアップライト・ピアノしかなく、それでピアノ演奏を身に付けて浜松国際ピアノコンクールで2位に入賞した(その賞金でようやくグランド・ピアノを買った)ことは有名な話ですよね。アップライトはスペースやコストの面で妥協の産物で、厳密に言えば鍵盤のタッチもグランドとは違うかもしれませんけど、ピアノとして別物でまるで欠陥品かのようなモノ言いで正しい技術が身に付かないみたいな論調を展開している人って一体どんなピアノ名人なんでしょう?そもそも、アップライトじゃダメってどういう弾き手のレベルを想定した意見なんでしょう?理屈だけでモノを言っている頭でっかちで教条主義者的な論調、オーヲタにホントよく似ていて困ったものです。「こだわりがある」ことを主張したいのなら、辞書で「こだわる」の意味を調べていただだいた方がよろしいかと。偉そうな物言いをする人にすぐひれ伏しちゃうタイプの人は、原理主義者の影響を受けすぎない方が良いと思いますね。

ちなみに、ピアノの先生にも実際にN1とNU1を軽く目の前で試弾してもらったところ、「N1の方が滑らかで弾きやすくていい。NU1はちょっと手応えがありすぎるかも。でも(趣味でやるのなら)NU1で十分」という感想で、ウチの用途では何の不足もないとお墨付きをいただきました。もちろんピアノ歴12年の妻が練習することを想定してのコメントです。

メーカーやモデルによる違いに限らず、そもそもすべてのアコースティック・ピアノはタッチ(と響き)がそれぞれに違うものです。同じピアノでも調律師の仕立てによっても結構大きく変わるわけで、ピアノ歴4週間の僕でも10秒でわかるくらいそれぞれに感覚が違う。グランドかアップライトか、という違い以前に個体によってまるで違うもの、それがアコースティック・ピアノなわけです。それでも、電子ピアノにはなく、グランドとアップライトの広い括りで共通するアコースティック・ピアノにしかないフィーリングというのは確実にあります。前述の通り、グランドのタッチじゃなきゃ、とか細かいところに固執するのは木を見て森を見ていないようなもので、ハンマーを動かしていると実感できるアコースティックならではの鍵盤のタッチ(とピアノに近い響きが再現できていること)が重要であると考える僕には、NU1は現時点で最適なピアノだと思っています。ついでに言うと、高級感と品のあるデザインはすべての電子ピアノの中でも最上の部類に入ると思っていて、家具のひとつとして見ても満足度が高いです。尚、本当はヤマハにはトランスアコースティック・ピアノという、音量を絞れるアップライト・ピアノが存在するんですが、さすがに大台超えのお値段とあってそこまで一気に行く勇気はありませんでした。いずれ、「やはり本物のピアノでないと」と思うようになったら検討することもあるかもしれませんが。

とはいえ、こんな立派なもの(=これが生まれて初めて自分で買った楽器)を手に入れてしまった以上、「やっぱりピアノは大変だからやーめた」というわけにはいかなくなりました。ある意味、自分を追い込んでしまったかも。でも、ピアノを習い始めてから、たとえ簡単な曲であっても自分の指から音楽が出てくることが楽しくて、続けられそうな直感があったのであまり躊躇しなかったですね。もとから妻がピアノが欲しいと言っていたこともありますが、自分の意思で突き進んでいます。あとは練習あるのみ!

ピアノ・レッスン 第3回

前回から2週間のインターバル。この間、結構練習したました。1日2時間くらい練習したときもあって、肩こりまで発生。練習のやりすぎも良くないのだとわかりました。

その甲斐あってか前回課題となっていたチェルニー op.777の1番、ペール・ギュント「朝」の超簡易版もほぼ弾けるようになり、先生の前で披露。「うん、弾けるようになりましたねえ」と一応、お褒めの言葉をいただく。

とはいえ、スムーズに弾けないところはあるし、自習(自己流)で身につけたところもあるので、「変な癖ついてませんか?こういうふうにした方がいいところとかありますか?」と尋ねたところ、「ちゃんと軽快に弾けているし、スタッカートも可愛らしくできていますよ」と褒めていただきつつ、いくつかアドバイスをただく。ひとつは、8部音符でスラーでつながっている2つの音符の2つ目のところを同じ強さにしないで少し弱めに、というところ。ここは譜面でそう書いてあるわけではないんですが、そのように弾いてみると確かに上品になって音楽的になる。同じ強さだと単調で稚拙な感じになってしまう。なるほど、譜面通りにやればいいってもんじゃないんですねえ。ペール・ギュント「朝」も譜面ではpと書いてあるだけで強弱指定はないものの、音階が上がっているところでややクレッシェンド気味にして、下がってゆくところでデクレッシェンド気味にするとより品よく音楽的になる。音楽って面白いです。

あと右手でも、力が入りにくくてレガートが疎かになりやすい薬指についてどうしたものかと質問すると、指を上げて振り下ろす感じのようにすると良くなるというアドバイスもいただく。

次回課題としてチェルニー op.777の2番と3番へ。2番は8分音符が多様されているものの、左手はコード2種類だけなのでなんとかなりそうな感じ。よって3番も行ってみましょうとなり、右手と左手それぞれ少し練習してみる。3番は左手がワルツのリズムを刻む感じで、これは初めてのチャレンジ。譜面としては、4分音符が続く記載になっているけれど、2泊目と3泊目は、スタッカートまで行かなくともやや短めに切ることでワルツらしい躍動感が出ることを教えていただく。右手、左手それぞれはなんとなくできそうなんだけれど、右手が8分音符、左手が4分音符なので同時にやるとリズムが全然取れない(汗)。これも新しいチャレンジでかなり苦労しそうな雰囲気。

練習曲と簡易版有名曲(ベートーヴェン「喜びの歌」、ペール・ギュント「朝」)の並行でここまでやってきたところで、今後、最初にチャレンジする曲としてベートーヴェンの「トルコ行進曲」を、まだ先で良いので演ってみたいと言うと、「じゃあ、もう少しずつ始めちゃいましょう」と先生がおっしゃり、偶然譜面も持っていることもあって最初の8小節だけ始めることに。リズムは単純で右手はそれほど動きが大きいわけではなく、左手はコードだけなので一気にハードルが上がったというほどではなく、なるほどがんばれば行けるかも、という感触。ただし、初登場の装飾音符と、ついに黒鍵に手が伸びるため、これはこれで別のハードルが待ち構えていそう。

ちょっと宿題いっぱいもらいすぎたかも(冷汗)。まあ、でもチェルニーの1番も最初は全然無理と思っていたのにそれなりに格好がついたので、チャレンジしようという気になりますね。少しずつできるようになるというのはかなり楽しい充実感です。

チェルニーは前半は右手がドレミファソまでの固定で指をスムーズに動かすところに主眼が置かれていて、最初の頃と比べると、自分で言うのもなんですがだいぶスムーズに指が動くようになってきていて上達していることが実感できます。練習ってやっぱりそのまま返ってくるもんですねえ。あと、レッスンのときの疲労感が更に半減していて、無駄な力が抜けてきたことも実感。進歩していることを実感できるのはやはり嬉しいもんです。

前回から今日までの教訓。
●練習しすぎは披露が残って翌日以降に響く。
●楽譜どおりでなくとも強弱をつけるとより音楽的に。
●力の入りにくい右手薬指は上から下ろす感じで。

GWグルメ三昧

GWはグルメ三昧しました。

まずは、肉博士としてずっと行ってみたいと思っていたウルフギャング・ステーキハウス。

僕は学生時代にスーパーの精肉部門で6年もアルバイトをやっていたので、見れば部位はすぐにわかるし、スーパーで売られている価格帯のものであれば食べればだいたいの値段もわかります。日本には世界に誇る和牛という素晴らしき品種があって、あれより美味い牛肉はこの世にないと僕は思っている。10年ほど前にボストンに出張に行ったときには同行者がステーキ好きだったこともあって毎日のようにステーキを食べましたが、霜降りでない肉にはそれはそれで美味しさがあるとは思いつつ、まあこんなもんかなという感じでアメリカの牛肉がそれほど美味しいものだとはやはり思えなかった。しかし、この店の売りである熟成肉というものは食べたことがなく、それなりに期待して行ってみたというわけです。

GW2017-1

オーダーしたのはステーキ・フォー・トゥという、要はヒレとサーロインのTボーンステーキ。本当はステーキはリブロースが一番美味しいんですが、この店の看板メニューということもありチョイス。結論から言うととても美味しかった。もちろん和牛と比較するものではないんですが、味付けと香ばしい焼き上がりが巧みで、これはこれでアリかなと。この歳になると和牛をお腹いっぱいというのはもう無理で、しかしこの熟成アメリカ牛はガツガツと食べられるところが良いところ。ただし、コスパという点ではもうひとつでしょうか。ワインもニューワールドばかりの品揃えでそのわりには結構な値付けがされていて、全体的にお高め。この日のハウスワインはグラスで3,000円と他のワインより頭一つ分高く、確かにステーキに良く合うフルボディの素晴らしいワインだったとはいえ、フレンチのグランメゾンでもそこまでの値段のグラスワインはそう多くはない値付けです。料理も含め同じ料金でフレンチで美味しいワインと食事を楽しめることを思うと、やはりお高めという印象は拭えません。もちろん料理に求めるものが違うわけで、フレンチのようにチマチマと皿が出てくるのは面倒、あくまでもこの味の牛肉をガッツリ食べたいという向きには当然こちらが良いでしょう。そう頻繁に食べたいとは思いませんが、たまに行く分にはアリだと思います。

次は、丸の内にあるお好み焼き点の「きじ」。

GW2017-2

GWとあって待ち時間が1時間と長かったんですが、それも納得できる味。オーダーしたのはスジモダンと粉ものらしさ新メニューと書かれていたトマトチーズ焼き。どちらもしっとりした生地でややこってりしたお好み焼きで、普通のお好み焼きとは一線を画す美味しさ。お好み焼きは所謂粉ものカテゴリーで、その粉っぽさを求める人にはちょっと違うと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、これはこれで大いにアリでしょう。そして実はお通しがてらオーダーしたスジポン(煮込み牛すじ=テールかな?をあっさりポン酢で漬けたもの)が絶品でした。東京でこのメニューはどこに行ってもないので、行く機会があれば必ず注文した一品です。

最後はラ・フォル・ジュルネの後に毎年行っているVIRON。

GW2017-5
GW2017-4
GW2017-6

こちらは何度食べても飽きない美味しいバゲットと、どれを選んでも美味しい料理でいつ行っても大満足。今回は、フォアグラと大山鶏のテリーヌ、西洋タンポポとベーコンのサラダ、鴨胸肉のローストを満喫。ワインもリーズナブルで美味しい。比較しちゃいけないんだけれど、これでウルフギャングの2/3のお値段で済むことを思うと満足度はとても高いです。惜しむらくは美味しそうなメニューが多くて食べきれないことくらいでしょうか。いやあ、本当にこの店は本当にたまらなく好きです。最近はメニューから落ちていますがアンドゥイエットなんて絶品ですよ。

というわけで、まだGW終わってませんが、もう食は満喫しすぎました。大満足です。

ラ・フォル・ジュルネ 2017

LFJ2017

5/5(金)
【1】
指揮:パスカル・ロフェ
演奏:フランス国立ロワール管弦楽団
演目:
・デュカス 魔法使いの弟子
・サン=サーンス 死の舞踏
・ラヴェル:ボレロ

【2】
指揮:パスカル・ロフェ
演奏:竹澤恭子(ヴァイオリン)、フランス国立ロワール管弦楽団
・シベリウス:悲しきワルツ
・シベリウス:ヴァイオリン協奏曲

今年も行ってきましたラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン。これで6年連続の参戦(と3年連続で同じ書き出し)。これは事実上、僕のクラシック歴+αに該当します。

クラシックにズッポリハマってから5年経ち、(あんまり感じ良くない物言いになってしまいますが)一流のオケを含めて結構な数のコンサートに行っただけに、カジュアルさを売りにするこのイベントは、どうしても行かなきゃ、というものではなくなってきつつあります。

クラシックというと、僕が聴き始める前に持っていたイメージは「自分たちこそが真に音楽という芸術をわかっている」という不遜な態度で、小難しくウンチクを垂れるスノビッシュな態度の愛好家たち。とりわけ、敷居が高い(=これ本当は誤用ですが)と思っている人は多いと思われ、だから気軽に幅広く多くの人に楽しんでもらいたいという意図のこのイベントは、どうしても行かなきゃとまでは思わないとしてもとても好ましく、今後も盛況であってほしいと思っています。

しかしながら、このイベントの最大の難点は、多くの人に聴いてもらおうという主旨が優先されてしまうため、会場がクラシック向けでないところで、特にホールAとB7は避けたいところ。あと、僕は日本のオケはその独特なヌメッとしたサウンドが好きになれないのでこちらも外れる。今年のプログラムで会場とオケ、普段あまり聴いていない室内楽系で、5月5日のプログラムの先行抽選に3つ申し込んだら、本命の室内楽系2つがハズレて【2】が残り、せっかくだからもう1公演くらい観るかと追加したのが【1】。ホールAは回避、と思っていたんですが、5列目というかなり前の席が取れたので、会場の弱点はそう気にならないだろうと選んでみました。

まずは【1】の公演から。5列目はやっぱり近い!譜面をめくる音だけでなく、楽団員が立てる音(譜めくりや足を組み替えたときの音など)もよく聴こえるし、弦楽器はまさに弦が擦れる音まで実感できる。金管木管部隊がまったく見えないけれど、これはこれで臨場感があっていい。ロワール管弦楽団は、決して上手いオケではないと思う。在京メジャーオケの方がむしろ上手いはず。でもその歌い方はやはり海外オケならではだし、音色が明るくてこのフランスものプログラムは熟れた演奏で、楽しく聴くことができました。通常の海外オケのコンサートでは意外と聴く機会がないボレロを聴けたのも収穫。実際に観ながら聴いているとオーケストレーションの巧みさ、面白さもよくわかるし、最後にコントラバスが立ち上がるのもたぶん譜面に指示がある演出なんでしょうね。終演し、通例どおり拍手で呼び出された指揮者が「私のJobはEasyです。みんな優れたMusicisanだから」と言って合図だけ出すと、もう一度「ボレロ」の終盤をオケだけで演奏、指揮者は指揮台を降りてオケだけで演奏するという余興も楽しく、お祭りイベントに相応しい楽しいプログラムで大満足。

【2】は、個人的に一番好きなヴァイオリン協奏曲を生で聴いてみたいという理由でチョイス。【1】と指揮者とオケが一緒なのは単なる偶然で、まったく求められるものが違う曲で聴き比べることができるというのはそれはそれで楽しみにしていたところ。結論から言うと、シベリウスはもうひとつだったかも。もちろん明らかに合わない、良くないというほどではなかったものの、【1】での自然で自発的な、音楽が溢れ出る感じには及ばないといったところでしょうか。ソリストの竹澤恭子は熱演ではあったものの、シベリウスのこの曲に対しては力みと受けれてしまう演奏でもあると感じました。まあ、もちろんこれは僕の感じ方なので、ポジティヴに受け止めた人もいたんじゃないかと思います。

2公演だけでしたが、今年もラ・フォル・ジュルネは楽しめました。毎年同じことを言っていますが、音楽イベントが人で溢れて賑わっているところ、そこに居合わせるのは楽しいもんです。

飲み会の話題って


今回は、いつもより一段と独り言。

僕はお酒に強くないので、それほど飲みには行かない。もちろん、歓送迎会や忘年会などのイベントにはよほどの先約がない限り参加しているし、以前いた会社の知人たちからお声がかかれば断ったりはしない。

これはもう随分前から思っていたんだけれど、それにしても会社付き合いの飲み会はどうにもこうにもツマラナイことが多い。

なぜツマラナイかというと、話題の9割以上が仕事絡みだから。もちろん仕事をネタにすることじたいは否定しない。でも、9割が仕事に絡んだ話、しかも仕事への思いを語るとかではなく、あそこであんなことがあった、誰々がどうだらこうだらという他愛もない話ばかりという状況にもういい加減飽きた。特に同じ会社の人と飲んでいるときに、ほとんど何の為にもならない仕事絡みの話なんて長々と聞いていても楽しくもなんともない。

普段あまり顔を合わせないメンバーの場合の近況報告は、仕事であってもなにかと面白いケースが多い。でも、「昔は良かった」という話ばかりになるとやはりここでも興醒めしてしまう。

同じ会社の人でも外人と飲みに行ったりすると話題が仕事一辺倒ということはまずない(国での生活の話、家族の話、世界中を出張しているときの面白経験談、趣味の話などが多い)し、海外生活を紹介している本などでも飲み会で仕事の話ばかりという話は聞いたことがない。

そもそも日本には文系娯楽の愛好家が少ないので、本や映画や音楽を話題で盛り上がるということはほとんどないし、仮に持ち出しても白ける人がほとんど。ちなみに以前通っていた英会話教室では何十人という講師からレッスンを受けたけれど、「どんな映画が好き?」「好きなアーティストは誰?」という話題で話が弾んだことがよくあった。「この前飲みに行ったら The Bad Plus というグループのメンバーと盛り上がってさあ。彼らのこと知ってる?」なんて話もあったくらい。彼らは特別な音楽マニアでもなければ映画オタクでもなく、娯楽の一部として楽しんでいるという感じで話してくれていた。お互いにお気に入りの映画や音楽を薦め合うなんてことも何度もあった(その分、本題のレッスンが疎かになっていったけど)。他にも絵画や本、スポーツなどの話題で盛り上がれるインストラクターも少なからずいたんじゃないかと思う。

日本のサラリーマンの飲み会がツマラナイのは、たぶん人生を楽しんでいないからじゃないだろうか。いや、楽しみ方を知らないと言った方が正しいかも。日本人に2週間休暇を与えたとしても「何をしたら良いのかわからない」という人が多い、という話もこの話と通じているように思える。

娯楽でなくたって話題はいくらでもある。

・原発は稼動させるべき?
・死刑制度は維持するべき?
・集団的自衛権は是か非か?
・共謀罪は危うくない?
・自衛隊を軍隊と呼ばない矛盾をどう考える?
・移民を殆ど受け入れていない日本はトランプ政権を批判できる?
・民進党がどうしようもなくダメなのはどうすれば良い?
・幼稚園の園児の声がウルサイと苦情を言う社会ってどうなの?
・石油があと何十年で枯渇するって本当なの?

などなど、こうやって手を動かしながらでもどんどん思い浮かぶ。しかし、僕の周囲にいる人がこれらをどう考えているかなんてまったく知らない。なぜなら日常会話や飲み会のネタになることが皆無だから。事なかれ主義な人は、こういうネタで話し合うことは望まないし、むしろ避けたいと思っているはず。

日本人は議論が苦手であるとは良く言われることで、周囲に合わせて穏便にという国民性がそうさせているというのが一般的に言われる理由。たとえばフランスのように「自分の意見を言わなければ自分に価値がない」と育てられる国だとだいぶ事情が違ってくるらしい。某書によると家族親戚の飲み会でも政治をテーマに言い争いになって、人生経験が浅い若者が言い負かされキレてその場を出ていってしまうなんてこともあり、そんなとき、喧嘩していた年配者も「彼女は将来立派になるよ」なんて評価するらしい(そう、女性でも意見を闘わせることを厭わない)。僕は正直、そういう体験ができる親族の集まりがうらやましい。

もちろん飲み会の話題が社会ネタである必要なんてないし、議論になる必要なんてないですよ。家族との出来事や子育てについての話だっていいし、あそこに旅行に行ったら楽しかったという話、航空チケットの得な買い方の話でもいいし、美味しい食べ物の話だっていい。面白い話なんていくらでもあるじゃないですか。

当たり障りなく、中身のない話しかできない。そんな退屈な人間が日本人なんだとすればなんだかなあ~と思ってしまう。かく言う僕も、「こんなツマラナイ話題はもうやめよう」なんてことは言わず、楽しいフリして周りに調子を合わせているんだけど。

この退屈さ、孤独さは結構キツイです。サラリーマンに向いてないんでしょうねえ、きっと。

該当の記事は見つかりませんでした。