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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

「ルーム」(ネタバレあり)

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ブリー・ラーソンがアカデミー賞主演女優賞を獲ったことで有名になったこの映画を、ほぼ予備知識なしで鑑賞。

なんとなく事前に勝手に想像していたストーリーと偶然にもほぼ同じ流れ。でも、どうやって「ルーム」から逃げられるかが主題だと思って観ていた人が世間では結構多かったらしい。

日本でも何年もの長期に渡る軟禁事件というのは過去に何度かあった。そのとき思うことは、社会から何年も、場合によっては10年以上も隔離されていた人間が社会に戻るストレスを想像することの難しさ。人間を描くのだとしたらやはりこの部分にスポットを当てるのは自然なことで、だから勝手にそういうストーリーを予想していたのかもしれない。

その過程を描くことがこの映画の本質だから、ストーリーが予想通りだったから映画がつまらなかったなんてことはもちろんない。むしろ奇抜なストーリー展開やどんでん返しがないからこそ、単なる脱走モノに陥らない人間の心情を描くことにフォーカスすることができる。

ブリー・ラーソンは十分に演技力も存在感もある女優で、彼女だからこその母親が表現されていた。ただ、「ショート・ターム」での、弱さと強さを兼ね備えた複雑な人物を演じた彼女の実力からすると、このくらいはできて当然という想定範囲の演技だったように思う。もちろん、だからと言ってこの映画での彼女が物足りないということはまったくないけれど。

この映画では、生まれたときから「ルーム」でしか生活したことのないという子供がいる。この子の演技力が素晴らしい。いや、素晴らしいを通り越して神がかっていると評しても言い過ぎではないと思う。ブリー・ラーソンの演技で成立している映画なのかと思ったら、むしろ子供の存在とその演技こそがもっと重要な要素になっている。軟禁している男への恐れ、母親への尊敬や甘えなどが入り混じったいかにも子供らしい態度、クライマックスのひとつとも言える脱出して初めて見る外の世界に接したときの、戸惑いや衝撃などが入り乱れた複雑な心情の表現に圧倒されてしまう。大人ですら想像することができない、生まれてから5年間社会に接していない子供の立場や心情を演じて、何の違和感も持たせない演技なんてそう簡単にできるものじゃない。

僕は昔から、日本の俳優の演技が(ごく一部を除き)どうしてこうも揃いも揃って下手なんだろうと思っていた。いや、下手というより稚拙で子供っぽいという言い方の方が適切なのかもしれない。思うに、自己表現が得意でない日本人というのは映画やドラマで演技することじたいが苦手なんじゃないだろうか。もちろん日本にも古来から歌舞伎や能といった演芸(それらより大衆的にした時代劇)はある。これらは現実とはまったくの別世界、リアリティとかけ離れた(リアリティを追求していない)独自の世界になってる。そういう別世界の作られた世界を演じることはできるけれど、現実の世界を舞台に演じるとなると明け透けに自分の内面を表に出さなくてはならず、恥じらいを捨てることができないんじゃないだろうか。欧米人はそういう自己表現に戸惑いがなく、役者になろうとする人であればむしろそれを得意とする。そういう欧米の俳優と同質の演技ができる日本人俳優は、渡辺謙をはじめとするごく少数しか思い浮かばない。

そうした傾向は、演技とは何かなどと考えるほど成熟していない子役に特に顕著に現れ、日本人子役と欧米人子役との埋めがたいレベルの差となって表面化しているように思える。欧米と日本における「演じる」ことへの根本的な質の違い、根底に流れる表現に対する思想、価値観の違いがそのまま子役のレベルの差になっているように思う。映画やドラマにおける現代劇の演技は、欧米の文化であって日本にはそもそも存在していないし、育つ土壌もなかった。

もちろん「誰もいない」のような抑揚のない映像と演技で見せる秀作は日本の映画にもある。ただ、欧米、特にアメリカの映画は現実を舞台にしつつも外連味を加えた作品として作られていて、淡々と見せるだけでない娯楽に仕上げており、そういう作り方は日本人の気質に合っていないような気がしてしまう。

音楽について、日本人は何を演っても演歌になってしまうと書いたことがあるけれど、演技についても控えめを美徳とする日本は独自のものになっていてその差が出ているんじゃないかな、というのが漠然と抱いている僕の感覚。もちろん、どちらが良い悪いという話ではないけれど、(シリアスな内容であったとしても)映画を娯楽と捉えるのであれば、アメリカ映画のような多様で彫りの深い、豊かな表現はさすがだなと思わずにはいられない。

そんな、なんとなく思っていたアメリカ娯楽映画の特質、演技のことを、この重々しい映画で明確に意識させられることになったのでした。

それにしても、女優として開花する人というのはそれ以前からさすがの演技をしているもので、ブリー・ラーソンは下ネタコメディの「ドン・ジョン」で少ない出番ながら妹役を強烈な存在感で演じているし、ジェニファー・ローレンスも「ウィンターズ・ボーン」を観れば将来どんな女優になるんだろうと思わせる演技と存在感がある。役者の底力という点ではやはりアメリカという国は大したものだと脱帽するしかない。

ピアノ・レッスン 第2回

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ついに始めたピアノ・レッスン、隔週で30分という緩いスケジュールで進める予定ですが、今回は諸般の事情により先週から2週連続で。

1回目のレッスン以降、「喜びの歌」とチェルニーの Op.777 最初の4小節の左手のみを毎日30分から1時間くらい練習(飲みに行った日もちょっとだけやりましたよ)。簡易版「喜びの歌」はなんとか通し(といっても16小節だけ)で弾けるようになってきた。とはいえ、タッチは自分で聴いていてもバラバラだし、レガートが疎か気味になるし、左手の二分音符のところは右手につられて早く指が離れてしまいがちなところが課題かなあという感じ。

チェルニーは左手でドミソの和音とシレソの和音を切り替えるだけのものなのになかなかスムーズにできないし、たった4小節を繰り返しているだけで左手が吊りそう。余計なところに力が入っているんでしょう。こちらは、フレーズとしては単純なので、まだ教えてもらっていない右手の練習も勝手に始めてみました。右手と左手、それぞれは弾けるものの、同時進行はまったく無理な状態。これは次回、先生が教えてくれる部分だろうと思って、できるようになるまでは努力せず練習せずに当日のレッスンへ。

「喜びの歌」を先生の前で披露。前回のレッスンのときには8小節までだったので「まずはここまでやってみましょう」ということでやってみる。ここまで順調に行けると「じゃあ、続きをやってみましょう」というので練習してきた成果を見せるべく進めてみる。緊張しているつもりはないものの、家での練習のときのようにはいかずに少し間違いながら、何度か通すとなんとか格好がついた感じ。9~12小節目で、もらった簡易版楽譜にはない8分音符(原曲通り)を混ぜてやってみたところで「2つ目のレミファミレの最後のところの切り上げ(指を上げる)が少し早いですね」と指摘が入る。なるほど、言われみないと気づかないもんです。とはいえ、この曲はもう弾けますねということで終了。あくまでも練習用なので完璧にできるようになることが目的ではないようです。

続いてチェルニーの Op.777。こちらは教えてもらっていなかった右手を混ぜてやってみる。左手と右手を同じタイミングで鍵盤を押すところが多いこの曲、4小節目で左手の全音符で伸ばすところで右手(3回ドを続ける)につられて同じように鍵盤を同じ回数押してしまう。でもそれ以外は思ったより上手く弾けているかも。やっぱり練習って大切ですねえ。でも、早くも右手と左手を別々に動かす難しさに直面。9小節目から16小節目はまた左手のパターンが変わって、これまたうまくいかない。左手は(指の形を固定で弾ける)和音で全音符か4分音符か全音符でリズムを取るだけだったのに14小節目で、左手で5番3番1番(小指、中指、親指)でドミソと1音ずつ、しかも8分音符というアクションが突然登場、右手の3番1番2番(中指、親指、人差し指)に合わせて弾くというこれまでにない高度な動きで、スローモーションのようにゆっくりやらないとその通りにできない。しかも右手の3音目にはスタッカートが入ってきてそこまで神経が回りません(汗)。ここは次のレッスンまでの宿題ということで。

練習曲だけだと飽きるために、並行で進める「知っていて楽しい曲」部門は、「喜びの歌」を終了したので次の曲へということで、グリーグ「ペールギュント」の「朝」の部分に取り組むことに。両手とも忙しくないんだけれど、左手がこれまでの曲よりもメロディラインが増えた。でも右手と左手のリズム感が同じでシンプルなので、まあなんとかなりそう。ただ2箇所だけ、左手の4分音符と右手の8分音符を同時進行しなくてはならないところがあって、その同期が難しくてぜんぜんできない(汗)。更に、ヘ音記号の楽譜の音程がすんなりと読めずにこれがまたアタマを混乱させてくれます。この曲のチャレンジはもうひとつ。これまで右手はドレミファソまでしか使わず、使う指が固定で済むものだったんですが、ラまで行かなきゃいけないので途中から右手の2番(人差し指)でミを押すという移動が入ってくる故に更に頭が混乱。ゆっくり、テンポもグラグラでめちゃくちゃで進めてなんとか格好をつけたところで終了。ここをスムーズに行けるようにするのが次回までの宿題かな、と。「喜びの歌」からだいぶハードルが上がってます。

あとは、右手と左手それぞれでドレミソラシドの運指の練習。右手はファで指をくぐらせるけれど、左手は(当然)動きが反対になる上にラで指をくぐらせる。これを同時にやりましょう、となってトライしてみると、ああ、ぜんぜんできないです。それぞれこれもゆっくりと、ぐらぐらのテンポでなんとか格好がついたところで「では、反対で」と下降方向になってまた混乱、なんとか格好をつけて終了。次回までこちらもスムーズに流せるようにがんばろうっと。

1回目のときは30分のレッスンでドッと疲れて汗塗れになりましたが、今回は疲労度も発汗も半分程度に。余計な力が抜けてきたのは良いことでしょう。それでもまだかなり汗かきましたけど。

今回の教訓
●右手と左手を同時に使いながら独立して動かす練習に精進すべし。
●8分音符4つ続きの最後を切り上げてしまわずちゃんと譜面通りに鍵盤を維持すべし。
●譜面の音程を早く読めるようになるべし(特にヘ音記号)

ちなみに、僕はジャズを聴き始めたころからそうなんですが、ピアノの魅力があまりわかっていないんです。日本ではジャズといえばピアノ・トリオというイメージが一般にはありますが、僕はほとんど聞きません。実は、総体的にジャズを俯瞰して、またはジャズの歴史を振り返ってみたときにピアノ・トリオがジャズのメインストリームであったことは一度もない。つまり、実はピアノ・トリオは異端でマイナーな編成。更に言うと、ジャズにとってピアノは伴奏のための楽器でしかない(ジャズではピアノはリズム・セクションの一部と扱われる)。そのせいか、ジャズでピアノ演奏を聴いて「いいな」と思ったことがあまりない。クラシックはピアノは重要楽器であるわけですが、オーケストラ(というか交響曲)から入っていったこともあり、協奏曲やソナタを聴いてもどのピアノ演奏が良いなどと思うことはあまりなく、今のところ僕の中で音楽を聴くことにおいてピアノが中心に来る、ということにはなっていません。だからクラシックでもジャズでも、好きなピアニストってあんまりいない。

例外的に好きなブラッド・メルドーでも、ピアノ・ソロはさっぱり感じるものがなく、まったく聴いていない有様。ところが、たった1週間ピアノを触れていただけで、このメルドーのソロが俄然魅力的で面白いものに聴こえてくるではありませんか。また、"My Funny Valentine" のシンプルなレッド・ガーランドのイントロが、たったあれだけの長さなのにいろいろなニュアンスを含んでいることにも初めて気づきました。演奏できるようになることで、より音楽を深く理解できるのでは?というのはピアノを始める理由のひとつであり、早くもその芽生えが見え始めたところは予想外の嬉しさ。こういう喜びが感じられるとまたモチベーションが上がります。

ピアノ・レッスン 第1回

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ついに昨日、ピアノ・レッスンが始まりました。

事前に、妻から僕のレベル(本当に何ひとつ楽器もできないし譜面も読めない)と音楽の好みを先生には伝達済み。先生は、結婚前に妻が教わっていた方で、今でも同じ教室に通う親友を通じて繋がっていたのです。年齢は妻より10歳くらい若いんですが、3人気心が知れているということもあって、今回のような突然の「素人の夫とブランク7年の私にピアノ教えてもらえます?」にも応じてくれたわけです。

ちなみに、当初はピアノの先生が所属するその某楽器屋の教室に入ることを想定していたものの、教室の枠は一杯ということだったので、ピアノ・スタジオをレンタルして先生が時間を取れるときに個人レッスンで教えていただく形で進めることになりました。

つまり、(何かと評価が手厳しい)妻が認める良い先生、しかも個人的な話もできる間柄というのは、スタート地点に立つ前の段階においてかなり恵まれた環境だと言えるでしょう。家からクルマで1時間くらい要する場所まで出向いてでも習いに行こう、というのはその恵まれた環境を活用させてもらうためという理由に他なりません。

そして1回目のレッスン。

先生とは過去に3回程度軽く挨拶はしていたこと、妻からもいろいろ話を聞かされていたこともあって、初めて感がなく、初回にもかかわらず、緊張感ゼロ(汗)でスタート。

先生からまずは、いろいろな有名曲(中にはチャイコフスキーの5番の一部分とかも)を簡単にアレンジした初心者用の楽譜集とチェルニー練習曲の楽譜集をいただく。先生も「メリーさんの羊とかやりたくないでしょう」と言ってくださり、まず用意してくれたのが「喜びの歌」、つまりベートーヴェン第九のあの有名な旋律を簡略化した譜面。右手はドレミファソだけでほぼ四分音符のみ、左手はドとソのみでほぼ全音符のみに要約したもの。馴染みやすい曲から始めさせてくれるのは確かにありがたいですね。

その前に、最初はド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドを右手5本の指で順番に弾く練習から。親指が1番、小指が5番という初歩の初歩から教えてもらう。なるほど先ほどもらった譜面に番号が書いてありますね、その指で弾くってことですか。

ミを中指まで使ったらくぐらせてファから親指にして小指で次のドまで。ここで早速アドバイスが入ります。僕の固定概念なのかで一音ずつ鍵盤を押していると「前に押した指をすぐに鍵盤から離さないでレガート(音を切らずにつなげる)でやってみてください」。

それでやってみると単調に音が鳴っていたものが綺麗つながるではないですか。これだけで音楽っぽさがぐっと増してきて、おー、とまだ曲にもなっていないのに「音楽って面白い」「ピアノって面白い」と思えてしまうのだから僕の単純さは向学心のためには向いているのかもしれません。

「喜びの歌」にとりかかります。まずは右手であの有名なメロディを奏でます。ところがなかなかキレイなレガートでメロディが流れない。かなり意識して指を運ばないとレガートになってくれない中、何回か繰り返すとそれっぽくできるときも出てくる。ところが更に繰り返すと無意識のうちにだんだん指の運びが走り始めて音が雑になってきてしまい、レガートも疎かになってくる始末。たったこれだけのことなのに、丁寧に、譜面と手元と指を見ながら集中してやらないとどんどん雑な曲に聴こえてくるようになってしまう。「なんて難しいんだろう」とこの時点でもう息苦しさを覚え、気がつけば汗が溢れ出ていきている。

「では次は左手をやってみましょう」。内心「え~、初日から左手使うのお?」と思いつつ、もう15年以上の指導歴を持つ先生が言うのだから、初日でもやらにゃいかんのでしょう、と動揺を抑え、左手も練習。左手は全音符だけの単純なものにしてくれているので、右手と同期させて、尚且つレガートでしっかりと鳴らせるかどうかがポイント。なかなか思い通りに行きません。

同じ曲ばかりやっていると悪い意味で煮詰まってくる(本来の煮詰まるの意味は違いますが)ので、練習用の曲はいくつか並行で進めるのがレッスンの慣例とのことで、次はチェルニーの練習曲 Op.777の最初の8小節の練習へ。本日は左手だけ、ってまた左手ですか!ドミソの和音とシレソの和音だけ、しかし3つの鍵盤を抑えているだけで手が吊りそうになってしまう。

ここまでやって30分のレッスンが終了。終わったらもうグッタリで、手が(特に左手が)張り詰めている状態。でも、自分の指から稚拙といえども音楽らしき音が流れているのは楽しい。

この後、妻のレッスンにバトンタッチ。妻は子供の頃からピアノをやっていたのでお休みしていたとはいえ、初級から再開するわけではなく、ショパンの「雨だれ」に取り組むことに。先生が部分的にデモをやってくれたのを聴いて、CDで聴いているアヴデーエワの演奏より感動してしまった。やはり生のピアノの破壊力は凄い。もちろん先生が素晴らしいことは言うまでもないけれど。

[本日の教訓]
●レガートで音を連ねて出すこと
●急いで指を運ぼうとしないこと

翌日練習することで、より上手く弾けるようになる。練習して上手くなったことを実感できるのは楽しい!

ピアノはじめます

僕が無類の音楽好きであることについて、このブログで何度も書いてきました。

そこまで音楽が好きだと、普通は演奏する方にも興味が出てきてもおかしくありません。でも、僕は楽器は一切できないし、やろうと思ったこともない。いや、一度もないは言いすぎました。中学生のとき「弾けるようになったらカッコイイ(平たく言うと女の子にモテる)」と年齢相応に思ってフォークギターを買ってもらったことがあります。ところが・・・

僕の指は女性が羨むほどのスラリとした佇まいで、爪はマニキュアを塗りたくなると言われるほどの美形を誇っています(指輪は確か11号だったような)。

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この爪は所謂付け爪のような状態でもあり、どれだけ短く切ったとしても指の腹より爪のほうがだいぶ先端に来ます。小学生のとき、学校の身なり検査(ハンカチ、ちり紙を持っているか、爪は延びていないかとか昔は学校でチェックやってました)で、目一杯爪を切ってあったのに係の女の子に不合格と判定(その子の中ではこんな爪の形を見たことがなかったんでしょう)されたこともあるほどです。この爪でギターのフレットを押さえると、指の腹より先に爪が指板に当たり、弦を完全に押さえることができず、押さえた弦がすべてミュートになってしまいます。どんなに努力をしっかり押さえたとしてもコードひとつ弾けない。練習して行くうちに指の腹が出るようになる、なんて言う人もいましたが、指の形が大きく変わるほどの練習をするほどの根気を持ち合わせていたわけでもなく、そんなわけでギターはあっさりと挫折。これは結構なショックで、高校、大学とバンドブームの時代を過ごしてきたにもかかわらず、もう何か楽器をやろうという気さえしなくなり、そこから今に至ります。

この美しい指(苦笑)は、いろいろ人に器用そうに見られます。しかし、僕は図画工作を大の苦手とするばかりか、狭いスペースでネジを締めなくてはいけないときにネジをよく落っことしたりする(以前、保守エンジニアだったもので)など、指が固く、スムーズに動かないことをよく自覚していて、その都度「見た目だけで超不器用」と否定してました。19年前にロンドン行の飛行機に乗っていたときに隣の席にいらっしゃった「先週ブルーノートで踊っていた」というプロのフラメンコダンサーと雑談していたとき、ギター演奏について話が及ぶと「あなた、(ギターとか)向いてそうな手をしてるわね」と言われ「そうですか?」と手を広げてみせたとき、1秒も見ないうちに「ああ、でも固そうだわ」と見抜かれたことがあります。そのくらい僕の指は固くて、ギターはもちろん、指を機敏に動かす楽器すべてに向いていないことはよくわかっています。

余談:そのプロのフラメンコダンサーというのは友繁晶子さんというその世界ではとても有名な方で、そんなことを知らずにそのときは沢山お喋りをさせていただきました。しゃべっているだけで豊かな感性がありありと伝わってくる、普段の生活では出会うことがないであろう方(=芸術家)だったので、今でも強烈に印象に残っています。名刺貰って、手紙を書いて、返事もいただきました。さすがにもう僕のことは忘れちゃってるでしょうが。

そんなハンデがあるのに加え、ITメーカーの保守サポートという、トラブルが起きたら即激務になりがちな仕事を抱えたままの習い事はキツイに違いない、やるとしたらリタイアしてから老後の楽しみにするのでもいいかな、くらいに思っていて楽器演奏にトライしようとはまったく考えていませんでした。

そんな僕が、なんとピアノを始めることにしました

妻は子供のころに10年間ピアノをやっていて(本人曰くやらされていて)、30代後半になって再開し、僕と結婚する直前まで2年ほど習っていました。結婚前に、妻が通っていた教室の発表会に行き、妻が止めてからもその発表会に2度行ったことがあり、決して上手くなくとも、楽器を演奏する人たちを見てぼんやりと「いいなあ」と憧れていたのは事実です。また、楽器を演奏できるようになると、音楽をより深く理解できるようになるんじゃないか、ということも長い間ずっと思い続けていました。

5ヶ月ほど前にウチの会社に入社してきた、別チームのシニア・マネージャー、Hさんがある日、僕に声をかけてきました。「◯◯さんの写真ってムジークフェラインザール?」。僕はOutlookで表示される自分の顔写真に、楽友協会に行ったときにホール内で撮った写真を使っていたんですが、背景なんてなんだかよくわからないような写真なのにそれを見抜かれましたんです。よくよく話を聞いてみると、アマチュア・オーケストラに所属していて、楽友協会、ベルリンのフィルハーモニー、コンセルトヘボウなどで演奏したことがあると言う。IT業界サポート業務をやっていてオケの団員として活動していることに驚きを禁じえませんでした。

これまで、忙しくなるとたぶんできなくなるから、とか言って自分に言い訳をして着手しなかっただけのこと。やる気があればきっとできる、と考えが変わってきたんです。

今は愛猫の通り道になっている和室にある物体は、独身時代に妻が使っていたKAWAIの電子ピアノで、何も用意しなくてもすぐに始められる環境が実は最初からあったりします。

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そんなある日、妻が「以前習っていた先生に習ってみない?」と唐突に言い始めました。妻は、僕が習うのなら自分も再開するきっかけになると考えていたようです。先生に連絡を取ると、音楽教室の枠は埋まっているけれど個人レッスンでなら教えることができるという返事が返ってくるではありませんか。妻曰く、先生の良し悪しはとても重要で、その先生はとても良いと以前から絶賛していた人です。

機は熟した、とはこのことなのかもしれません。

譜面なんてもちろん読めないし、小学校のときの縦笛すらろくに吹けなかった49歳のおじさんが、音楽が好きだという理由だけでピアノを始めます。当面、隔週で30分の緩やかなスタートで。

夢は大きく、ベートーヴェンのテンペスト第3楽章を弾けるようになること。

さてどうなりますやら。

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