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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

定期付き一体型PASMOの紛失に満足な対応ができない東京メトロ

オートチャージ機能が付いた定期というのは便利なもので、首都圏の電車利用で小銭の扱いが不要になるばかりか、コンビニなどの買い物でも小銭を扱う必要がなくなりました。しかし世の中、便利なものにはそれなりの代償があるものです。

先日、その便利な定期付き一体型PASMOとSuicaを紛失しました。オートチャージ機能付きはPASMOとSuicaは、要はクレジットカードそのものでもあるので紛失して悪用された場合のリスクは非常に高い。いや、それだけでなく電子マネーとしてコンビニで気軽に使えてしまう(使っても足がつかない)だけによりリスクが高いということに、無くしてみてはじめて思い至りました。

更にPASMOに至っては元の状態に戻すまでものすご~く大変な思いをしたので備忘録を兼ねて書いておきます。Suicaとの違いを交えながら。

ざっと書くと、PASMOを紛失してからの手続きは次の流れになります。

[1] PASMO機能の停止
[2] 提携クレジットカードの停止と再発行の依頼
[3] 定期売り場で代わりとなる磁気定期を発行 (翌日以降になる)
[4] PASMO付きクレジットカード到着(14日以内くらいで到着)
[5] クレジットカードに旧PASMOの情報を移行
[6] 磁気定期をPASMO付きクレジットカードに移行して一体化

もともとPASMOには、一体型を作る際に普通のPASMOから移行できないという問題があります。今やほとんど使われていない磁気定期からでないと一体型PASMOを作ることができないんです(ちなみに、Suicaから一体型Suicaへの移行は普通にできるので、それが当たり前だと思ってPASMOで定期を最初に作ってしまうと唖然とすることになる)。Suicaでは、みどりの窓口に行って [3] で通常の定期付きSuicaを発行してもらえるため、紛失した翌日の時点でオートチャージ機能以外は元通りになります。また、Viewカード到着後は駅の機械で [5][6] に相当する手続きができます。みどりの窓口での所用時間は3分程度、駅の機械での操作は1分もあれば事足ります。

では、PASMOだとどうなるのか。

[1]
駅の事務所でやってくれます。ここで再発行整理票(違う名前だったかもしれないが以下これで記載)を発行してくれます。Suicaも同じで、しかも東京メトロの事務所でSuicaの分まで手続き可能です。

[2]
普通のクレジットカードを止める行為と同じです。SuicaはViewカードと決まっていますが、PASMOはいくつかのクレジットカード会社から選ぶことができるため、自分が選んだクレジットカード会社を覚えていなかった僕はそこで右往左往しました。

[3]
再発行整理票をここで提示して定期の再発行をしてもらいます。最終的に一体型PASMOにしなくてはならないので磁気定期しか発行してくれません。電子マネーとして使えないのはもちろん、駅においても磁気定期が通れるゲートが少なく、結構不便な思いをします。また、定期売り場担当者のオペレーションを見ていると、Suicaは再発行整理票の番号をシステムに入力してからすぐに再発行されたのに対して、東京メトロでは窓口担当者が手書きでなにやらいろいろと記載するなどしていて面倒そうで、こちらもその分待たされました。

[4]
もともと14日以内くらいと言われてたところ、13日後に到着。よって問題はありませんが、同じタイミングで発行してもらったViewカードは8日後に届きました。

さて、問題はここからです。

PASMOの一体化は駅の機械でできるとWebに書いてあるので手続きをやってみると、新カードが無効と言われてできない。やり方が違うのかと思っていろいろ試行錯誤しながら操作をしていたら普通の定期付きPASMOが発行されてしまった(これは僕の誤操作)。磁気定期に戻さなくてはならなくなり、乗り降りに関係ない別の駅まで移動して定期売り場で特別に対応してもらう。そこでクレジットカード付きPASMOの一体化手続きをしてもらうと新カードが無効でできないという。

「古いカードからの移行ですよね。古いカードが必要です。ない場合は510円かかります。古いカードがあれば手続きは駅の機械でできます」。

古いカード(=紛失した定期)は実は幸いにして後日見つかったため、保持していたけれど家にある。もうあきらめて翌日出直すことに。ちなみにSuicaは再発行までの手続きに旧カードは要りません。

翌日。機械で早速、移行手続きに着手。旧カードを入れる段階で無効であるとはじかれる。クレジット機能もPASMO機能も止めたのだから無効と出るのは当然なような気がするけれど、前日の定期売り場の人は「機械でできる」と言っていたので、駅員に尋ねてみる。もちろん、紛失したことによる再発行、一体化がしたいという希望を伝えて。駅員も機械でいろいろ試してみるものの古いカードも新しいカードも無効な状態で、どんな操作も受け付けてもらえない。駅員、悩みはじめて事務所にこもって調査に入る。

そうこうして30分ほど経過すると、駅員が「再発行整理票持っていませんか?」と訊いてくる。ありますよ、と言うと「これを持って定期売り場に行って再発行してもらう必要があります」「ええっ?機械でできるって言われたのに。で、再発行って何を再発行してもらうんですか?普通のPASMO再発行したら一体化できなくなりますよね?」「・・・・定期売り場で手続きできるので、行ってください」。

仕方なく、再び用事のない駅にある定期売り場に移動。偶然にも前日対応した担当者で要望はすぐに飲み込んもらえた。横にいる別の担当者と「もう、これやっちゃう?」「そうだね」と会話のやりとりは何を意味していたのかはわかりませんが、普通はやることになっていない手続きをやっちゃうしかないか、という意味に聞こえてくる。無効な新カードを有効化して磁気定期の情報、PASMOの情報(チャージやポイント)もようやく移行完了。「昨日も再発行整理票持ってたんですけど、この手続、昨日できたってことですか?」「そうです」「旧カードがあれば駅の機械でできるって言ってたじゃないですか」「紛失再発行の場合はできません」。

未だにどういう進め方(特に新カードを有効化する方法)が正しかったのか理解できません。

要約するとこういうことです。

再発行されたPASMO付きクレジットカードと磁気定期一体化をしようとしたら新カードが無効と言われる。いろいろ試しているうちに誤ってPASMOを発行してしまったので、駅員に紛失からの経緯を説明して対応方法を尋ねた。駅員は別駅定期売り場担当者に「PASMOを磁気定期に戻して、一体型PASMOにしてほしい」と要望を伝えた。ところが定期売り場の担当者は(再発行整理票を持っていたから実際にはできたはずなのに)新カードを有効化できなかったから旧カードからの通常の方法での移行方法を僕に勧めた。そしてその方法では移行できなかった。

なぜこうなったかと言うと、定期売り場の人に、紛失、再発行の手続きであることが伝わっていなかったから。

ちなみに、駅員は僕の相談に対応するためにかなり悩んでいました。結局2日にわたって再発行の手続きに僕は臨んだわけですが、合わせて1時間以上もがんばってくれました(それぞれ別の人でしたが)。言い換えると、まだ寒いこの時期に1時間以上も立ったまま待たされたということでもありますが、そもそも駅員が理解しきれないような複雑なシステムでマニュアルもないってどうなっているんですかね、東京メトロさん。しかも、定期売り場担当者への引き継ぎも不十分で、その両者が重なった結果あっちこっちにたらい回し。

定期売り場の人に「昨日も再発行整理票持ってたんですけど、この手続、昨日できたってことですか?」って尋ねたときのまったく悪びれた感情が含まれていない「そうです」は、「だって俺、紛失の再発行って聞いてないから知らなくて当然。あなたが言わないから悪いんだよ」と言っているかのような自信に満ち溢れた毅然とした口調でした。もちろん謝罪の意味を匂わせる言葉や態度は最後まで一言もなし。前日のやりとりで「旧カードはありますか」と聞かれたときに「落として無効化したけど見つかったのである」と答えたので、駅員から紛失した後の手続きであるという情報を貰えていなかったとしても察することができたはずなんですが、なにしろ相手の状況を把握しようといマインドがゼロで客を客だと思っていない役所仕事が染み付いているようなので、そんな気の利いたことはできなかったということでしょう。

というわけで、東京メトロの体制、対応は本当に酷かった。定期付き一体型PASMOを紛失した場合の手続きの流れは決まっているはずです。でも複雑で、駅員すらもわかっていない。客は壁に当たると当然そのときそこにいる駅員に訊きます。やりたいことを伝えて駅員が回答する。これが危険。新規で手続きする場合と紛失時に手続きする場合とやるべきことが違うからです(Suicaは再発行整理票を提出する最初のSuica再発行以外に新規と手続きの違いがないからこういう混乱は起きない)。僕は最初に説明しましたが、いちいち「紛失してこの手続をやりたいんですが」なんて訊き方しない人だっているでしょう。だから駅員が的外れな回答をするわけです。

もう一度言いますが、定期付き一体型PASMOを紛失した場合の手続きの流れは決まってるはずです。進め方のフローをまとめて1枚の紙にしておいて、それを紛失した客に渡せば良いだけのことなんですよ。その説明用紙が1枚あるだけで、客も(理解できていない)駅員も大幅に無駄な時間を減らすことができるのに、なんでやらないんですかね?また、僕のオペレーションミスで一旦PASMOを誤って発行してしまっていますが、PASMOを発行すると一体型に移行できないことを警告で出すようにすればそんなことも起きないわけです。

Suicaと違って、私鉄複数社で提携カード会社もいくつかあるゆえにいろんな柵(しがらみ)があって、システム的にできないことがあったり、手続きが面倒だったりするんでしょうが、お役所仕事にも程が有るんじゃないですか、東京メトロさん。失くしたお前が悪いって言いたげな態度の定期売り場担当者さん、客相手の仕事だっていう意識ゼロでしたね。呆れてモノが言えません。

ネットワークプレーヤー YAMAHA WXC-50導入 - Squeezebox Touch の代わりに成り得るのか

WXC-50-1

(3/31にコントロール・アプリについてのコメントを修正しています)

【前口上】
僕のオーディオ機器への考えは所謂マニアとはかなり違うので最初にお断りを。

アンプ、プレーヤー、スピーカー(ペア)をどのくらいの割合で予算を分けるか、という話がオーディオ初心者向けの本にはほぼ必ず書かれていて、そこには1:1:2くらいの比率がお約束のように謳われています。しかし、僕に言わせてもらうなら音の9割を決めているのはスピーカー。スピーカーは、再生能力だけでなく音の傾向や特徴がメーカーや(同じメーカーでも)モデルによってまったく異なる。あたかも人間の声が人それぞれいろいろな特徴を持っているのと同じようにスピーカーは製品ごと個性があり、同じCDが描き出そうとしている音楽が場合によっては別物に聴こえるほど音が違っているものです。アンプやプレーヤーは、とりあえず音が出ますというエントリー機からのグレードアップでもない限り、音楽の聴こえ方が変わるほどの違いは出ることはなく、せいぜい、低音の厚みが少し増した、のような違いしかない(オーディオ・マニアはその微細な違いが楽しくて、大きな違いがあるかのように発言する)。冷静に考えれば当たり前のことで、音を出しているのはスピーカーであり、アンプとプレーヤーはスピーカーを鳴らすための下僕にすぎないわけですから。

まだ技術が成熟していなかった昔(70~80年代前半)は、アンプ、レコード・プレーヤー、スピーカーそれぞれに、今の製品にはない特徴や使いこなしのお作法があり、お作法の習得と知識の蓄積に基づいた製品選びや使いこなしで自分のオーディオの音が良くなることを実感することができたものです。また、当時の平均的収入のサラリーマンでアンプに20万円を投資できる人が多くいたとは思えず、10万円以下のものでささやかに楽しんでいた人が多数派だったはず。さすがに5万円以下のクラスのアンプになると音質はもうひとつで、そこから上位モデルに買い換えると団地住まいのオーディオ環境でも確かな音質向上を実感できたものでした。しかし20万円を超える領域に入ると、それほど大きく音質が向上するわけではないことは実は多くのオーディオ・マニアがわかっていることです。

工業製品というのは、エントリー・クラスの製品はあくまでも最低限の機能を果たすだけで、そこから少し価格を上げて質に気を配った製品になるとクオリティが明確に上がるケースが多いものです。この領域が一番、レベルの向上を実感できるレンジで、経済的に今ほど豊かとは言えなかった昔(70~80年代前半)で当てはめると、当時一般的だったエントリー・クラスからミドル・クラスへのアンプのアップグレードは音質向上を実感しやすいものだったことが想像できます。お金をかければ音が良くなる、という認識は、大卒初任給が12万円の時代だったからこそ定着した概念だったんじゃないか、と僕は思っています。しかし、今は学生でもその気になれば20万円以上のアンプが買えてしまう。そもそもアンプというのは、新しい技術でもなんでもないアナログ回路で構成された、現代においてはもう完全に枯れた技術で成立した製品でしかない。優れたテクノロジーは徐々に下位モデルに降りて行くのも工業製品の慣例。だから今は10万円のアンプでも、結構良い音質が得られるようになっています。高級機(超大出力機と言い換えても良い)が今でも優位と言えるのは大音量でも歪なく再生する能力で、しかしその差は、防音完備の専用ルームで爆音で聴かなければ実感することは難しい。恵まれた視聴環境で聴いている人でもなければ、アンプに大金を投じるのは自己満足の世界でしかなくなってしまっていると思います。

CDプレーヤーは更に音質への影響が小さく、微小と言っても良いくらいに、機種ごと、価格帯ごとの音質差が少ない製品です。かつて、自宅の(父の)オーディオで、アンプやレコード・プレーヤーのカートリッジのグレードが上がったときに「やっぱり高いものはイイ音がするなあ」と実感していたのに、CDプレーヤーは9万円、15万円、25万円とグレードを上げても「別に音質変わらないけどなあ」と学生時代のときから僕は思っていました。自分でオーディオ機材を揃えるようになってからも現在使っているパイオニアのユニバーサル・プレーヤー(1.5万円)と60万円の海外製CDプレーヤーを聴き比べて、やはり音質の違いを感じることはありませんでした。厳密に言えば、僅かな違いを感じることはないではなかったけれど、良し悪しというよりは傾向の違いでしかないばかりか、ブラインドで当てる自信を持てるほどの違いもなく、有意な差、より豊か音楽を表現できるようになったと言えるような差はなかった。そもそも、デジタルで記録された音声データをアナログに復元して信号に変える技術など、新しくもなければ高度なわけでもなく、高級機は回路の作り込みが、というオーディオ・マニアの常套句であるアナログ回路もすっかり枯れた技術でしかない。いずれにしても職人的なノウハウが幅を利かせたり、斬新なテクノロジーが入り込んだりする余地なんてほとんどないほどの汎用技術でしかなく、そこに有意な差が生まれないのは当然のことでしょう。これはネットワーク・プレーヤーについてもまったく同じことで、いろいろと機材の違いを嗜みたいというオーディオ・マニアの思いとは裏腹に、現代のデジタル再生プレーヤーはどれであっても高いレベルの音質で音楽を再生することができるし、良い意味(高いレベル)で画一化していると思います。

その昔、AirMac Expressが話題になりはじめたとき、オーディオ・マニアに「あんなオモチャが」と軽くあしらわて、音も価格なりという風潮がありました。しかし、ビット・パーフェクトでデジタル出力される事実が判明すると、音質を悪く言う人が減少、そうかと言って一度音が良くないと貶めたものを持ち上げるわけにもいかず、それまでにないオーディオ機器であるAirMac Expressは、重厚長大高額品を崇めるオーディオ・マニアにとって認めたくない、彼らの概念にとって都合の悪い製品になりました。するとどうなるかと言うと、この世になかったかのように無視をするようになります。自分にとって都合の良い情報はより都合よく解釈して取り込み、都合の悪い情報はなかったことにするのが人間という弱い生き物(参考:確証バイアスhttps://matome.naver.jp/odai/2142543511529739101)で、それを自覚している人は少なく、ネットで意見を発信している(したがる)オーディオ・マニアたちに限定すれば90%以上がその「弱い生き物」であるんじゃないかと僕は見ています。

WXC-50は、安価でコンパクトな製品なので、きっと音質が良いと評価するオーディオ・マニアはいないでしょう。実際に使ってみて、デジタル系音楽再生機として音質は十分優れているとまずは言っておきます。「プレーヤーなんてどれでもほとんど変わらない」が持論の僕からすると、通常コンポサイズの大きな筐体で、それなりに立派な値札をぶら下げている、それでいて機能的にはたいしたことがない(黎明期にはギャップレス再生すらできなかった)ネットワーク・プレーヤーは、歴史の浅いカテゴリーの製品であるにもかかわらず、古いオーディオ価値観に凝り固まった恐竜のようなものしか市場に出ていないのが不思議で仕方がない。市場規模が縮小一途のオーディオ業界が、ネットワーク・プレーヤーという21世紀に入ってからの新カテゴリーの製品を旧来の価値観でしか商品化できないのを見ていると、旧態然としたオーディオ・マニアを相手にしなければ商売が成り立たない業界の悲哀を感じてしまいます。

部屋とセッティングという要素を除くと、オーディオはスピーカー選びが9割。アンプや、ましてやプレーヤーなんてどれを使っても大して変わりはしない(聴こえてくる音楽の世界が変わるというほどのものではない)、というのが僕の考えです。検索してこのページに辿り着いた方は、YAMAHA WXC-50がどのくらいネットワーク・プレーヤーとして音質が優れているか知りたいと思って訪れた方もいらっしゃるだろうと思いますので、前口上を長々と書きました。

【導入背景】
ヤマハも旧来の価値観から成るネットワーク・プレーヤーは既に販売していたものの、ようやく「安くてコンパクトで普通にイイ音が出る」ネットワーク・プレーヤーを作り、販売してくれました。それがWXC-50。注文した2016年12月23日時点ではどこのショップでも在庫切れで、到着までにおよそ3ヶ月弱も要したのは恐らく想定よりも注文が多かったからなのでしょう。お手頃で一定の機能を備えたネットワーク・プレーヤーを求めていた層はそれなりにいたようです(デノンからも似た製品が出るとか)。

実は、Squeezebox Touchを既に6年使っていて、コントロール・アプリiPengとの組み合わせての機能(と音質)にはほぼ100%満足しています。アナログ出力に限って言うと大音量での歪がやや目立つところはあるものの、マンション住まいでの許容を超えた音量での話。通常はDACを介して聴いているのでそれも問題というわけではなく、他のネットワーク・プレーヤーを特に必要としているわけではありません。しかし、Squeezeboxは2012年でディスコンになってしまったため、今後永続的に使い続けて行く(イマドキの言葉で言うならば「サステナビリティ」)には何かと懸念があります。機器は壊れたら終わり、サーバー・ソフトも今後のPC、NASの環境でいつまで使えるかわからない。40,000曲のライブラリを今後もずっと使い続けることができるようにするためには、できるだけ汎用のDLNA規格で利用できるネットワーク・プレーヤーがあってくれた方が望ましいんじゃないかなとずっと思い続けていました。しかし、前述の通り、市場には音や機能が特別優れているわけでもないのに、旧態然とした無駄に高価で大きな筐体の製品しかなく、試そうという気になれるものがなかったんです。

そこに現れたのがYAMAHA WXC-50。拙宅の狭いリビング事情においては、筐体が小さく、縦置きにも対応してスペースを取らないところがまず嬉しい。43センチ幅のコンポサイズに囚われず、ネットワーク・プレーヤー(デジタル入力なども備えていてプリアンプとしても使用できる)はこの程度のサイズで十分という潔さが良い。デジタル出力が2系統(光、同軸)、アナログ出力も備え、無線LANにも対応するところはSqueezeboxと同等で不足はありません。そしてFLAC/AIFF/WAVは24bit/192KHzまで対応(ALACは96KHzまで)、ネットワーク規格ではAirPlayやBluetoothに対応しており、DSD(個人的にはまったく興味ない)を除いてギャップレス再生もできるという、イマドキのネットワーク・プレーヤーとして最低限必要とされそうな基本的な項目はほぼ押さえてあります。

【ようやく本題】
早速QNAPのDLNAサーバーを稼働させてみる。コントロール・アプリMusicCastをインストールし、その流れに従って行けばWXC-50のネットワーク設定は簡単に終了。無線LANの設定をしたことがある人なら戸惑うことはないでしょう。

アプリMusicCastの操作性は軽快で良好、ホーム画面にはSpotify(ただSpotifyアプリを起動するだけ)、radiko、AirPlay、Server、NetRadio、Bluetooth、USB、AUXといった音源ソースごとのアイコンが並んでいてわかりやすい。家中の対応機器をトータルで管理、操作できるため、対応機器を各部屋に置いてネットワーク・オーディオ環境を家中で利用たいという人には更に利便性が高くなるという付加価値もありそうです。

さて、ここからいよいよ QNAP NASにライブラリを置いた環境での SqueezeBox Touch+LMS(Logitech Media Server)+iPeng との比較になります。

SqueezeBox Touch+LMS+iPeng でできることで僕が重視していることは以下の項目です。

[1] ライブラリー管理のしやすさ(曲を追加してから聴けるようになるまでの簡便さ)
[2] ディスク番号、アルバム・アーティスト、作曲者タグに対応していること
[3] ジャンル → アーティストの階層でそのジャンルの全アルバムが表示できること
[4] iPadアプリで曲をブラウズするときの文字表示量が多いこと
[5] 再生中の曲へのアクセス、操作が簡単で情報が見やすいこと

iOSデバイスを筆頭にアルバム・アーティストに対応しているデバイスは、アーティスト一覧ではアルバム・アーティストでの表示になり、アーティスト名を表示しないケースが多い。両方に対応しているものでも、設定で選んでどちらかの表示しかできないことが多いようですが、LMSは両方とも合わせて表示してくれます。例えば、ラファエル・クーベリック指揮のベートーヴェン交響曲全集は、9曲すべて別のオーケストラという変わったボックスですが、この9曲に Rafael Kubelick Beethoven Symphony Box というアルバム・アーティスト名を付けておけば、これを選んで9曲の交響曲を一覧表示させてから選ぶこともできるようになります。作曲者タグは、ロックやジャズを聴いているときに「これは誰が書いた曲なんだっけ」というときに、クラシックの場合「サン=サーンスっていつの時代の人だっけ」(Camille Saint-Saens (1835-1921)のように入力している)いう時に参照することがあるため、必須とまでは言わないもののできれば表示してもらえることが望ましい項目。

ネットワーク・プレーヤーの世界で標準的な(即ち普及している)DLNA系のサーバーは、再生できる商品が出回って既にある程度の時間が経過してるからもうこなれているんじゃないかな、まあ僕が重視していることくらいはクリアしているだろうと思って標準である「こっちの世界」に入ってみました。先におおまかな結論を言ってしまうと、「こっちの世界」は使い勝手が悪くとっても面倒。以下、試してみたDLNAサーバー(QNAPで動作させることができるもの)とコントロール・アプリ(iPad版)について所感を書いてみたいと思います。

【DLNAサーバー所感】
[Twonky Server]
よく名前を見るDLNAサーバーで、DLNAサーバー利用者の8割以上がこれを使っているのではないかとまで言われているデファクト・スタンダード。QNAPでは標準アプリとしてインストール済み。ところがこれはちょっとビックリの、ディスク番号、アルバム・アーティストに非対応。これまでのライブラリーに大量に存在するCD複数枚またがり交響曲のトラック番号を打ち直すことは考えられないため、ディスク番号非対応では使えない。曲の検索でも、ジャンル → アーティストの階層で全アルバムの表示ができないため、操作性も僕の要望を満たしていない。ライブラリの管理は、まずまずわかりやすく及第点。スキャン・インターバルを -1 に設定しておけば、曲追加時にすぐに反映してくれるのはとても良い点。ただ、どういうわけか拙宅のQNAPはNASを再起動すると設定が消えてしまい、ライブラリーをスキャンし直さなくてはならないことがあったり、いろいろ動作が不安定だったりする。機能が貧弱で安定して稼動してくれないので、すぐに利用することをあきらめました。

以下、ディスク番号に対応しているDLNAサーバーを探してトライ。

[MinimServer]
QNAPでの導入は簡単。App Centerから、前提となるJRE_ARMというアプリをインストールしてからMinimserverをインストール。管理画面を開いてすることは、ライブラリーの場所指定だけで、QNAPのデフォルトであるMultimediaを利用しているのなら初回は自動でスキャンされる。スキャンのステイタスは表示されるものの「Refresh」ボタンを押さないとステイタスは更新されない。ステイタスがStartedからRunningになればスキャンは完了。全曲スキャンに要する時間は、40,000曲で30分くらいと早い(途中経過を表示しないし終了を知らせてもくれないので厳密に測定したわけではない。以下スキャン時間はQNAP TS-112Pでの話)。

ライブラリー変更時には、Media server status for MinimServer [QNAP]: の項目の「Rescan」ボタンを押すだけ。このボタンはフルスキャンも差分スキャンも区別がなく、恐らく自動で判断してやってくれているものと思われる(所要時間より推測)。パソコンにMinimWatchというソフトをインストールすれば、サーバー名などもう少し多くの項目が管理可能になる。Web画面でのライブラリ管理の画面がかなりぶっきらぼうなので当初は面食らうものの、やることは他のDLNAサーバーと大差ないので慣れれば問題ない。

アルバム・アーティストのタグ情報が入力されている場合、「Artist」を選ぶとアルバム・アーティストが入力されている場合はアルバム・アーティストでリストされる(iTunesやiOSデバイスと同じ動き)。アルバム・アーティストではなく、アーティスト名で検索したければ「All Artists」を選べば良い。ブラウズ階層、メニューは豊富でジャンル → アーティストの階層で全アルバム検索も可能であるところも僕のニーズを満たしている。また、アーティスト → ジャンルという順でもアルバムを探すことができるなど、探し方の自在性が高いのが特長。一方でその分煩雑な階層構造と感じる人もいるかもしれない。

MusicCastアプリでMinimServerのライブラリを利用すると、曲再生中の画面でアーティスト名が表示されない。まあ、自分で曲を選択したらアーティスト名くらいわかっているだろうということなのかもしれませんが。

MinimServerについて、詳しくはこちらのブログで紹介されています→ http://kotonohanoana.com/archives/8121
余談ですがこちらのブログはネットワーク・プレイヤーに関するサーバー、アプリの情報が満載でとても役に立ちました。こういう情報を残してくれているのは本当にありがたいです。この場を借りてお礼を申しげておきます。

[Asset uPnP]
こちらはQNAPの場合30ドルの有償版(参考情報はhttp://kotonohanoana.com/archives/8031)でインストール後、30日間はトライアルで無償利用可能。QNAPのAPP Centerからの検索では出てこないのでWebサイトからQPKGをダウンロードして手動インストールする必要がある。

このDLNAサーバーの特徴はメニュー画面をカスタマイズできること、その自由度が高いことにある。僕が望む「ジャンル → アーティストの階層でそのジャンルの全アルバムが表示できること」はカスタマイズで実現。同じ画面でアルバム・アーティストとアーティストの両方表示はできないもののジャンル階層の下にアルバム・アーティストのメニューを追加することで概ね解消した。ライブラリーのスキャンは40,000曲で1時間30分くらいと長めではあるものの、差分スキャンの指定もあるので初回スキャン以外はあまり億劫にはならない(参考までに、LMSのフルキャンはおよそ1時間10分程度)。

(4/2追記: Asset uPnPは同じアルバムタイトル名で別アーティストだと別アルバムとしてうまく分類できないようです。例えば Rachmaninov: Piano Concerto #2 というアルバム名でいくつかの演奏家のものがある場合、同じアルバムとしてごちゃまぜになってしまう場合があります。これだとクラシックのライブラリでは使えません)

MusicCastでは、再生中の画面では、MinimServerで作曲者名を表示していた場所に、アーティスト名が表示されるようになる。アプリが同じでもサーバーが違うと出て来る情報が異なるのはちょっと予想外の結果。

尚、クラシックの協奏曲はCDDBから引っ張ってくる情報によると表記方法の世界的にスタンダードはソリストと指揮者+オーケストラは ; (セミコロン)で区切るようになっている(感覚的には80%以上)。この名前の処理がLMS、MinimiServer、Asset uPnPでそれぞれ異なっている。例えば、

Martha Argerich; Claudio Abbado: Mahler Chamber Orchestra

とアーティスト名が入力されている場合、LMSはアーティスト名に「Martha Argerich」と「Claudio Abbado: Mahler Chamber Orchestra」両方がリストされ、どちらからもそのアルバムを参照できる。つまり、ソリストからも指揮者+オーケストラからでもアルバムを探すことができるようになっている。MimimServerはセミコロンを含めたアーティスト名がそのまま表示され、Asset uPnPはソリストのみ表示される(指揮者とオケは表示されなくなってしまう)。どの方法であってもソリストから探すぶんにはそれほどの相違は出ないものの、LMS以外は指揮者+オーケストラからその協奏曲を探すことはできない。

【コントロール・アプリ所感】
「Server」からライブラリーを選択、曲をブラウズして行くときの画面は右側に細々と表示されるだけでとても狭い。SqueezeBox Touch本体ディスプレイの約4倍の表示面積があるiPadで使っているのに表示できる情報(文字)がSqueezeBox Touch本体より少ない。最近のDAPと同じ傾向で、ブラウズ時のアルバム・タイトル、曲名などの文字が表示しきれない長さのとき、収まらない文字はカットされてしまう。ロックやR&Bのようなポピュラー系やジャズの場合はほとんど問題ないものの、クラシックの場合は以下のようになってしまい、とても使いづらい。これではiPadの大きな画面で操作する意味がまったくないと思う。

WXC-50-2

また、こうやって試しているうちにいつの間にか、画像が付くメニュー・アイテムだとサムネイル+文字表示だったものがアイコン表示+小さな文字に変わってしまった。これは恐らくMusicCastのバージョンアップが上がったからと思われる。結果的に以下のように表示されるようになった。これは、iOSの標準ミュージックアプリと似た見た目で、ジャケットは目立つものの、文字情報が更に減って困ることこの上なく、iPadを横表示にしても解決できなくなってしまった。iOSミュージックアプリは世界中で評判が悪いのになぜ同じ方向性に進んでいるのか理解不能である。
(2018年6月追記: しばらく使っていなかったので気づかなかったんですが、バージョンアップで「サムネイル+文字表示」と「アイコン表示+小さな文字表示」を選択できるようになり、使いやすくなっていました)

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また画面に羅列されるリストが多いときに、たとえばSから始まる名前に一気に移動するジャンプスクロールができないというのも、この種のアプリではあり得ない瑕疵。僕のライブラリーのように900ものアーティストがあると延々とスクロールしなくてはならなず、アーティスト・メニューからZZ Topを選ぶことは非現実的になってしまった。しかもスクロール中に情報の読み込みが入ることがあり、スクロールそのものが引っかかるという追い打ちが加わる。(3/27追記:特定文字へのジャンプ・スクロールはできないものの、画面右端に細ーいスクロールバーがありそこを上下すると一気にスクロールできることがわかりました。)

曲再生中の画面は更に問題だらけ。いや、よくぞここまで削ったなと思えるほどの情報切り捨てぶり。再生曲の長さ、シークバーの表示もなく、シークバーによる曲進め/戻しはもちろんできない。再生中アルバムの曲一覧(プレイリスト一覧)を含め、どの画面を見ても、その曲が何分の曲かを知ることすらできない。また、現在再生中の曲がアルバムの何曲目かも表示されない。これらはほとんど(すべて?)のコントロールアプリやDAPでは見ることができて当たり前の情報で、どういう意図で削ったのか小一時間くらいヤマハを問い詰めてみたい気持ちになってしまう。

WXC-50-4

(以下ここからのアプリのコメントは3/31修正)
というわけで、あまりにもMusicCastのデキが酷いので汎用的に使えると言われているLINN Kinskyというアプリをトライしてみる。使えると思ったら、WXC-50が見えたり見えなくなったり不安定で、使えている場合でもギャップレス再生ができなくなってしまった。

次にOpenHome対応のプレーヤーなら使えるLUMIN Appにもトライ。OpenHome環境でWXC-50を認識させるためには、Bubble uPnP ServerをLAN内に立てる必要があります。QNAPを使っているのであればアプリをダウンロードしてインストール、設定画面を開いて「Media Renderers」タブでネットワーク・プレーヤーを選択し、Create an OpenHome renderer のチェックボックスにチェックすればOK(詳細はhttp://kotonohanoana.com/archives/8594)。やった!操作できる!と喜んだものの、こちらもギャップレス再生ができない。もう一度設定を見直すと、同じ「Media Renderers」タブにGapless playbackという項目があり、ここにチェックを入れたらギャップレス再生できるようになりました。

尚、Bubble uPnPサーバーを立てるとLINN kinskyアプリも安定して操作できるようになり、こちらのアプリでも操作可能となって、これでMusicCast以外の選択肢が2つになりました。

LINN Kinskyは、奇を衒っていな標準的なインターフェイス。当然シークバー(円形だけど細かく動かせる)もあり、必要な曲情報も表示されます。ただ、ジャケット写真を大きく表示させる再生中画面モードに切り替えても、作曲者タグ情報は表示されず、他の文字情報は切り替え当初に表示されるものの、しばらくすると消えてしまいジャケット鑑賞モードになってしまうのがちょっと残念。また、曲選択の階層まで降りてから、例えばジャンル選択に戻りたいときに1段ずつタップして上の階層に戻らなくてはならないようで、これはちょっと面倒です(操作方法がわかっていないだけ?)。

LUMIN Appもそう大きく違うわけではありませんが、DLNAサーバー初回接続時に全ライブラリーをスキャンしてアプリ自身でライブラリーを構築、それを利用できるところが特徴。ところがこのライブラリが使いづらいので、素直にDLNAサーバーのライブラリーを参照して使ってみる。サムネイル表示とリスト表示の選択ができるところがまず良い。現在のフォルダ位置のボタンをタップすると上位階層へジャンプ(いくつか選択肢が出る)できるところも有り難い。操作面ではシークバーがもちろん利用可能。再生中画面は残念ながらKinskyと同じで、作曲者タグは読み込まず、ジャケット鑑賞モードにしかなってくれません。総じてKinskyよりは使いやすく、いろいろ操作方法に選択肢があるアプリだと思います。

結果的に、いろいろと策を講じることなくまともにギャップレス再生できるのはWXC-50標準アプリのMusicCastのみということに。ギャップレス再生はレンダラー(プレーヤー)だけに依存すると思っていたんですが、それ以外(アプリなど)にも依存するものなんだと今回初めて知りました。曲再生中の情報もアプリとDNLAサーバーの組み合わせによってそれぞれ変わってしまう。つまりDLNAサーバーを利用したネットワーク・プレーヤー環境での使い勝手(できること、できないこと)はいろいろなパターンがあって、それぞれ試してみなくてはわからない。「こっちの世界は面倒」と書いたのはそういう理由からです。Bubble uPnPサーバーを立てればKinkyとLUMINもギャップレス再生可能になるので、結果的にはまあよしとしましょうという感じでしょうか(これらの動作はあくまでもWXC-50での話で他のレンダラーでどうなるかはわかりません)。

iPengは左側のペインにメイン・メニューが常時表示(下写真)されており、ジャンル、アーティスト、アルバムのメニューにワンタッチで戻れるのがなんと言っても便利です。LUMINはKinskyのようにひとつずつ階層を上がる必要こそないものの2タッチ必要で、どこまで戻るのか直感的でないところが惜しい(その代わりどの階層にも移動できる)。

WXC-50-5

尚、ここで試したどのアプリもプレイリストに登録した曲を順次再生する仕組みになっていますが、その登録の方法がやや異なります。

MusicCastはアルバムの1曲めを選択するとアルバム全曲がプレイリストに登録されて順次再生、別のアルバムの1曲めを選択すると前のプレイリストをすべて消去して選んだアルバム全曲をプレイリストに登録して順次再生する方式のため、プレイリストを操作していると意識させない作り。

LUMINとKinskyは(それぞれオペレーション方法がやや異なるものの)アルバム全体または曲を選んでプレイリストに登録して再生する方式。Kinskyは(操作方法を僕がわかっていないだけなのかもしれませんが)、次のアルバムを選択すると既存のプレイリストに追加して再生する方式でこれだといちいち以前のプレイリストを消していかないとどんどん溜まってしまう。LUMINはKinsky同様な追加もできるし、既存のプレイリストを削除して新規アルバムをプレイリストに登録、それをそのまますぐに再生する方法も選べる。既存のプレイリストを削除する方式だとMusicCast同様にアルバムを選択するような形になります。

これらに対してiPengは1曲ずつプレイリストに追加することもできるものの、基本的にはアルバムから1曲めを選択するとアルバム全体がプレイリストに登録されて順次再生されるMusicCast方式。

僕は基本的にアルバム単位で聴くのでiPengかMusicCastの方式が使いやすい。iPengはプレイリストで曲を選んで追加することもできるので僕にとっては一番フレキシブルに使える。また、アルバム選択時にそのアルバムのトータル時間を表示してくれるのもiPengのみ。再生中(ジャケット大写し)画面で曲情報を表示し続けてくれるのも、そこで作曲者情報を表示してくれるのもiPengのみ(MusicCastはMinumServerのときのみ作曲者を表示してくれる)で、しかもその画面で横方向にスワイプするとアルバムの曲一覧表示にもできます。

要は、操作性も情報量も情報の見え方も、どれを取ってもiPengが断然使いやすい。慣れているということを差し引いたとしても。

また、iPengはプレイバック機能(操作している端末でも音楽を再生できる機能)もあり、Bluetoothスピーカーで聴きたいときにも利用できるし、iPadだとAirPlay環境があればプレーヤー(レンダラー)がなくても音楽を聴くことができるフレキシビリティがあり、ここで試したどのアプリよりも多機能です。

強いてiPengの欠点を挙げるとすればひとつ。iPengはタブレットがスリープ状態になるとサーバー(LMS)とのセッションが切れるため、次の操作のときに再接続で待たされ、場合によっては操作をやり直さないといけないことがあります。NASが他のアクセスでビジーな場合だと、さらにその状況に陥りやすい。今回試した他のコントロール・アプリはそういった「待ち」を感じることはほとんどありませんでした。ただし、バッテリー消費を気にしないのであればiPengもセッションを維持する設定(Preserve Commection を On)にできるので、その場合はこの問題はクリアになるし、仮にセッションが切れて上記リトライの操作をすることになったとしても大量にファイルをコピーしていたり、重いスキャンをかけたりしていなければ長時間待たされるケースは少なく、それほど面倒には感じません(慣れちゃってるせいかも)。

【総括】
WXC-50(とDLNAサーバーとコントロール・アプリ)は、SqueezeBox Touch+LMS+iPengで普通にできることができないし、今回試した範囲では、どのサーバー、どのアプリを使ったとしても操作性が及ばないという結果になりました。NASの音楽ライブラリーを再生することに関しては、WXC-50 + MusicCastではできて、SqueezeBox+iPengではできない、という逆パターンが僕の利用形態だとひとつもないというかなり残念な結果に。SqueezeBoxが使えなくなったときの仕方なしの代用品としてなら認められるものの、この完成度では移行しようとはとても思えません。幸いにして動作したLUMIN Appのおかげで、最悪Squeezeboxが使えなくなったとしても及第点の操作性を確保できましたが、uPnPをセットアップして他社のアプリを使わなくてはならないようではヤマハの製品としてよくできているとは言えません。

そもそもLogitechというパソコン周辺機器の会社が少なくとも7年以上も前に販売・提供(SqueezeBoxじたいの歴史はもっと古い)していたネットワーク・プレーヤーの環境に、オーディオ・メーカーが発売した新製品が負けているというのはどういうことなんでしょう?

NASに収納した音源をオーディオ装置で、リッピング(あるいはダウンロード)された音源だからこその利便性と快適性をもって聴きたいという現代の音楽愛好家が普通に思っているニーズに対するゴール設定が甘すぎないでしょうか?オーディオ・メーカーは音楽を聴く人を幸せにしたいと思ってくれていないんでしょううか?単に商売としてネットワーク・プレーヤーを、そこそこに使えるものでいいやと発売しているだけなんじゃないか、とすら思えてしまう。

ネットワーク・プレーヤーといえば、LINNやLUMINといったハイエンド・メーカーがあり、これらは専用アプリを含めて使い勝手が良いという評判が多く、高価なのはそれ故(そこが価格に反映されている)という声もあります。LINNは使い勝手のためにサーバーソフトまで自社開発しているわけですが、Logitechも完成度の高いサーバーソフトを、DLNAが一般化する前に開発し、無償で提供しています(製品も安かった)。だからこそ、ネットにフォーラムができるほどユーザーが増え、サードベンダーがコントロール・アプリを作る(未だにバージョンアップもある)までになったわけです。日本のオーディオ・メーカーは、5年も前に販売を終了したLogitechというパソコン周辺装置のメーカーよりも使い勝手の悪いものを新製品として出していていいんでしょうか?

SqueezeBox Touchはもともと3万円前後で購入できたもので、外装をはじめ作りは相応にチープなものです(リモコンが経年劣化でネバネバになっていくところなど外国製品ならではのクオリティ)。販売終了となった今、10万円くらいで販売しているショップを見て「さすがにそれはないだろう」と思っていたんですが、DLNA系のネットワーク・プレーヤーの世界がこのレベルでこの値段ならば確かに10万円の価値があるな、と思うようになってしまいました。

今回、WXC-50導入でいろいろ試行錯誤して思ったのは、DLNAを中心としたネットワーク・プレーヤーの世界は、今後ずっと利用できるか、という観点でも盤石でないことでした。QNAPはTwonky Serverをサポートから外すというニュースが出ています。MinimServerもAsset uPnPも開発者がいつまでQNAPで動作するものを提供してくれるのかわからない。もともと「いつまで使えるのか不安だったSqueezeBox環境」を懸念してたのに、DLNA系の世界でも状況はそれほど違っておらず「5年後はどうなっているかわからない」ものだったというわけです。もちろん、それに代わるものが出てくる可能性もないとは言えません。でも、そういう情報に常に注意を払って、何かができなくなったとしても代替手段を自分で探す努力をし続けなくてはならない面倒なものがネットワーク・プレーヤーの世界だということがよくわかりました。

そもそも、曲をファイル管理するには自分なりの法則で綺麗にタグ情報を付けていく管理をしておかなければならず、これが結構めんどくさい。そうやって手塩を掛けた作り上げた渾身のライブラリを、5年以上使うと可能性が高まるHDDクラッシュから守るには当然のことながらバックアップを取っておく必要があり、その手間もかかる。こんな苦労をするくらいなら、CDプレイヤーで大人しく聴いていた方がいい、と思う人がいても当然だと思います。

それでも、曲の検索性の高さ(CD 3000枚でもすぐに聴きたい曲を引き出せる)、CD収録時間を超えた大曲のシームレスな再生の2点は、ネットワーク・プレーヤーでしか実現できない、CDでは得難い大きな利点であることは動かしがたいところです。収納場所に限りがあるために7割以上のCDを既に売ってしまったこともあって、これからもネットワーク・プレーヤーを愛用し続けて行きたい。だからこそ、オーディオ・メーカーには、サーバー、レンダラー、アプリを本気で開発していただきたい。それが本音ですが、現状を見るとネットワーク・プレーヤーという分野じたいがもう停滞し、市場拡大の見込みがないため、ビジネス的な旨味がない(しかもCDプレーヤーと違ってサポートの手間がかかる)から力を入れて良いものを作ろうと思っていないんでしょうね。国内メーカーに関して言えば、どこも力を入れていない完成度が低いものしか出していように見受けられる現状、しっかりしたものを作れば一人勝ちできるんじゃないか、とは考えてくれないものでしょうか?

映画という楽しい趣味

僕は子供の頃から映画にほとんど関心がありませんでした。映画館なんて、超話題作があって気が向いたとき、年に一度行くかどうかという感じ。友達が映画を話題にしているときにはつまらなさそうに横で聞いているだけ、という無関心なジャンルでした。

初めての長時間フライトになった98年のロンドン旅行(当時31歳)のとき、緊張していたのか機内でまったく眠れず、やることがなくて困っていたときに救ってくれたのが映画です。当時は座席にひとつのモニター、オンデマンドでコンテンツを楽しむというファシリティはごく一部の航空会社に限られており、決まった時間に前方のスクリーンに投影してみんなで観るというのが当たり前のスタイルでした。欧州便は一度のフライトで映画2本上映が一般的だった中、ブリティッシュ・エアウェイズは3本も上映してくれてかなり助かったものです。

やることがなくて仕方なく観た映画、「007/トゥモロー・ネバー・ダイ」「ピースメーカー」といった派手なアクション系だけでなく、日本で未公開だった「スイッチバック」なんていう地味なサスペンスなどもあり、そのどれもこれも面白く、31歳にして「映画って面白いんだな」と初めて思うようになりました。

キング・クリムゾンの日本公演を録画するために契約してそのままだったWOWOWは、それからは映画鑑賞のためのチャンネルになり、以来、恐らく毎年50本くらいは観るほどになっています。そして多くの映画を観れば観るほど映画って面白いなあと思うようになっていった、というわけです。

ほぼ同じ時期から、DVDが登場し始め、5.1chサラウンドを家庭で楽しめるようになると、廉価品のセットでホームシアター環境も整備、そこからおよそ20年を経て今では機材もグレードアップしてプロジェクター(スクリーンは100インチ)まで用意するほどになり、映画を観ることは僕の生活の重要な一部となっています。

とはいえ、僕は映画マニアではありません。ただ単に観て面白かったなあ、つまらなかったなあ、あの役者良かったなあ、などと思う程度で考察を巡らせるほど映画に熱中しているわけではない。せいぜい20年弱の趣味でしかなく、特に過去の名作系には疎く、過去の名作を面白いと思うこともほとんどありません(多くは演出が古臭くて観ていられない)。

そうやって、単に映画ファンとして数だけ観て溜め込んできた映画経験値。観れば観るほど面白い、と思うだけでなく、もうひとつ言えるのは歳を重ねれば重ねるほど映画というのは面白いということ。人生経験を積み重ねて、世の中、自分の価値観だけではない、いろんな価値観がある、と思えるようになると映画は更に断然面白くなる。

先日の記事で「現実と嘘っぱちの世界との距離感を自分なりに取って、2時間だけ別世界に連れて行ってくれることが映画の持っている力なわけです。自分が生きているわけじゃない架空の世界、自分とは違う道を歩む人の人生を仮想体験することが映画ファンの楽しみなわけです」と書いたんですが、映画の面白さはここに集約されると僕は思っています。

若い頃は自分の価値観が常に中心にあって、それ以外のものは間違っていると思いがち。いわゆる自分が決めたあるべき論にこだわってしまう。人生経験を積むうちに、いろいろな人の価値観を知って「こういう生き方もあるんだなあ」とだんだんわかるようになってきて「自分のあるべき論は他人にとってのあるべき論とは限らない」こともわかるようになってきます。

こうやって人間の価値観の多様性がわかるようになってくると、映画はもっと面白くなる。ときどきネットの掲示板で、主人公に共感できなかったから面白くなかったという感想を見かけます。自分のあるべき論にこだわっているとこういうふうにしか感じられなくなってしまうわけです。自分ならこの主人公のような選択はしないけれど、この人はこういうふうにしか生ききられないんだろうな、つまり自分とは違うタイプの人間の生き方を疑似体験できるところが映画の面白さなんじゃないでしょうか。間違ったことをしているけれど、この人の弱さがこういう道を選ばせてしまったんだろうな、などといろいろな人の生き方を疑似体験できることで自分の感受性が上がり、考え方の幅も広くなるものです。共感できるかできないかだけで映画を観るのはちょっと勿体ない。

ドラマの話になりますが、「ER」はいろいろな人間の価値観を、そして人間というのはどこか欠点が必ずあるものだということを表現した名作です。多種多様な人間が様々な困難に遭いながらがんばって生きている。だから面白い。若い頃はケリー・ウィーバーが嫌な管理職にしか見えなかったのに40歳を過ぎて自分も管理職になってからもう一度観ると彼女の気持ちもわかるようになってくるわけです。映画でも昔は面白いと思ったのに歳を重ねてから見ると単純すぎてつまらないと思うようになったり、若い頃はつまらないと思ったものが心に染みるようになったりすることがあります。それは社会に揉まれて、時に痛い目にあったり、辛い目にあったりするうちに自分の幅が広がっているからなんだろうと思います。

あと、バッドエンドだからこの映画は嫌い、という声も不思議です。人生、良いときも悪いときもある。映画でもハッピーエンドとバッドエンドがある。映画というのは大げさにいうならある人の人生を描いているわけで、両方あって当然でしょう? せっかく現実逃避して映画を観るのにバッドエンドは観たくないという気持ちはわからなくはないけれど、ハッピーエンドばかりの人生、ハッピーエンドばかりの映画しかない世界はきっと楽しくないと思うんですが。

映画は嘘っぱちでも結局は人間を描いている。だから人生経験を積めば積むほど面白さが増す。少なくとも僕にとって映画は楽しむことができて、悲しむことができて、いろいろ学ぶこともできるとても魅力的な娯楽。まだまだこれから人生経験を積んでいくことで、これからもっと映画を深く味わえるようになるだろう、生涯楽しめる趣味として音楽とともに僕の中に在り続けていくだろう思うと嬉しくなります。

菊地成孔の「ラ・ラ・ランド」批評は無粋の極み

(この記事は「ラ・ラ・ランド」の内容について触れているため、ネタバレが含まれています)

ジャズ・ミュージシャンである菊地成孔が映画批評を連載しているとは知りませんでした。話題の映画「ラ・ラ・ランド」を酷評していることでネットでもちょっと話題になっていたので読んでみました。書き出しは以下のように始まります。

当連載は、英語圏の作品を扱わないので今回は<特別編>となる。筆者は映画評論家として3流だと思うが、本作は、複数のメディアから批評の依頼があった。大人気である。「全く褒められませんよ」「こんな映画にヒーヒー言ってるバカにいやがられるだけの原稿しか書けませんけど」と固辞しても、どうしても書けという。

そりゃあそうだ。筆者は一度だけヤフーニュースのトップページに名前が出たことがある。ジャズの名門インパルス!レーベルと、米国人以外で初めて契約したから? 違う。女優の菊地凛子を歌手デビューさせたから? 違う。正解は「『セッション』を自分のブログで酷評したから」。流れでさらっと書くがヤフーニュースというのはバカか?

『君の名は』や『シン・ゴジラ』でさえ賛否両論ある世界で、本作は、「観た者全員が絶賛」という、気持ち悪いぐらいの受け方をしている。ここ10年、いや、20年でもいい。これほど絶賛が集中した映画があるだろうか?


もうですね、言い訳の連続なわけです。自分のことを映画評論家としては3流と言っておけば映画に詳しい人からの誤り指摘があっても「だから3流って書いたでしょ」と言い訳できる。そもそも酷評なんて書きたくないんだけど周囲が書けというから書いたという言い分は物書きを生業としている人(彼には作家という肩書もある)がしてはならない言い訳の最たるものでしょう。

事実誤認、決めつけの激しさも呆れ果てますね。「観た者全員が絶賛」って一体誰に確認したんですかね?僕はこの映画が好き(というか観てしばらくしてから好きになった)ですが、入り込めない人がいることは理解できる。鍛え上げられた踊りや、圧倒的な歌と音楽で押しまくる、いかにもミュージカル然としたものを求めたり、斬新で大袈裟な演出を求めたりする人には物足りないでしょう、ということは前回の記事にも書いた通り。ネット掲示板を見ればわかる通り、悪い評価をしている人もかなりいるわけです。「世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね」というタイトルにして注目を集めることができれば、別に事実だろうがなかろうが関係ないんでしょうかね。

この書き出しの前に入稿が2月20日だと書いてあるわけです。公開前に書いたからネット掲示板は含まれていないっていうこれも言い訳なんでしょうか。一方で、公開前に観たということは試写会かなにか映画会社の計らいで観せてもらったというこでもありますね。映画批判を公の場でする人は自腹で観て公開後に、という映画業界では暗黙のマナーがあるらしいんですが、自分は映画業界の人ではないから関係ないんですかね(今回の記事は映画封切り後に公開することだけ押さえたようです)。もしそうだったら原稿料をもらって映画批評の記事を書く資格ないですね。

それにしても、アカデミー賞が絶対的なものではなく、ご都合主義な単にハリウッドのお祭りであることくらい、映画批評を書くほどの人なら誰でも知っているのに「それにしてもアカデミー賞って」と今更語るのは何を狙ってのことなんですかね。その後、実際のジャズはああいうものじゃない、という予想通りのオタク批判が展開されます。一般人が書いているのなら、ああ、やっぱりこういう人っているよね、と思う程度ですが、まさかプロのミュージシャンがそれをやるとは。コレに対しても、

(前略)「ジャズの部」は例によって、考証も描かれ方も演奏も、もれなくとてつもなく酷い。別に筆者がジャズミュージシャンだから点が辛くなっているのではまったくない。

というただ単に字面だけの言い訳(ジャズ・ミュージシャンでない菊地成孔がこの世に存在しているとでも言っているんでしょうか?)をしている。いやいや、プロのミュージシャンがジャズ・オタクの視点で書いているのにそんなこと言っちゃいますか。あと「うっすーいオタク」を批判してますけど、「濃いオタク」ってそんなに立派なんですかね。音楽を映画で扱うことに「濃いオタク」視点がないといけないなんて誰が決めたんでしょう?それに「濃いオタク」って本質を見失っている(音楽を良い音で聴きたいから始まったオーディオ趣味のはずなのに10万円するケーブル選びにハマるような)人が多くて、そんなバランス感覚を欠いた人に映画音楽なんて任せられませんよ。

もうこの時点で言っちゃいますけど、この人、中身は小学生並みですね。冒頭の文章で、インパルス・レーベルと契約していることをわざわざ自慢しているところなんて子供じみているにも程がある。ご丁寧にジャズを知らない人のために「ジャズの名門」って自分で紹介してますけど、例えばサラリーマンが自分の属している会社のことを「わが天下の◯◯会社」と声に出して周囲に紹介していたらどう思われるかっていう想像力もないようです。(実年齢を調べてびっくり・・・53歳とは・・・)

ちなみにこの記事の中で菊地さんがジャズに関して書いてあること、ほぼ100%その通りだと僕も思います。そう、アナタは正しい。僕もジャズ・リスナーの端くれでそれなりに勉強もしてきたので、「ラ・ラ・ランド」のジャズについての突っ込みどころは理解できます。

その上で菊地さんにお尋ねしたい。

拳銃を撃ったことありますか? 僕は過去にLAとボストンで撃ったことがあります。いわゆる観光客向けの射撃場ではなく、ゴルフの打ちっぱなしみたいな感じの地元の人が行くGun Centerで38口径と45口径のリボルバーを。撃ったことある人なら誰でも知っていますが、足を左右に広げて下半身を安定させて直立し、両腕を伸ばしてしっかり構えないと銃は撃てない(的の中心どころか大枠の中にすら当たらない)。そのくらい衝撃が凄くて安定しない。45口径を50発撃ったときには、グリップからの衝撃を受け止める右手の人差し指と親指の根元が痛くなり、その傷みが翌日まで残ったくらい、と言えばその衝撃をイメージしてもらえるでしょうか。例えば、銃の扱いを知っている警察官がハリウッドのアクション映画を観て「銃っていうのはあんなものではない。肘を曲げて撃つことですら安定感を大幅に欠くのに片手で撃つとかありえない。ハリウッド映画は拳銃についての考証が浅い」なんて批評していたら菊地さんは「なるほど、アクション映画は銃の基本を守るべきだろう」って思うんでしょうか。

映画っていうのは嘘っぱちなんですよ。現実的なドラマとして描いているものだって作為的な演出や外連味がある。そういう作られたものを楽しむ娯楽なわけです。現実と嘘っぱちの世界との距離感を自分なりに取って、2時間だけ別世界に連れて行ってくれることが映画の持っている力なわけです。自分が生きているわけじゃない架空の世界、自分とは違う道を歩む人の人生を仮想体験することが映画ファンの楽しみなわけです。(こんな当たり前のことを原稿料貰って批評書いている人に言うのも馬鹿馬鹿しいんですが)

僕だって音楽がネタになっている映画なんかだと「あれっ」って思うことがありますよ。でも、そんなこと映画にとってまったく重要じゃないし、映画ってそういうものだからスルーするわけです。「ラ・ラ・ランド」だってコルトレーンやビル・エヴァンスの写真が出てきて、でも彼らを連想させる音楽性は主人公セバスチャンには感じられないな、とは思ったけれど、そんなことはどうでもいい。2ヶ月くらい前に観た「黄金のアデーレ」という映画の回想シーンは(確か)1953年くらいになっていて、そこで流れていたのは58年録音のアート・ブレイキー「モーニン」収録曲、なんてことがありましたけど、そんなのはよくある話です。「リプリー」という映画なんて50年代が舞台なのに、ブライアン・セッツァーが2000年に発表したオリジナル曲をジャズ・クラブで演奏しているシーンがあります。チェット・ベイカーやチャーリー・パーカーといった実名、レコードが出て来るほどのネタとしてジャズを扱っているこの映画の製作者が2000年の曲だと知らないはずがなく、映画にとって音楽の考証なんてどうでも良いことだと示しているわけです。

リアリティを追求することが映画にとって重要だと思っている人なんていないでしょう?なのに自分が詳しいジャンルのネタが映画に登場すると「あれはリアルじゃない」と言い出す人が必ず出てくる。これって映画を批評しているんじゃなくて、映画を作っている人、さらに言えば「ラ・ラ・ランド」のような話題の映画を作った人より自分のほうが(その部分だけは)詳しくて良く知っているぜって言いたいだけのことでしかない。「ラ・ラ・ランド」(あと「セッション」も)ってジャズの伝統を考証することがテーマの映画でしたっけ?テーマどころか末端要素でもすらない。セブが伝統的なジャズにこだわっている、という雰囲気が出ていれば良くて、映画曲中の音楽が例えばセロニアス・モンク風である必要なんてないんですよ。リアリティがないことがいけないのなら、いきなり路上で歌い出すミュージカルっていうジャンルは現実社会への考証が足りないっていう話になるわけです。映画という娯楽で、リアリティや考証を持ち出すなんて「無粋」の極みというものです。

もちろん、「これはいくらなんでもあり得ない」ばかりの映画だと「嘘っぱち」であっても覚めてしまうのはその通りです。どこまでが許されるかは個人の裁量に委ねられるものなので難しい問題ではあります。でも、「ラ・ラ・ランド」のジャズの扱いはミュージカルという娯楽において「これはいくらなんでもあり得ない」と言えるほど、そして外連味の範疇を逸脱しているほど酷いとはまったく思いません。これが例えば、ジャズは中国が発祥の地であるとか語られてたらさすがにどうかと思いますけど。

あと、

このシーンで、どうやら(としか言いようがないのだが)エマ・ストーンは一発でジャズ開眼するのだが、

っていうのも凄いですね。「気に入らないものだからネガティブ方向に決めつける」という、ネット掲示板にありがちなイチャモンと同レベルの行為ですよ、これ。少なくとも僕は、そのシーンではなく、その後何度も聴かされているうちにきっと好きになっていったんだろうなあと思いましたけどね。僕の受け取り方は勝手な想像ですが否定できる描写は少なくともどこにもなく、菊地さんが言っている一発で開眼したという描写もどこにもありませんね。そうとしか見えないのは、最初から斜に構えて観ているからなんじゃないですかね。

それから、「SNSの存在なんかこの世にないみたいな描かれ方だけれども」というコメントも稚拙の極みですね。続けて、

なんでこんな、シリアスな悲恋モノみたいになるかね? まあ、これ見て「わかるわあ」つってうっとりする人々が世界中にいるのである。すごい速さで書いてしまうが、アホか。

 さすがにネタバレはまずいだろうということで、最後のネタは書かないが、そもそも、この2人、いつどこで、どんな感じで別れたのか、それとも別れてないまま離れ離れになったのか、なんだか全然わからないまま話が閉じてしまう。


SNSがあれば離れ離れになっても別れるのは不自然だと言いたいんでしょうかね。こういう別れた理由みたいなことを描かなくて説明不足っていう意見、他の映画も含めてネット掲示板で素人の意見としてもときどき見かけますが、ホント、どうでもいい。観ている人に想像する余地を与えない説明的なことをする映画は、それこそ鑑賞者をバカにしている。説明がないとか書いている人は、思考が停止した真のアホだという自覚を持っていただきたいですね。そう言ってもわからない人のために補足すると、そういうところは自分で勝手に物語に沿った内容を想像するんですよ。きっとそんな感じだったんだろうな、何かあったんだろうなって。子供じゃあるまいし、そのくらいできて当たり前でしょう?1から10まで説明してもらわないと納得できないっていう受け身の人は映画なんて観ないほうがいいです。

これら以外にも、決めつけの羅列で、長文書きの僕が呆れるほどの長文でどうでも良い内容の批判を書いていらっしゃる。少なくとも菊地成孔は、映画好きのアマチュアよりも映画についての知識も経験もなく、稚拙で無粋であることが今回よくわかりました(そう突っ込まれても言い訳できるように最初に自分で自分を3流と言い訳している器の小ささも)。あと、プロが書く映画批評っていうのは映画の内容について批評するものであって、その映画を観て評価している人をバカにするものではない、という言われなくても知っていて当たり前のマナーすら知らないというのは世間知らずも甚だしいです。ミュージシャンってのは社会性なんてどうでもいいとは思いますけど、物書きに社会性はどうでも良いという言い訳は通用しませんよ(よほどの巨匠ならともかく)。

菊地さん、公開前に映画を観させてもらって原稿料もらって記事を書くならもう立派なプロなんですよ。それなのにこんなみっともない映画批評していて恥ずかしくないんですかね?ジャズってどんなに激しいもの、たとえフリー・ジャズ(「ラ・ラ・ランド」で言ってたフリー・ジャズはまったくフリー・ジャズではありませんでしたね、そう言えば。それも大して重要なことではありませんが)であっても「粋」がどこかに漂っているものだと僕は思うので、ジャズ・ミュージシャンが得意げに「無粋」なことをやっているのを見ると悲しくなります。まあ、一般人にまでは名前が知れ渡っているわけではない人なだけに売名行為としては悪くないアイディアだったのかもしれませんが、チャゼル・マナーとか茶化す前にご自身の足元(社会人としてのマナー)を見つめ直した方がよろしいんじゃないでしょうか。

僕も世間がジャズに抱いているイメージに違和感を持っている熱心なジャズ・ファンで、そういう違和感を過去に記事にしたことがあります(http://buhaina.blog.fc2.com/blog-entry-136.html)。この記事も一般人から見れば十分ジャズ・オタク的な内容です。そのような一般人から見ればジャズ・オタクで、そこそこの映画好きである僕が読んでもデタラメと感じる菊地マナー。ジャズに詳しくない人は「プロが言っているんだからきっとそうなんだろう」だなんて思ってほしくないですね。この映画批評がジャズ愛好家の代表意見だと思われたら多くのジャズ・ファンにとって迷惑です。

(3/11追記)
なんと、アカデミー賞の結果を踏まえての第2弾が公開されました。またしてもイチャモンのような内容、子供のような語り口、薄いのに長い文章で。でも、これで菊地さんの本音がわかりました。大好きなんですね、チャゼル監督と「ラ・ラ・ランド」。ほら、わんぱく小学生が好きな女子をいじめるっていう定番行動ってあるじゃないですか。あれと同じです。だって嫌いなものにこんなに執着できませんよ。とはいえ、映画批評として公開され、一定の人が納得してしまっているようなのでこの僕の記事の主旨は変わりません。そして、もう菊地成孔を今後僕のブログで採り上げることはないでしょう。価値のないものを批判してもしょうがないですから。

「ラ・ラ・ランド」(ネタバレあり)

ラ・ラ・ランド201702

デイミアン・チャゼル監督の「セッション」は、個人的にはまあまあ面白いかなというくらいの位置づけで世間で持て囃されているほどの秀作ほどでは、という印象だった。とはいえ、ありきたりでつまらないなんてことはなく、演出や映像などを含めて個性を持った映画として記憶には刻まれている。

「ラ・ラ・ランド」もアカデミー賞各賞に多数ノミネートされて、日本では、映画好きにとっては有名でも一般的には決して超有名人とまでは言えない主役を起用しているにもかかわらず、普段映画を観ない人からも注目を集め、観客動員も出だし好調らしい。

結論から言うと今回もそれほど凄い映画かな、という感想に留まった。でも観終わってからじわじわと心に染み渡る。「セッション」のある意味行き過ぎた演出と表現と押しの強さはこの映画にはなく、高い完成度で質の違う映画をしっかり作った才能はなかなかのもの。一方で、この監督は感情の深みを大げさに掘り下げるといったところはあえて追求しないようで、心を激しく揺さぶるものがあまりない。それよりも映像や演出の技巧の方が目立っている。

もちろん、それは悪いことだとは思わない。そういうところに踏み込まずに表現し、作品に仕立て上げるところが持ち味で、そこが高く評価されている所以であるだろうと思うから。

「ラ・ラ・ランド」は現代を舞台にし、技術は最新の映画でありながら、どこか昔のミュージカルを観ているかのような懐かしさがある。歌も踊りも現代においては他を寄せ付けないほど圧倒的なものではなく、高度なミュージカル映画を観ている気分にはならない。でも、それこそがこの映画の持ち味である。圧倒的なパフォーマンスや感動、大げさに泣かせようという高揚感もあえて持たせようともしていない(監督のインタビュー https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/20170221-00067922/ を読むと意図してそう作られていることがわかる)。人の気持ちを説明しすぎていないし、心の動きの機微を控えめに表現する領域を残し、夢を追いかける男女を抑え気味に、それでいてロマンチックに仕立てている。

だから観終わったあとのカタルシスはたぶんあんまりないと感じる人が多いような気がする。評価が低い人はこういったこの映画の特質に物足りなさを感じているんじゃないだろうか。

歴史に残る傑作でなくても、こういう映画はこういう映画で良いと思う。凄い映画である必要なんてないでしょう? ただ、アカデミー賞に多数ノミネートされているから斬新、革新的でこれまで観たこともないようなもの凄い映画だと過剰に期待されてしまって損をしているような気がする。知名度が高いものを叩くと自分の地位が上がると勘違いしている輩はどこにでも一定数いて、彼らが筋違いな批判を始めることも毎度のこと。刺激的なものに溢れている現代に、あえて昔風の色彩感や演出で伝統的なミュージカル映画を作った。それを理解して観れば、妙な誤解をせずに観れるはず。

後で調べて観たら、なんとCGなどを使わず35ミリのフィルムで撮影しているらしい。冒頭のシーケンスなんてどうせ(「バードマン」のように)継ぎ接ぎをそれらしく見せているんだろう、なんて思っていたらそうじゃない(まあ、数箇所くらいは繋いでいるかもしれないけれど)。それ以外のシーンも、CG加工が当たり前の時代にローテクな手法で撮影している。見せ場となる丘の夜景でのシーンやちょっとセンチメンタルなもうひとつの人生回顧シーンも編集なしで通しで演じたものから良いテイクを選んでいるらしい。どこか昔の映画を観ているかのよう、というのは演出や映像(2.55:1 という古いシネマスコープサイズもその一環)だけでなく、こういった部分も噛み合って映画全体のバランスが取れていているからで、それが完成度の高さとなって結実しているんだな、と納得。

あと、音楽の扱い方も良い。「セッション」に続いてジャズが主要なネタになっていてチャゼル監督がかなりのジャズ好きであることがわかるけれど、その捉え方が日本人のような内向的お勉強型(すなわちオタク)ではなさそうなのでジャズ警察(昔のジャズを愛好する信条に固執するタイプのジャズ・リスナーのことをJazz Policeと呼ぶそう)には突っ込みたいところが多いらしいけれど、そういう面倒な人は放っておけば良い。ジャズという遊び心がキモの音楽を愛好していながら映画にそういうツッコミをしていることじたいがジャズ的ではないし、ジャズの本質的な楽しさは映画内でちゃんと表現できている。また、お馴染み a-ha の "Take On Me"のイントロに続いて入ってくる歌がどうしてこんな変なヴォーカルになっているんだろうと思って画面が切り替わるとオチがわかるという仕掛けも笑える。尚、映画内の主要曲も古いミュージカルのテイストを下敷きにしつつのオリジナル曲で、完成度が高い楽曲を揃えることができたのもこの映画の成功の所以でしょう。

少々強引な例えをさせていただくと、この映画は89年にデビューしたユーノス・ロードスターに似ていると思う。当時のクルマは安全性の大幅な向上(結果重量増)を求められ、合わせてハイパワー、高性能が求められていた。かつて愛されたライト・ウェイト・スポーツカーは、そういった要求にまったく合っておらず、どのメーカーも生産をやめ、開発もしなくなっていた。そんな時代に登場したユーノス・ロードスターは古典的な基礎構造を持ちながら最新の技術で設計され、現代(当時)の快適性と品質を備えながら、高性能とは言えないのに古き良き時代のドライビング・プレジャーを世界中の老弱男女に知らしめた。そんな時代遅れのクルマを作るために車体を新設計したマツダの熱意とこの映画製作者が面倒で手のかかる古典的手法を用いて作り上げた熱意はどこか通じるものがあるし、高性能でなくても刺激的でなくてもクルマの運転というのは楽しいんだよというプリミティヴな魅力への訴求がこの映画と重なる。

それにしてもエマ・ストーンは不思議な女優だなあと思う。表情を崩したときにはむしろ不細工顔で、それでいてどこか愛嬌がある。ドレスアップしているときには華があって可憐。決してお高くとまっていないどころか時にお転婆娘のような親しみやすさがあるのに、スターらしい凛とした雰囲気も持ち合わせている。「ラ・ラ・ランド」のように成功前と成功後の女優を難なく演じることができる幅の広さは大したもの。もちろんそういう要素は以前から見せていたけれど、この映画ほど彼女のそういった魅力を引き出した映画は初めてでしょう。主演女優賞は、この映画だけでなく、彼女のこれまでに総合的な演技の幅の広さ、それを積み重ねてきたことに対して贈られたんじゃないかと僕は勝手に思っている。

ジャガーXE 納車一周年

Jaguar210702

ジャガーXEと暮らすようになって1年が経過しました。

クルマというのは1年乗ってみなければわからない、というのが僕の考えです。日本では、暑さ、寒さ、雨の多さと湿気といった気候の変動があり、一通りの環境に触れるのに1年かかる。欧州車に不安な点があるのは日本ほど過酷な気候変化、高温多湿にさらされないからで、そういう意味でも年間通して乗ってみないといろいろとわからないことがある。また、普通は1年も乗っていれば自分のクルマの利用形態を一通り網羅することになる、という理由もあります。そんなわけで1年で思ったことをまとめてみました。これまでに書いたことと重複している部分が多くありますが、初期のころの印象が変わっていない、ということでもあると受け止めていただければと思います。

[仕様]
ジャガーXE Prestige 20t(4気筒2.0Lガソリンターボ)
ボディカラー:ブルーファイヤー
内装:ラテ
オプション:
・スポーツ・サスペンション+アダプティブ・ダイナミクス
・19インチホイール(Venomシルバー)
・ウッドパネル(サテンアッシュパール)
ボディカラー、ホイール、内装の選択から始まり、オプションでもパネルはじめ内装の選択肢が多いため、自分好みの(というか実質自分だけの)1台に仕立てることができるところはこのクルマの大きな魅力だと言えるでしょう。

[ブランドイメージ]
ジャガーに乗っていると言うとクルマにさして関心のない人でも「おおっ」という反応が多く、高級ブランドとしてもイメージは極めて良い。しかし、ここ日本におけるジャガーは「品の良いおじいちゃんが乗っている高級車」という旧態然イメージがかなり強く根付いていて、40代の人でも自分にはまったく関係ないブランドと思っている人が少なくない。ちなみにかつてジャガーを販売していなかったために昔のイメージが染み付いていない韓国では、ジャガーは現代のブランドとして普通に受け入れられていいることが販売台数のデータからなんとなく読み取れます。
(参考データ)
韓国輸入車販売台数= 2015年:243,900台 2016年:225,279台
韓国ジャガー販売台数= 2015年:2,804台 2016年:3,798台
日本輸入車販売台数= 2015年:328,622台 2016年:343,673台
日本ジャガー販売台数= 2015年:1,349台 2016年:2,883台

[エクステリア]
派手さはなく、控えめ。それでいてスポーティさとエレガンスを備えていると思います。その控えめなところを美点を感じるか、派手さや押し出しに欠けると感じるかで評価が別れるでしょう。マツダや(特にリアが)アウディに似ているという意見があるのは事実で、そこを個性不足と指摘するならばその通りかもしれません。しかし、かなり大雑把に見た場合、あるいは一部分のみのことであり、佇まいやディテールの仕上げは、かなり違っていることが少しでも車に興味がある人ならわかるでしょう。フロントマスクの尖りすぎていない主張とルーフからリアにかけてのエレガントなデザインに惚れてしまっているので個人的にはほぼ満点です。クルマを眺めるたびに幸せな気分になれるかどうかはクルマ好きにとって重要な要素でその点で大変満足しています。また、ドイツ系のクルマのようにある程度目立つ(押し出しが強い)デザインはどうしてもトレンドを積極的に追いかけることになり、型落ちになるとデザインが一気に古く見えるものがありますが、XE(というかジャガー全般)のデザインは方向性がやや違うこともあって、飽きがこないタイプではないかと勝手に思っています。まあ、デザインはぶっちゃけ自分のセンスに合っているかがほとんどすべてなので、ここは完全に独りよがりな意見だと思ってください。

[インテリア]
思わず「うわあ」と言わせるような高級感、高質感はそれほどでもなく、ドイツ御三家には一歩劣る印象です。オプションの装飾パネルを上手く選べば多少の底上げは可能だと思います。アウディのように、いかにも最新のクルマに乗っている、と室内で感じる要素は少ないでしょう。その分シンプルでスッキリしているし、これ見よがしの厚化粧をしていないから、こちらも飽きも来ないような気がします。
ラテの革張りシートは、こちらも落ち着きがあって派手に見えないものの上品な華やかさがあります。標準シートはシートバックが大柄でホールドがほとんどなくゆったりと座る作りであるため、革で滑ることも含めてスポーツ走行には向いていません(サーキット走行なんて絶対無理)。そこそこのホールド性が欲しいのならR-Sport系のシート(の車種)を選んだ方が良いでしょう(あるいはオプションの14ウェイシートだとサイドサポートを幾分調整できるはず)。座面は平板でクッションがやや薄いので、お尻が痛くなりやすいのもちょっと残念なところ。これまで乗っていたアルファロメオよりやや疲労感が出やすく、機能面ではシートはあまり良いとは思えません。

[エンジン]
必要十分、まあ遅くはないかな程度。2.0Lターボのフォード製エコブーストエンジンはXJやフォード・エクスプローラーといった2トン級のクルマにも搭載され、どの記事を見ても「思ったより十分」と書かれていたのでXEなら余裕があるのでは?という淡い期待がありましたが残念ながら夢想に終わりました。踏めばそれなりに加速するので明らかに遅いとまでは言いませんが、ある程度の速さで走りつつ優雅に余裕を感じて走りたい、と望むと人には物足りないでしょう。
振動はよく抑えられておりスムーズに回るのでフィーリングは高級車であったとしても及第点はクリアしているレベル。ただし、音は直噴っぽいカラカラ音がするところがちょっとお安い感じがしてしまう。踏めばエキゾースト側ではまあまあスポーティな音を発し、カラカラ音はかき消されて気にならなくなります。上までストレスなく回るものの、イタリア車(あれはあれで特殊ですが)のような官能性はなく、XE S V6のスポーティさ、質感の高さとの差は価格相応です。
尚、高速道路に乗るとロードノイズや風切音がカラカラ音をかき消してくれるので音の残念さが気にならなくなります。また、一般道で感じる低速トルクの薄さも気にならなくなり、クルマの格が上がったかのように思えるくらい快適性が上がります。車格を考えれば当然かもしれませんが、エンジンがどの回転域でも余裕たっぷりというわけにはいかないのならハイスピード・クルージングの快適さにフォーカスした、ということなのかもしれません。

[燃費]
さすがにフォード製エコ・ブースト・エンジンは設計が古いためか、現代の基準では悪いと言わざるを得ない。街中だけなら8.0Km/L、高速だけならのんびり走って14.0Km/Lくらい、平均で11Km/Lくらいというところ。燃費を気にして穏やかなアクセルワークを心がけていると低速トルクが薄いエンジン故にユルユルとしか走れないため、ある時期から頭を切り替えて燃費を気にせずアクセルを踏むようになりました。小型車のようにエンジンにムチを入れて走ることがこのクルマのキャラクターに合っているかはともかく、そうやって走っているとステアリング操作も少々忙しく(荒っぽく?)操作する機会が増え、そんな走り方でも違和感なく挙動がついてくることもあって意外とスポーティな走りもできるじゃないか、と思えるようにもなったので、燃費は気にしないことにしています。

[AT]
きめ細かい変速。トルコンとしてはレスポンスも悪くない。パドルによるシフトダウンのタイムラグがやや大きめなところはちょっと残念。また、停止間際のシフトダウンのときのお行儀がイマイチでやや落ち着きがないと感じる場面も。MTにずっと乗ってきて人間が古いせいで8段もあると今何速に入っているかわからないのはちょっとした不満。気にしなくても良いということなんでしょうが、デジタル・スピードメーターを表示をするスペースがあるのならそこに今何速に入っているのか表示させる選択肢も欲しかったところです。

[ハンドリング]
小型車愛好家の僕からするとキビキビしているとは流石に感じない。ただし、ステアリング操作に対するクルマの動きはナチュラルでスムーズ、アダプティブ・ダイナミクス装着のおかげか、スポーティな走りをしてもロールは抑えられていて、挙動にモッサリとした印象はまったくない。所謂スポーツカー的なアジリティはないものの、乗り心地のしなやかさ確保しながら挙動の遅れ感がないところはこのクルマの美点だと思います。シャーシは新設計で上位のXFと共通というだけあって器に余裕がある印象です。

[ブレーキ]
ブレーキそのものの能力については妥当で、峠の下り道を少し飛ばした程度ではフィールの変化もなく、もちろん問題は発生しない(当たり前ですが)。街中など速度域が低いところでは踏力に対して制動がリニアに働かず、それが特に停止間際に顕著で1年乗ってもカックンブレーキをやってしまう。右ハンドルの国のクルマなのでハンドル位置による影響という言い訳はないはず。また、決して頼りなくはないけれど、もう少し剛性感が欲しい。

[乗り心地]
しなやか。首都高渋谷線のハーシュネスも快適にいなす。スポーツモードだと若干硬くなるものの、19インチ、XE Sと同じスポーツサスペンション仕様でも基本的に乗り心地は柔らかく上質でバネ下の重さはほとんど気にならない。余談ながら、その同じ仕様のはずのXE Sはどういうわけか少し脚が固く、アダプティブダイナミクスなしのスポーツサス仕様はさらに締まった脚だった印象でした(短時間試乗の記憶より)。

[装備]
エイアコンはよく効く。風量を弱めにしておけば音も静か。このあたりは前車(アルファロメオ・ミト)とはクラスもお国柄も違うので当然といったところ。オーディオは標準装備品と考えればなかなかの高音質(ミトのカロッツェリア・ナビよりはずっと良い)。静寂性が高いため、クラシックを聴こうと思えば聴けなくもない(真面目に音楽に没頭するのはさすがにムリですが)。
DVDナビは最低限の役割は果たしてくれるので問題はありませんが、学習機能がプアで表示も荒くかなり時代遅れ。インフォテイメント・システムじたいもレスポンスが悪く、現代のクルマと考えると遅れている感は否めない(これから買う人はもう刷新されていますが)。ACC(アクティブ・クルーズ・コントロール)は本当に便利で、特に高速道路の渋滞でこれに慣れてしまうともうACCなしの生活には戻れないかも。とにもかくにもアルファロメオ・ミトからの乗り換えだと電装系装備てんこ盛りで、例えばパーキング・ブレーキやトランクオープナー、マニュアル・トランスミッションなど、ちょっと前まではフィジカルな操作だったものがほとんど電子化されて操作感がなくなってしまった。だからトランクを手で閉めるという何てことがない操作がなにやら労働的で他の操作系とのバランスが取れていないように感じるようになってしまい、オプションのトランク・クローザーを付けておけば良かったかもと感じるようになってしまいました。人間、ここまで堕落してしまうものなんだと自分でも驚きです。

[信頼性]
トラブルとしては以下の4点。
●バックカメラ使用時のナビゲーション・ディスプレイ表示不可
●メータークラスター周辺のビビリ音
●助手席スカッフプレート外れ
●インパネウッドパネルの剥離
●アイドリングストップ機能の不稼働
バックカメラの表示不具合はディスプレイの交換で修理。仮に保証期間外(有償)だった場合の修理代は140,000円とのこと。
メータークラスターのビビリ音は、ATをDモードにしてブレーキを踏んでいる状態のときにときどき発生。これはディーラーでは再現せずで戻されましたが、隙間に詰め物をする( )ことで解消。また、日本ではあまりありませんがイタリアの道路のような石畳状の路面を走るとリア・ウィンドウ周辺から共振音が出ます。振動対策は今一歩というところ。
スカッフプレートは、受け側のプラスチックが外れたため新品交換。
インパネウッドパネル剥離は接着し直しの修理。

ジャガー内装剥がれ201702

アイドリングストップは1年点検の前3ヶ月くらいは一度も稼働しなくなっていたので相談したところ、稼働するにはいくつかの条件が揃う必要がり、その条件の閾値が高すぎるためコンピューターの設定を見直すことでまた稼働するようになりました。そもそも閾値はバッテリーに過度の負荷をかけないように保護するよう設定されているはずなので若干不安ですが、アイドリングストップ稼働ありきの無茶な設定変更はしていないと信じましょう。

「破綻がない」という観点での品質はやはり国産車レベルというわけにはいかない印象。ただし、走行に支障を来すようなトラブルは、流石にジャガーと言えども最近は少ないようです。ウィンドウ動作の異音、ドアの軋みといったありがちな低級音系はとりあえずなし(経年でどうなるかは未知数ですが)。機関部分のエンジン(フォード製)、トランスミッション(ZF製)は実績がたっぷりあることもあってかまったく問題なく、今後も恐らく大丈夫でしょう。総合的信頼性としては、アルファロメオと似たような印象です。

[経済性]
ケア・プログラム付きなのでガソリン代以外の出費なし。ちなみに、初回の1000キロ点検のときのオイル交換はプログラムに入っていません(有償だと25,000円くらいと言われた記憶が・・・ちなみにこのときは担当営業の方の裁量で無償交換に応じてくれました)。

[総合的な満足度]
いろいろと細かい不満を書きましたが、クルマというのは引き算で評価するのではなく、そのクルマでしか味わえない個性を楽しむものと考えている僕の評価としては、満足度は80点(XE Sなら95点くらいか?)。エクステリアの評価で書いたキャラクターが、乗り味を含めたXEのキャラクターになっており、そういう意味でクルマの方向性が明確になっているところを評価してのものです。一方で、信頼性や品質感がアルファロメオとそう変わらない点はちょっと考えさせられます。アルファロメオの場合は「ま、いっか。ラテンの人たちはそんなことよりもカッコよさと楽しさの方が大切なんだから」と納得できる。では、英国車ジャガーは国産車あるいはドイツ車より何を重視していると感じられるのか、ジャガーでなければ味わえないこれがあるからユーザーは自己満足できるのだ、とすんなり言えるような答えが出てこないところが今後の課題であるように思えます。個人的には、品格のあるデザインに更に磨きをかけて、2.0Lでも高品質を実感できるエンジン(次期インジニウムで実現成るか?)を載せること、そして高級なイメージを維持しつつ、先進性も備えているブランドイメージ(そのためにはインフォテイメント・システムなどで遅れを取らないこと)に刷新することがより望まれるところであるように思えます。ま、でもしばらく乗りますよ。控えめで肩肘張らずに付き合えて、それでいて品のあるクルマは他にないですから。

[最後に]
このクラスに乗っている人は、余裕で買った人もいればなんとか手が届くから買った人まで幅が広いように思います。個人的には、現代におけるプレミアムブランドのDセグはもはや立派な高級車。僕はそもそもコンパクトでシンプル(装備や豪華さよりもクルマそのものの走りや乗り味に機敏さと個性がある)なクルマを好むタイプ。それでもスタイリングと昔から憧れだったブランドに惹かれて、年齢的にも今なら乗ってもいいだろうと思って購入しました。クルマだけに資金を集中させるわけにもいかないので、購買層の幅で言うと明らかに「なんとか手が届く」ユーザー。よって、大衆レベルのクルマ好きによる消費者レビューのようになってしまいました。本当は些細な分析などせずに、おおらかな気持ちでサラッとXE Sを買うような人がこのクルマには相応しいのかもしれません。

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