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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

ノイズ・キャンセリング・ヘッドホン SONY MDR-1000X

SONY1000X201612

拙宅は千葉市の京葉線沿い、会社は京王新線の初台が最寄りの駅、というわけでなんだかんだ言って通勤は片道1時間半もかかっています。長時間通勤は面倒だと思いつつ、時間が長いからこそ大好きな音楽を聴く時間に充てられると頭を切り替え、これだけの時間があれば例えばマーラーの交響曲でさえも3番を除けばほとんどの場合通しで聴くことができることを楽めると考えているわけです。そんなわけで、通勤時の音楽環境はある程度納得できるレベルにしておきたい。

高速での走行区間が多い京葉線は、例えば都心の山手線と比べると格段にノイジーだし、その他利用区間である地下鉄もやはりノイジー。だからノイズ・キャンセリング機能が優れているヘッドホン/イヤホンであることは僕にとって重要条件で、都内に勤務している限りこの条件は軽視できません。

思えば12年くらい前に、BOSE QuietComfort2(QC2)を銀座のアップルストアで試聴してその効果に驚いて購入して以来、ノイズ・キャンセリング・ヘッドホンは外出時のお供として欠かせないものになっていて、現在はQC15が手元にあります。こちらはイヤーパッドとヘッドバンドが経年劣化で既ににボロボロになってしまい、現在は休眠中。ヘッドバンドのパッドはボーズの場合修理(新品交換)扱いになり、壊れているわけでもないのにそれなりの出費を覚悟しなくてはならない。一方で、僕は通勤でヘッドホンを使いたくないので、ヘッドホンは私用外出時のみの利用、しかし結婚してからはほぼ妻と一緒に出かけるようになったからQC15はほとんど使わなくなってしまっています。

ところで、なぜ通勤でヘッドホン(QC15)を使いたくないかというと、スーツ(冬場はコートも)だと長いケーブルが邪魔で煩わしいのと、見た目がちょっと大げさという理由が一応あるにはある。でも、一番イヤな理由はヘッドホンだと職場に着いたときにはヘッドバンドのところの髪の毛がペッタンとなってしまうことだったりします。音質に限って言えば、イヤホンよりも広い音場と余裕のある鳴りが得られるヘッドホンの方が本当は好ましい。それでも、朝会社のデスクに座ったときに髪の毛ペッタンでこれからの1日が始まるのはちょっと受け入れ難いわけです。私服で出かけるときだとそこまでペッタンは気にしないけれど、軽装で胸ポケットのない服を着ているときだと、首からDAPをストラップでぶら下げながら長いケーブルをぐるぐる巻き+ブラブラさせることになり、やはりスマートとは言い難い。

一方でイヤホンはというと、QC15が発売された当時はノイズ・キャンセリング機能が優れている製品がなく、諦めて普通のカナル型をずっと使っていました。そんな不満は、今でも最高レベルと言えるノイズ・キャンセリング性能とまずまずの音質、スーツ姿のときにも使いやすいイヤホン型のBOSE QC20で解消。胸ポケットのない私服のときの課題はワイヤレスのQC30を入手したことで、こちらもスッキリ解決しました。やはりワイヤレスはあらゆる制約から解き放ってくれて楽でイイ。ボーズのQCシリーズは、手放しで絶賛するほどの高音質とは言えないまでも、なかなか良い音で鳴ってくれるので、QC30で外出時のポータブル・オーディオ環境は満たされたものになった・・・はずでした。

ちなみに、ノイズ・キャンセリング・ヘッドホンということになるとソニーも結構前から製品があって、かなり昔のことで型番は覚えていないけれど試聴したことがあります。ボーズに比べると明瞭明確なクッキリした音質で情報量も多く、オーディオ的パフォーマンスで言うならばボーズより明らかに高音質ではあったものの、まるでエッジ強調されたデジカメ写真のように音像のコントラスト感が強いところが好みではなく、ソニーの音作りは自分には合わないんだろうなという意識がそこで刷り込まれました。また、肝心のノイズ・キャンセリング能力がだいぶ見劣りしていたので自分の求めているものとは違うかな、という結論に落ち着いていたのです。

しかし、最近発売されたソニーのワイヤレス・ノイズ・キャンセリング・ヘッドホンMDR-1000Xは、ノイズ・キャンセリング機能がBOSEと同等レベルになり、音質が上回っているだけでなく、音質傾向が柔らかいという評判ではないですか。

前述の通り、音質的にはできればヘッドホンを使いたいと考えているから、そのような評判が事実だとすると気になってしょうがない。あれっ?頭ペッタンは気にならなくなったのか?いや、それは気になる。私用で使う機会ないなら要らないじゃん、ともう一人の自分が言っている。すると「通勤でも帰りだけに使えばいいじゃん」という名案(?)をまた別の自分が思いついた。おおっ、ヘッドホンの使い道、見つけちゃった。

試聴ではMDR-1000Xだけでなく、一応QC35とも聴き比べをしてみた。なるほど、店頭で聴く限りではノイズ・キャンセリングは同等か「パーソナルNCオプティマイザー」設定後であればMDR-1000Xの方が少し良い印象。これだけならまだどちらとも決めがたい。両者とも、現時点ではNC機能が最強と言われているQC20、QC30と比較するとNC機能はそれでもやや劣っている。耳孔を塞ぐわけではないヘッドホンでQC30レベルのノイズ・キャンセリングを実現するのはきっとハードルが高いんでしょう。次に音質を較べてみる。QC35は手持ちのQC30と比較するとヘッドホンならではの鳴りの余裕が多少あるとはいえ、予想以上に似たようなサウンドで、オーケストラの弦楽器がやや電子キーボードのような人工的響きを伴っているところ、わずかにザラついたニュアンスを持つところまで共通している(ジャズやロックでは気にならない)。QC30よりもわずかに音の抜けも良くないように感じてしまい、これならあえて追加して買うものではないかなと思える。一方、MDR-1000Xを試聴してみると、BOSEで少し気になっていたところがまったくなく、評判通りの音質を実感、その場でお買上げとなりました。人気商品らしく、欲しかったブラックは売り切れでやむなくグレーゴールドになってしまったけれど、納期が最短でも2週間後と言われたのでは仕方がありません(12/14の都内某家電店)。

ちなみに、ワイヤレスNCヘッドホンというカテゴリーにはB&Oやゼンハイザーなどにも製品があるけれど、折り畳んだときの収まりやNC性能が弱いと言われているところが自分の要件に合っておらず、候補に入りませんでした(ゼンハイザーPXC550やKEF SPACE ONEもちょっと気になるけれど・・・キリがない)。

そんな経緯で、MDR-1000Xとのお付き合いを始めることに。

はじめにお断りしておくと、ボーズにせよ、ソニーにせよ、価格に対して相応の音質かと訊かれればそこまでのものではないと思います。どちらの製品も強力なノイズ・キャンセリングという重要かつ高度な機能が価格に含まれているわけで、音質レベルは価格から30%程度割引きというのが僕の感覚です。

MDR-1000Xはやはり音の傾向がボーズとは全く違います。世評通り、薄皮1枚分くらいボーズより音が明確で見通しが良く、木管楽器や金管楽器のニュアンスに富んだ音を細部まで表現。情報量が多く、それでいて解像度は控えめだから音が滑らかで柔らかく、サ行が刺さる傾向の製品とは対極の音色と言って良いでしょう。オーケストラをより美しい音で聴きたいという一番期待していた点について期待通りのパフォーマンスです。単に明瞭な音を鳴らすということでなく繊細な音を丁寧に表現できているから、ジャズやロックの荒々しさが削がれるようなことはもない。低音を重視する僕にとってはコントラバスの響きにもう一息厚みが欲しいけれど、絶対的に不足しているというわけでもなく、必要であればDAPのイコライザーで調整すれば納得できるレベルです。ロック、ソウルやファンク、ジャズなら、ベースの低音も不足しているいう感じはなく、必要十分といったところ。強いて言えばヒップホップ系やEDM系のズンズン来るような低音を求める人にはちょっと物足りないかもしれません(そういう音楽はBeatsが向いている)。イヤホンのQC30も僕にとっては十分な音質だけれども、ヘッドホンはやはり低音の響きとアタックに一回り余裕があってイイ。欲を言えばもう少し音場感が広いと言う事がないんですが、そもそも密閉式NCヘッドホンにそれを求めるのはお門違いというものです。

MDR-1000Xはノイズ・キャンセリング機能だけでなく、ボーズにない付加価値としてさまざまなギミックを用意しています。中でも混雑している通勤電車での使い勝手を想定した機能は日本のメーカーならでは。右側イヤーカップのタッチセンサーによるDAPのリモート操作(再生と一時停止、音量、曲送りと戻し)はもちろん、急に車内放送を聴きたくなったときにイヤーカップを右手全体で触れるとミュートされて外の音を取り込むようになるクイックアテンションモードは諸手を上げて賞賛できる機能。タッチセンサーは、最初は意図せず触れてしまって煩わしいけれど、イヤーカップに触れないような持ち方をすることに慣れれば問題ないでしょう。ちなみに、BOSE QC20は手元のリモコンで音楽停止→アウェア・モードの2アクションで外の音を聴く体制にすることができたのに、QC30は視界にない耳元のリモコンを手探りで探してノイズコントロールボタンを最大で20回も連打(或いはDAPのアプリでスワイプ)しなくてはならないという操作性低下があったため、このクイックアテンションモードのアドバンテージがより際立つようになったように思います。

バッテリー稼働時間は厳密に測っていないものの、仕様通りおよそ20時間程度以上はもちそう。残量は電源ON時にLEDが何回点滅するかで3段階のうちどの状態かを示す、他モデルでも採用しているソニー方式。この点は、やや精度に難ありながら「残りXX%」とアナウンスしてくれるボーズの方が親切かも。とはいえ、Bluetooth の Battery Service Profile に対応しているから、iPod Touchに小さなバッテリー・インジケーターを表示してくれるので痛痒を感じるレベルというほどではありません。強いて足りないところを挙げるとすると、(MDR-1000Xと同様に専用電池でかつ充電中は使えない制約がある)QC30のようにオートパワーオフ機能が欲しいなと思うことくらいでしょうか。

QC35と比較した場合の欠点は、イヤーカップがやや大きい(収納時やや厚みがある)こと、一方でイヤーパッドが小ぶりで耳周囲にピッタリ密着(耳が大きい人はオンイヤーになるかも)することから、それなりに「しっかり着けている」感があること、フル充電までの時間が長い(仕様では4時間、QC35は2.5時間)ことあたりで、これらはネットのレビューでも多く語られている通りという感じ。ボーズは伝統的に付け心地がとても軽いところに定評があってQC35もそれは例外ではなく、MDR-1000Xはそれと比較すると耳の圧迫感、密着感が強いのは明らかです(側圧が強いわけではないと思う)。その密着感は、短時間の試聴時にはあまり気にならないけれど、1時間以上連続で使うと「ヘッドホンをきっちり装着している」ことを意識させられ、長時間の使用だと負荷が高いと感じるようになる人もいるでしょう。また、恐らく6月くらいになったらもう暑苦しいと感じるんじゃないかと予想できます。総合判断をするとそれぞれに一長一短があって優劣は決めがたいので、両者で迷っている人は何を重視するかを整理すれば自ずと結果が出るんじゃないでしょうか。装着感と音質は好みや個人差があるので現物での比較はできるだけした方が良いと思います。

ちなみに、ここまで音質をかなり褒めてはいますが、たとえばMDR-1000Xで聴くようになったことでQC30が物凄く色褪せて見えるようになったかというとそこまでではなく、QC30の音質でも引き続き満足して使うことができています。この両者の差を大きいと感じるか小さいと感じるかは人それぞれでしょう。夏場はMDR-1000Xはとてもじゃないけど使えないだろうし、気軽に使えるのはやはりイヤホン、というわけで引き続き移動時のメインはQC30です。正直なところ、通勤用であることを考えればQC30で音質は満足していて、MDR-1000Xはあくまでも「もう少し良い音を」という深い欲を満たすためのものであり、クラシックやジャズのように生楽器のリアリティを求められる音楽を聴いていなければたぶん必要性を感じていなかったんじゃないかと思います。

このブログではかつてウォークマンをけちょんけちょんに貶し、新しい価値を提示したりモノの質を磨いたりすることよりも甘い宣伝文句で搾取(ハイレゾ対応=音が良いという明らかに誤った刷り込みなど)する道を歩むソニーの凋落を嘆いてきました。落胆したのは事実ながら別にソニーを毛嫌いするようになったわけではないし、ボーズやアップルを妄信的に信じているわけでもない。あくまでも使いやすくて高機能なものが欲しいと思って製品選びをしているだけのことです。良い物を作ってくれればどのメーカーだって構わないわけで、QC30をメインに使っている立場でも、MDR-1000Xは買って良かったと素直に言える製品だと思います。まあ、ハイレゾ相当の音質だとか売り方は相変わらずいかがなものかとは思いますが、良い製品を選びたいと逡巡したらソニーだったという製品を作れば、MDR-1000Xのように高評価が得られるという、当たり前のことを示しているんじゃないでしょうか。

Robert Glasper Trio 2016年@ブルーノート東京

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ロバート・グラスパー・トリオ、ブルーノート東京、12/22 1stセット。

ロバート・グラスパーは名前だけは聞いたことがあった。でも、一度も音楽は聴いたことがないし、どんな音楽を演っているかもよく知らない。一方で、マイルス・デイヴィス絡みのニュースで名前が出て来るなど、活発な活動ぶりから話題性のある人であるらしいことはなんとなくわかっていた。それなのに、9月のジョシア・レッドマン&ブラッド・メルドーのときにコットンクラブ見かけた公演案内を見てライヴに行ってみようと思い立って予約してしまった。たまにはこういうノリで馴染みのない音楽を聴くのも新鮮でいいかなあと思いまして。とはいえ、予約してから当日までに時間はたっぷりあるので何枚かCDを聴いてみる。この人はオーソドックなピアノ・トリオ・ジャズを演っていて、一方でヒップホップも演る新世代ジャズ・ミュージシャンと世間では認知されていることも徐々にわかってきた。

僕は自分の好きなジャンルに限らず、音楽全体が好きである。でも、実はヒップホップはとっても苦手。ついでに言うと21世紀に入ったあたりからR&Bと呼ばれるようになった音楽(70年代までのR&Bはむしろ大好きだけど最近のR&Bは別物=WiKiにも書いてある)とユーロビートも苦手。それらの何が苦手かというと、打ち込みだから。リズムを重要視する僕にとって、リズムは人間が刻むからこその不規則さや癖があるから面白いと思っているのに、ベースもドラムを機械任せだとその面白さがなくなってしまう。そうかと言って機械が刻むリズムならではの面白さを打ち込み系音楽が追求しているようにも見えず、単に楽をするために機械に頼っているように思えてしまう。ロイ・ハーグローヴやホセ・ジェイムズのようにジャズの生身のリズムの良さを知っているはずの人がヒップホップも演るなんて不思議だなあ、と思うくらい僕にとってヒップホップは遠い彼方の別世界に存在しているわけです。

今回のブルーノート公演では、ピアノ・トリオ編成ということでCDの方もジャズ系の「Covered」「Canvas」を選んで聴いてみる。ピアノは特別高度なテクニックで主張するタイプではないもののジャズ・ピアニストとしての水準は軽くクリアしているし、現代的に適度に洗練されたタッチを持っている。そして表面には現れなくとも、ブルースやゴスペルといった黒人音楽が根底に感じさせる骨太さがあってなかなかいい(黒いブラッド・メルドーという呼ぶ人もいるらしいけれどそれほど共通性があるとは僕には思えない)。驚くのは、ピアノ・トリオではサポートする役割に回ることが多いベースとドラムのリズムが重くて強靭なこと。バスドラムの踏み方と重々しさは、一般的なジャズとは違って、なるほどヒップホップにどこか通じているようにも聴こえる。そんなリズム隊にピアノがまったく負けていない。こんなピアノ・トリオは聴いたことがない。

さらにヒップホップ系のアルバムだという「ArtScience」を聴いてみる。アグレッシヴに始まるフォービートで「あれ?」と思っていると間もなく、ミドルテンポの聴き慣れた「ドンドン、チッ」というにリズムにシームレスに切り替わり、以降は、馴染みのあるヒップホップが展開されて行く。確かにこれはまったくジャズではないし、僕の苦手なヒップホップに間違いない。ところがどういうわけかツマラナイという感情が浮かんでこなくて、これはこれでなかなかイイなと思ってしまう。エレピやピアノ演奏にジャズ的な手法があるということはあるにしても、不思議と馴染んでしまうということはヒップホップでも音楽的にしっかりしたものであれば楽しめるということなんだろうか、と自問してしまう。続けて聴いた「Double Booked」は前半がピアノトリオ、後半がヒップホップという構成で、これまた流れに違和感がなく、しかも入り組んだキレ味のリズムが冴える後半(これでドラマーが前半と同じというから驚き)の方がカッコイイ。むしろこっちの方を聴いてみたい、とすら思うようになってしまう。かつて、ハービー・ハンコックがアコースティック・ジャズとジャズを下敷きにしたファンク・ミュージックを並行させていたときと同じように、ロバート・グラスパーはジャズとヒップホップで二足の草鞋を履いていて、しかも完成度が高い。こういう芸当は芯がしっかりした本物のミュージシャンでないとできないと思う。

そんな予習を終えて、いざ当日。

メンバーは、レギュラー・トリオに加えてDJを加えた4人。
Robert Glasper (p)
Vicente Archer (b)
Damion Reid (ds)
DJ Jahi Sundance (turntable)

開演予定時刻10分前からDJが登場、場内がやや暗転すると馴染みの曲にヒップホップなリズムを加えてシャーデーの"By Your Side"やストーンズの"Miss You"などを流しはじめる。ただ、ぶっちゃけ、これの何が面白いのか僕にはよくわからない(苦笑)。それが20分ほど続くと他の3人が入場、DJが流している音に被せるように演奏に入る。以降、DJははっきり言って目立たない。定常的リズムのときに雰囲気的に音を入れるだけで、ピアノ・トリオ・ジャズに軽く塩の一振りくらいの味付け程度という役割を求められの存在ということらしい。

さて、肝心のピアノ・トリオの演奏はというと、とても良かった。アルバム「Covered」と同じ路線でピアノ・トリオなのにジャズっぽくない強靭なリズムで迫る。グラスパーのピアノは特別主張するタイプではないものの、黒人らしさと現代風の洗練されたタッチが同居して心地よい。ベースとドラムの上手さはさすがというレベルで、長年レギュラー・グループで演奏しているだけあって阿吽の呼吸と余裕がある。あと、見ていてわかったのがジャズ・ドラマーの特徴である右手によるレガート・シンバルをあえて使わずに、左手のシンバルでミュート気味に刻むリズムがこのグループのリズム、グルーヴ感を特徴づけていること。利き腕でない左手を使うことであえてスムーズに流れない小刻みで独特なグルーヴ感が生まれていて、これが普通のピアノ・トリオ・ジャズとは違うノリを作り上げている。生で聴くと、視覚的だけでなく、このあたりのフィーリングがよりわかる。

最後は右手によるスピーディなレガート・シンバルでストレート・アヘッドなフォービート演奏を聴かせたあと、"もろびとこぞりて"を織り交ぜてクリスマスらしく静かにクロージング。1時間強程度の短時間でもトリオとしての幅の広さを見せつけた。あと、ルックスとは裏腹に、グラスパーの音楽は品があって押し付けがましさがない。そんなところも好印象だった。

ハービー・ハンコックはアコースティック・ジャズとファンク・フュージョンを二刀流で成功させた。僕の印象では、ハンコックは両者で頭を切り替えてそれぞれを演じていたように思う。でも、グラスパーのアコースティック・ジャズとヒップホップは繋がっている。ただ重心のかけ方が違っているだけにすぎない。融合という意味ではグラスパーの方が上手で、だからこそどちら系の音楽を演っても説得力があるんだと思う。

流石に今乗りに乗っているミュージシャンは違う。今年最後のライヴを気分良く締めることができた。ロバート・グラスパーに感謝!

お布施道 Part V-On (and off) the Load 1981-1984 / King Crimson

KC80s201612

熱心なファンであればご存知の通り、キング・クリムゾンは74年の「Red」で解散している。

今思えば若く未熟な音楽評論家やライターが作り上げたイメージ、限られた情報しかなかった時代に、英国ロックは何やら崇高な存在かのように祭り上げられていた70年代。後追いながら、僕も学生時代には70年代の英国ロックを同じように一段高いところに置いて「アメリカのチャラチャラしたロックなんて聴いてられるかっ!」と鼻息が荒かった。ここ日本においてはキング・クリムゾンは70年代英国ロックのそんなイメージを代表するグループとして扱われていたように思う。余談ながら、かつて英会話教室で、音楽好きを自称する講師と少なくとも15人以上は音楽談義した経験から言うと、イエス、ピンク・フロイド、ジェネシスはほとんどの人が分かってくれたものの、キング・クリムゾンをわかってくれたのはたったの1人だけで、良く言われている日本だけの歪なクリムゾン崇拝現象を実感したことがある(DGMサイトも過半数は日本からのアクセスなのだとか)。

それはさておき・・・

81年にディシプリンと名乗るロバート・フリップの新バンドが誕生、間もなくキング・クリムゾンと改名する。記憶にあるビル・ブルーフォードのコメントでは「名前をキング・クリムゾンにするだけでオファーが急に増えてギャラが何倍にもなった」そうで、こう言ってはナンだけれども、これだけの実力がありつつもこの程度の一般的知名度のメンバーではイチからのデビューはかなり厳しかったらしい。名前を変えるだけで耳を傾けてくれて待遇が大幅に良くなるのなら、クリムゾンの名前を掘り起こして使ったことは当然のことのように思える。

そんな経緯で始まった80年代のクリムゾンは、アメリカ人が2名、ギタリストが2名という、それまでのクリムゾンとはまったく別の性質を持つグループになった。そりゃそうだ、別のバンドとして始まったんだから。しかし、キング・クリムゾンという名前を使ってしまったが故に、70年代のクリムゾンと比較され、異質であるところを忌み嫌うファンも現れた(特にここ日本では)。

そういう僕も、後追いで聴いて70年代のクリムゾンが気に入り、それからから「Disipline」を聴いた。つまり、リアルタイムで聴いてきた人たちと同じ流れで80年代のクリムゾンに接したから、当時のファンと同様に大きな抵抗感を抱いてしまい、正直なところあまり聴かなかった。91年に「Frame by Frame: The Essential King Crimson」ボックスを購入すると、Disc 3が80年代のベスト盤的選曲になっていて、そこで初めて聴いた「Beat」「Three Of A Perfect Pair」収録曲が予想外になかなか良く、ようやく残り2枚のアルバムを購入して「なるほど、コレはコレでカッコいいかも」と思うようなれた。更に、94年から活動を再開したクリムゾンはメタリックなサウンドを指向してはいたものの、音楽の基盤は80年代の4人が作ったもので、ここで改めて80年代ラインナップのレベルの高さを理解することになった。ダブル・トリオを聴いて80年代クリムゾンを再認識したのは僕だけではなかったんじゃないかと思う。

ロバート・フリップは40周年記念盤として過去のアルバムを次々とリミックス/リマスター、5.1ch化してきて、「Discipline」を2011年にリリース。あとは「Beat」「Three Of A Perfect Pair」で間もなく完結するのかと思いきゃ、その後音沙汰が途絶えてしまっていた。そして2016年も終わりに差し掛かろうというときにようやくリリースされるとともに「全部入り」ボックスも合わせてリリースされることに。これはフリップとしてはいささか不用意なビジネス方法で、本来なら「Beat」「Three Of A Perfect Pair」を先に出して(買わせて)から、付加価値コンテンツを上乗せして箱で売る、という流れになるはずのところが、同時発売となると単品は買わなくなってしまう人も現れるだろうから(はい、ワタクシです)。まあ、もうすぐ50周年を迎えようとしているのに40周年記念企画が終わっていないのはマズイという判断もあったんでしょう。

では、「On (and off) the Load 1981-1984」について以下書き連ねてみる。

【CD】
[1] Discipline 2011ミックス
[2] Live In Japan
[3] Beat 2016ミックス
[4] Live At Alabamahalle
[5] Fragmented
[6] Three Of A Perfect Pair 2016ミックス
[7][8] Absent Lovers
[9] Are You Recording Gary?
[16] Live At The Moles
[17] Europe 1982(Frejus)

まずはオリジナル・アルバムのスティーヴン・ウィルソン・ミックスから。
[1] は2011年リリースの40周年記念盤と同じもの。
[3] はこの箱と同時に単独発売もされている40周年記念盤。"Requiem"は4分長いエクステンデッド・バージョンに差し替えて収録。ただし、このエクステンド・バージョンは冒頭のフリップのサウンドスケープ部が長いだけで特に感動はない。ボーナストラックとしては"Abesent Lovers(Studio take)"というインストを追加。それほどテンションが高いわけではなく幾多あるリハーサル音源よりはまとまっているかな程度の完成度。
[6] も40周年記念盤。30周年記念盤とはボーナストラックが異なっており、3バージョンあった"Sleepless"はカット、代わりに"Robert's Ballad" "Shidare Zakura"という曲が追加されている。一見、従来と同じ曲かと思う"Indutrial Zone"は"A"と"B"がそれぞれ1:45→3:15、4:33→5:34になり、15:50の"C"が追加されている。

3作品とも、ミックスはアナログ的な柔らかい感触と音の見通しの良さが特徴の、既に良く知られたスティーヴン・ウィルソン流の仕上がり。オリジナル・ミックスにあった音の削除、あるいは収録されていなかったマスターテープからの(こんなフレーズ入ってたっけのような)音の拾い上げは今回はないと思う。

その他の音源について。
[2] は81年12月18日、国際ホールでの初来日ステージ。このときの日本ツアーはまとめてDGM Live!で公開済み(僕は未聴)で、この日のみ本ボックスのCDとして収められている。音質はオーディエンス録音としては良好な部類。演奏は82年以降のものと比べると幾分ラフで、そのまだ熟しきっていないところが聴きどころか。観客からの「Andy!」という掛け声に「Wrong Band?」と応えるブリューや、ところどころ聴こえる観客の話し声につい笑ってしまう。
[4] はClub32「Live In Munich」と同じ音源でリマスターを施して(6曲は新しいソースから採用とコメントあり)おり、音質はワンランク向上している。
[5] はClub21「Champaign-Urbana Sessions」と同一音源。こちらもリマスタリングが施され音質は少し向上している。
[7][8]は従来盤のリマスター。リリースが比較的新しいこともあってか劇的な音質向上は感じない。それでも、角が取れて聴きやすい今風の音に仕上がっている。80年代クリムゾンはコレクターズ・クラブやDGM Live!で幾多の音源が公開されている中、内容、質ともにやはりこれが最高峰。
[16] は、まだDisciplineというグループ名だったこのメンツのデビュー・ギグを記録したClub11「Live At The Moles」と同一音源。元々オーディエンス録音で音質が悪いソースだが、幾分音が良くなって聴きやすくなっている。生まれたばかりのバンドならではの手探り感を楽しむ音源。
[17] は、DGM Live!で配信済み82年8月26日Frejusと同じ音源。しかし、どういうわけだか曲順を大幅に入れ替えてある(既発音源が恐らくは実際の曲順)。音質は一皮むけたと言って良いレベルで向上している。
尚、[16][17]はボーナス・ディスク扱いでCDケースではなく厚紙に差し込んで収められており、豪華ブックレットでも内容については触れられていない。

これ以外に、スタジオ盤3部作のレコーディング・セッションからそれぞれ抜き出して編集した [9] があり、「Larks' Tongues In Aspic」ボックスの"Keep That One, Nick"、THRAKボックスの"JurassiKc THRAK"と同じ趣向の、Larks' Tongues In Aspic Part III版 "Are You Recording Gary?" (既に"VROOOM VROOOM"の中間部が演奏されていたりする)の他、各アルバムごとのセッション音源を1曲に編集(こちらは演奏が止まったり会話が入ったりしない)したトラックが3曲収録されている。音源の目新しさという意味では本ボックスの目玉ディスク。全体的にリハーサルのような演奏でテンションも高くないため、何度も繰り返して聴きたいとは思わないものの、あそこは裏でこんな演奏をしていたんだ的な楽しみ方ができる。


【DVD-Audio: Discipline】
アルバム本編:
5.1 DTS (DVD-videoでも再生可)
5.1 LPCM (24bit/96KHz)
LPCM Stereo(24bit/48KHz) (DVD-videoでも再生可)
MPLS Lossless Stereo(24bit/96KHz)

ボーナストラック:
(1) A selection of Adrian's vocal loops
(2) The Sheltering Sky ( Alternative mix - Steve Wilson )
(3) Thela Hun Ginjeet ( Alternative mix - Steve Wilson )
(4) The Terrifying of Thela Hun Ginjeet
(5) Elephant Talk 12" Dance mix
2曲あるスティーヴン・ウィルソンの別ミックスは、2011ミックスよりも更にクリアなサウンドに磨き上げられており、それでいて違和感のない仕上がり。製作時に2種類のリミックスを作成して、採用されたのが2011ミックス、採用されなかったのがこちらなのかもしれない。

その他コンテンツ:
30thアニバーサリー・リマスター(30周年記念盤と同じマスターのもの)
アルバム・ラフ・ミックス(ギターが強調されてドラムが引っ込み気味の粗いミックス)

ビデオ・コンテンツ:(LPCM Stereo 24/96、LPCMサラウンド)
Selections from The Old Grey Whistle Test
(1) Elephant Talk (口パク)
recorded live ath The Venue, October 1981
(2) Frame By Frame
(3) Indiscipline
recorded at the BBC, March 15th 1982
珍しいテレビでの生演奏。コンパクトにまとめてあるが演奏に手抜きなし。

以上、既発40周年記念盤とコンテンツ、スペック共に同じ(だと思う)。

【DVD-Audio: Beat】
アルバム本編:
5.1 DTS (DVD-videoでも再生可)
5.1 LPCM(24bit/48KHz)
LPCM Stereo(24bit/48KHz) (DVD-videoでも再生可)
MPLS Lossless Stereo(24bit/48KHz)

その他コンテンツ:
30thアニバーサリー・リマスター(30周年記念盤と同じマスターのもの)
オルタネイト・アルバム(ミックスやエフェクト、編集が一部異なる。"The Howler"はヴォーカル抜き。)

ボーナストラック:
(1) Abesent Lovers(Studio)
(2) Neal Jack And Me (alt take)
(3) Absent Lovers (Live)

ビデオ・コンテンツ:(LPCM Stereo 24/96、LPCMサラウンド)
(1) Heartbeat(Promotion Video)
(2) Waiting Man(Live)
(3) Heartbeat(Live)
(1)はこの時代としてはがんばって作った、しかし今となっては少々気恥ずかしいプロモ・ビデオ。(2)(3)は82年9月29日ミュンヘンのライヴから2曲。

単独40周年記念盤と仕様が同じかどうかは不明(わざわざ別仕様を用意する方が手間もコストがかかるだろうから同じなのでは?)。どういうわけかDVD-Audioでのみ再生できるコンテンツが「Discipline」の96KHzから48KHzにスペックダウンしている。

【DVD-Audio: Three Of A Perfect Pair】
アルバム本編:
5.1 DTS (DVD-videoでも再生可)
5.1 LPCM (24bit/48KHz)
LPCM Stereo(24bit/48KHz) (DVD-videoでも再生可)
MPLS Lossless Stereo(24bit/48KHz)
DVD-Audioのみに収録されているボーナストラックはなし。

その他コンテンツ:
30thアニバーサリー・リマスター(30周年記念盤と同じマスターのもの)
"Sleepless" プロモーション・ビデオ

音声のスペックは「Beat」のDVD-Audioに準ずる。

尚、「Beat」「Three Of A Perfect Pair」の5.1chスティーヴン・ウィルソン・ミックスは、これまで同様に素晴らしい仕上がりで、「Discipline」を含め、どちらかと言えば軽くて平板と思っていた80年代クリムゾン・サウンドに適度な厚みと立体感を与えることに成功していると思う。元々ジョークである"King Crimson Barber Shop"はトニーの声が各チャンネルに分かれて分離良く聴こえるところが結構笑えます。


【Blu-ray: Discipline】
DVD-Audioの内容に加え、映像コンテンツとして81年10月5日Moles Clubでのフランス・テレビ局によるインタビュー、82年8月27日のLive In Frejus(7曲:既発DVD「Neal Jack And Me」と同じ内容)を収録。"Matte Kudasai (Alternate Version)" は30周年記念バージョンの最後ではなくAdditional Tracksのところに移されている。
メイン・コンテンツの音声は、5.1 DTA-MA、 5.1ch & 2.0ch LPCM (すべて24bit/96KHz)で収録されておりDVD-Audioよりもハイスペック。

【Blu-ray: Beat】
DVD-Audioの内容に加え、82年9月29日のLive At Alabamahalle 6曲(DVDに加えて4曲)の映像(LPCM 24bit/48KHz)を収録。
メイン・コンテンツの音声は、5.1 DTA-MA、 5.1ch & 2.0ch LPCM (すべて24bit/96KHz)で収録されておりDVD-Audioよりもハイスペック。

【Blu-ray: Three Of A Perfect Pair】
DVD-Audioの内容に加え、84年モントリオール公演の「Absent Lovers」5.1 DTA-MA (24bit/96KHz)、LPCM surround & Stereo (24bit/96KHz)音声+「Three Of A Perfect Tour Live In Japan」5.1 DTA-MA (24bit/96KHz)、LPCM surround & Stereo (24bit/96KHz)の映像を収録。「Live In Japan」は編集前の単独別カメラ、別日の映像も収録している(音声はLPCM 24bit/48KHz)。
メイン・コンテンツの音声はこちらも5.1 DTS-MA (24bit/96KHz)、 5.1ch & 2.0ch LPCM (すべて24bit/96KHz)でDVD-Audioよりもハイスペック。尚、「Absent Lovers」の5.1chはスタジオ盤ミックスのような音の明確な振り分けはなく、リアに残響感を補足する仕上がりになっているので過度な期待はしない方が良いかもしれない。


【ボーナス・ディスク(DVD)】
Disc 18はDVD「Neal And Jack And Me」と同じ日の映像2公演分を収録。ただし、微妙に内容が違っている(後述)。
それ以外には、本ボックスCD収録音源やコレクターズ・クラブで公開済みの音源を5公演分収録。
・Philadelphia (82/7/30)
・Asbury Park(82/7/31)
・Cap D'Agde(82/8/26)
・Frejus(82/8/27)
・Europe 1982(82/8/27)※Frejusのリマスターおよび曲順変更版

Blu-rayには、本ボックスのDVD-Audio(=40周年記念盤)と既発DVD「Neal And Jack And Me」コンテンツがすべて含まれているため、これさえあればこれまでのマテリアルは不要、と言いたいところだけれども完全に同じというわけではなく、少々ややこしい。

Blu-ray収録の映像、画面はワイドスクリーン化してある。でも、画像はやや横広がりだし、元々SD画質のものを引き伸ばしているのでむしろ粗さが目立ってあまり良い仕上がりとはいえない。また82年ミュンヘンの6曲、「Live In Japan」共にボーナスDVD(Disc 19)ではオリジナルの4:3画面のままで収録され妙な画面引き伸ばし感がなくてむしろ自然で良い印象。結論として、映像に関してはBlu-rayよりもDVDのボーナス・ディスクの方が良いように思える。

音声は、84年Live In JapanはDTS-MAにグレードアップして音質もクリアにはなっているものの音に厚みがなく、明らかにBlu-rayの方が音が良いかと尋ねられると必ずしもそうとは言いにくい(違っていることは確か)。DVD「Neal And Jack And Me」の84年Live In Japanは、手持ちのDVDだと仕様上は収録されていることになっているはずの5.1ch Dolby Digitalでどういうわけか再生できない(メニューでも選択できるが切り替えても2chステレオ)。Blu-rayでは5.1ch DTS-MAと表記されているものの、こちらも2chでしか再生できない。ところがボーナス・ディスク扱いのDisc 18のDVDではDTS 5.1ch再生ができる。

この箱(DVD、Blu-rayとも)に収録されている84年Live In Japanは「Neal And Jack And Me」では1曲めに収録されていた"Three Of A Perfect Pair"が曲順通りのところに収まり、未収録だった"Discipline"が追加されているところがトピックとなっている。

【まとめ】
今回の箱は、スタジオ・アルバムの40周年記念バージョンを3セット分も収録しているところがこれまでとは異色で、DGM Live!で多数公開されているこのラインナップのライヴ音源は良質なものだけを選んでブラッシュアップしてある。ライヴ音源に関してはフリップから「これは押さえておいてほしい」とお墨付きが出たものと言って差し支えないんじゃないだろうか。ブートレグ・レベルのライヴ音源をあるだけ詰め込んでいた70年代ボックスと比べると良心的と言って良いかもしれない。とはいえ、この箱でしか聴けない音源は CD 7「Are You Recording Gary?」とビデオ「Live In Japan」の"Discipline"、ミュンヘンでのライヴ映像4曲分くらい。既発ライヴ音源のリマスター、よりハイレゾ仕様のBlu-ray、ビデオ「Live In Japan」の追加映像、おまけ(当時のメモのコピーやチケット、84年日本ツアーのパンフレットのレプリカなど)、箱という体裁に魅力を感じないようであれば既発のDVDや単品の40周年記念盤で良いと思う。

なんて言ってはみましたが、この記事を読んで気になるような人なら買っちゃった方がスッキリすることでしょうね。次はヌーヴォ・メタル期かアイランズ期が来るんでしょうか。

大きくて重いDAPという不思議な製品とiPod Touchのミュージックアプリ変更

今回は「大きなお世話だ」的な話から(マニアさんから嫌がられるのはわかってるんですが、自由に思っていることを書けるのが個人ブログというものですから)。

ポータブル・オーディオ(またはDAP)の世界もどうやら行き着くところまで行ってしまったようで、最近はウォークマンがハイエンド市場に参入したことで高額機が一部の人で話題になっている。短時間試聴をした程度で言わせていただくと、普及価格帯の製品と較べてその音楽への世界観が変わったと言えるほど大きく音質が向上しているようには思えず、そんなものに一体なんの価値があるんだろうと思ってしまう。確かにスマホや3万円程度のDAPより音はイイですよ。でも、イイというよりは厚めの色付けがされているだけのように聴こえる。色付けを良くなったと拙速に判断せず、客観的に「本当に良くなったのか?」と音の末端の再現性にまで神経を集中させると、まあちょっとイイかな程度でしかない。所詮は一応鞄に入れて持ち運べる筐体に詰め込まなくてはならないポータブル、音質が向上する要素は限られている。

人間は先入観で大きく感じ方が変わる生き物なので高額だからイイ音と感じている人も少なからず存在する。そして自分はそんなことはないと思っている人ほど思い込みに左右されやすく、さして音質向上幅が大きくもないのに「サスガ、凄い音だ」とネットなどで書きたがる。そういう人間の曖昧さ、危うさを知らない人が、ネット情報に左右されて思い込みの連鎖ができあがって行く。人間は自分に都合が良い情報は聞き入れて、都合の悪い情報は耳を貸さないという特性もあるから高額製品に憧れを抱いている人は無意識かつ無自覚のまま良い情報だけを選別して吸収して行き、「そんなに音質いいかね?」という意見はなかったことにしてしまう。ネットに溢れるオーディオ評価にはそういう危うい面があることを理解していない人が客観的に音質を評価なんてできるはずがなく、しかし、そういう人たちこそが高額製品を熱心に支持しているように見える。歯止めが効かない人たちはヘッドホンやケーブルにも10万、20万と更につぎ込んでしまうらしい。

少なくとも僕は、確信している事象でさえも間違って認識している可能性はある、と考えるよう努めている。自分が間違っているはずがないと思うことほど愚かなものはない。マーク・トゥエインの「やっかいなのは、何も知らないことではない。実際は知らないのに、知っていると思い込んでいることだ」という言葉が今でも名言として残っているのは、自分には知らないことがある、わかっていないことがあるという自覚を持てず、誤った思い込みをした上でそれを他人に主張してしまうのが人間という愚かな生き物だから。

高額DAP、もちろん買いたい人は買えばいいと思います。そんなのは個人の自由ですから。でも僕は要らないですね。近所のスーパーでは毎年夏に1.5リットル1本1400円のアイスコーヒーが店頭に並ぶ。60本程度の初回入荷後は半分くらい売れ残ったまま9月を迎え、値引きされてようやく棚からなくなって行く。冷静に考えれば缶コーヒーと値段は大差なく、1400円は小学生のお小遣いでも買える金額であるにもかかわらず買う人が少ない。たとえ美味しくても家飲みのアイスコーヒーがこれでないと食生活が満たされないだろう、と多くの人が思わないからでしょう(飲んでみたら確かに別次元と言って良いくらい美味しく、でももう1本買おうとは思わなかった)。同じ理由でDAPに10万も出そうという気にはなれません。マツダ・デミオが買えるほど、これまでオーディオに投資してきた僕でさえも。

3万円程度の製品と比べて目を見張るほど音が良いとは思えないものなんてねえ、と僕は思うけれど、その少しの音質向上に価値を見出す人がいるのはまだ理解できる。でも、ポータブルなんですよね? 200gもあったらもはやどのポケットにも入れたくなくなるのに400gなんてものまである。ポータブルだから騒音まみれの外で聴くんですよね? それって国道沿いに住んで空気の綺麗さに拘っているようなものですよね?本領を発揮するとしたらホテルや図書館のような静かなところで音楽に没頭したいときくらい? どれほどあるのかわからないそんな状況のためだけに30万? そもそも、持ち歩くのに負担にならず、そこそこの音質で聴けるのがDAP(とその始祖であるウォークマン)という製品なのでは?

なぜDAPは普及した(多くの人が買った)のか、なぜDAPを使うのか、という当たり前のことがどこかに飛んでしまい、普及機(あるいはスマホ)でもそこそこ良い音がするのにポータビリティを無視してあと少しの音質向上を追い求めるようになってしまう。まさに本末転倒。では、据え置き機に匹敵する音楽体験が得られるかというとそこまでのものかと疑問を感じる(拙宅のお手軽NWプレイヤー+STAXヘッドホン構成でDAPとは異次元の素晴らしい音楽体験ができるがハイエンドDAPの半額程度でしかない)。今、市場に出ている高額DAPは、「もっともっと」という人間の醜悪な欲深さの化身であるかのように見える(実際、どれも見た目がカッコ悪い)。それを持って見るからに安物の服装で牛丼屋に行くような人がいたら、ああ、この人は物事全体を見て本質を掴んだり、優先順位を付けて落とし所を見つけたりとかできない人なんだろうなあって思いますね。

おっと、別にこんなものは買うべきじゃない、と言いたいわけではありません。ただ、もう一度冷静に考えてみてはどうでしょう?旅行にも行かず、美味しいレストランにも行かず、オシャレもせず、それどころかコンサートにすら行かず、音質の他に楽しみがないような人生をやっているのだとしたら勿体ないんじゃないかなあ、と僕は思うわけです。高額DAPを買うお金があれば現地まで行ってウィーン・フィルやベルリン・フィルを聴くことができるし、マンハッタンで毎晩ジャズクラブをハシゴすることだってできる。それらは生涯忘れ得ぬ体験になるばかりでなく、良い音楽体験をすればするほど音楽の素晴らしさをより理解できるようになって、手元にあるこれまでのCDだってより楽しめるようになる。本場の音楽体験からはそういう素晴らしき正の連鎖が生まれるものなんです。音質向上にはそれ以上の価値があると胸を張って言えるほどの筋金入りの音質マニアであれば、音質の道を邁進するのは理解できますけどね。えっ?家族や子供がいるからウィーンやらニューヨークやらには行けない?家族にも体験させてあげてくださいよ。高額DAPってそのくらいの余裕がある人が買うものでしょう?

あとオーディオは高いものを買って気分が満たされればいいんだ、心で聴くもんなんだという御仁がときどきいらっしゃいますが、それって物の良し悪しを自分で見極めることができないということですよね?オーディオは投資した金額の多さで自分を慰める趣味であってはならない、とある評論家が言っていましたが、そんな言われ方をするのは高級オーディオを買う人にはそういう人が多いからじゃないんでしょうかね。

話をちょっと広げると、いろいろなことを趣味にするとそれぞれの在り方、共通した在り方というのが見えてきます。そうやって学んだことは他の趣味の楽しみ方、視野の広げ方につながっていくもので、相乗効果で物事の本質を見抜く力も養われるわけです。何かひとつのことに打ち込む、という言葉の響きには熱意と純粋さのニュアンスが漂いますが、モノ作りの職人ならいざ知らず、金を出して音質を聴くだけの受け身な趣味にだけ打ち込むのは単に視野が狭いだけの偏屈ということにはならないでしょうか?

ま、余計なお世話的な話はこのへんで。

最近はスマホで音楽を聴くのが当たり前で、そもそもDAPそのものがニッチ製品。メーカーが力を入れているのは(高いから良いと思って買ってくれる音質マニアのおかげで)利益率の高い高額機、というわけで普通に使えるDAPがiPodシリーズかWlakman Aシリーズ以下くらいしかなくなってしまった。ウォークマンは扱いにくさと操作性の悪さに失望したので売ってしまい、今はiPod Touchを使っていることは過去記事でも書いた通り。

ところがiOSデバイスは、まずはApple Musicと統合したiOS 8.4(だったっけな?)でUIが大きく変わり、使い勝手が悪くなった。

クラシックのライブラリが多い僕の場合、CD数=アルバム数ではない。例えば、ベートーヴェンの交響曲は第9番を除いて多くの場合CD 1枚に2曲収録されており、リッピングしたその2曲は同一アルバムにするのではなく、Beethoven: Symphony #1、Beethoven: Symphony #2、...というようにアルバム扱いにしている(たぶんクラシックを聴いている人の多くがそうしていると思う)。そいう管理方法にした結果、ライブラリのアルバム数はCD枚数よりも増え、ロックとジャズも含めると2500を超えてしまっている(リビングオーディオ用可逆圧縮音源のライブラリが別途NASに蓄えてあってそちらは3000以上もある)。

こういう多曲持ちの人が、さて何を聴こうかとなったときにどうやってスムーズに曲を探すのか。僕の場合、DAPを操作しはじめる時点ではまだ何を聴くか決めていないことが多い。全ジャンルが混在して700以上もあるアーティストから探すと何が何だかわからなくなるから、まずはジャンルから入る。ロックの気分なのか、ジャズの気分なのか、クラシックの気分なのか、ここでまずは大別する。

ジャンルは例えばJazzだけで括ってもまだアーティスト数が125もあるので、リーダーの楽器ごとにJazz(Trumpet)、Jazz(Piano)のように更に分ける。ロックなら、Rock(UK 60s)、Rock(UK 70s)のようにしていて、数が膨大なアーティストのライブラリは単独ジャンル化している。ジャズとロックはこのようにジャンルの大枠から絞り込んでアーティストを決め、聴きたいアルバムに辿り着く。

クラシックだと、曲選びのプロセスが少し違ってくる場合がある。アーティスト(指揮者とオーケストラ)から聴きたいと思うのではなく、曲を決めてからアーティストを選びたいときが僕の場合は少なからずある。ジャンルは、Claasical(Beethoven)、Claasical(Bruckner)、...というように作曲家別に、数が少ない場合にはClassical(FRANCE)のように分類しておき、そこから選択。次にアーティスト名が出るけれど、例えばベートーヴェンの交響曲第5番が聴きたくてその中から指揮者とオケを選びたいという場合、ジャンル選択のあと全アーティストをタップしてズラリと並ぶ「Beethoven: Symphony #5」の中から選ぶ、という流れになることが多い。

以上はもう10年以上利用しているiTunes(と以前使っていたiPod classic)でのメニュー階層をベースに、一番スムーズかつストレスなくアルバムにたどり着くことができるようにするために僕なりに考えた管理・閲覧方法だった。ちなみにWalkman A17はジャンル階層の下に全アルバムがなかった(代わりに全曲がある)のでそのジャンル内の全アルバム一覧から演奏家を選べないことが不便でしょうがなく、それもWalkmanを手放す大きな理由になっていた。一方でがiOS 8.4からのミュージックアプリは、ジャンルの次にアーティスト一覧をスキップして全アルバム一覧がリストされるようになってしまった。

iOSは標準以外に結構な数のミュージック・アプリがあり、残念なiOS 8.4になったときにいくつか試してみたことがある。しかし、そのときにいくつか試したアプリは「ジャンル」→「アーティスト」か「全アルバム」という階層になっていないものばかりで使う気になれなかった。驚いたのはアプリによってだいぶ音質が違っていたことで、良い悪いろいうよりは音の傾向がかなり違う。標準アプリは音の味付けが少なく、特にオーケストラを聴いたときの音場が広くて僕の好みに一番合っていたので、サードベンダーのアプリはやめて結局はジャンルを更に細分化することで標準のミュージック・アプリを使い続けることにした。

ところが、iOS 10になったらUIが更に酷いことになってしまった。何しろ、1画面に大きなサムネイルがアルバム4枚分しか表示されない。しかもアルバム・タイトルの表示文字数が少ない(狭くて省略されてしまう)。どうやら、ジャケットで選べというのがアップルの主張らしい。例えば、ジャンルを選んだあとの画面になるとクラシックの場合は文字情報からはどの曲なのかさっぱりわからないし、全集はジャケット写真がほとんどの場合同じなのでジャケット写真で選ぶこともできない。こうなってしまうと、使いづらいを通り越してもはや使えないレベルと言わざるを得ない。

iPod Touch例201612

仕方がないのでもう一度アプリ探しをしてみたところ、ようやくUBIOという納得できるものに出会えた。UBIOは古くから有名なアプリだったようでiTunesのダウンロードランキングで1位になったこともあるらしい。iOS 8.4以前では当たり前だった「ジャンル」→「アーティスト」か「全アルバム」でブラウズできるだけで有り難い。音質傾向は標準アプリとは違うものの、イヤホンの選択設定と2Dパッドのイコライザーでそれなりに自分好みにできる。横表示にも対応しているので、アルバム名の表示文字数を多く取れるのも嬉しい。一部アプリのようにバッテリー消費が激しかったり、曲が飛んだり、ギャップレス再生ができないなんてこともない。現バージョンでは、曲送りや一時停止後に再生に戻れなくなるというBugがあるものの、アルバムを通して聴く僕にとっては幸いなことに問題ではない。尚、UBIOは音質向上アプリとして語られていることが多い。しかし向上しているわけではなく、音の傾向が違っていてエフェクトの調整幅が広いだけのこと。こんなことからも、良い音質と自分好みの音質を混同している人が多いことがわかる(高額DAPで音質が良くなると言う評価も単に色付けされた音の傾向を良いと感じているだけの人もいるのでは?何しろ数百円のアプリでも音の傾向は大きく変わってそれを音が良くなったと言う人が少なからずいるわけですから)。

iTunesやiPod Classicと同じメニュー構造で曲に辿り着けるアプリがこんなに少ないことに驚きを禁じ得ないけれど、ライブラリが多くて僕のような曲探しの方法を採っている人は(当たり前だけど)少なくて、求められていないんでしょうね。世界中のユーザーから不満の声が上がっている標準アプリを以前のように戻してもらえるのが理想ではあるとはいえ、いずれにしてもこのUBIOというアプリの存在は本当にありがたいです。

[余談]
25,000曲もライブラリを詰め込んでいることに対して「どうせそんなに聴かないのに無駄だね」と言う御仁がいらっしゃる。確かに全曲を聴こうと思っているわけではない。でも思い出してほしい。現代のDAPの始まりとも言えるiPodのコンセプトは、PCに蓄えてある大量のライブラリを丸ごとそのまま持ち歩ける(だから曲の転送ではなく同期が標準になっている)ことが新鮮で、多数曲持ちの人はDAPに入っている曲が何かを気にしなくて良いことに使い勝手の良さを感じていたわけです。例えば通勤途中に村上春樹の「1Q84」を読んでいたら滅多に聴かないヤナーチェクのシンフォニエッタが聴きたくなった、なんてことがあり得るわけで、そういうときにすぐに聴けないようでは大容量DAPの意味がない。聴きたいと思ったときに自分の全ライブラリから選んで聴けるイージーさに価値を認めている人に「どうせそんなに聴かないでしょ」というのは的外れな言葉なんです。ちなみに1度観た映画を未見だと思ってもう1度観てしまった経験が2回ある僕ですが、持っているCDを間違えてもう1度買ってしまったという経験は一度もなく、所有ライブラリは完璧に把握しています。

「Re:LIFE~リライフ」からの音楽の出会い

Careless Love201612

「Re:LIFE~リライフ~」の冒頭で流れたとても魅力的な曲を調べてみるとマデリン・ペルーという女性ヴォーカルでこの曲がリリースされたとき(2004年)にはまだ30歳ということに驚愕。ジャジーで深みと味わいのある歌声、確かなヴォイス・コントロール、抑えた情感と溢れる歌心が素晴らしい。サウンド的にはデビュー当時のノラ・ジョーンズと被る、ポップ・テイストのあるジャズ、あるいはジャズ・テイストのあるポップ、と言った感じ。正直なところ、歌の上手さ、表現力はマデリン・ペルーの方が数段上だし、ギター、オルガン、エレピを中心にシンプルを極めたバックの演奏もこちらの方が断然カッコイイ(その代わりノラには親しみやすさという武器がある)。粋でクールでリラックスできるジャジーな音楽でありながら、退屈とはまったく感じない芯のある音楽になっている。これで、ストリート・パフォーマンス上がりというから更に驚き。

昔はジャズと言えばマイルス、コルトレーンを筆頭に器楽もの、尖ったものを好んで聴いたものだけれども、最近はこういうリラックスしたものも気持ちよく聴ける歳になってきたのかもしれない。でも、実力あるミュージシャンの手によるものは薄っぺらくならないし、内に情熱がしっかりと宿っているから退屈だとはまったく感じない。アヴァンギャルドや高度な技巧に走らなくても、こんなに豊かな音楽ができるんだというお手本のような素晴らしいアルバムだと思う。

Upward Spiral201612

少し前にリリースされたブランフォード・マルサリスの新譜「Upward Spiral」も、かつてのブランフォードより肩の力が抜けて以前より包容力に持ちた秀作で、ここではカート・エリングの素晴らしいヴォーカルがその音楽を支え、シリアスさもある中からブランフォードの大らかさを引き出している。こちらも最近聴いたジャズの新譜の中では最高レベルの傑作だと思う。

ヴォーカルものも聴けるようになってきたのか、偶然素晴らしいヴォーカル・アルバムに続けて出会ったのか、わからないけれど、良い音楽に出会えるとやはり嬉しい。

「Re:LIFE~リライフ」

リライフ201612

先日、ヒュー・グラント主演の「Re:LIFE~リライフ~」を鑑賞。

超有名映画の脚本を書いた一発屋、その後冴えずに仕事もなく、何もない田舎の大学の講師となる。やる気もなくちゃらんぽらんに過ごす日々、しかし様々な出来事に遭遇するうちに、それまでと違う生き方を見つけていくようになる、というある意味意外性のない話です。なんかプロットが「ラブソングができるまで」に似ているなあと思ったら同じ監督・脚本家でした。

この監督、その他にもヒュー・グラント絡みの映画が多いこともあって、映画がもうヒュー・グラント(のキャラ)ありきの話になっている。これは観る人を選ぶ要因ではあるけれど、僕はそれでOK。

どこにでも(何にでも)価値がある、というところが話の落とし所でしょうか。途中までヒュー・グラントが言う「才能がなければ努力しても無駄だ」という主張を撤回するわけではなく、着地させているので鑑賞後感は爽やか。あと、映画や文学の小ネタ満載で、何について皮肉っているのか頭を巡らせるのに結構疲れつつ、笑えます。こういう映画はある程度の人生経験と文系の知識がないと楽しめないでしょうね。特に英国人であるヒュー・グラントがジェーン・オースティンを小馬鹿にしているところが笑えます。

その小馬鹿を投げかえられる女性教授、家族愛に溢れた学長(J.K.シモンズの本領発揮)、軽いノリの隣人、もう若くはないけれど前向きでチャーミングな学生(マリサ・トメイ)、その他の学生というメインのキャラが立っていてそれぞれに楽しく、そのあたりの作りはちょっと英国映画っぽくもありました。ヒュー・グラントが適度に歳を重ねたのもちゃんと味になっているところもまた良し。

僕が好きな映画は「人間をしっかりと描いたもの」で、この映画は軽いタッチながら人間、人生をうまく描いたなかなかの秀作だと思います。

で、この映画の冒頭にスモーキーな女性ヴォーカルに、シャープで少ない音数のエレピのバッキングがカッコイイ曲が流れて、一目惚れ(一聴惚れ)。これについては別稿で。

「村上さんのところ」という軽そうでいながら時に芯のある暇つぶし本

村上さん201611

世界的に有名な作家、村上春樹。僕が大学生のころ「ノルウェイの森」がベストセラーとしてかなり話題になっていたので読んだことがある。ストーリーはまったく覚えていない。ただ、「なんだかナヨっとしたハナシだなあ」という印象だけは覚えている。困ったことに、当時は村上龍と区別がついておらず、フランスの中堅テニス選手だったアンリ・ルコントに惚れ込んでテニス中継にまで出演して「僕の大好きなルコン(トはあえて発音しない)」を強烈にアピールする押し付けがましさが強烈だった村上龍が、こんなにナヨっとして小説を書く人だったんだと混乱していた。まあ、そんな勘違いがなかったとしてもあまり良い印象を持ったわけではなく、それ以降、村上春樹の本は読んでいない。ベストセラー本が自分にとっても面白いとは限らないということを学んだ本として「ノルウェイの森」は記憶に刻まれていた。それ以降、新刊が話題になってもまったく関心がなく「そんなに面白いものなのかねえ」と本屋で山積みになっているところを横目で見ているだけだった。

妻が、熱烈と言わないまでも村上春樹の結構なファンで、クラシック聴き始めのころに「小澤征爾さんと、音楽について話をする 」を勧められ、読んでみたらとても面白くて身近な存在と感じるようになってきた。まあ、それでも小説を読む気になったわけではない。ところがそのうち妻があるWebサイトを読んで日々笑って楽しそうにしているのを見て、何がそんなに面白いの?と訊いたら「村上さんのところ」というサイトだった。いくつかQ&Aを読ませてもらったら、たしかにクスッと笑える。後にそれをまとめた本も妻は買っていたので通勤の暇つぶしとして今頃になって読んでみた。

前述の小澤征爾との本やエッセイ系の文章を読んでいると村上春樹という人は、「ノルウェイの森」で抱いた印象通り、ナヨっとした人だなあと思う。実際にどんな感じの人なのかはともかく、とりあえず受ける印象としてはそう。上品だし知的だとは思うけれど、熱さや男らしい野性味とか押し出しの強さはまったく感じない。翻訳本も同様で、「ライ麦畑でつかまえて」ではやさぐれた主人公の苦悩が泥臭く描かれていてほしいろころなのに妙にお上品に仕上がってしまっている感じがして、たとえ古臭くても野崎孝訳の方が雰囲気が出ていて良いんじゃないかと思ったくらい、この人の文章は品が良すぎる。作家ってこんなに草食系でやっていけるんだ、と妙な感心をしてしまうほどに。

もうひとつ思ったことは、音楽の趣味がわりと僕と似ていること。クラシックやジャズを愛好するという僕と同じ趣味を持っていて、ジャズ喫茶を何年もやっていたという人(それもこの本を読んで初めて知った)にこんなことを言うのはいささか失礼であるんだけれど、「小澤征爾さんと・・・」を読んでいる限り、よく音楽を理解しているし、しっかり聴いているし、何より音楽に愛情がある印象を受ける。音楽を愛していると、音楽が好きな人を見抜けるようになる(「音楽」を別のものに置き換えても同じことが言える)もので、同じモノを愛好していると親近感も湧いてくる。好きなジャンルが似ているというだけでなく、フレディ・ハバードが好きだったりキース・ジャレットに否定的だったりするところまで僕の感覚に近い。

「村上さんのところ」を読んでいると考え方も僕と似ているなと思うところがある。僕は「皆が言っていること」に流されないタイプなので、周囲の人と意見や考え方が違うことが日常的にあって、状況によっては周囲の人に合わせる努力をしないと会話も禄にできないことだってある(だから自分の思うことをそのまま吐き出す場としてこんなブログを書いている)。村上春樹もいわゆる大衆と同じ感覚ではなく(当然か)、そういう人が世間を見てどう感じているのか、どうあしらっているかがこの本にもよく書かれているし、世間とのズレにどう落とし前をつけているのかも窺い知ることができる。そういう点で共感できるところがたくさんあって、なかなか面白く読むことができた。

また、僕が落とし所を見つけることができていないことへの回答もいくつかあり、特に「器」「容れ物」と表現しているところは僕にはとても腑に落ちる説明だった。たとえば「大人とは」「人生とは」的な質問に対して、それぞれ器にすぎず、中に何を入れているか、詰め込むかが重要という言い方で表現していて、なるほど、と思ってしまった。

僕と妻は、晩婚だったこともあって子供を持つことを最優先とは考えず、子供を持つために特別なことをしようとは思っていない。子供を育てることはとても尊いこと、人生の糧になる素晴らしい経験だと思っているし、もし子供がいたら何を教えることができただろうかと想像することもある。でも、これからの僕の人生の中に子育てという営みが現れることは恐らくない。妻と猫との生活で満たされていて人生に必要な重大事が抜け落ちていると思ったこともない。逆に熱心に子育てをしているうちの少なくない割合の人が子育てに依存している(生き甲斐が子育てだけになってしまっている)ようにさえ見えていて、そういう人は子供が巣立った後、どこに生き甲斐を見つけるんだろう、夫婦だけで心の通った会話もできない人生になってしまわないだろうか、などと余計なお世話ながら同情しているところすらある。それでも、「子供を育てる親の気持ちがわからないことは人生の中で何かが欠けているのかもしれない」という思いが心のかなり隅っこの方に居座っているのもまた事実だった。

子供がいない村上春樹は子供のいない人生について訊かれ、「子供がいるかいないかは、作業の方向性が少し変わるだけで人生のクオリティを左右するものではない。」と答えている。これは、僕が「何かが欠けているかもしれない」と思っていることに対する明確な回答になっていてスッキリ腹落ちした。もちろん、親の気持ちがわかるようになるわけではないけれど、自分の人生で得られない何かがあったとしてもそれはクオリティには関係なく、ただ方向性が変わるだけのこと。大事なことは人生のクオリティを上げるために人生という器に何を入れていくかということ。そう教えてもらったことで「何かが欠けている」という思いはなくなった。

人間、自分のことを100%客観視することなんてできないし、すべてのことに気づくことができるわけもない。世に溢れる自己啓発本は、自分に内在しているものに気づかせるためのものだと思うけれど、「村上さんのところ」は啓発本ではないのに、いろいろ気づかせてくれる。それはきっと村上春樹自身がしっかりと生きていて、生き方を率直に語っているからなんでしょう。「皆がそう言っているから」という理由で流されずに主体性を持って生きていこうという思いはそのままに、真に柔軟な思想を持っている人の意見を聴くこともまた必要なことであることを再認識させてくれたように思う。

などと書いていながら実は半分読んだところで疲れて一時停止中(苦笑)。一方でコンプリート版を買ってのんびりユルユルと読もうかとも思案中。あと、20歳のころに読んで何も感じなかった小説も今なら違った感じ方になるんだろうな、何か読んでみようかな、と妻の蔵書から「1Q84」を読破。正直なところ、とても面白かったとまでは思わなかったけれど、僕の場合、読みながら勝手に想像力が膨らんだら話に入り込んだ(小説を楽しんだ)証拠で、そういう意味で楽しく読めたと思う。周囲の人間に馴染めないどこか孤独な主人公というのは村上作品の定番(多くの小説はそうかもしれないけれど)らしく、若いころには無意識だったものの歳を重ねるほど周囲の人間との間に違和感を強くを持つようになってきた僕は、そういう人物設定に馴染みやすくなったのかもしれない。そう思うと意外と村上作品、肌に合っているのかも。あれ?妻が僕のことを気に入ってくれたのも村上作品の主人公や村上春樹自身のような要素が多少なりともあったからなのか?

ちなみに妻は、周囲に綺麗と言ってもらえる容姿に恵まれているにもかかわらず39歳まで婚活をしていた。「普通の人が一番イヤ」というちょっと変わった感性の持ち主で、婚活をしているうちに自分がこれと思えるような男性なんていないんじゃないかとどんどん悲観的になり、ご両親ももう結婚しないのでは諦めていたほど、ありきたりな人には惹かれないらしい。そして今でもよく「私と結婚してくれてありがとう」と言ってくれます。

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