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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

人間らしく暮らすために「人間は弱い生き物である」ことを認め合う社会になってほしい

人間201608

ブログ開設3周年のときに記事でこんなことを書きました。

「今年の3月まで70名のあるシステム運用チームのデリバリー責任者をやっていました。よく問題となるのがオペレーション・ミスです。だからヒューマン・エラーのメカニズムをかなり勉強しました。書物や教材によると、人間はミスを犯す生き物であることがまず説明されています。まあ、そうでしょう、ミスをしたことのない人間などいるわけないのですから。もう一歩踏み込むと、人間特性というキーワードでいろいろと例を挙げて説明されます。たとえば、集団で議論しているときに「みんなが言っているから、そうだ」と思い込むこと(あるいは違うと思っても何も言わずに従うこと)は集団浅慮と呼ばれるもので人間の特質のひとつだと紹介されます。また、3.11のとき津波警報が発信されたのに逃げなかった人がいたのは、人間というのは受け入れたくない事実、自分にとっての不都合から目を背けるという特性があり、根拠もなく「津波なんていう起きてほしくないことが自分の身に振りかかるはずがない」と思ってしまうからと説明されます。人間というのはいかに不完全で、怠け者で、意思が弱くて物事を正しく見極めることができないかということを学び、それを踏まえた上で業務の仕組みを作りましょう、というのが簡単に言ってしまうと究極のヒューマンエラー防止策になるんです。」

若いころ僕は、相手への要求度が高いとよく言われていました。例えば「プロなんだからそれくらいまでやって当たり前だろう」というやつです。「プロなんだから」の部分は、「大人なんだから」とか「親なんだんだから」とか「高校生なんだから」など状況によって置き換わります。だから、やるべきことをやらない他人に対して腹を立てることがよくありました。

しかし、チームを教育するためにヒューマンエラーの勉強をしたことによって、人間というのがダメな生き物だと理解できるようになったことが実は自分にとって大きな収穫になりました。よく、「相手に期待するから腹が立つんだよ」と言ったりしますが、自分の思いだけで基準点を設けて、そこに至っていないからという理由で腹を立てるというのは考えてみればかなり身勝手なことです。

昨今、不祥事として目立っていたのが自動車メーカーの燃費問題。フォルクスワーゲンの不祥事から始まり、日本では三菱とスズキが不正を行っていました。これらは客観的に事実だけみたら本当にけしからん事です。弁解の余地などありません。ここ数年、いや10年以上にわたってカタログ上の燃費がどんどん良くなって行っていることに対して「排ガス(CO2やNOx)が社会問題と捉えられているからとはいえ、既に枯れた技術と思っていた内燃機関がここまで右肩上がりに進化し続けて行くなんて自動車メーカーの技術って凄いな」と僕は感心していたのですが、裏では開発者が苦しみ、無理を強いていたということでしょう。僕はクルマ愛好家の一人として、燃費問題で不祥事を起こしたメーカーをあまり責める気になれないんです。

人間、実現することが困難なことに対して「必ず達成しろ。さもなければクビだ」と言われた場合にどう行動するか。日本企業ではそこまで直接的な言われ方はしないまでも、できなければ事実上降格になって敗者復活の道がないということは今の御時世ならあるんじゃないでしょうか。

「明日までに何が何でも原因調査を終わらせて報告せよ」と言われたら、まだ確定しきっていない情報であっても確定したものと報告する人は少なくないのでは?あるいは達成すべきゴールに少し足りなかったら、理由を考えて上乗せし、達成したと見せかけて報告する人もいるでしょう。10年以上サラリーマンをやっていてこのようなごまかしをしたことがない人などほとんどいないはずです。立派なキャリアがある(同じ条件で簡単に転職できる)わけでもなく、住宅ローンを払って家族を養っているサラリーマンで「達成できなかったのでどうぞクビにしてください」と言える人が一体どのくらいいるというのでしょう?

もっと身近で質の違う話だと、女性の中には、例えばグループであっても亭主(あるいは彼氏)の飲み会に自分以外の女性がいることは許さないという人がいたりします。そう言われている亭主の中で、そのような(尚且つ楽しそうな)飲み会に誘われたときに「嫁(あるいは彼女)が許さないから」と断れる人がどのくらいいるというのでしょう?ほとんどの人は男だけの飲み会と偽って参加することでしょう。僕の知る限り、妻の要求が厳しい亭主ほどウソでごまかすことが日常化しています。

人間、どうしても向き合いたくないことに直面したとき、あるいは追い込まれたときにどうするか?答えは100%決まっています。

「逃げる」んです。それ以外に取れる行動はありません。

会いたくない人には会わないようにする。気が進まない仕事は後回しにする。できないことには嘘をつく。これらはすべて「逃げ」の一種です。そして「向き合いたくないこと」は人それぞれに違っています。ある人にとっては些細なことかもしれませんが、当人にとっては重大なことなのかもしれません。

確かに燃費不正は社会問題として糾弾されなければなりません。抜け道があったとはいえ、目的があって定めた決まりの「目的」を無視したわけですから社会的制裁を受けて当然のことです。しかし、「もう三菱のクルマなんて絶対に買わない」と短絡的に吐き捨てるだけの人は、自分が追い込まれたとしても逃げない立派な人間なんでしょうか?

(8/31追記:燃費再検査で不正をやった三菱はさすがにもうアウトです。この記事のテーマで主張しているのは人間はそんなに完全ではないというものですが、ここまで酷いとさすがに腐っていると言わざるを得ません)

僕の27年のサラリーマン人生で接してきた人の60%は、たとえその内容が非現実的、非人間的、非道徳的であったとしても上の言いなりになってやる人たちでした。いわゆる「犬」タイプで思考が停止している人種です。あと30%は上に言われたことを咀嚼して意義を見出してやり遂げようする人。しかし、追い込まれると言いなりの人60%と行動は同じになります。正しいか正しくないかを自身の頭で考えて、打開策を考え、追い込まれても言われた通りの成果が出せる優秀な人、あるいはそんな無茶なことはできないと理論立てて反論できる人なんて10%くらいしかいません。その10%の人ですら「何事からも逃げない」というほど強靭な精神力と能力を持っているわけではなく弱みがどこかにあります。そりゃ当たり前でしょう。そんな完璧な人間などいるはずがないんですから。

「人間は弱い生き物で、追い込まれたら90%以上の人が嘘でごまかす」ということを知らない正義気取りの批判は、実に子供じみたみっともない行為なんじゃないでしょうか。人間が弱い生き物であることを見越した上で不正を防止できる社会をどう作るかを提言しなくては意味がありません(罰則強化は弱い人間を更に追い込むだけ)。その先には「厳しすぎる要求をすることは非人間的行為」であるという成熟した考えと社会的認知が必要でしょう。「お客様は神様です」(=相手も自分も同じ不完全な人間なんだという意識の欠如)がまかり通る精神的に幼い国民性の日本でそれを求めることは「厳しすぎる要求」なのかもしれません。更に言うなら、一度失敗したら許されないという、銀行や官僚的体質を持つ古い日本企業の文化も、「人間はミスをする生き物」という前提がない大人げないもので、チャレンジせず当たり障りなく何もしないことが出世への近道という結果をもたらしています。このような組織体質が不正の温床になっていることも言えるでしょう。

弱い生き物である人間が例えば原発なんてコントロールできるわけないんです。そして利権に押し流されて原発稼働を止められないのも人間で、潰したいからと原発に不都合な記事を捏造してしまうのも人間です。皆、自分勝手でわがままで、精神的にも弱い。それを皆が認めあって、その上で社会の仕組みを作ること以外に世の中が良くなる方法はないでしょう。

そういう意味で欧米は国によって程度の差こそあれすべてが緩い。ラテン系の国なら旅行に行っただけでもそのいい加減さを感じ取ることができるし、海外の人間と交渉しなくてはならない仕事をしている人なら欧米人の緩さは身に沁みてわかっているものです。しかし、彼らの生活が貧弱で秩序がないようには見えません。自動車燃費不正が最初に明らかになったのは、日本人と少し似た生真面目な気質を持つドイツ人だというのも象徴的です。フランスやイタリアのメーカーはなぜインチキをしなかったのか。エンジニアを追い込むほどの厳しい要求が出ていないからではないのかと勝手に思っています(彼らは自分たちに厳しい目標を課して燃費で1位になることを最大目標にしているとは思えない)。人間が弱いものだと認め合っているから、ギリギリまで追い込まないわけです。

日本は精密さ、正確さを追い求め、失敗、瑕疵を許さない厳しさ一辺倒であることが当たり前、しかし自分がそれを求められると黙々と相手の要求に取り組む、というのがスタンダード。そしてその厳しさに耐えられなくなると人間は誰でも逃げる(不正に走る)。それは、逃げずに成し遂げることが美徳とされていることを逆説的に意味するわけですが、どこまでも逃げずにやっていけるほど人間は強くありません。人を追い込まない文化のところでは、そもそも逃げたくようなことにならないように生活しているわけです。世の中、厳しさが必要とされるところもあるだろう、そんな緩い国の基準にレベルを合わせていたら問題が起こる、と言う人がいるかもしれませんが、たとえば日本の航空会社よりもラテンの国の航空会社の方が事故が目立って多いなんて話は聞かないし、あれだけ問題が山積と言われていたリオ・オリンピックだって大きな問題は起きませんでした。緩いお国柄のところでも最低限押さえるところは押さえているわけです。

また、日本では仕事で目標を達成するためなら自分や家族の時間を削ることが美徳とされています。それを象徴しているのが年中無休で朝8時から夜の11時まで営業しているのが当たり前になってしまったスーパー業界でしょう。僕は30年くらい前、10時開店~19時閉店で定休日があるスーパーでバイトをしていたことがあって、たとえば年末の3日間のみ30分営業時間を延ばすとその分売上が上がるのを目の当たりにしてきました。売上を伸ばすために、頭を使わず手っ取り早くできる方法は営業時間を長くすることで、どこかが始めると「ウチも追随しなければ」となって、今では当たり前になってしまっています。本当に馬鹿げた話で、働いている人が気の毒でなりません。

僕は、スーパーが19時で閉まっても、宅配便が指定時間に届かなくても、電車が時刻表通り来なくても、郵便局の窓口で長時間待たされても構わないので不便で怠け者が多い国で本当は暮らしたい。それが人間らしい生活だと思うからです。

すべての日本人の皆さん。立場が上なんだから何を求めてもいいんだ、という稚拙な考えはもうやめませんか?自分が求められたら応じたくないことを相手に要求するのはやめませんか?求められたからといって無茶なことに応じるのもやめませんか?自分も人間、相手も人間という成熟した社会ってそういうものじゃないですか?

以下、企業勤め人の視点からの番外編。

日本の伝統的大企業、金融企業で働く人たちを見ていると、何を成し遂げるかよりも自分の責任を問われないようにするには何をすれば良いか、ということが行動の動機になっている方がとても多いように見えます。なぜなら、大きなミスを一度したらその会社での出世の道が閉ざされるという非寛容で人を追い込む文化だからです。何をするにも審査と承認が必要で、その承認プロセスが多層的でJustificationに多くの労力を必要とする。リスク想定範囲を必要以上に広げ、リスクゼロだと認められないと先に進まない承認プロセスは、責任逃れ人間が集まった結果できあがった大人げない仕組みの象徴でしょう。だからどんどん思考停止して、自分を守るための行動しかできなくなって行く。そんな体質の組織がおかしいという自覚がない思考停止した上司の顔色を伺い、何か物事を進めたり創造したりするためでなく、針の穴のような小さなリスクをゼロと上司に報告するための生産性のない仕事で毎日終電まで働いてしまう。外資系会社勤めの僕からすると、日本の会社は「よくこんなくだらないことに時間をかけてるなあ」と思うことが多々あります。最近こんな記事(http://blogos.com/article/187366/)を見かけました。相手に100%を求める、非寛容な文化のせいで、生産性のない仕事をしなくてはならない人が数多くいるという僕の見解からすると、やっぱりね、としか思えない結果です。

クレームが多く、求めるレベルが厳しく、やたら細かい日本人。グローバル基準から見たら病的にさえ見えるその要求レベルの高さ(日本の客のクレームで「Crazy」と言っている外人を何人も見たことがある)。もちろん、「社会とはそういう厳格なものであるべき」という思想を持って、どんな意味があるのか、どんな結果をもたらすのかをわかってやっているのならいいでしょう。しかし、相手が人間であることを無視した厳しい要求、非寛容、責任追及をすることは不正の温床となり、さして意味があるとも思えないクレームのために膨大な時間を浪費した非効率な社会を生み出していることを日本人はもう一度考えなおした方が良いのではないかと僕は思うわけです。

(11/23追記)
電通の問題などで、ようやくこういう記事が出るようになりました。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161122-00145385-toyo-bus_all
まあ、そう簡単に日本人の幼いメンタリティが変わるとは思いませんが、早く「おかしい」と思える世の中になってもらいたいものです。

ジャガーXE 第4回レポート カメラシステム異常発生

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僕にとって初めての外車だったのが2003年に中古で購入したアルファロメオ156。そこからミトを経て今はジャガーXEと乗り継いできたものの、初めてクルマを所有してから156までの12年間は国産車しか乗ったことしかなく、プライベート(家族や友人のクルマを含む)と仕事を合わせれば国産車の方がずっと多くの車種を経験し、長い時間乗ってきています。

156を買うときに、外車、しかもイタリア車と聞いて一番心配だったのがやはりトラブルが多いんじゃないかということ。156はアルファロメオとしてはかなり品質が上がったと言われたモデルで、2000年モデル(デビューは98年)だったので初期不良がある程度こなれてきていただろうこともあってか6年乗ってノートラブル、ミトはブランニューモデルだったことからある程度覚悟はしていたものの、こちらも6年半乗ってノートラブル。細かいことを言えばシフトレバーのブーツが外れたり、シートリクライニングのダイヤルがどこかに飛んでしまったなどはそれぞれあったものの、走行に影響を与えるようなトラブルは皆無で外車全体の品質もこのくらいまでには上がってきているんだなあ、と思うくらい平穏なイタ車生活を過ごしてきました。お手入れも特別なことは必要なく、個人的には国産車と変わらずメンテナンスフリーと言っても良いくらい気軽に乗れるクルマだったというのが実感です(ディーラーの対応はラテン系なので、そこを含めて日本人的に細かいことを気にする人にはお勧めできませんが)。

ジャガーXEも完全なブランニューモデル。こちらも最近のジャガーはだいぶ良くなっているという話を聞いていたこと、エンジンとトランスミッションというもっともコアな機関が実績あるものだったことから、まあ大丈夫でしょうと品質に関してはあまり懸念していませんでした。

先日、近所に買い物に出かけ、駐車場に止めるべくシフトダイヤルをリバースにしたときにバックモニターがこんな状態で表示されていました。

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ん?何か別のモードなのかしらん?変なところいじったっけ?などと思いつつ後退して行くととりあえず警告音はいつも通りに鳴り始めます。しかし、ここまで来たらぶつかりますヨと赤く教えてくれる警告線はモニターに表示されず、この縦縞模様のまま。とりあえず、汚れているわけでもないトランク部分のカメラをハンカチで拭きとって再度トライするも変化なし。ああ、これは壊れてるなと思うしかありません。自分でちょっと驚いたのは、XEに乗り始めた当初は「ミニバンじゃあるまいし、バックモニターなんて要らないよ」と思っていたのに、縦縞のせいで画面が見づらいというのもあるとはいえ警告線表示が出ないとバック入庫のとき不安を感じてしまったこと。慣れとは恐ろしいもの、とはよく言ったものです。

その後、インパネにも「カメラ システム イジョウ」の警告(一番上の写真)が出始めて故障が確定。

更に数日後になると、リバース時に「パーキングコントロールおよびカメラ使用不可 ディーラーに連絡してください」とディスプレイに表示されるようになり、ついにリアカメラには画像が映らなくなりました。こうなるとバック入庫が更に不安と感じてしまう(苦笑)。まあ、それはそれですぐに慣れましたけど。

昔のジャガーは電装系が弱いと言われていてATが自動で変速しなくなったなんて話を聞いたりもしたものですが、程度の差こそあれ、今でも日本車クオリティと同等いうわけにはいかないんでしょうか。近接物の警告音は出ているので単に表示の問題だけのようですし、あくまでもバックするときだけなのでこのトラブルで困っているというほどではありません。ちなみに、車間距離警告やACCの動作などフロントカメラの動作は問題ありませんでした。

とりあえず、ネットではXE以外のジャガーも含めて同様の情報はないので単発的、偶発的なトラブルではないかと思います(そもそもクルマの数が少ないから情報がないだけかもしれない)。

ディーラーに入庫して修理。不良パーツとして交換されたのはカメラとモニターアセンブリー(正式名称は違うかも)でした。もちろん保証期間なので修理代はかかりませんが、参考までに有償だとおいくらですか?と尋ねると150,000円くらいとのこと。4年目以降でこういうことが起きたらそれなりの出費になるわけです。まあ、このクラスならこのくらいの装備を付けないというわけにはいかないんでしょうけれど、ハイテク装備に執着がない僕は、壊れるくらいなら過剰な電装系装備はなんて要らないなあと思ってしまいます。

以上、トラブルについてでした。

以前、Dモードでブレーキを踏んでいる状態(アイドリングストップしていない状態)のとき、スカットル周辺から振動に起因するガタガタ音がすることを報告したことがあります。このブログを見てくださっているMKTYKさんのブログ http://minkara.carview.co.jp/userid/1014155/blog/37763322/ で、少し状況は違うものの振動系の問題について書いてあり、同じ対策を僕のクルマにも施してみました。なんと、不快な振動がこんな対策でかなり消えてくれました。要はメーターパネル周辺の立て付けが甘いということなんでしょう。MKTYKさんの情報、とても参考になりました。と、思っていたある日、石畳の道をゆっくり走っていたら、リアガラスのあたりからガタガタと振動音が。石畳状の道路はここ日本ではそうそうないので気づかなかったんですが、よくよく観察してみると単発的に荒れた道に遭遇したときに注意深く広報に耳を傾けると、確かにリアガラス周辺から振動音が少し聞こえてきます。まあ、そういう場面に遭遇することはほとんどないので気になりませんが、振動音対策は総じて弱いという印象が強くなりました。良くなったと言われていても英国車クオリティな部分は残っているようです。

そういえば、2017年モデルが発表され、ついに本国同様InControlシステムが導入されることが発表されました。様子見をしていた人には朗報しょう。ナビ部分はデンソーから他社のものに変わるようです。デンソー製のナビはかなり時代遅れ(DVDであることよりも学習機能がないところが×)だったので、それより使い勝手が悪いということはないでしょうが、どの程度良くなるかは実際に操作してみるまで分からないかもしれません。また、メンテナンスパッケージも強化されているようです。廉価版グレードのSEが追加されたのも「もう少し価格が抑えられれば」と思っていた人には朗報じゃやないでしょうか。シャーシと足回りは同じでクルマそのものの良さを味わうという意味で落ちる部分はありませんから、装備に執着しないようであれば廉価版グレードはアリだと僕は思います(僕のイチオシのオプションであるアダプティブダイナミクスを装着できないところだけは残念ですが)。あと、僕のXEのカラーであるブルーファイヤーは廃止になり、絶版仕様になりました。車種じたいが希少なので特別な感慨はありません(苦笑)。

「男と女のワイン術」を読んでみて

男と女のワイン201608

僕はお酒に弱い。お酒の誘惑を断れないという意味ではなく、アルコール耐性が弱くてすぐに酔っ払ってしまうという意味で。少し飲んだだけで顔はすぐに赤くなり、鼓動が早まって、頭がフラフラしてくる。社会人になって飲む機会が増え始めてからは結構困ったもので、コップ1杯のビールで顔が真っ赤になる僕を見て周囲の人も勧めてこなかったくらい見た目にも弱く、もはや下戸に近いといって良いくらいだったかもしれない。

今でこそ、そこそこ飲むくらいはできるようになった。それでも、他の人よりペースを緩くしたり食べ物でごまかしたりしながらなんとか対応している、というまさにお付き合い程度という言葉がぴったりの一応飲めますレベルにすぎない。

というわけで僕は家で酒を飲むという習慣がまったくなかったし、そもそも家に酒を置いていなかった。にもかかわらず、ときどき酒屋に行ってワインを物色するようになったのは今から18年くらい前のこと。なぜなら「ソムリエ」という漫画を読んでワインがとても奥が深く、面白そうだと思うようになったから(注:妙なコミカル仕立てになっていたドラマを思い出す人もいるかもしれないが原作は全くの別物)。ただし、ボトルを開けても1人で飲みきれるはずがないこともあって、酒が飲める客が来るとわかっているときにだけ用意して空けるという、年に数回のできごと。とてもじゃないけど「ワイン好きで飲んでます」とは言えないレベルのささやかな楽しみ方だった。めったに飲まないものだからと5,000円やら9,000円やらのワインを躊躇なく買っていたもので、ほとんどワインの楽しみ方がわかっていなかったあの当時にずいぶんもったいないことをしたものだと今になって思ってしまう(望みが叶うならもう一度飲み直したい・・・)。

それはともかく、ワインと梅酒以外はアルコールを口にしない妻と暮らすようになり、いつの間にか週末2日家で夕食を採るときにはボトルを1本空けるようになった。妻もアルコールは弱いクチで2人で2晩で1本で足りてしまうという、ささやかな飲酒(苦笑)。それでも、それまでと比べたら飲む頻度が上がってきたのでネットでテーブルワインを定期的に購入するようになっていった。1本1,000円前後のワインも思ったより美味しい。もちろん深みやコクこそないけれど、普通に美味しく飲めるし、このくらいのワインの方が料理との相性を気にせずに気軽に飲めるのも良いところ。

一般消費用のテーブルワインを飲み慣れてから、ときどき3,000円くらいのボトルを開けたり、レストランでなかなかイイ値付けがされているワインを飲むと、その美味しさに思わず目を丸めてしまう経験を何度かするようになってきた。やはり、このくらいの値段だと次元が違うなあと思わせられてしまう。一方で、値段の割にはもうひとつと感じたり、よく飲んでいるテーブルワインでも30本に1本くらい「これは香りも味わいの重さも3,000円くらいのものと遜色ない」と思わせるものがあったりもして、「ワインって面白いなあ」とますます思うようになってきた。また、そうこうしているうちに自分の好みの味というのも最近になってようやくわかってきたような気がしている。

そんなときに目に入ったのがこの「男と女のワイン術」という本。書店で手に取り「なぜ安いワインは安いのか」というような日常生活に近い目線で書かれていて面白そうだったので読んでみることにした。

この本、ワインの基礎中の基礎知識を身に着けるものとしてとても良いと思う。スーパーで買えるワインからそこそこのワインバーで飲むことに目線が置かれていて、それまで遠巻きにワインを眺めていた人に親近感をもってもらえるわかりやすい内容でワインの基礎知識が書かれている。例えばぶどう品種、産地や国による味の特徴。高級ワインが高い理由など、世間一般的な常識が書いてあるし、項目によっては結構詳しく書かれているので、僕自身、ぼんやりと捉えていたことがハッキリしたこともあったし、もちろん初めて知る情報も少なくなかった。

話を少し戻すと、ワインに興味をもつきっかけは漫画「ソムリエ」を読んだからと書いた。より詳細に記すなら「ソムリエ」を監修していた堀賢一氏の「ワインの自由」というコラムが面白かったから、というのが正しい。このコラムは素人でもわかりやすく、それでいながら深い知識と洞察に基いて書かれており、尚且つ非常に客観的にワインを見ているところに特徴があって、文章の巧みさも加わって思わず深く頷いてしまう内容ばかりだった。古くからあるワイン業界の慣習や慣例、中身を伴わないブランド主義、行き過ぎたビジネス指向といったことに批判的で、その矛先は有名ワイナリー関係者やロバート・パーカーといった権威者にまで向けられることもある。

ワインのことなど知らない僕がそんなコラムに惹かれたのは、この堀賢一氏のワインに向き合う姿勢だったのだと後になって気づいた。なぜなら僕の考え方と非常に似ているから。僕は、皆が(あるいは誰かが)そう言っているからそうだ、という考え方をしない。昔からそうだったから、という理由で思考停止したまま行動もしない。偉い人が相手でも、明らかに間違っているものは間違っていると言ってしまう。常識と考えられていることが本当に正しいのか、と疑問を感じたらよく調べて追求する。堀氏の主張で良く出てくる批判は、先入観による決め付け、根拠のないプロパガンダ、中身を伴わない商業主義についてなどで、そのあたりの考えにもとても共感できる。

そこでこの「男と女のワイン術」という少々艶っぽい題がついたこの本。簡単に言うと「ワインのことはほとんど知らないけれど雑学としてちょっと知りたい。できることならスムーズにワインを選べるようになり、知識を披露できるようになってあわよくば周囲から教養がある人と思われるようになりたい」という人をターゲットにしている。前述の通り、その目的に沿った内容になっているので本としてはよくできていると言えるかもしれない。

しかし、わかりやすくするためなのか話を単純化してしまっているため、例えば赤ワインの渋みの強さはカベルネ・ソーヴィニヨン→メルロー→ピノ・ノワールの順であり、店員やソムリエと話をするときは「ボルドーのメルローより渋みが強いもの」のように言えば良いと書かれている。しかし、そもそもフランス・ワインの多くは数種類の品種をブレンドしていることが多く、ラベルを見ただけではそれがわからないこともあるし、わかったとしてもブレンド比率が書かれていないこともあるので、初心者はまず「ボルドーのメルロー」がどの程度の渋みなのかを体得することが難しく、この方法が効果的だとは個人的には思えない。また、ワインという飲み物は本当に多様でさまざまな味わいと個性があり、「シャルドネなのに口当たりがまろやかで濃厚」「カベルネ・ソーヴィニヨンなのにエレガントで繊細」というようなことは、さして数を飲んでいない僕でも経験したことがある。

「ボルドー大学のワイン醸造研究所では受講生に暗闇で試飲させるカリキュラムがあって、そこではなんと赤ワインと白ワインを間違える人が続出するという。このカリキュラムは先入観から来る人間の感覚がいかに曖昧かを経験させ、白、赤、ロゼの味わいを一義的に決めつけることの危険性を思い知らせるのがその狙いとのこと。」

という、このブログで度々引用しているこの話(これも実は堀氏のコラムからの引用)は、人間というのはそれほどまでに曖昧で不正確なものであること知り、決め付けと先入観が視野を狭めてしまう愚かさを戒める教訓となるものとして紹介している。単純化したワイン知識まさにこう言った悪い方向の型にはめることを促すことになってしまうリスクがある。

そういったワインの多様性やさまざまな感じ方を盛り込むと初心者には話がややこしくなるから、「男と女のワイン術」では単純化した話で一貫性を持たせたというのであればそれは理解できるし、おおまかな特徴として一般論を展開することが間違いだとは言わない。ただ、せめて最後に一言「例外はいくらでもある。基礎となる知識を元に可能性を広げてほしい」などと書かれていれば、広く薦められる本として紹介していたかもしれない。

あと、この本で感心しなかったのはレストランで提供されているワインが小売価格の2~3倍の値付けがされていることに対して、保管コストがかかる、人件費がかかっている、内装にお金をかけている、お店自慢の料理と合わせて味わってもらえるなどと正当化し、著者の店では2倍に抑えているとむしろ良心的であるかのようにアピールしているところ。確かに、レストランで出すワインの価格が高い理由としてそういったことがあるのはわかるし、小売価格と同等というわけにはいかないのは理解できる。しかし、ボトル1本あたり数百円しか利益が出ないワイナリーが無数にある中、保管して栓を開けてグラスに注ぐだけのことで2倍の値段になることが常識かのような説明に妥当性を見出すことはできない(これも堀氏の受け売りだけど)。

とまあ、批判的なことは言ってみたものの読んでいるうちにいつもの1,000円ワインでなく、もう少し良いものを飲みたくなってしまったのは事実で、いくつかネットでポチポチしてしまった。読みながらワインのことを考えているうちに結構影響されてしまったようです。

話は脱線して、以降は本とは関係ない話。

それにしてもボルドーの赤ワインの高騰ぶりはいかがなものだろうかと思ってしまう。ワインに興味を持ち始めた2000年ころでも「ボルドーは値上がりし過ぎだ」と言う人がいた。しかし、上で書いた当時買っていた5,000円やら9,000円のワインというのはそれぞれシャトー・カロン・セギュールとシャトー・コス・デストゥルネル(ヴィンテージは失念)で、それぞれ今では2倍くらいの値段になっている。訳あって拙宅のセラーに寝かせてあるシャトー・ラトゥールの90年は、2001年にパリで購入してきてもらったときの値段に対して今ではやはり2倍くらいになっていたりして、このようなバブルはさっさと弾けて欲しいと思わずにはいられない。普通の感覚として、ワインに10,000円以上出すのは抵抗感があるのが当たり前というものでしょう。

ちなみに僕がこれまで飲んだワインで一番美味しいと思ったのはシャトー・レオヴィル・ラス・カーズの94年。

ラスカーズ201608

2010年に新婚旅行でパリに行ったとき、老舗百貨店ボン・マルシェで86ユーロ(当時レートで11,000円くらい)で売られているのを見てその場でネット検索、日本では安いところでも15,000円以上していたのを確認して購入。正直あの当時もまだワインの味がわかっていたとは思わないけれど、品格ある重みと心地よく持続する余韻に衝撃を受けたことを今でも思い出すことができる。このときの値段で今売っていたらすぐにでも購入したいと思うほどのインパクトがあった(これも今では2倍以上出さないと買えない)。

尚、お気づきの方もいると思いますが、この記事で出てきたワインはすべて「ソムリエ」に登場したもので、僕のワイン知識の90%以上は堀賢一氏が監修した漫画からのもの。もちろん、世の中には数えきれないほど素晴らしいワインがあるわけで、漫画知識程度で語ってるんじゃないよ、と言われたら「はあ、ごもっともです」と返すしかない。でも、種類も味わいも無数にあるからこそ何かしらの道標が必要なわけで、漫画と言えども道標のひとつとして決して悪くないと思うし、多少情報が古くなっているところはあるものの、今読んでも価値観は古くなっていない。「男と女のワイン術」のような本と合わせて読んで、ワインの基礎知識と奥深さをを勉強するのが一番良いんじゃないかと思います。

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