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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

エアコン故障-最新式エアコンの進化ぶりはいかほどに?

エアコン201607

7月の3連休のある蒸し暑い夜、昨年の夏以来、久しぶりにリビングのエアコンに電源を入れてみた。するとエラーコードの表示。そもそも電源を入れても室外機がまったく動作しない完全故障。え~、もうすぐ梅雨が明けそうなのに。

17年も経っていたのだから壊れたとしても不思議はない。機能的には特に不満もなかったから修理も考えた(古すぎて修理できなかったかもしれない)けれど、直したとして次にまたすぐ別のところが壊れる可能性があるし、最新型は消費電力もぐっと抑えられているだろうからと思い、買い換えることにした。

僕は特に家電マニアというわけではないものの、たとえば掃除機、洗濯機、炊飯器などを買い換えるときに調べるのはそれなりにワクワクする。日頃、新製品をチェックしてるわけではないし、たいていは10年以上を経ての買い替えだったりするから技術や機能の進化ぶりに驚く体験が結構楽しかったりする。

でも、エアコンはメーカーも機種も多すぎて調べる気にならない。設定温度まで冷やしてくれたらいいや、強いて言うなら静かなら良いかな、くらいの期待値しかないから、ぶっちゃけどれも大して違わないんじゃないの?と思っている。だって、他所の家にお邪魔したとき「わあ、このエアコンって凄いね」だなんて思わないでしょう?

早速、近所のヤマダ電機へ。店員のお勧めは日立のRAS-X40E2という機種(「白くまくん」という名前を今でも使っていてちょっとびっくり)で、1年前のモデルということもあって機能のわりにはお安くなっているとのこと。店頭では、同じくらいの冷房能力の中ではシャープ製プラズマクラスター機(こちらは確かもう少し古い機種だった)の次に安く、消費電力はそれよりもずっと抑えられているということなのでアッサリそれに決めてしまった。壊れてから慌てて買おうとするとこういう選び方になってしまうのは仕方のないところ。ちなみに僕は家電メーカーに好き嫌いは特になく、必要とする機能と評判と値段で選ぶ。

それにしても家電店で壁一面に並んだエアコンを見ると、どうしてこんなにいろいろな種類のものがあるんだろう、と疑問に思ってしまう。最近の機種は、人がいる場所をカメラやセンサーで検知しながら冷やし方/温め方、風の流し方を調整し、人に優しいエアコンをアピールするのがトレンドらしい。エアコンは、冷蔵庫、洗濯機同様にメーカーからすると定期的に買い換えてもらえる大型家電でテクノロジーの進歩も緩やかなため、価格競争に陥らずに安定した価格で売られているように思う。一方で、冷やす/温める機能はどれを選んでも十分な能力がある。10年前の機種から進歩していなくても値段は変わらないとなれば買い換えようと思ってもらえないから、今はきめ細かい動作コントロール機能を各社が競っているというのは納得できる流れではある。そして、こういう細かい機能の作りこみは日本の家電メーカーの得意とするところでもある。

日立のRAS-X40Eも、人感センサーやカメラを備え、いろいろなパターンで風を送ったり、強弱を調整したりすることなどができる。前機種ではルーバーの左右首振りができるだけだったから、このあたりの自動機能というのはこの17年で一番進化した部分に違いない。使ってみての感想だけれども、確かに風の送りどころはある程度考えられているらしいことは実感できる。室温が安定すると風量がぐっと抑えられ、室内の空気がかき回さずに、静かに涼しさを保つところも進化しているポイント。とはいえ、メリットを感じるのはそれくらいで、静寂性も確かに高い(室外機も静かで動作状況がわからないほど)とはいえ、前のエアコンも騒々しかったわけではないから革新的に進化したとまでは思えない。誤解なきように言うと機能は確実に進化しているし快適性も上がっているとは思う。ただ、それが本当に有用なもの(それなしでは不便と感じる)かという観点で見るとそれほどでもないかな、と思ったということです。

ちなみに、売り場の店員さんに妻が「で、結局最新の上位機種は何が高機能なんですか」と訊いたときに、やや困惑しながら返ってきた答えが「暖房です」。エアコンの暖房は電気代がかかりそうな上に、風(ホコリ)が舞うし、乾燥するし、足元が温まらないから、床暖房がある拙宅ではまったく使わない機能。最近の機種は足元に暖気が来る(床暖房機能と呼んでいてリモコンにボタンまである)ように工夫されているらしいけれど、根本的に暖かさの質が違うだろうし、そもそもエアコン嫌いで床暖房をこよなく愛するウチの猫はきっと喜ばないだろう。

夏場に関して言うと、妻はかなりの冷え性で基本的にエアコンがあまり好きでないし、僕もよほど暑くなければエアコンは使わないタイプ。東京電力の「でんき家計簿」で「同じ料金プラン・契約容量のお客さまの平均」と比較すると7月~9月は他家庭よりも明らかに消費電力が低く、エアコンの使用量が世間一般よりも少ないことがわかる。しかも、7月と9月に至っては消費電力が春秋のころとほとんど同じ。つまり、ウチは実質8月しかエアコンを使っておらず、他の月と比べて5,000円程度高いだけ。節電情報サイトのように40%近くの節電になったとしても2,000円程度、それもコンプレッサー常時フル稼働というあり得ない最悪条件での話だから実質は良くても1,000円くらいの年間電気代節約にしかならなさそう。

というわけで、ウチの場合は最新式エアコンって凄いね、とは今のところなっていません。また、リモコンの反応が鈍く、ボタンをしっかり押して一拍待つくらいの感じじゃないと確実に操作できたという実感が持てないのは要改善でしょう。冬になったら暖房も一応試してみようかと思いますが、スイッチオンから部屋が温まるまでの時間が早そうであること以外、床暖房に勝ると思えるところは今のところないように思えます。

エアコンは結構高い買い物で、14畳くらいのスペース用だとだいたい15万~25万といったところ。そしてこの15年くらいで進化したと思われる機能は我が家にはほとんどメリットがない。ニーズがないことを承知で言わせてもらうと、15年前の機能のままで構わないから冷房だけの機能の機種にして、もっと価格を抑えられる製品はないものかと思ってしまう。まあ、メーカーにも確実に収益を上げる製品カテゴリーがないと潰れてしまうわけで、ここは経済のために社会貢献したと思っておくことにします。

ラトル指揮 ベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲全集

ラトル201607

このブログで「3年半前からクラシックを本気で聴き始め・・・」と僕は度々書いている。父がクラシック愛好家で子供の頃から強制的に聴かされていたのに好きになれなかったクラシックを、なぜ45歳を過ぎてから聴き始めようなどと思い始めたのか。

6年前から共に生活している妻がクラシックを聴いていて、誘われて何度か生演奏に足を運んだことがまずはきっかけだった。ロックもジャズも、自分の肌に合うと思えるようなものはほとんど聴いてしまった感があり、新しい音楽に向かってもいいかなという時期だったという背景もあったかもしれない。とはいえ、生演奏を聴いてすぐにハマったというほどではなかった。

僕はハマりはじめると徹底的に聴きまくり、CDを大量に購入してしまう。ジャズにハマりはじめたときに入り浸っていた近所の新星堂(大昔に閉店)の店員に「いつもありがとうございます」と挨拶されてしまう経験を持っているし、マイルス・デイヴィスのブートレグに没頭していたときはマザーズレコードの店員さんに「もっとゆっくり聴いた方がいいんじゃないですか」と言われたほど。もちろん、どんなCDを買うかの選定には知識の習得、勉強は欠かせない。買ったCDは、最初イマイチだと思っても何度かは必ず聴いて理解しようを努める。つまり、大変な時間とエネルギーを使うことになる。だから、僕の場合「さあ、これからこの音楽を追求しよう」と思って行動するにはそれなりの覚悟が必要になる。

ある日、何気なく「やはり手始めにベートーヴェンの交響曲かな」とAmazonを検索したときに、クラシックの知識を蓄え始めたごく初歩の段階ですら名前がインプットされていたサイモン・ラトルの指揮、ウィーン・フィルの演奏によるベートーヴェン交響曲全集が1600円で販売されていた。CD 5枚でたったの1600円? 中学生のころ1枚2,800円のLPを買っていた時代を過ごしてきてから20年以上が経過、古いモダン・ジャズのCDが1000円前後でネットで買えることに「いい時代になったなあ」喜びを感じていた僕は、クラシックのCDのあまりの安さに驚き、何かの間違いじゃないかという不安を抱きつつも早速注文してしまった。これが、クラシックCDを初めて自分の意思で買ったときの経緯。破格の値段で売られているボックスCDが他にも山のようにあることを知ると、次々と購入、大人買いで沢山のCDを聴けることがクラシックへの没入を後押しし、それが本格的にはハマっていく大きな理由であったことは間違いない(なんか味気ない話ですなあ)。

それはともかく、最初に買ったそのラトルのベートーヴェンを聴いてみた。子供のころ(主に70年代)、父に聴かされてきた誰の演奏かもわからないベートーヴェンのイメージに残っている僕の感覚では、ラトルのベートーヴェンは軽快で颯爽とした印象で、え~そこをそんなにアッサリ流しちゃうんだと思うところもあり、「今風の演奏はこういうスタイルなんだろうな。重厚長大なスタイルは古いんだろうな」と漠然と考えていた。

その他、「Symphony Edition」などと銘打った指揮者ボックスセットの多くにベートーヴェンが含まれていることもあって、30を超える全集が手元にある今、最初に買ったラトルのベートーヴェン全集は愛聴盤とは言えない位置づけに留まっている。世間でよく言われている「ウィーン・フィルでわざわざピリオド奏法を採り入れてあざとい演奏をしなくても」という意見に僕も同意するところで、意欲的だとは思うものの、それ以上とまでは思えない。ハイティンク指揮LSO(イメージに似合わぬ躍動感)、アバド指揮BPO(キレ味と精緻さ)、バレンボイム指揮SKB(野心家イメージのデフォルメ的重厚さ)、バーンスタイン指揮VPO(享楽的で美音)、ベームVPO(格調と歌心)など方が好みに合っている(それぞれまるで違うけれど好みとはそういうものでしょう?)。

そんなラトルが満を持してベルリン・フィルと録音したベートーヴェン交響曲全集が、ベルリン・フィルの自主レーベルからついに発売され、ようやく一通りのコンテンツを楽しみ終えた。幾多の全集が2千円台以下で購入できるご時世であることなど知らぬとばかりに、BPO自主レーベルの慣例通り12,000円~という強気の値付けにたじろいだものの、これまで聴いてきたラトルとベルリン・フィルの演奏はどれも流石と言える内容が多く、ハイレゾ音源やライヴ映像にも興味があったため思い切って購入してみた(余談ながら同じ価格でラトル&バーミンガム市交響楽団の52枚組ボックスが買えてしまう)。

まず、豪華な装丁で「安売り箱」との違いを実感させる。リッピングしてNASに溜め込んだ音楽を聴くようになって5年以上経ち、僕の中でも最近はデータの入っている円盤という程度の存在になりつつあったCDという商品。しかし、この装丁によりかつてのレコードを手にしていたときのような存在感、商品としての重みを感じることができてなんだか懐かしい。このCDの元となった演奏は、デジタル・コンサートホール(DCH)で随分前に公開されていたので、実はそれを録音(著作権的にはネット録音はグレーゾーンらしい)して聴いていたんだけれど、やはり音が良いとは言い難く本気で聴く気になれなかった。CDは流石に高音質で音楽に没入できる。Blu-rayオーディオに収録されているハイレゾのマルチ・チャンネルとなると音の純度が増すだけでなく、豊かな響きに包まれることによって拙宅のリビングが擬似フィルハーモニー・ホールに変貌する。ロイヤル・コンセルトヘボウのRCO Liveシリーズと比較するとリア・チャンネルの音のこぼし方がやや控えめながら、やはりマルチ・チャンネルのサラウンド感はクラシックにとても良く合っていることをしみじみと実感できる。映像のBlu-ray 2枚は、基本的にDCHと同じ内容。しかし、ハイビジョン映像でDTS-MA音声収録のスペックなのでパソコンで見るDCHのストリーミングとは目からも耳からも受け取る情報の密度が違う。その他、ドキュメント映像2本も含まれていて徹底的に楽しんでもらおうという作り手の思いが感じられる。ちなみにそのドキュメントで触れられている通り、一部は別の機会に録り直しているなど、CDとBlu-rayオーディオの音源ソースは編集がなされているため、咳払いや拍手は完全にカット(5番は拍手が残っているところから演奏が始まっていることが映像で確認できるが音源ソースではもちろん聴こえない)されており、セッション録音同様に入念に仕上げられている。

肝心の演奏はというと、同じベーレンライター版の楽譜を使っていることもあってかウィーン・フィルのときとスタイルが大きく変わっているとは思わない。だからラトルのベートーヴェンが聴きたい、という意味ならピリオド・スタイルをより積極的に取り入れているウィーン・フィルの演奏を選んでも良いと思う。しかし、今回は(当たり前だけど)ベルリン・フィルである。世界一と言えるオケの機能と、よく歌うすべてのパート、そしてかつての巨匠スタイルとは異なるキビキビとしたピリオド・スタイルを通過しつつもモダン・オーケストラによる現代的で豊かな響き。厚みがあるのに重々しくなく、機動力が抜群で、エキスパートが本気で乗ったらどうなるか、ということを見せつけられる。これはラトルとベルリン・フィルの組み合わせでしか生まれないサウンドであると聴いた誰もが実感できるはず。そして映像を見ると、そういった特徴が更によくわかり、演奏のより深いところまで感じ取ることができる。

オーケストラの実力を下地に、キッチリ仕上げられた音源ソースであるCD(気軽に聴くorリッピングする)とハイレゾ(高音質マルチ・チャンネル)に加えて、最上のスペックで収録された映像、ドキュメントを味わうことでラトルとベルリン・フィルのベートーヴェンを深く理解することができるパッケージとなっていることを考えると「イマドキこんなに高いなんて」という思いはどこかに飛んでしまう。もちろん、ラトルが嫌いな人には1円の価値もないだろうけれど、僕のようにそれほど熱心なファンでないとしても広くクラシックを楽しんでいる人なら、この商品を手にして後悔することはないんじゃないだろうか。

ちなみに、ウィーン・フィルとベルリン・フィルの両方でベートーヴェン交響曲全集を残した指揮者というのは、僕のにわか知識だとアバドとラトルくらいしか思い浮かばない。ラトルの両全集が本質的に大きな違いがないのに対して、アバドは、豊かな響きで旧来の伝統的演奏スタイルをベースにしたウィーン・フィル版と、キビキビ颯爽としたスタイルのベルリン・フィル版というまったく異なるスタイルで全集を残している。しかし、これを以って単純にアバドの多様性が優っていると言うことはできないと思う。アバドの場合、ウィーン・フィルは80年代後半、ベルリン・フィルは2000年の録音で演奏トレンド(ピリオド・スタイルの流行)の変わり目の時期を跨いでいたし、ベーレンライター版が発行されたこともあったからアプローチがまったく異なる結果になったのでしょう。それを考えると、クラシックの世界もいつ録音されたかというのがとても重要であることを再認識させられる。

実は、さまざまな格安ボックスセットを過去3年に渡り次々と購入してきた僕は、「数多くの演奏を聴けることは素晴らしい体験ではあるが、1枚1枚を大切に聴かないということは音楽・演奏家に対して不誠実なのでは?」と自問自答することもあった。それでも、いろいろな演奏を聴きたいという欲が勝ってしまい、買ったはいいがほとんど聴かないCDも結果的に大量に残ることになり、それでも自分にとって素晴らしいと思えるCDに出会うためには「空振り」を避けて通ることができないから仕方がないと正当化してきた。しかし、今回のラトルBPOのベートーヴェンは、商品パッケージと価格もあって正面から向き合ってじっくり聴くことになり、「やはり音楽は大切に聴いてよく味わうべきだ」と思い起こさせてくれたように思う。そしてこれまで大量に買い込んだクラシックのCDを、これから生涯かけてじっくり味わって行かなくてはもったいないなと思いを新たにした。

P.S.
ベルリン・フィルはこれから自主レーベル以外で音源をリリースしない方針?リリースできない契約を指揮者に強いているんでしょうか?EMI(ワーナー)と契約しているはずのラトルが最近新譜を出さないのは、それに縛られているせい?ロンドン交響楽団も自主レーベルを抱えていることだし、はて、レコード会社は主要オーケストラで収益を上げられないビジネスモデルになってきているんでしょうかね?

Loud Hailer / Jeff Beck

Loud Hailer 201607


Loud Hailer / Jeff Beck

[1] The Revolution Will Be Televised
[2] Live In The Dark
[3] Pull It
[4] Thugs Club
[5] Scared For The Children
[6] Right Now
[7] Shame
[8] Edna
[9] The Ballad Of The Jersey Wives
[10] O.I.L
[11] Shrine

Rosie Bones (vo)
Carmen Vandenberg (g)
Jeff Beck (g)
Giovanni Pallotti (b)
Davide Sollazzi (ds)

熱心なジェフ・ベックのファンならご存じの通り、彼のアルバムはクオリティのバラつきが結構大きい。

個人的な意見としては、
「Jeff Beck Group」
「BBA Live in Japan」
「Blow By Blow」
「Wired」
「There And Back」
「You Had It Coming」
「Jeff」
あたりがハイクオリティなアルバムに含まれる。尚、ここで言っているクオリティというのは音楽やアルバムとしての完成度を必ずしも指しているわけではない。散漫でも、アルバムとして力強い主張があって、筋が通っていれば良いアルバムだと僕は感じるらしい。だから「Flash」も実は嫌いじゃない。こうしてリストアップして改めて眺めてみると、少しでも噛み合わないと駄作になりそうな危なっかしさが見え隠れしているアルバムでもあるように思う。

音楽的な成果としてはショボかった第1期JBGを除くと、「BBA(ライヴ感皆無の大人しさ)」「Guitar Shop(まとまっているがプロデュースと曲を書ける人がいなかった)」「Who Else(散漫すぎて何がしたいのかわからない)」「Emotion & Commotion(万人向けに飼いならされたオトナ向け)」がもっとも聴かないアルバム。特に前作「「Emotion & Commotion」はレコード会社やマネジメントの意向で、広く親しんでもらおうという意図が見えすぎていてつまらなかった。

そして6年ぶりの新作がこの「Loud Hailer」。若い女性ボーカリスト、女性ギタリストを擁したグループで曲作りもその2人とジェフ。事前のこの情報で相当に嫌な予感がしていた。なんせ、ジェフは作曲家、音楽クリエイターとしてはたしたことがないこと、広い意味で音楽をプロデュースできる懐刀がいないと良いアルバムを作ることができないことは既に十分わかっていたから。

クイーンのロジャー・テイラーのバースデイ・パーティで偶然見かけたヴォーカルのロージー・ボーンズとギタリストのカーメン・ヴァンデンバーグ(2人でBONESというユニットで活動しているらしい)を気に入り、その後「なあ、俺とアルバム作らないか」と持ちかけたであろうことは想像に難くない。お世辞にも上手いとは言えない不安定なヴォーカルに、さして存在感のない(ジェフじゃない方の)ギター、そして一本調子な曲と音楽的にはたいしたことのないロックになっている。たぶんライヴはこの調子だけで90分持たせるのはキツいだろうし、これを聴いて「今風」と思う人はいても「斬新」と思う人は少ないだろう。ベテランが若手無名女ロック・ミュージシャンを従えたアルバムという意味ではPrince & 3rdeyegirlの方がパフォーマンスのレベルは遥かに高い。

「ジェフ・ベック ―孤高のギタリスト」という本を読むと、世間でも言われているように、バンドリーダー、プロデューサー、作曲家としての才能は特別優れているわけではないことがわかる。しかし、ジェフ・ベックという人は自分で「これはイイ」と思った人を見つけたら、そこに突っ走る自分の感性に正直な人であることも長年のファンならご存知のはず。結果はあくまでも結果でしかなく、音楽家ジェフ・ベックは自分の感性に正直という意味で今回も筋が通っている。ちなみに今回のアルバム、過去にジェフが演奏してきた曲やギターのリプレイ的な曲(きっとジェフ主導でできた曲)よりも、軽快で今風の音作りをしてある曲(女子組が主導でできたと思われる曲)の方がギターが冴えている。

72歳の老人が若い女子の感性に触発されてこんなロックなギターを弾いているというだけで良くないですか?万人受けする大人なアルバムの前作に失望していた僕は、完成度なんかよりもこういう音楽に触発されてギターを弾いているというだけで楽しく聴けてしまう。正座をして眉間に皺を寄せて聴かなくても、ロックというエンターテイメントの世界で楽しそうにプレイするジェフ・ベックを楽しむ。それで十分じゃないですか。毎回、歴史に残る奇跡の名作を期待する方がどうかと思いますけれど。

余談ながら、BONESで検索すればYouTubeで彼女たちのライヴもちらっと観れます。Carmen Vandenbergで検索すればギタリストのギタープレイも観れます。若い女子にしてはなかなかのギターを聴かせていますよ。

ウェイン・ショーターのライヴをTV鑑賞

WSQ201604

WOWOWで録画しておいたウェイン・ショーター、2012年パリのライヴを観てみた。

ウェイン・ショーターは過去に3度、ナマで観たことがある。

1度目は2002年の東京ジャズに出演していたときで、このWOWOW番組と同じメンバーによるステージ(味の素スタジアム)、2度目は2005年のサンタナ+ハンコック+ショーター(横浜アリーナ)、3度目は2007年のThe Quartet featuring Herbie Hancock, Wayne Shorter, Ron Carter, Jack DeJohnetteno(国際フォーラムAホール)というグループでのもの。

1度目はまだジャズを聴き始めたばかりの頃で、フリーかつイマジネイティヴな演奏にさすがショーターと素直に感激。2度目はサンタナ・バンドにハンコックとショーターが参加したものだったのでショーター個人というよりは"In A Silent Way" をナマで聴けたことに感動していた。

3度目は悪い意味で思い出深い。さすがにこの年齢の4人でスリリングな演奏を聴けるなんてことはないろうと思って期待値を低くして行ったら、その期待値を更に下回る退屈極まりない演奏だったから。抽象的で抑揚のないオリジナル曲を延々と演奏、そこには緊張感は皆無で寝なかった自分を褒めてあげたいくらい何も起きない音楽だった。一瞬の閃きが必要なジャズにおいて、70歳を超えた人たちに創造性を求めるのはさすがに無理だと思う。でも、これまでオリジナル曲で名演奏を量産してきたメンバーゆえに、そのプライドがスタンダードや有名曲ばかりの安楽なジャズになってはならないというプライドに拘った結果、中身のない音の垂れ流しになってしまった。言わば、体力が衰えた50歳の元アスリードが以前と同じ感覚で競技をしているつもりで傍から見ると明らかに動きが鈍くなっているような状態。そう感じたのはアナタの感性が鈍いからだろう、と反論される方はいらっしゃるかもしれない。でも僕はオープンに音楽に接することを常に心がけているし、技術と精神を伴っている気合の入った良い演奏とそうでない演奏くらいは聴き分けられる。好きか嫌いかはその先の別の話だ。驚いたのは、こんな空虚な演奏を聴かされた観客のかなりの数の人が喜んでいたこと。ジャズ・ファンは名前に弱い(ビッグネームを無条件で賞賛する/少し知名度が低いと馬鹿にする)とは良く言われることだけれども、そういう人がこんなにいるのかとこのときによくわかった。一方で、アンコール前に席を立った人も少なからずいたことも付け加えておきたい(同じくそうしても良かったが座席が列の中央で抜け出せなかった)。

そのときにとりわけひどかったのがショーターだった。音は外しているし、リズムはズレまくり。アルバム「Footprints Live」での演奏に、70歳になってもクリエイティヴィティがあるショーターをさすが、と思っていた僕は、この国際フォーラムでの演奏を聴いてこの年齢ならもう仕方がないかもしれない、と思うしかなかった。そしてこうも思った。自身のレギュラー・カルテットが、なぜあんなにリズムもメロディも解体した音楽をやっているのかというと衰えたショーターの難を隠すためではないかと。こういう演奏なら、リズムは関係ないし、追うべきメロディもないから本人の自由に演奏できて、問題が顕在化しない。そう思うようになってから、2000年以降のショーターはあまり聴かなくなってしまっていた。

そんな僕が観た2012年、パリでのライヴ。このとき既に80歳手前。ところが聴いていると年齢を感じない。もちろん、前述のような衰えが解消されたわけではないでしょう。若い他のメンバー(といっても中堅どころ)が、この場で何をしたら良いのかよくわきまえている。それこそがもう15年以上も続いているこのレギュラー・カルテットの強み。確かにショーターの技量は落ちているんだろうけれど、このライヴでは持ち前の感性に翳りを感じない。アコースティック編成ではあるものの、ジャズの枠から外れていったウェザー・リポート以降にショーターが作ってきた音楽が集約され、若いメンバーの有機的なサポートで再構築して展開されている。

レギュラー・カルテットの音楽を衰えをごまかすためのものだと思っていた僕は、ちょっと反省した。カルテットの演奏として棘もスリルもしっかりある。衰えを受け入れた上で、自分にしかできない音楽をやっている。80歳になっても感性が衰えていないこと、他の誰も真似できない音楽をやっていることの方が凄いし、イージーでムーディなジャズの対極に向かう「今行きている音楽」であるところに価値がある。これ、できることならばジャズ・クラブで見てみたいなあ。ジャズ黄金時代の生き残りは、長くキャリアを重ねるとそれだけで巨人扱いされてしまうものだけれど、多くの場合は懐メロ大会的なライヴしかできなくなってしまう。それを思えば、ショーターの活動がより一層素晴らしく見えてくる。これだけのビッグネームゆえにクラブで観たいという願いが叶うことはまずないと思うけれど、このパリのように(恐らくは)高いチケット代にもかかわらずホールを満席にさせるだけのことはやっていると思う。もう一度、聴き直してよく味わってみよう。

8年ぶりにタワー・オブ・パワーのライヴに行く

TOP201607

過去に一番多くライヴを観ているバンドは間違いなくタワー・オブ・パワー(Tower Of Power)のはず、どれくらい行ったんだっけと思って調べてみたらこうだった。

89年(有明コロシアム:Kirin Beer's New Gigs出演時)
92年(メルパルク・ホール)
93年(On Air)
94年(旧ブルーノート東京)
95年(On Air East)
98年(On Air East)
99年(On Air East)
08年(ブルーノート東京)

最初に観てからハマり、来日ごとに毎回出撃。今思えば1,500人も入るメルパルクホールで演っていたのは驚き。狭かった旧ブルーノート東京でかぶりつきで観たのも懐かしい。

99年を最後に足が遠のいたのは、さすがに毎年行かなくてもいいだろうと思い始めたことと、オールスタンディングの会場があまり好きでないことが主な理由だったと記憶している。関係あるのかないのか、ジャズにハマり始めた時期とも重なっている。

08年には「ご無沙汰だったしブルーノートなら」と思ってこと。既に8年前のことなのでハッキリとは覚えていないけれど、この時のパフォーマンスの印象があまり良くなかった。しばらく生で見ていなかった影響なのか、今思うと無意識で黄金時代を基準にしてしまったいたようで演奏にキレがなくなったなあ、なんて思った。個々の演奏のレベルも少し落ちたかなという印象もあった。ジャズのライヴを数多く観てきたせいで耳の基準が変わっていたのかもしれない。もちろんライヴじたいは楽しんだし、この歳でこれだけのライヴができるというだけで素晴らしいと思ったので決してがっかりしたわけではない。

その後も毎年のように来日していたので、熱心な数少ないファンに支え続けられてやっているんだなと、一歩下がった目で暖かく見ていた。まあ、ライヴに行かなかったというだけで新譜も買っていたし、CDは聴いていたので、ファンをやめたつもりは一切なくて、ヒット曲もなく、たいしてCDも売れていないだろうに精力的にライヴをこなす彼らに敬意を抱き続けてきたこともまた事実。

2010年に結婚して妻の影響を受けてクラシックを聴くようになったのと同じように、妻も僕が聴いている音楽を気に入ってくれるものがあり、タワー・オブ・パワーもそのうちのひとつになっていた。妻も音楽の良き理解者であり、タワーをドライブのときに流していると「カッコいいね」と言ってくれていて、ではいつかライヴに見せてあげようとなんとなく思っていた。そしてようやくそれが実現することに。行ったのは7月8日のブルーノート東京2nd set。今回のメンバーは以下の通り。

Marcus Scott (vo)
Emilio Castilio (ts)
Tom Politzer (ts)
Stephen "Doc" Kupka (bs)
Sal Cracchiolo (tp)
Adolfo Acosta (tp)
Jerry Cortez (g)
Roger Smith (key)
Francis "Rocco" Prestia (b)
David Garibaldi (ds)

しばらく遠ざかっていたので知らなかったんだけれど、ここ数年はロッコの体調不良とガリバルディの脱退などで2人の揃い踏みは久しぶりとのこと。やっぱりこの2人がいるといないとでは行く前の気持ちが違うわけで、これは嬉しい。そして、長らくリード・ヴォーカルを務めていたラリー・ブラッグスに代わって新ヴォーカリストが加入したとのこと。ブラッグスは近年ではもっとも素晴らしいヴォーカルを聴かせていただけにここは期待半分、不安半分。

いざ始まると、そんな能書きなど吹っ飛び、久しぶりのタワーにテンションがマックスに!

8年前に「今のタワーはこんなもんかな」と思った記憶が悪い意味で増幅されていたのかもしれないけれど、なんのなんの、演奏もいいじゃないか!そりゃあ、「Hipper Than Hip」のような全盛期の凄みはありませんよ。それでもさすがと思わせるレベル。手数が減っても、タイトで複雑なリズムと柔軟性を備えるガリバルディのドラムはやはりタワーには欠かせない。病気から復帰したロッコのウネリも過去に観たどのライヴよりもグルーヴを感じてくれた。ブラスは変わらず高値安定。ソロ時間まで与えられたギターもなかなかだったし、ハモンドを響かせるキーボードもイイ。

新ヴォーカリストはブラッグスほどの安定感はないものの、やや高めの声質でレニー・ウィリアムス時代の曲がハマる。
Don't Change Horses
Just When We Start Makin' It
Only So Much Oil in The Ground
(To Say the Least) You're The Most
Just Enough And Too Much
Ain't Nothin' Stoppin' Us Now
あたりの曲は初めてか一度くらいしかライヴ聴いた覚えがなく、それぞれ演奏も良くて大感激&大満足。定番曲として外して欲しくない
What Is Hip
So Very Hard To Go
Soul Vaccination
も押さえてあってこのセットリストは完璧だった。1st setで演奏されていたらしい"Down To The Night Club"と"You're Still A Young Man"は個人的には重要ではなかったので結果的に2nd setで大正解。

この日はギリギリまで仕事に追われていて(1st setだったら間に合わなかったなあ)テンションが低かった僕は、あるいは反動が出たのか精神が開放されて体が激しく動いてしまう(苦笑)。妻も「楽しかった」と言ってくれたし、僕もとにかく楽しかったとしか言いようがない。行って本当に良かった。

行く前は、活動を続けている彼らに敬意を評して程度の気持ちで臨んでいた僕は反省した。まだまだ十分現役のパフォーマンス。彼らは決して儲かるバンドじゃない。一時は落ちるところまで落ちたけれどそれでも続ける。これしかないんだから。彼らはこれが生き方になっている。「どう?これが俺たちの人生なんだぜ」というオーラが出ているライヴを観ると僕は幸せな気分になる。それを十分すぎるほど感じさせてさせてくれたタワー・オブ・パワーに感謝。50週年に向けてこれからもがんばってほしいものです。

ジャガーXE 第3回レポート ロングツーリング編

駿河湾沼津201607
(写真は新東名、上り駿河湾沼津SAからの景色)

(第4回めレポートはこちら http://buhaina.blog.fc2.com/blog-entry-255.html

ジャガーXEが来て5ヶ月が経過。これまで千葉から伊豆・箱根までくらいしかドライブしたことがなく、ロング・ツーリングの機会がありませんでしたが今回はじめて名古屋まで足を延ばしてばしてみました。

キビキビ走る小型車が好きで所有してきたことは他項でも言っている通りですが、そんな僕でも大きいクルマの方が良さそうと思うのが高速道路の長距離移動。ジャガーXEに乗り換えて小型車特有の面白さを味わえなくなった代わりに得られるものとしてロング・ツーリングの快適さはもっとも期待していた部分です。とはいえ、前車(アルファロメオ・ミト)が高速道路の走行で不足があったかというとそんなことはなく、なかなかトルキーなエンジンと高い直進安定性のおかげで辛いと思ったことは一度もありませんでした。ミトは最初期型で脚に突っ張り気味の固さがあったことやノイズが大きめだったという弱点はあったものの、乗り心地のフラット感も申し分なく、ステアリングの手応えも良かったので、むしろ快適とすら感じていたほどでした。

ジャガーXEでも高速道路じたいはもう何度も走行していて素性は概ね見えていたものの、長距離・長時間運転でのパフォーマンスをようやく試すときがようやっくやってきたというわけです。しかも新東名がメインという日本一のハイスピード・ステージ。

まず、当然乗り心地が柔らかくて快適そのもので市街地と変わらぬ好印象。そして速度が上がるほどにフラット感が増し、スタビリティも向上します。風切音を含めてノイズも少ない。イマドキのDセグメント車ならこのくらいの快適性はあって当たり前なんでしょう。また、ミトだと速度が上がるほどに正面からまともに風を受けて空気抵抗がぐっと増す感じがありましたが、ジャガーXEはそのような感じがなく、空力特性の良さを垣間見ることができます(cd値比較:ミト=0.29、XE=0.26)。

エンジンのトルク感をあまり感じないのは一般道と同様ながら高速クルージングではパワー不足という感じはなく、加速したいときにはATが適宜キックダウンしてくれる上に挙動が穏やかかつスムーズなため、わざわざギアを落として大げさに加速するという感じがありません。8段ATは街中のように加減速が多い場面でのマメな切り替えに有効と思っていたのですが、1段のステップ差が小さいことは高速道路のスムーズな走行にも生きてくるようです。

リラックスして走れるスピードは、アルファロメオ・ミトが恐らく120km/hくらいまでで上限は140km/hくらい、ジャガーXEだともっと安定しているので恐らく140km/hくらいまでで上限は160km/hあたりではないかと推測します。ジャガーXEは100km/hならのんびりクルージングと言えるほど安楽です。

トヨタ、マツダ、スバルなどの国産勢だけでなくドイツ各社、ボルボなどでも採用され、最近では珍しい装備ではなくなりつつあるアダプティブ・オート・クルーズ(以下、ACC)の動きについても触れておきましょう。

設定可能速度は確か40km~で上限は・・・忘れました。設定じたいは140km/hまでやってみた実績はあります。車間距離は3段階から選択可能でドライバーの感覚にもよるでしょうが最短設定でも近すぎて怖いということはなく、平均的な車間距離は維持してくれます。ただし、前者が急に速度を落とした場合には追突防止の警告が鳴るくらいまで近づくケースがあるので余裕はありません。2段階目以降がクルージングでは実用的というのが僕の感覚で、それだと割り込み車があっても怖い思いをせずほぼ快適にクルージングしてくれると思います。二輪車でも認識しなかったことはなく、実用性に問題を感じたことはありません。

ちなみにACCを設定して走っていると、加速したり減速したりと結構忙しく、高速道路の流れというのは思っている以上に速度が一定ではないんだなあと実感します。高速道路では前が空いたとしてもなるべくゆっくり加速し、前が詰まりそうならブレーキを踏まずに済むように早めにアクセルから足を離すように、つまりできるだけ穏やかに走ることを心がけていますが、ACCは速度設定と現在速度のギャップが大きいときに前が急に空くとわりと勇ましく加速するし、前車が急に減速すると車間距離がある程度詰まってから強めにブレーキを踏む動きとなり、ギクシャクした落ち着きのない挙動になってしまう。交通の流れを読まずに前との車間距離しか見ていないという仕組み上、仕方のないところなんでしょう。燃費的にも不利な動きとも言えるので、空いていてスムーズに一定速度で流れているとき以外はあまり使いたいとは思いません。そもそも、人間そこまで楽しなくても、という気持ちが心のどこかにあるせいもありますが。

ところが渋滞となると話は変わります。東名高速道路で日常的に遭遇するのが土日夕方以降の上り、大井松田ICから大和トンネルまでの渋滞。およそ20~30kmに及ぶこの渋滞は、完全に停止してしまうことは少なく、止まる寸前のノロノロから60km/hくらいまで上がったり下がったりを繰り返すため、ドライバーは前車との車間距離と速度を絶えず調整をし続けなくてはならず神経を使うところです。そもそも、MTしか所有していなかった僕にはずっと面倒だったこの名物渋滞が、ATというだけでもラクなのにACCを設定しておけば完全におまかせでハンドル操作だけで済むというのはイージー・ドライブの極み。停止してしまった場合は発進時のみアクセルを踏む必要がありますが、一度進み出せばすぐにACC設定が復帰するので痛痒はありません。渋滞時は車間距離設定を最短にしておいても余裕があり、割り込みされにくい程度の車間距離を維持してくれる点もOK(2段目以降だと割り込みされる機会が増えそう)。もちろん割り込みされたとしても即座にそのクルマとの車間距離を測り始めるからACCとしての動作は問題ありません。今回のように名古屋からの帰りの終盤で渋滞に遭遇でしたときなどは特に疲労軽減の効果が大きく、大げさに言うなら自動車技術の革命といっても過言ではないと思うほど便利です。既に国産車でも採用車種がどんどん拡大しているので、あと3年もすれば当たり前の装備になっているかもしれません。

小型車を中心に乗り続けてきた身からすると、ジャガーXEの高速道路の移動は(あたりまえですが)総じてとっても安楽。もちろん同じセグメントのクルマなら他メーカーのクルマでも高水準だろうとは思いますが、最新のテクノロジーをライバル同様に備え、乗り心地の滑らかさを併せ持つという点ではドイツ車にない持ち味と言えるでしょう。

そうは言ってもやはり1日400kmの移動はそれなりに疲れますね。ミトと比較して疲労度が半分になった、なんてことまでは言えません。初めて長時間座ることになったシートはどこかが痛くなるようなことこそなかったものの、特別優れているというほどではなく、標準的といったところでしょうか。ちなみに、妻はミトよりもかなり楽だと言っているので助手席の快適性は高いようです。まあ、これは乗り心地の良さと静寂性のおかげだと思います。

尚、今回は95%高速道路(上記渋滞含む)の走行で普通に走って燃費は13.7km/Lでした。渋滞がなく、エコ走行に徹すれば15km/Lくらいまでは伸びるかもしれません。試験問題がわかって受験している国産車のJC08モード燃費は、高速道路巡航であってもカタログスペックを超えることはありませんが、試験問題なんて知ったこっちゃないジャガーは11.8km/Lのカタログスペックを大きく超えています。もちろん燃費性能じたいは現代の水準においては褒められたものではありませんけれど。

以上、第3回、長距離ドライブのレポートでした。

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