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Enjoy Life, Enjoy Hobby

趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

「プロミスト・ランド」(ネタバレ含む)

プロミスト・ランド-201509

脚本良し、演出良し、役者良し。さすが、ガス・ヴァン・サント、さすがマット・デイモン。

淡々と地味に話を描いているので話の重さを見過ごしそうになるけれど、細かいエピソードを含めて人間としてどう生きるかという選択が積み上げられていて実は重い。

・仕事(を推し進める)人としてどう生きるか
・企業人としてどう生きるか
・社会(に貢献する)人としてどう生きるか
・自分の過去と向き合ってどう生きるか
・男としてどう生きるか

が入れ替わり立ち替わりに現れ、からみ合っている。だから観ながら自分で葛藤することができる。自分ならどうするだろうか、と。

マット・デイモン(スティーヴ)とフランシス・マクドーマンド(スー)はシェールガスの企業、グローバル社で採掘の新規開拓を行い、地元住民を説得して工事の承認を取り付ける役割で、天然ガスが市民にもたらす富を武器に説得にあたってゆく。スティーヴは自分の故郷が貧困によって荒廃してしまった過去を持っているだけに経済的メリットをもたらすこの事業は仕事であることだけでなく、自ら求めた行動として動機づけられているのは設定として良くできている。

ただ、札束で頬を叩く言動があるとはいえ、マット・デイモンはちょっと良い人に描きすぎているんじゃないかと思う。これは染み付いた役者固有のキャラそのものでもあるので仕方がない面はあるとはいえ、良い人であるというイメージが最後のどんでん返しに「やっぱりな」という印象を与えてしまうことは否めない。そうかと言って悪く書きすぎるとまた最後が不自然になってしまうので、あくまでももう少し悪く描いてもらえればというところ。

結末が綺麗にまとまったことで後味が良いのはいいとして、では現実にこの選択ができる人はどのくらいいるのだろうか。僕の経験上、それがデキる人は稀だ。

そういう主役をよりヒロイックに表現するならスティーヴに守るべき家族がいないという設定はちょっと食い足りないと感じる。ただ、そのエピソードを加えると話が長くなるし、スティーヴが格好良くなりすぎたり、話が必要以上に重くなりすぎたりする懸念もあるから、独り者という設定の方にするのは仕方がないかもしれない。

この映画の問題は日本ではそのまま原発に当てはまる。アメリカでもこのテーマを取り上げることに否定的な見解を示す人はいるだろうけれど、批判も含めて自由に映画が作れるところがアメリカの良い所だと思う。日本ではここまでダイレクトなものは絶対作れない。

見て損はない社会派映画。淡々としてつまらないという人もいるだろうけれど、そういう人はきっと自分の立場を守ることと良心の間で葛藤したことがないぬるま湯人生を歩んできた人なんだろう。


One Step Beyond / Jackie MacLean

One Step Beyond-201505

ちょっとご無沙汰気味のジャズ。ひさびさに選んでみたのがこの1枚。

恐らく、初心者向けガイドブックに登場することはであろうジャッキー・マクリーンのこのアルバムの録音は63年4月30日。

63年というと既にコルトレーンは黄金のカルテットを始動して独自の世界に突入していた時代で、ジャズ・ミュージシャンたちが揃って「ハードバップの次」を模索していた時代。今、一般の人たちがイメージするジャズは50年代のハードバップ時代のサウンドで、誰が聴いてもああジャズだなあ、と思える安心感のあるサウンドであると言える(だからこそ今でも広く聴かれているのでしょう)。言い方を変えればハードバップはジャズに詳しくない人でも実はなんとなくそのサウンドを知っているわけです。

しかし、60年代に入ってジャズは新しいサウンドを求め、マイルスもコルトレーンも先鋭化し、オーネット・コールマンも登場するなど、ジャズにとって一番面白い時代だったと個人的には思う。でも、この時代の尖ったジャズが今顧みられることはほとんどない。

ジャッキー・マクリーンはコルトレーンやオーネット・コールマンに影響を受け、新しいサウンドを模索したが、当時も今も彼らほどには高く評価されていないのは明らか。未だにマクリーンと言えば"Left Alone" "What's New"を取り上げる人が多いのはひとえに音楽家・マクリーンが評価されていないからと言えるでしょう。まあ、同時代の誰かの影響を受けて、という点で一段低く見る人の気持ちはわからなくはありませんが。

マクリーンのチャレンジが明らかになってきたのは「Let Freedom Ring」(62年録音)あたりから。このアルバムはまだ新しいことをしたいという意欲が空回りしている感があるけれど、63年以降はうまく消化できるようになり、なかなか先進的なサウンドを聴かせるようになってくる。この頃のマクリーンが一番カッコイイ。ジャズはカッコ良くなければ意味がないと考える僕にとって、カッコイイことは重要だ。

特にピアノレスでヴィブラフォンをフィーチャーしたこの「One Step Beyond」は傑作。クールなエネルギーに溢れている。共演のモンカー3世、ボビー・ハッチャーソンのパフォーマンスもフレッシュでグループとして良い意味で同じ方向を向いているのも素晴らしい。「Destination Out」「Action」も同じ路線でクール、そしてアヴァンギャルドには向かっていないのに先鋭的でスタリッシュ。今も昔もこれに似たようなサウンドはなく、評価されていないのは不当だと僕は思う。63年の時点で考えるとマイルス・デイヴィスのグループよりもサウンドは先進的なのだからもっと評価されてもいいんじゃないだろうか。

「One Step Beyond」(意欲がタイトルに現れているでしょう?)に関してのトピックは、サウンドの一翼を新人トニー・ウィリアムスが担っていること。当時まだ17歳と4ヶ月という年齢で、既に完成されたテクニックを持っていることに驚かされる。1曲めからドラム・ソロがあるけれど、テクニック的に非凡なだけでなく、叩きすぎずに抑えが効いた知性があるところなどは更に驚異的で、舌を巻くとはまさにこういうところで使う言葉なんだな、と思わされる。

マクリーンはトニーを彼の地元ボストンでスカウトし、まだ少年だった息子を心配する両親に「自分が面倒を見ますから」と説得してニューヨークに連れて行った。すぐにマイルス・デイヴィスに引きぬかれてしまい、ハービー・ハンコックとウェイン・ショーターを加えたマイルス・グループは更に進んだサウンドでアコースティック・ジャズの頂点を極めた。そのサウンドもトニーの存在があったからこそであることは衆目の一致するところ。

というわけで、有線放送でかかるジャズとは異色であり一般的なサウンドではないかもしれないけれど、ジャズを聴くなら是非こういう意欲的なものを是非聴いていただきたいと思う。ジャズがムーディでオシャレなんていう概念なんて吹っ飛ぶこと請け合いだ。

ベルリン・フィルのデジタル・コンサート・ホールを試す

ラトルBPO-201509

ベルリン・フィルからデジタル・コンサート・ホール(以下、DCH)の7日間フリー・チケットが来たのでたっぷり試させてもらった。

いろいろ試す前に、実はプライオリティ・ワンの事項があった。それは、6月25日にベルリン・フィルハーモニーで実際に観たコンサートの映像を観ること。あの素晴らしい体験をもう一度観れるとあって、思い出を記録するべく動画キャプチャ・ソフトをPCに導入して録画、録音できたのは何よりも嬉しい。ちなみにこの日は、クリスチャン・ツィメルマンのブラームスのピアノ協奏曲第1番がメインだったにもかかわらず、この曲は公開されていない。近年のツィメルマンはライヴ録音はもちろん、セッション録音も公開しない方針のようで、それはDCHにおいても墨守されなければならなかったということのようだ。この曲を記録できなかったのは何よりも残念。(追記:なんとツィメルマンのブラームスがその後、奇跡的に公開されました!この目で見たコンサートをまた観れるようになったのは至上の喜びです!)

話は逸れるけれど、6月に行ったウィーン、ベルリンの旅で観た4本のコンサートのうち、楽友協会で観たウィーン交響楽団(ベートヴェンの4番とニールセンの5番)とウィーン・フィル(マーラーの3番)は、いずれも数日違いだったとはいえ、同じプログラムをインターネット・ラジオ(ORF)で聴くことができてしまった。ベルリン・フィルもこうしてDCHで観ることができてしまう。残りの1本はベルリン・ドイツ交響楽団のカジュアル・コンサート(指揮者も楽団員も私服で演奏)で公開があり得ないことを考えると、はるばる渡航して聴いたコンサートをこうも簡単にあれもこれももう一度聴くことができてしまうことに驚いてしまう。

それはさておき、せっかくの7日間フリー・チケットなので時間が許す限り、たっぷり楽しませてもらいました。

ちなみに、僕はベルリン・フィルがこれまでそれほど好きではなかった。もちろん嫌いだったわけでもなかったけれど、CDで聴いたりテレビで放送されたりするのを聴いている限り、ウィーン・フィルやルツェルン祝祭管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデン、パリ管の方がなんとなくしっくり来ていた。ベルリンフィルは確かに上手い。楽器を雄弁に歌わせることにかけれはピカイチであることがテレビ放送からでもよく伝わってくる。でも、これってちょっと歌わせすぎなんじゃないか、ちょっと嫌味っぽいんじゃないかとも感じていた。すべての楽器が歌いすぎることで慎ましさや弱音部の響きが失われることもなるんじゃないかとも思っていた。また、サイモン・ラトルが自由にそうさせているようにも見えていた。

実際に生演奏に接してみたら、そんな印象はまったくなかった。上手いという印象はこれまでと変わらない。一部のクラオタは、最近のベルリン・フィルのことを「上手いだけでシンセサイザーのように無機質」と言う(こうやって世間で高評価なものを批判することで自分の格が上がると勘違いしているクラオタって多いですね)けれど、そんなふうにはまったく感じなかった。これは聴いた演目(ハイドンの交響曲第80番)が良かったからのように思う。小編成の古典派音楽をキビキビと軽やかに、尚且つ艶やかで現代的に演奏する様を観ていたく感動してしまったのだ。そこには決して「鳴らしすぎ」はなく、肩の力を抜いたリラックスした演奏があり、音量が大きくなくても楽器がよく歌っているという、これまで聴いたことがない音が広がっていた。また、その音楽には親しみやすさと品格が同居してる。この1曲でベルリン・フィルの懐の深さを思い知ることになり、一気にファンになってしまったというわけである。

生の体験をしてから改めて、DCHでコンサートを観てみると、あのときの印象が蘇ってくる。モーツァルトのアーカイヴではハイドンのときと同じような方向性で聴かせてくれる。シューマンとブラームスの交響曲も瞬発力と生気が漲っているし、やはりマーラーは圧巻の演奏。

映像付き生演奏なので当然無修正なわけだけれども、演奏に傷はほとんどなく、録音の乱れもない。かなりの本数を観たけれど、どれもこれもこのままCDやDVDで発売して全く問題ないクオリティには思わず唸らされてしまう。また、無人カメラによる撮影とカメラ割りもソツがなく、ソロの見せ場もじっくり楽しめるなど、映像も申し分ない(毎度同じような映像なのは設備とオーケストラ音楽という性質上仕方ない)。

今更ながら、このクオリティの映像をDVDなどで販売せずに、DCHでのみ観れるようにするという営業上の戦略はなかなか思い切ったものだと思う。視聴のための価格設定は決して高いとは思えず、設備投資と運用費用とを合わせて収益が上がっているのだとしたら、たとえば財政難が伝えられているロイヤル・コンセルトヘボウや、その他有名オーケストラも倣って同様なサービスを始めたらいいんじゃないかなあ、と素人考えでつい思ってしまう。そうすれば、世界中のクラシック愛好家が素晴らしいコンサートを家に居ながらにして楽しめるようになり、こんなにありがたいことはない。知名度も実力も世界No.1という評価があってこそ成り立っているのだとしたらそれも難しいのかもしれないけれど、誰かがDCHのような映像配信会社を作って世界各地の有名ホールで配信してくれる時代が来てくれると、クラシックはそこそこ好きだけど観る機会があまりなくて、という人を固定ファンにできるような気がする。どの国のコンサート会場に行っても観客は高齢者ばかりで、衰退が危惧されるクラシック音楽を世界中で復興させるには、世界各地のオーケストラ団体が共同で会社を設立してそのくらいのことをしてもいいような気がする。まあ、こんな妄想で上手くいくほど世の中は甘くないかもしれないけれど。

指揮者が何を考えているのかがわかる良著

ロマン派交響曲201509

クラシックを聴き始めてもう少しで3年になろうとしている。より楽しめるように知識を身に着けるにあたり、ネットの情報に加えていくつかの本も読んでみた。一番おもしろく、参考になったのが金聖響氏(玉木正之氏と共著体裁だが内容はほとんど金聖響さんの語り)の「ベートーヴェンの交響曲」「ロマン派の交響曲」「マーラーの交響曲」のシリーズもの。

この一連の本、実はかなり画期的だと思う。指揮者自らがどう曲を捉えて、どう考えて、どう演奏しているのかを金聖響氏が赤裸々に語っているから。恐らくは氏のサービス精神がそうさせているのだと思うけれど、ここまで手の内を見せてしまっていいのだろうかとすら思ってしまう。今でもときどき手にとって読みながら、曲を聴いているんだけれど、やはり音楽がより楽しく聴ける。これからクラシック(ここでは管弦楽に限りますが)を聴く人にはこの本を真っ先に薦めたいと思うほど、この本は素晴らしいと思う。

とはいえ、書いてある内容に全面的に納得しているというわけではない。指揮者自らが語っているだけに指揮者の身勝手さもよく書かれている。たとえば金聖響氏はよく「大指揮者時代」という言葉を使っているんだけれども、それは(ごく大雑把に言うと)フルトヴェングラー、トスカニーニ、カラヤン、ワルター、ベーム、バーンスタインなどの巨匠たちが作曲家が指定した編成や譜面から逸脱してより大規模でスケールの大きな演奏に変貌させていったこと、そしてそれを大衆が支持したことでそのスタイルがクラシックの王道になっていったことに対するアンチテーゼとした意味合いで使っているようだ。これは「譜面と作曲された時代を尊重するべき」という、15年~20年前に流行ったピリオドスタイルの演奏に共通するもので、金聖響氏自身もそのようなスタイルで演奏している。

僕がクラシックの演奏で魅力を感じるのは、金聖響氏の言う「大指揮者時代」のスタイルで、まあ言ってみれば大袈裟で大見得を切った表現が好きだ。だからピリオドスタイルという演奏を知ったときに「まあ、そういう考え、表現もありかな」くらいにしか思わなかった。実際に聴いてみると、確かに巨匠たちのスタイルとは違う魅力があると感じたのと同時にこうも思った。これは「逃げ」ではないかと。

音楽というのは時代とともに発展、進化していくのが当然であり、譜面を元に演奏するクラシックであってもそれは同じなんじゃないだろうか。譜面を元に演奏家が解釈して表現するのがクラシックであり、その到達点のひとつが「大指揮者時代」のスタイルなんだと思う。そして、レコードというものが広く普及したために、生演奏を聴くことができない人にまでそれが知れ渡るようになってしまった。そしてその手法も90年くらいまでにはほぼやり尽くされてしまった。そうなると困るのは、モノマネをせずにより良い演奏をしなくてはならないその後の指揮者、演奏家たちだった。そこに与えられた逃げ道がピリオドスタイルだったのだと、クラシック歴2年足らずの時点で僕は思ってしまったのだ。

確かに「作曲された時代の編成、楽器、演奏スタイルで」という主張は純粋さをイメージさせる。指揮者の解釈によってそれを変貌させることをある意味「悪」と捉えて、譜面に忠実に演奏することを正義とすることは正統な主張のように見えて、違う道を探していた指揮者と演奏家に大義名分を与えただろうことは想像に難くない。

ちなみに、著書の中で金聖響氏は「私は解釈という言葉を使いません」という意味のことを胸を張って言っている。譜面に書いてあることを再現することこそが指揮者がすることなので「解釈」で曲をねじ曲げるのは良くないという主張が感じられる。でも、それは違うと思う。そもそも譜面で音楽がすべて表現できるわけではない。指揮者は行間を読まなくてはならないし、そこに解釈を加えることは当然のこと。以前にも紹介したけれどもルドルフ・ブッフビンダーが「ストラヴィンスキーだって同じ自作曲を指揮するときに違うスタイルで演奏した」と言っていた通り、「指揮者の意図するもの」ですらひと通りではない。それなのに譜面に忠実であることを正義とするのは詭弁ではないだろうか。

そして金聖氏響も著書の中で自己矛盾に陥っていると思えるところが多々ある。シューマンの交響曲第1番冒頭のファンファーレはリハーサルのときに当時のホルンだと初稿の譜面通りに演奏できなかったので、書き換えられたことについて触れている。ここは現代のホルンだと初稿の通り演奏できるので、書き換える前の本来シューマンが意図したものを尊重するべきだと主張。一方で、ベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章の冒頭のトランペットは当時の演奏技術では演奏が難しいために吹きやすい途切れ途切れのものを書いていて、指揮者によっては現代の楽器と技術なら途切れ途切れにならずに吹けるので滑らかに演奏させる人がいる、しかしそれは最初から途切れと途切れで書いたベートーヴェンの意志ではないと主張。これは見方によっては矛盾があると思う。ベートーヴェンはリハーサルで気づくまでもなく(というか当時は耳が聴こえなくなっていたはず)、最初から途切れ途切れにしただけで本当にそうしたかったのか、つまりそれが本来のベートーヴェンの意志だったのかどうかはわからない。

僕はどちらが正しいなどと言うつもりはない。ただ、こういったことこそが「解釈」だと思う。他ではブラームスの項目では「繰り返しは省略しないでください。ブラームスが指定しているのですから」と言っておきながら、シューベルトの「ザ・グレイト」では繰り返しが多すぎるので譜面通りに演奏する(1時間10分くらいになるらしい)ことに疑問を感じていることを言っている。「解釈」しないのであれば疑問を抱くことなく譜面通りに演奏するのが筋ではないだろうか。

誤解なきように言っておくと、だから金聖響氏はダメだ、おかしいなどと言いたいわけではない。指揮者というのはこうやって自分勝手に自分が正しいと思う理由を探しながら、まるで高いものを買うときに自分に言い訳を考えるのと同じように正当化する人種なんだな、ということがわかる。それこそがこの本の面白いところだし、指揮者はそうやってそれぞれに「解釈」をしながら音楽をどんどん個性的に演奏してほしいと僕は思うわけです。

この一連の交響曲シリーズを大推薦しているのはそんな面白さがあるから。次は温存している「ブルックナーの交響曲」をお待ちしていますよ、聖響さん!

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