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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

Miles Davis At Newport: Bootleg Series Vol.4

Miles At Newport

今でこそクラシック浸りの日々を送っているけれど、この勢いそのままで、その昔はジャズにどっぷりハマりこんでいたいたときがあった。その一時期、更にどっぷりハマっていたのがマイルス・デイヴィスのブートレグだった。

僕は決してブートレグ愛好家ではない。積極的に買い集めていたのはクイーンくらいだ(業者撲滅のために当事者自らが販売しているキング・クリムゾンは除く)。確かにマイルスは大好きではある。でも同じくらい好きなコルトレーンは特にブートレグを聴こうとは思わない。では、どうしてマイルスのブート集めに走ってしまったのか。

これはマイルスのマニアには今更言うほどものではないけれども、マイルスは常に新しいことにチャレンジし続け、トライ&エラーを繰り返してきたからだ。またある時期(69年くらい)からはスタジオで実験的に演奏し、そこで録音されたものをテオ・マセロが巧みに編集するという手法を採るようになった。あからさまな実験的な音楽の制作はそうやってスタジオで作られたものの、ライヴ活動も試行錯誤しながらどんどんグループとその音楽は進化・発展し続けていた。その荒っぽくも凄まじいエレネルギーを発しているライヴは、しかし正規版としてリリースされることはなく、マイルスが亡くなってからも蔵出しされるものは非常に少なかった。

しかし、この時期(69年~75年)こそがマイルスの創作意欲が最も旺盛だった時期で、それなのに72年までに正規版としてリアルタイムで世に出たのは「In A Silent Way」「Bitches Blew」「At Fillmore」「Live Evil」「On The Corner」だけに留まる。通して聴くと笑ってしまうくらい音楽が変化していて、たぶん当時聴いていたリスナーはアルバムがリリースされるたびに面食らっていたに違いない。どうやったらこんなに変わってしまうのかと。ところが、ブートレグでライヴ音源を追いかけていくとこの変遷がわかるし、スタジオ録音だけではわからなかったマイルスの狙いまでより詳しく見えてくるようになる。だからこの時期のマイルスを理解するためにはブートレグが欠かせない。単にライヴの記録という以上の価値があって、しかも単にライヴの記録としても他のミュージシャンを寄せ付けない凄みがあるのだから。

マイルスのブートにハマっていたのは、当時の仕事がとても大変でストレスを発散したかったからという理由も大きかった(そのときは自覚していなかったけれど)。渋谷のマザーズレコードの店員さんが、月に2度ほどやってきては5セットずつ買っていくスーツ姿のサラリーマンに「もっとゆっくり聴いた方がいいんじゃないですか」と言うくらいその勢いは凄かった。とはいえ、いつかは聴くものも尽きていく、というかだんだんどの日の音源が良いかがわかるようになってきて、あとはそれが音質向上したり収録曲が増えたりといったバージョンアップ盤が出たときに買う程度に病は徐々に収まってゆく。ここ数年はほとんど新音源の発掘やバージョンアップもなく、ようやく僕は中毒から脱することができた。

ところが、今度はオフィシャル・レーベルであるCOLUMBIA/Legacyが「ブートレグ・シリーズ」と銘打って、自ら音源を蔵出しするという動きが始まった。第一弾は、67年の第2期黄金のクインテットのライヴ音源集。この史上最強のアコースティック・ジャズ・クインテットのライヴ音源はいくつか正規版でリリースされているものの、それはスタジオ四部作完成前の時期のものでレパートリーが従来のスタンダード曲中心だったときのもの。メンバーによるオリジナル曲が揃ってからのライヴ音源は正規リリースされていなかった。故にブートレグも多数存在していたわけだけれども、それをレコード会社自らが出すと言うのだから当然期待が高まる。

いざ、リリースされたVol.1はブートレグでお馴染みの有名音源がズラリ、一部はブートレグには収録されていない曲も追加されていて喜びそうになったものの、逆に収録曲が少ななくなっていたり、ブートレグではステレオだったものがモノラルになっていたり、なんとも中途半端なものだった。もちろん僕もすべてのブートレグを持っていたわけではないので初めて聴く音源を楽しむことはできたとはいえ、「これでもう、ブートレグは要らない」という内容には程遠い。69年のロスト・クインテット時代のライヴ音源を集めたVol.2もAmazonのレビューを読む限りでは似たようなもので、既に正規リリースされていた「1969 Miles」を重複収録しているだけでなく音質が劣化しているというので購入を見送ってしまった。

これまでにCOLUMBIA/Legacyがリリースしてきた蔵出し音源はおしなべて中身が中途半端なものが多かった。このシリーズもあまり事情は変わっていないらしい。Vol.3は「At Fillmore」の完全版として喜ばしい内容だったものの、これも左右のチャンネルが入れ替わっていたりして詰めが甘く、マニアを無条件に喜ばせるものに仕上げることができなかった。

それにも懲りず(?)、Vol.4が発売された。今回はニューポート・ジャズ・フェスティバルでの演奏を集めるという企画で、中身をよく確認せず購入してしまった。よく中身を見てみるとベルリンとスイスの音源が入っている。これらもニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・ヨーロッパでの音源とはいえ「At」とは特定の場所を示す前置詞であることは学校で習った通りでニューポート(譲ってもせいぜい代替開催だった米国東海岸範囲内)でないとこのタイトルはおかしいではないか。そして今回もブートレグでは既に陽の目を見ている音源ばかり。

Disc 1の55年の音源は所有していなかったので新鮮な気持ちで聴けた。ブートレグとの音質差はわからないけれど良好と言って良いだろう。珍しいメンツでの演奏なので持っていなかった僕からするとこの音源はありがたいんだけれども、演奏はあまり緊張感のないジャム・セッションの趣で何度も繰り返して聴きたいと思うようなものではない。58年の音源はもうだいぶ前から正規盤が出ていて音質もほとんど変わらない。マニアが買うはずのブートレグ・シリーズに、マニアなら持っていて当たり前のオフィシャル音源をそのまま入れてブートレグ・シリーズを名乗るのはいかがなものかと思ってしまう。

Disc 2の66年と67年の音源も所有していなかったのでこれも個人的にはありがたい。ブートレグよりも収録曲数が増えている。音質は良好で演奏も期待を裏切らないクオリティ。快速かつ怒涛な勢いで進むこの時期のクインテットにあって、66年の方はテンポが遅いところが逆に新鮮に感じる。緩さもありつつ適度な緊張感もあるという塩梅が意外と悪くない。67年はどういうわけだか音質が66年より少し落ちてコモリ気味、そしてモノラル。演奏はその他音源と似た傾向で怒涛の勢いで疾走し、ブローしていて聴いている方もテンションが上がってくる。これをちょうど1年分の進化を楽しむという趣向で聴くのはアリかもしれない。

Disc 3は69年の音源で、しかし2011年にリリースされた「Bitches Brew Live」に収録されていたものと完全にダブり。73年のベルリンは音質、パフォーマンス共に優秀な有名音源でブートレグより少しだけ音が整っていてオフィシャル・リリースの面目をかろうじて保っている。サム・モリソンがいたときの珍しいラインナップによる75年の音源も1曲だけ収録されているけれど、こちらは音質がやや悪くブートレグではこの日2回あったショウのすべての曲が聴けるのでまたもや中途半端さが目立ってしまう。

Disc 4は71年のスイスの音源でこちらも音質の良さで知られる有名音源。冒頭で左右チャンネルの偏りがあるところが修正されていてオフィシャル化によって改善されているところは良い。しかし、この日はセカンド・セットの音源もブートレグがありファースト・セットほどではないものの音質は良好でパフォーマンスに関してはセカンド・セットの方がよりアグレッシヴであることも知られている。ファースト・セットの音源はわざわざスイスのラジオ局のマスターから収録と得意気にブックレットでアピールしておきながら、ニューポート・ジャズ・フェスティバル関連の音源という主旨に反するわけでもないのにセカンド・セットを収録していない理由がよくわからない。

というわけで、今回のブートレグ・シリーズも価値がないとは言わない。しかし、全体的に中途半端な感じは否めない。手持ちの音源に限って言えば従来からの劣化がないことは喜ばしい(ってこんなことで喜んでいいのか?)。71年音源が初めてオフィシャル化されて普通にリーズナブルな価格で買えるようになったのも喜ばしいことではあるものの、画竜点睛を欠くことはマイルス・マニアなら誰でも思うところだと思う。強いて言うならば有名音源のスイスとベルリンがニューポート・ジャズ・フェスティバルでの演奏ということが今回初めて広く知られるようになったということくらいか。

このシリーズ、まだ続きはあるんだろうか?でも、このレベルしか期待できないんでしょうねえ。なくて良いとまでは言わないけれど、オフィシャル化するのであれば決定版であってほしい。既に多くの粗悪な蔵出しをし続けているCOLUMBIA/Legacyにそれを言っても無理なのかもしれないけれど。

ポリャンスキー指揮 ロシア国立交響楽団 2015年日本公演

ロシア国立交響楽団2015

ポリャンスキー指揮 ロシア国立交響楽団 2015年日本公演
2015年7月18日
東京芸術劇場
【演目】
チャイコフスキー 交響曲第4番
チャイコフスキー 交響曲第5番
チャイコフスキー 交響曲第6番「悲壮」

日本初、という宣伝文句を謳うかなりヘヴィなプログラム。ロシアオケはこれが初めて。指揮者もオケもよく知らないけれど、プログラムの面白さとリーズナブルな価格設定に惹かれて行ってみた。全体を通して悪くはなかったと思う。弦は音量はそれほどではなかったもののまずまず美しく歌っていた。木管も無難。金管はトロンボーンとチューバの音がちょっと粗い。もちろん場面によってはそういう表現もアリだとは思う。割れた感じの音である意味迫力はあったものの、それでも一本調子だったことは否めない。これが指揮者のディレクションだったのかオケの特質なのかはちょっとわからない。テンポ設定は意外とじっくり型なところもあって個人的には好みに合っていた。事前に煽っていたような爆演という感じはあまりせず、弦などはむしろ清楚な印象で金管の粗さを迫力と捉えるならそう言えなくはないかもしれない。まあ、なんだかんだ言っても日本のオケより実力があるのは確か。価格が価格でもあるし、何しろ人気曲の大盛りプログラムなので曲そのものを楽しむという意味では良かったと思う。

ところでこの種の企画は今後も続くんだろうか。ネットでの反応を見ると概ね好評だし、今日はチケットも完売だったようなので、またあるのかもしれない。既にチェコの楽団によるドヴォルザークの7番~9番というプログラムの公演も秋には控えている。

休日のマチネは客層が違う(よりカジュアル)なのは過去の経験でわかっているとはいえ、今日は一段とカジュアルなムードが強かった。日頃から、格式張ってスノビッシュにクラシックを聴いて上から目線でモノを言うクラオタを良く思っていない僕にとって、カジュアルな気持ちでクラシックを聴く人が沢山いるのは喜ばしいことだ。でも、何年前に買ったのかわからないようなヨレヨレでダブダブのTシャツとGパン姿で来ている人(あるいはそれに準じる見すぼらしい服装)を見ると悲しくなる。それにカジュアルな姿勢だからといって、演奏が終わって音がまだ消えていないところから大勢が拍手をはじめ、大声でブラボーを叫ぶ人が乱立する光景はちょっと異様に見えた。本当に演奏の内容に感動したかどうかではなく、生演奏に接して浮かれている無垢な初心者か、単に叫びたい人でしかないように見えてしまう。素晴らしいコンサートはこれまでに何回も観てきたし、そこに賞賛を送る観客の姿も観てきたけれど、ポピュラー音楽のオーディエンスかのような熱狂ぶりは初めて見た。

僕もさすがに結構な本数のコンサートを観てきたおかげで自分なりに(好みとは別の話として)演奏の善し悪しがある程度わかるようになってきた。良いものは良い、そうでないものはイマイチという気持ちを抱くのは当然のことで、なんでもかんでも喜ぶという無邪気な時期は過ぎている。そして今日の演奏は、誰もが絶賛したくなるような何もかもが素晴らしいと言えるほどのものではなかったと、ある程度耳の肥えた人なら思うはずだ。ここ1年で観た、ほぼ同じ価格帯のオケ(リヨン管弦楽団、トゥールーズ・キャピトル)と比べても演奏力は低かったし、それに少し価格上乗せした程度で壮絶な演奏を聴かせたベルリン放送交響楽団とは天と地ほどの差があった。

そもそも、今回のようなプログラムは普通じゃ組まない。休憩を挟んで3時間20分というボリュームは演奏者にも聴く方にも結構な集中力を要求する(実際、「悲壮」のときには疲れて寝ている人が多かった)。料理でもメインデュッシュだけを最初から最後まで出したら良い食事になるかというとそんなことはないのと同じように、メインの曲を3曲揃えたからといって良いコンサートになるとは限らない。なにしろバランスが悪くて多様性がないことは否定しようがない事実だ。そんな異色プログラムがなぜ組まれるのかと考えてみるといろいろ見えてくるものがある。

指揮者、オケの知名度と実力からすると普通のプログラムでは集客は難しいだろう。だからこういう異色の企画が組まれたであろうことは想像に難くない。それほど人気も評価も高いわけでもないレストランがリーズナブルな価格設定にして、コース料理として牛肉と豚肉とラム肉のメイン料理を3品提供します、といえば喜んで並ぶ客は一定の数いるに違いない。ただ、いくら山ほど食べることができても、前菜もデザートもコーヒーもないメイン料理だけのコースを喜ばない人も少なからずいる。あくまでも普段食べ慣れていない人が、手頃な価格で欲張って食べることができると喜ぶだけだ。お客さんが自ら足を運びたくなるような人気のあるレストランはそんなことをしなくても最初から最後まで楽しめるコースメニューを提供してお店が成り立っている。しかし、評価を得られていないレストランは普通にやっていたのではお客さんが集まらないから奇策を打ち出して人目を引かなくてはならない。

もちろん、いろんな客層があっていいと思う。でも僕はメイン料理だけのコースでお得感を出す店の行列に並ぶタイプの人間ではない。それよりもバランスが取れて、バリエーションに富み、流れがあって一品ずつに感動できる料理をいただきたい。メイン料理だけのお得コースは最初は人が集まるかもしれないけれど、美味しくないかぎり何度も繰り返していたら飽きられるだろう。ロシア国立交響楽団がこういうプログラムを続けてお客さんが入り続け、興行として成立する事態がずっと続いたらそこで提供されている料理が美味しかったからと言えるようになる。「まずは知ってもらってから」というマーケティング戦略であったのなら次は普通のプログラムで行くだろうし、チャイコフスキーばかり演るわけにもいかないだろう。そうなるとオケ(レストランなら総合力)の真価を問われるようになる。

休憩時間にオジサンたちがしていた会話。「指揮者が有名だと値段が上がるのって勘弁してほしいよね。東フィルがミョンフンだと高いとかさ。N響は指揮者で値上げしなくて3000円とかで観れるから偉いよね。でも最近そうでもないから腹が立つんだよ。あと1000人(マーラー8番)だと高いとかさ、やめて欲しいよね」。どうやら指揮者や演目によってチケット代が少し(500円程度)上がることに納得がいかないらしい。

大人数で演奏して、活動経費がかかるクラシック演奏はもっとお金を取っても良い興行だと僕は思っているし、1000円余分に払って良い演奏が聴けるなら是非そうしたい。良い演奏なら多少高いお金を払ってでも見に行きたいと思う。でも世の中には安く多く食べられることを優先してレストランを選ぶのと同じようにコンサートを選ぶ人もいる。コンサートの出演者、プログラム、価格を見て、どんなお客さんが来そうかということも考える必要がある、ということがわかったことが今日のコンサートの収穫だったと言ったら高慢に過ぎるだろうか。

(P.S.)より伝統と実績がある「ロシア国立交響楽団」と同じ名前でパブリッシュしてるのは、いかにも正統な雰囲気があるものにしたい、有名なものに便乗したいという下心があるように見えてしまう。主催者は、本気でこのオケを売り込みたいと思っているのなら目先のことにとらわれず別の名前を用意するべきでしょう。既にウィキペディアでは「ロシア国立シンフォニー・カペラ」と紹介されているわけですから。

ハーディング指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 定期公演

NJP2015

ハーディング指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 定期公演
2015年7月11日
すみだトリフォニーホール
【演目】
マーラー 交響曲第2番「復活」
ソプラノ:ドロテア・レシュマン
メゾ・ソプラノ:クリスティアーネ・ストーティン
合唱:栗友会合唱団

以前から、日本のオーケストラの地力のなさ、外国オケに比べて決定的に音楽表現が貧弱なことついて書いてきたのになぜまた行ったのかというと、新日本フィルはまだ聴いていなかったから、ダニエル・ハーディングを一度観てみたかったから。そして、最大の理由は生でマーラーの2番を一度聴いてみたかったからだ。

すみだトリフォニーホールは初めて行ったけれど、十分すぎるほど立派なホールだと思った。墨田区という都心からややズレたところで、さして文化的薫りがするわけでもない錦糸町(失礼!)にこんな立派なホールがあるというのはある意味凄いことだと思う。今回は1階6列目と前の方の席。座席の作りとしては、1階は後ろ3分の1を除くと傾斜がとても緩やかなのであまり視界が良くない。6列目だと金管、木管、打楽器は完全に死角に入ってしまっていた。97年開館とそれほど古くない設備にしては見やすさの観点ではいまひとつといった感じ。尚、残響は少なめな印象。

さて、まずは第1楽章。コントラバスで重々しく始まりヴァイオリンが旋律を奏でて最初にシンバルが鳴るところまでで、早くも弦の非力さをしみじみと実感。2週間前にウィーン・フィルとベルリン・フィル、他にも上手いオケをたっぷり聴いてきたばかりなので比較したら気の毒だと言うのはわかっているけれど、残念ながら大きく劣るのは明らかだ。第1ヴァイオリンなど今回のマーラーでは16人いるけれど、ベルリン・フィルで観たハイドンの交響曲の第1ヴァイオリン8人に、音色も音量も響きもすべてが負けていた。ああ、日本のオケってこうだよなと思わずにいられない。オケ全体として、強音部分はがんばって音を出していたので迫力はあった。ただ、それもなんとか絞り出したという感じで余裕がない。金管は一部ズッコケたところもあるとはいえまずまず、木管(特にオーボエとフルート)はソロパートでは美しい音で聴かせてくれたと思う。でも、最終楽章のクライマックスでの弦は一杯一杯で乱れていたし、トータルで見るとやはりオケの基礎体力のひ弱さは否めない。

時に「ハッハッハッ」とリズムに合わせて大きく呼吸したり、「ンイーーーン」という歌い声がハッキリ聴こえてくるハーディングの指揮は気合の入ったもので、曲のディレクション(切れ良く、溜めるところは溜める)が僕の好みに合っていたので好感を持った。しかし、既に多くの人が言っているように、若い時から注目を浴びていた将来のスター指揮者候補が39歳で日本のオケを振っていていいのか、という疑問は聴いている間じゅう頭からずっと離れなかった。来季で新日本フィルとの契約は切れるようなので、できればパリ管に注力してもらってもっと活躍の場を広げてもらいたいと思う。ハーディングの3.11のエピソードをはじめとする日本への思いは理解しているけれど、将来、より高い評価を受けたいと思っているのなら日本で活動し続けることは時間の無駄に思えて仕方がない。もちろん、日本のオケのレベルを上げるためにはありがたいことではあるけれど。

ネガティヴなことばかり書いてきたけれど、実力者を揃えた歌手2人と、栗友会のコーラスはなかなかのもので、おかげで後半からフィナーレにかけてはなかなか盛り上がったし、聴衆を魅了できていたと思う。また、オケに不満を持ったといってもある程度の演奏はできるプロであり、やはりマーラーは生演奏で聴くとそのダイナミズムを存分に味わえるということも肌で感じることができた。フィナーレの大団円にはウルッと来てしまったほどだ。やはり、この曲は素晴らしい。生で聴くとそれが本当によくわかる。地力のあるオケでぜひ聴いてみたいと思わせるオーラとエネルギーに満ちあふれている。

ちなみに、今回のチケット代は10,200円した。楽友協会で聴いた、遥かに演奏レベルが高いウィーン交響楽団はほぼ同じくらいの席で76ユーロと同じくらいの値段であることを考えると、海外オケは高いから上手くて当たり前というのは日本でしか通用しない言い訳であることがわかる。そして残念ながら日本のオーケストラは「本場じゃないんだからこんなもんでいいんじゃないか」と甘えているように思えてならない。本来日本の文化ではない領域のものに日本人が追いつくのはそう簡単ではない、という危機感を持っているオーケストラ・メンバーはどの程度いるんだろう?我彼の生活の中でのクラシック音楽の在り方が大きく違うという現実を見せつけられた演奏会だった、という結びになってしまうのがちょっと残念である。

音楽の聴き方変遷を振り返りつつストリーミング・サービスの将来を考えてみる

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今回は47歳のオジサンの視点から、音楽の聴き方(聴かれ方)の変遷と、それがもたらしたもの、それによる音楽の在り方の変遷などを考えてみたい。

【序章:生演奏の時代】
音楽というのはその場で生まれ、その場で消えてゆくものである、ということを意識している人は現代では少ないと思う。なぜなら、CDなどに記録されているものを聴くことが現代では「音楽を聴く」という行為になっているからだ。生演奏を毎日聴いているなんていう人は特殊な職業に就いている人でもない限りあり得ないけれど、録音された音楽なら毎日何かしら聴いているという人は結構いるんじゃないかと思う。

その本来の聴き方である生演奏こそ、その場で生まれ、その場で消えてゆくものである。蓄音機が発明されるまで、一度演奏された曲が繰り返し聴かれるということは物理的にあり得ないことだった。よって、演奏、曲はその場で聴いて楽しみ、評価されるものだった。クラシックの曲で譜面に繰り返しが指定されているところがよくあるのはその場でしか聴かれない音楽を印象づけるためというのが主な理由だったと考えられている(故に録音されるときには繰り返しが省略されるケースが多い)。

少し話を脱線させるけれどお付き合いいただきたい。欧米に旅行に行くと、音楽が生活の一部として根付いていることを感じさせることが多々ある。それは、コンサート会場での観客の振る舞いなどだけではなく、ストリート・ミュージシャンの数が多くて質が高いことだったり、教会で音楽が必ず流れること(お寺や神社で音楽を耳にすることは稀だ)だったり、生の音楽に触れる機会が多いことからも明らかで、旅行に行ったことがある人の多くが感じ取れることだと思う。僕が普段から「日本人は音楽を愛していない国民」と言っているのは欧米での音楽と生活との距離感の比較から来るもので、日本では売れることしか考えずに良い音楽を聴き手に紹介しようという気概がまるでないレコード会社はじめとする業界関係者の態度や、音楽をネタに会話を楽しめる人がほとんどいないことからも明らかだ。そんな日本では、そもそも生演奏を聴くことが生活習慣の一部となっている人が大変少ないので、プロフェッショナルな演奏家の生演奏をちゃんと聴いたことすらない人も少なくないし、聴くとしても年に一度あるかないかという人も多い。英国の10代へのアンケートでは、性行為なしの一週間か音楽なしの一週間か、どちらかひとつしか選べないとしたらどうするかという質問に対して6割が性行為なしと答えたと言う。音楽がなくても生きて行ける人の比率は、欧米に比べて日本の方が圧倒的に高いだろうという僕の推測は、たぶん間違っていないと思う。

このように音楽をもともと愛していない日本人は、録音された音楽を聴く技術と文化ができる以前に、現代においても一般に聴かれている音楽(=クラシックを含む西洋音楽)の生演奏を聴く習慣、いやその機会すら事実上なかったといってもいいだろう。つまり、多くの日本人にとって生演奏を聴くことがそもそも特別なことであり、日本においては生演奏で音楽を聴いていた時代はなかったと言ってもいいかもしれない。

【第1章:レコードの時代】
録音という技術が開発されたことで音楽は繰り返し聴くことができるようになった。とはいえ、当初そこから聴こえる音は実演からはまだほど遠いクオリティで、あくまでも記録の範疇にすぎなかった。「レコード(記録)」と名付けられたのは、そんな発明当初のクオリティに由来してのものだろう。それでも、聴きたい音楽を家庭に流すことができるというのは革命的なことだったに違いない。

そんな記録に過ぎなかったレコードも、技術の進歩によって高音質での再生が可能になり、音楽を音楽として楽しむことができるレベルになっていった。技術の進歩は機材の低価格化をもたらし、70年代初頭には中流家庭でも家で音楽を聴くことができるようになった。両面合わせて40分も収録できるLPレコードが登場すると、ポピュラー・ミュージックのミュージシャンは3分間ポップスを単に並べるだけでは飽きたらず、1枚のレコードを通して何を聴かせるかを考え、曲と構成を練り上げることで表現の幅を広げ、深みを持たせるようになった。ミュージシャンの創作意欲に火をつけることになった結果、たとえばザ・ビートルズのようにLP(アルバム)に、SP(シングル)の曲を収録しない(あるいはアルバム収録曲をシングル・カットしない)アーティストが現れたり、果てはピンク・フロイドのようにシングルのセールスには目もくれないアーティストも現れた。

余談ながら、90年代以降のポピュラー・ミュージックの世界では、数曲のヒットが生まれるとベスト盤を発売して大きく売り上げる手法が当たり前になっている。LPレコードが登場したときに、アーティストが表現を拡大、深化させる器として捉えて音楽の可能性を広げ、幾多の名盤を生み出したことを考えると、より長時間収録が可能になったCD時代のベスト盤商法は音楽表現の観点では明らかに退化であり、アーティストと製作者の「良いものを作りたい」という意欲がほとんどないことを示した商法(金儲けとしては進化かもね)だと言えるだろう。

閑話休題。LPレコードの功績はポピュラー・ミュージックに限ったことではない。ジャズのブルーノート・レーベルは1枚をどういうコンセプトで制作するかを明確に意識してメンバーを選定、オリジナル曲を書かせてレコーディングした。曲の寄せ集めではなく、1枚のアルバムとして聴くことを前提に曲を選び、曲順もよく考えた上で決められた。だからブルーノートのアルバムは通して聴いても統一感があるし繰り返して聴いても飽きない。ただその場で演奏するだけのジャズを完成度の高い音楽としてパッケージ化し、繰り返し聴くに耐える商品にできたのもLPレコードの登場があったからだ。

クラシックの場合、LPレコードはもっと単純なメリットをもたらした。もともとSPレコードなどには収録できない長い曲が沢山あり、それまで生演奏でしか聴けなかった多くの曲は、LPの登場によって収録することが可能になり、幾多の大作や長大な名曲が家で聴けるようになった。ポピュラー・ミュージックやジャズとは違い、表現の拡大や音楽の深化につながるような動きはなかったものの、すべての曲がレコードで聴けるようになった。生演奏しかなかった時代、演奏家は他人の演奏を気にすることはあまりなかったのに、LPレコードで誰もが多くの演奏家の演奏を聴けるようになったことはより独創的で完成度の高い演奏ができなくては生き残れないというプレッシャーになったに違いない。

このようにLPレコードは間違いなく音楽を変えたし、音楽の聴き方も変えた。そして西洋音楽(あるいは西洋音楽化した日本の音楽)をラジオやレコードで聴く機会が増えた日本では、しかし海外音楽家たちの生演奏を聴く機会が少ないためにレコードを熱心に聴く文化が生まれた(合わせてオーディオ熱も高まった)。

僕が初めてお小遣いを貯めて自分のお金でLPレコードを買ったのは中学1年生(80年)のときで、その後洋楽ロックの面白さを知り(といってもリアルタイムの80年ではなく、主に70年代のロックにハマっていた)、レコードを買う枚数が増え始め、高校、大学とさらに増えて卒業するころには200枚以上になっていた。当時のレコードは1枚およそ2,800円と今のJ-POPのCDとあまり変わらない高い値付けがされていた。音楽にどっぷりハマりこんで雑誌で「70年代ロック名盤特集」などがあると穴が空くほど繰り返し読んで、欲しいレコードにはチェックをつける、なんてことをしていた若者に2,800円のレコードはそう何枚も買えるものではなかった。そして今のように1日平均5.5時間(高校生の平均使用時間だそうで)も費やすスマホなんてものもなく、時間は有り余っている。そうなると、必然的に買ったレコードを丁寧に何度も繰り返し聴くことになる。つまり、1枚1枚をとても大切に聴いていたと言えるだろう。だから、最初はピンと来なくても繰り返し聴いて良さがわかるように努力していた。そしてそのうち良さがわかるようになってよりその音楽を好きになる、というプロセスを覚えることになる。それは音楽の奥深さをわかるようになっていったということであり、視野を広げて感性を磨いたということでもあり、それらを楽しいと思える経験をしたということでもある。その頃聴いていた音楽と音楽体験は今でも僕の音楽観の基礎になっていると思う。これは音楽を記録する手段がなかった時代にはできなかった、近代の音楽との接し方だと言える。

このような音楽との接し方は僕の個人的な体験に基づくものとはいえ、日本において音楽を聴く環境は誰でもさして違いはなく、同世代の方であれば似たようなものだと思う。

そして大学生のときに、渋谷にあるタワーレコード(今と違ってアメリカ本国資本の日本支店だった)の存在、そして輸入盤の存在を知った。洋楽しか聴かない僕にとってこれはもう衝撃的な事件だった。限られた懐事情(大学生のときにはお小遣いはもう貰っていなかったのでバイト料)でいかに多くの音楽を聴くかということに頭を悩まされていた僕にとって、1枚1,800円でレコードが買えるというのはもう事件そのもの。一気にレコードが増えていった(200枚以上買ってしまうことになった原因になった)ことは言うまでもない。

ちなみに僕はレンタル・レコードというものをあまり利用しなかった。ひとつは返しに行くのが面倒というのもあったけれど、レコードは扱いが悪いと傷がついてノイズが乗るという脆さがあったから。借りた物が傷ついているのは嫌だったし、借り物に傷を付ける(可能性がある)のも嫌だった。また、当時から僕は良い音楽を作った人には対価を支払うべきだという考えがあったというのもその理由だった(まだレンタルレコードの印税がどう払われるかが決まっていなかった時代のこと)。

【第2章:CDの時代】
CDプレイヤーが我が家にやってきたのは85年くらいだったと記憶している。当時、CDソフトは1枚3,500円もした。輸入盤レコードの倍だ。だから僕はよほどのお気に入りのアーティストでないい限り、レコードを買い続けていた。

そんなCDも徐々に値下がりし、レコードは店頭から消えて、社会人になって懐事情が良くなると聴きたい音楽は当然CDで買うようになっていったし、レコードで持っているものもCDを買っていくようになっていった。とはいえ、既に好きなロックはある程度聴いてしまった時期でもあったので、新規開拓が落ち着いてきたころでもあった。

しかし、32歳のとき(2002年)になるとジャズに目覚めはじめる。この時期になると輸入盤は近所のCDショップでも手に入るようになっていたし、Amazonではかつての名盤が安価に買えるようになっていた。32歳の中堅社会人にとって1枚1,000円強という価格は決して厳しいものではなく、チェーン店CDショップの店員に「いつもありがとうございます」と挨拶されるほどジャズのCDを買い漁っていた(その後数年でAmazonなどに押されて閉店しちゃったけど)。

ロックをはじめとするポピュラー・ミュージックは曲を聴くという姿勢がメインなのに対して、ジャズは演奏を聴く音楽だったので、ひとたび聴き方を覚えてしまったら繰り返し聴いて覚えたりしなくても楽しめるという特性も、次々に新しいCDを購入し続けてしまった理由のひとつだったと思う。それでも、様々なミュージシャンのCDを同時進行的に聴き進めることによって、ジャズという音楽を理解するのに要する時間はロックのときよりも確実に短くて済んだ。もちろん買い漁ったCDの中には自分の感性に合わないものも少なからずあって、どういうものが好きでどういうものが合わないかということを自覚するまでの時間も、ロックを聴いていたときに比べたらずっと短かくて済んだ。しかしながら、手頃に新しいCDが手に入ることによって、1枚1枚を大切に聴かなくなったことも紛れもない事実。確かに60年代後半以降のマイルス・デイヴィスやインパルス時代のジョン・コルトレーンなどは繰り返し聴いてその素晴らしさをようやく理解できるようになったとはいえ、それは良さがわかる前からある程度魅力を感じていたからこそそうしたのであって、あまり聴かずに切り捨ててしまったアーティストも少なくない(購入したCDは最低3回は真剣に聴くことを自分に義務付けていたけれど)。

40代になるとジャズもある程度聴いてしまった感があり、CDを購入するペースも落ち着いてきた。ところが45歳からクラシックにどっぷり浸かり始めると、またペースアップ、そしてCDは箱で買う時代になっていた。これはポピュラー・ミュージックでもジャズでも同様で、かつての名盤の数々が、まとめて買えば1枚単価は数百円というのが当たり前になってきていて、「いいなあ、イエスは97年までの全盛期全部入りで5,000円もしないのか」「コルトレーンは8枚も入って1,200円か」とダウンロード販売よりも安い商品すら珍しくなくなり、今から聴きはじめる人がうらやましいと思わずにはいられない状況。一方で、これから聴こうと意気込むクラシックについても価格事情は同様で、こちらはその恩恵に大いに与ることになる。次々に箱物を中心にCDを買いまくっているとますます1枚1枚を大切に聴かなくなってしまうけれど「持っているからいろいろな人の演奏を比較して楽しめる」「箱はいつ廃盤なるかわからない」と自分に言い聞かせてそのペースを緩めることができないという完全ジャンキー状態に。その結果、まだクラシックCDを買い始めて3年も経っていないのに枚数だけで言うと恐らく700枚くらいになってしまったのである。現時点でクラシックの理解度はまだまだだとは思う。でも、これだけ一気に手に入れてしまうと、印象が薄いものはそのまま聴かなくなってしまっているのが現状である。もっと腰を落ち着けて聴いたほうが良いと思いつつ、まだまだ聴いてみたい演奏家が沢山いると思うとなかなかCDの購入をやめられない。

尚、ダウンロード販売の音源は僕はほとんど買わない。やっぱり音が悪いから。DAPで聴くならまったく気にならないけれど、気合を入れて揃えたそれなりのオーディオ機器にはできるだけ良い音質の音源を手元に置いておきたいからだ。

【第3章:ついに始まったストリーミング・サービス】
欧米では、かれこれ4年位前にはSpotifyやPandraが有名になっていたことは知っていて、とても羨ましいと思ったものの、何かと規制やしがらみに縛られる日本では実際にサービスを開始するのは難しいに違いないと諦めていた。日本の会社が始めた同様なストリーミング・サービスは洋楽があまり充実していないので使う気になれず、そうこうしているうちに日本では始まらないだろうと僕が勝手に決めつけていたApple Musicがサービスインしてしまった。

実は本題で書きたかったのはApple Musicのことだ。なのにどうして自分の音楽史をわざわざ開陳して長々と書いてきたかと言うと、サブスクリプション系のサービスはどういう音楽体験をして、どういう音楽の接し方をしているかで評価が大きく変わる可能性が高い性質のサービスだからに他ならない。

Apple Musicの機能は概ね3つに大別できる。

[1] CD再生
CDと同じようにアーティスト、アルバム単位で曲を再生する機能。これは単にCDを買わずにCDを楽しむことができる、というだけのもの。どれだけ多くのライブラリが揃っているか、自分の気になる曲がどれだけあるかがユーザーの評価軸になる。つまり、ここは工夫も何もなく、どれだけ曲を用意できるかということだけの営業力勝負、体力勝負の世界。その物量、3000万曲というのは伊達じゃない。僕の守備範囲で言うなら、ハードロック/ヘヴィ・メタル系、プログレ系、ジャズ系、クラシック系はかなり充実している。ややマイナーなアルバムまである品揃えは凄いけれど、さすがにすべてを取り揃えているわけではなく、例えば基本的にほとんどのラインナップが揃っているジミ・ヘンドリックスに「Jimi Plays Monterey」がなかったり、スコーピオンズは代表作である「Blackout」「Love At First Sting」がなかったりする。ジャズはECM系が全滅に見えるもののブルーノート、インパルス、リバーサイド、コロンビア・レガシー、アトランティック、そして近年人気のノンサッチは充実のランナップなので主要なものはほとんど聴ける(個人的にはキース・ジャレットのアメリカン・カルテットが揃っているのが嬉しい)。クラシックも、一部アーティストでは絞られているもののドイツ・グラモフォン、ワーナー(旧EMI)、デッカ、フィリップスが勢揃い。クラシックは箱物で故人となった指揮者のCDは廉価で入手できるものが多い反面、現役の中堅・若手の指揮者のものはまだ高いものだから必然的に現役指揮者は後回しになってしまい、所有CDがとても少ない。そういう現状で、ゲルギエフ、ラトル、ドゥダメル、ネゼ=セガンといった中堅・若手の音源を遠慮なく聴けるのはクラシック初心者にとって大変ありがたい。というわけで全体に充実しているのは間違いないものの、一部、版権管理に厳しいアーティスト(プリンスやキング・クリムゾンなど)はさすがに配信ゼロだったり、そこまでいかなくても制限をかけていると思われるアーティストはいるようだ。それでも、洋楽についてはロック、ジャズ、クラシックの3大ジャンルは既にかなりのランナップになっていると言っても差し支えないレベルだと思う。尚、邦楽が弱いとされているけれど、僕が小・中学生のころに流行っていたゴダイゴ、八神純子、アリス、オフコースあたりも代表曲は聴ける(日本人はYouTubeで聴けない)ので、懐メロに浸りたい人にも意外と悪くない。

[2] ラジオ機能
実はあの手この手を使い、SqueezeBox(Logicool Media Server)という知る人ぞ知る機器(サービス)を使ってPandraを使っていた時期がある。Pandoraは基本的にはネットラジオのサービスで、あるアーティストのラジオ局を登録して再生すると同型アーティストの曲を交えて流してくれる。これは危険なシロモノだった。いくら若い時からCDを買いまくっていたとはいえ、興味を持ちつつ名前だけは知っていて聴いたことがないアーティストやアルバムなんていくらでもある。そういったものが次々に流れてきて「おっ、なかなかイイじゃん」と思うともっと聴きたくなってAmazonでCDをポチってしまう。更に困ったことに、アルバム1枚だけ聴いてこれは合わないなあと思っていたアーティストの曲まで「あれっ、こんなにカッコ良かったっけ?」と思うものまで出てきて、それもポチってしまう。Pandraは、お気に入りをフィードバックするとそれに合わせてどんどん好みのラジオ・ステーションに育てることができるのがウリだったものの、あの手この手で聴けるようにすることで精一杯でその機能が利用できず、流れてくる曲がパターン化してしまったので徐々に利用しなくなってしまった。それでも、そこに行き着くまでに、当時はもうあまり買わなくなっていたロック系のCDを結構買ってしまったのである。そうして購入したCDで、その後もよく聴いたものは結果的に少なく、無駄遣いな感じは否めなかった。Apple Musicのラジオ機能もPandraと似たサービスで、ラジオ・ステーションを育てる機能がどのくらい有効なのかはもう少し見極めが必要だけれど、プレイリストのリコメンドを見ているかぎり、面白い曲を選んで流してくれるようになるのではないかと期待している。いずれにしても、このラジオを利用することで以前のPandraのときのように「このアーティストの他の曲をもっと聴きたい」となる可能性はある。しかし、Pandraと違い、Apple Musicはラジオで流れている(即ちApple Musicでのストリーミングを許可されている)曲はアルバムごと聴くことができる。一時の勢いに流されることなく、その場で聴いてやっぱりこれからも聴き続けたいと思えばCDを買う、という接し方ができる。

[3] リコメンド機能(For You)
リコメンドをどのようにしてくれるかについては既にいろいろなところで書かれているのでここではあまり触れない。でも、確かにFor Youに出てくるプレイリストやアルバムは機械的な紐付けだけではできないような、音楽好きが思わずニヤリとするようなものが出てくる。Spotifyにもリコメンド機能はあるものの、リコメンドの出し方のマニアックさはApple Musicの方が上らしい。そして、音楽ジャンキーはここに上がってくるプレイリストをついつい聴きたくなってしまう。流している曲が気に入ればそのままその曲が収録されているアルバムに飛ぶとこもできるし、アルバム単位で聴く志向の人のためにオススメのアルバムも別枠でリストしてくれる。リスナーの音楽体験を広げる機能として、リコメンドのセンスの良し悪しはかなり重要で、Apple Musicは現時点でもかなり良いセンスを見せつけている。ただ、クラシックについてはプレイリストはさすがに無理があり、「はじめてのグスタフ・マーラー」とかで曲の断片を聴いてもマーラーの魅力などわかるはずはなく、「マーラー名演集」というアルバム・リスト(現状そんなものはない)で紹介してもらえた方が新しい音楽体験につながるだろう。

他にiCloudミュージックライブラリというものがあり、自分がiTunesに蓄えているライブラリをクラウド上にアップロード、iOSデバイスでダウンロードして使えるようになる機能がある(iTunes Matchと何が違うんだろう?)。しかし現iOSでは25,000曲までという制限があるようで、30,000曲以上が登録されている僕の場合、「現在Geniusの結果をアップデートできません。不明なエラーが発生しました(4001)」というエラーが発生して利用できない。それだけなら良いんだけれど、これが使えないとApple Musicで再生している曲をお気に入りに加えることができないので不便を強いられている(この問題はiOS9で解消される予定らしい)。

あとは「Connect」という、アーティストとのSNSのような機能もあるけれど、今のところどのくらい面白いものになりそうなのかは未知数で、現状はたいしたものにはなっていない。

というわけで、僕のように、若い時には思うようにレコードやCDを買うことができず、その後もずっと新しい音楽との出会いを求め続けた人にとってApple Musicというサービスは底なしの魅力がある。とはいえ、実はこういった基本機能じたいはApple Music以外のサービスにもあるものばかりで、ただ単に日本で最初に始まった洋楽中心の大手サブスクリプション系サービスのひとつにすぎない、というのは確かでアップルらしさはリコメンドのセンスの良さ(ここはかなりの音楽好きでない実感できない)だけに留まっている。

では、安価なダウンロード販売や種々のオンライン配信、果てはYouTubeでタダで聴くことに慣れてしまっている人にとって魅力はあるんだろうか。僕は音楽を深く理解するためには探究心が不可欠だと思っている。そしてひとたび音楽に敬意を抱くことができるようになったら、気に入った音楽にお金を落とすことを躊躇わなくなると思う。しかし、CDを買わずにYouTubeで済ませて消耗品のように音楽に接している人は、サブスクリプション系のサービスに定期的にお金を払おうとは思わないような気がする。つまり、Apple Musicは既に音楽が好きな層が喜ぶだけで、そこそこ音楽を聴くだけというような人は乗ってこないと予想する(特に音楽好きが少ないここ日本においては)。

聴ける音楽が増えるとひとつひとつを大事にしなくなるのは既に書いた通りで、これから音楽を研究していこうという人にとって、膨大な楽曲を抱える(そして一瞬にして他のアーティストに切り替えることができる)サブスクリプション系サービスはその傾向を更に助長するものになるに違いない。自分の経験から言うと、あまりピンと来ないものでも粘り強く聴く姿勢を持って大切に聴く、というプロセスがないと音楽の理解を深めるのは難しいように思う。やはり、お金を払って大事に粘り強く聴くこと、それによって音楽をより深く理解できるようになるから「音楽って面白いな」と思えるようになるんじゃないだろうか。だから、これからの時代の満たされすぎた音楽好き予備軍が心から音楽が好きになる過程が失われる恐れがあると思う。そうなると結局、音楽にお金を払おうという人が増えなくなってしまう。

一方で、既に音楽ジャンキーな人も買うCDは確実に減るだろう。興味を持っているCDをは山のようにあるけれど、実際に聴こうと思ったら買うしかなかった。それが買わなくても聴けるようになってしまったのだから。これからは音質が良い状態で欲しいときや、DAPに常に収めておきたいとき(Apple Musicは曲を選んでiOSデバイスに保存することができるが当然容量には限りがあるので音源を所有せずに音楽ライフを完結するのは困難)でない限り、CDを買おうとは思わなくなる可能性が高い。もちろん、良い音楽に出会う機会が増えることでCDを買いたくなるケースも出てくるとは思うけれど、差し引きで考えるとCDの売上が減る方が勝ってしまうと思う。

前述の通り、僕は音楽の作り手(アーティストだけでなくレーベル関係者などを含む)は対価を手にするべきだと考えている。作り手が食っていけないと良い音楽が世に出てこなくなってしまうからだ。Apple MusicもSpotifyも作り手にお金が落ちるようになっていると言うけれど、よほど契約者が多くない限り、そして多く聴かれない限りアーティストが手にする金額は大きいものにはならないだろう。社会の変化とはいえ、そういう意味ではサブスクリプション系サービスは決して音楽業界にとって良いものではないような気がする(でもやらないと周回遅れになってしまう)。一方で、CDやダウンロードのようなパッケージ販売は、購入したら買った人が気に入らなくても作り手にお金が落ちるという実はアンフェアな仕組みでもあり、聴かれた分だけお金が落ちるという職業音楽家にとって本来あるべき姿に変わるという側面もある。ビジネス的な観点で見て、これがどのように音楽の作り手に影響が出るかは未知数で、リコメンドに乗りやすくするにはどういう曲が良いのかなどのマーケティングが必要とされるようになったりするかもしれない。

ストリーミングで音楽を聴く、というスタイルが今後どう成熟していくかはまだまだ予想がつかないけれど、より音楽を楽しめるものに育って欲しいことを祈りつつ興味深く見守っていきたいと思う。願わくば、CDとは別のルートで作り手が対価を手にできるように育ってもらいたいものだ。

最後に、Apple Musicにいくつか細かい注文を。

[A] アルバム一覧表示で、オリジナル版リリース年を表記してほしい。
(クラシックとジャズは録音年を)
[B] その曲の作曲家を表示してほしい。
[C] 一部には付随しているアルバム紹介サマリーをもっと充実させてほしい。
[D] そのアルバムの参加メンバーを表記してほしい。(現状はWiKiと首っ引き)

アップルさん、是非よろしくお願いします。

ウィーン&ベルリンの旅(番外編:飛行機アクシデント)

そんなに多く経験しているわけではない海外旅行とはいえ、僕は今までトラブルに遭遇したことが一度もないという幸運の持ち主であり、噂で「こんなことがあったよ」ということを他人事として実感なく聞き流していたのですが、今回はチョイとありました。結果、何もなく収まったので問題なかったんですが、まあご参考までにということで。

オーバーブッキング】
ウィーンからベルリンへの移動はオーストリア航空を利用しました。シェンゲン協定国内なので国内線扱いで、それでも出発2時間前の11時にチェックインすると「オーバーブッキングだから席は記載していないわ」とボーディングパスを見せて渡され、「詳しくは搭乗ゲートのF35で説明する。17時の便に替えてくれたら(1人)250ユーロ返すから」と悪びれることもなく言うチェックイン・カウンターの女性スタッフ。

ええー、なんといういい加減な!と気分が悪くなったものの、待ち時間にネットで調べてみるこれは手違いでもなんでもなく、日常的に起こり得ることだと初めて知りました。要約すると、予約をしていながら当日搭乗しない人が一定の確率で現れるから予め多めに予約を受け付けておく、そしてキャンセルする人が少ないとオーバーブッキングとなる、という航空会社特有の商習慣がもたらすもので、規約でも免責されることが謳われているので対応が横柄なのはそのせいらしい。

あまり飛行機に乗り慣れていないのでこんなことは初めて知りました。オーバーブッキングになると別の便に振り替えてくれるボランティアを募り、応じてくれた人にはキャッシュバックするのもよくある慣習らしく、中にはあえてオーバーブッキングになりやすい状況を狙い、喜んでボランティアに応じる強者もいるようです。

その後、F35カウンターで「17時の便にしていただけるボランティアを募ります。応募してくれたら250ユーロ支払います。」というようなアナウンスがあり、ネットで調べた情報通りの展開に。若い人が3人応募してくれたものの、まだ足りないらしく再度同じアナウンス。しかしそれ以上のボランティアはなく、抽選となり、無事に名前が呼ばれて乗ることができました(乗れなかった人は何人いたんだろう?)。一方で抽選の対象にならずに先に搭乗していた人もかなりいて、その振り分けの基準はよくわかりません。恐らく、このときの僕のように次に乗継便があるわけでもないような人が抽選組に回されるんだと思いますが、他航空会社の乗継情報まで把握しているはずはないでしょうから、そういう人がいたらどうなるんでしょう?
Fokker100-2015
〈なんとか乗れた小型機はFOKKER100という馴染みのない機種〉

もっとも、この日の僕の予定は15時くらいにベルリンのホテルにチェックインしたらあとは周辺の散策でもしようかと思っていた程度で、仮に17時の便になったとしてもどうしようもなく困る事態ではなく、「もし、乗れなかったら高級レストランにでも行こうか」と妻に冗談を言っていたくらいだった。音楽の旅をテーマにコンサートの予定をビッシリと入れていたものの、行ったこともない街の到着初日は何かと余裕がないだろうとこの日だけはコンサートの予定を入れずにいたことが結果的に気持ちの余裕につながりました。

とはいえ、さしてたいした店もないチェックイン後のウィーン空港で4時間以上も待つのは勘弁願いたいところだったのも事実で、乗れて良かったと、ベルリンでのんびりディナーをしているときにつくづく思った次第です。いずれにしても欧州航空会社はオーバーブッキングが起きやすいようなので移動日には予定を入れない方が無難だということが教訓になりました。

【チューリッヒ空港の綱渡りトランジット】
ベルリンから日本への帰路はスイス航空(スイスインターナショナルエアラインズ)でチューリッヒ空港乗り継ぎのルート。そのトランジットで確保されている時間は40分。ミラノ・マルペンサ空港のようにちょっと歩けば乗り換えられるようになっているんだろうな、と勝手に思い込んでいたら、ネット情報によると結構時間がかかり、なんと1時間くらい要するとの情報を発見(http://tetsuyabook.com/2011/11/swiss-zurich-airport-transfer/でかなり詳しく紹介してくれている)。この情報によると、歩く距離も長く、途中でスカイメトロ(要は電車ですな)にも乗らないといけないらしい。チューリッヒ空港では国内(シェンゲン協定国内)線はAゲートに到着し、国際線のEゲートまで移動する必要があるようです。

これはちょっとマズイなあと思っていると、ベルリン発の飛行機の出発が遅れ、12時20分到着予定だったのにチューリッヒ空港に着陸したのが12時35分。機内で「乗り継ぎ時間がわずかな便を利用する方はお急ぎください・・・」といくつかの便に対して注意がアナウンスされ、当然13時00分発の成田行きもコールされる。ターミナルに降り立ったのが12時45分、こりゃ一体どうなるんだろう、と小走りで移動することになりました。

結論から言うと間に合いました。実際にAターミナルに足を踏み入れてから、E57搭乗口まで16分で到着。移動は、

[1] Aターミナルに降りる。
[2] ターミナル内を歩いて移動(ここは少々歩きます)
[3] エスカレーターまたはエレベーターで降りる
[4] パスポートチェック
[5] エスカレーターを降りる
[6] スカイメトロに乗車(所要時間はおよそ3分くらいか?)
[7] 降りてエスカレーターを上る(Eターミナルに入った模様)
[8] Eターミナルを歩き搭乗口へ

という流れでした。前述の乗換経緯を書いてくれているブログではE46ゲートを目指していて、進む方向はE57と同じなんですが、比べると [8] にあたるところでチケットと手荷物のチェックをしているところに遭遇せず、そのままE57に向かうことができたところが大きな違いです。
チューリッヒ2015
〈エスカレーターを上りEターミナルに入ったところ〉

出発1分遅れでE57搭乗口に到着できたわけですが、小走りで移動、パスポートチェックは5人待ち程度、スカイメトロは待ち時間なし、というかなり理想的な条件での所要時間16分。これ以上早く辿り着くことは難しいでしょう。とはいえ、普通に移動しても30分程度で移動できる経路だったと思います。今回はベルリンでのチェックイン時にチューリッヒから成田への便のチケットも発行され、座席も決まっていたのでチューリッヒでのチケットと手荷物チェックがなかったということなのか?それとも空港の運用が変わったからなのか?僕の経験だけを以って「チューリッヒの乗り継ぎは30分あれば大丈夫」とは言い切れないんですが、30分で十分というケースもある、というあくまでも参考情報としていただければと思います。

ウィーン&ベルリン旅行(旅の情報編)

音楽を聴くためのウィーン、ベルリン旅行。これから初めて行こうという人のために(?)旅の情報もまとめてみます。

《ウィーン編》
【ホテル「ベートーヴェン」(日本語だと「ベートーベン」の表記が多いようです)
ウィーン2015-1

セセッションや食べ物市場ナッシュマルクトの近くにあり、リンク内の中心街にあるホテルに比べると利便性はやや劣るかもしれません。それでもカールスプラッツ駅のセセッション口までは歩いて3分くらい(そこから駅のホームまでは更に5分くらい見ておいた方が良い)、そして楽友協会まで徒歩15分ほどという立地(その気になればコンツェルトハウスまで歩くのも可能かも)は音楽を聴きに行く旅をする人にとっては好ロケーション。ホテル周辺のカフェ、レストランは22時を過ぎても営業しているのでコンサート後の食事にも困りません(ただし日曜日は閉まっているところがほとんど)。

ホテルじたいはこじんまりしているものの、宿泊したGrand Room(L字構造建物の角部屋)は僕が知る欧州都市部のホテルとしては十分広い上に天井が高く、クラシカルな内装の雰囲気と相まって心地よいホテルでした。シャワーなどの設備も快適に稼働して、無料のWi-Fiが不安定だったこと以外はまったく不満なし。

館内ではJ.シュトラウスやベートーヴェンの曲が常時流れています。日曜日は18時から2Fのラウンジでミニ・コンサートがあり、僕が到着した日には若手のチェロとピアノ(ベーゼンドルファーでした)のデュオでブラームスのチェロ・ソナタなどを演奏していました。また、ホテル入り口正面にあるのはベートーヴェンの交響曲第3番、5番、6番が初演されたとされる1801年建立のアン・デア・ウィーン劇場パパゲーノ門で、歴史の一端を感じることができます。到着した日、窓を開けると劇場で練習をしている(ホルンがタンホイザーのイントロを奏でていた)音が聴こえてきて「さすが音楽の街だ」と気分が昂りました。

ウィーン2015-2
〈部屋からの景色〉

シュテファン寺院や美術史美術館といった一般的な観光地にも行きましたが、音楽好きなら行っておいた方が良いスポットとして2つ紹介しておきます。

《ウィーン:音楽系の観光》
【モーツァルトハウス】
ウィーン2015-11

シュテファン寺院の近くにあるモーツァルトが実際に住んでいた家のひとつで、現存するものとしては唯一の家とのこと。フィガロの結婚やピアノ協奏曲第20番を作曲したとされる部屋をはじめ、200年以上前にモーツァルトがここに住んでいたと思うとそれだけでなんとも言えない気分になります。当時の生活を想像しながら館内を歩いて感慨に浸りましょう。日本語オーディオ・ガイドを無料で貸してくれるのでいろいろ解説を聞いて「へえ」「ふうん」と腹の中で言いながら進みます。ただし、ひとつずつの解説がとても長いので、全部聴いていると結構時間がかかり、展示物が多いわけでもないのでガイドに聴き入るだけで手持ち無沙汰気味になるかも。余談ですが、ウィーン、ベルリンともに美術館、博物館では日本語オーディオ・ガイドが用意されているところが多くて助かります(中国語、韓国語がないのは欧州ではまだアジア人観光客というと日本人ということなんでしょうか)。

【音楽館】
旅行ガイドブックにはあまり大きく採り上げられていませんが、クラシックが好きならここは是非行ってみてほしいところです。最初にウィーン・フィルの歴史的な展示物があり、中にはバーンスタインが着たタキシードや小澤征爾のニューイヤー・コンサートのゴールドディスクが展示されていたりします。先に進むと、歴史をたどるブースに着き(ここでも日本語オーディオ・ガイドのレンタル可)、ウィーンで活躍した作曲家ごと(マーラーはあるのになぜかブラームスとブルックナーがない)の部屋があって興味深い解説を聴くことができます。そして最後にあるウィーン・フィルを指揮するシミュレーターがなんと言っても面白い!指揮棒の振り方でテンポを変えることができるのでコツをつかむと自由に曲を操ることができて楽しいこと。家でエア・コンダクターをやっている人は是非トライを。曲は(たしか)6曲用意されていて、ラデツキー行進曲とハンガリー舞曲第5番を振って無事に喝采を浴びました。リズムを取るのが上手な日本人ならクリア出来る人が多いんじゃないでしょうか。

ウィーン2015-5
〈これがシミュレーター〉

《ウィーン:食事》
【Grafin von Naschmarkt】
ウィーン2015-9
初日のウィーン到着は夕刻、疲れているのであとはご飯を食べて寝るだけ、ということでお腹を満たすためだけに利用したホテルの近くにあるカフェ。ホテルを出て大通り方面に向かい、通りに出て右に歩くとすぐにあります。味は特別美味しいということはないものの、空腹を満たす目的だけなら問題なし。でも特別安いということもありません。日曜日だったので閉まっている店が多く、それでも営業していてサラッと食べて店を出られるというだけで助かりました。参考までに、TripAdvisorの評価は酷いことになっています(というかこういうどこにでもあるような店も今やネットで評価されてしまうんですねえ)。

【ナッシュマルクト(Naschmarkt)】
ナッシュマルクト内にいくつかレストランがあり、日曜でなければ22時過ぎでも営業しています。パスタを食べましたがなかなか美味しかったです。ちょっと量が多かったですが。
ウィーン2015-6
ちなみに、ナッシュマルクトは観光ガイドでもよく紹介されています。野菜、果物、肉、魚といった生物を始め、サンドイッチ系の軽食からレストランまで揃っていて便利です。ただ、特別大規模な市場というほどではなく、あえて地下鉄などに乗って来るほどのところかというとちょっと微妙な感じ。ちなみに21時を過ぎたらレストラン以外はほとんど閉店していました。

【シュタイラーエック(Steirereck)】
ウィーン2015-3
オーストリアの中でも最高評価の高級店。なのであえて紹介する必要もないのですが、ここの1階はセカンドラインというかグッと身近な価格設定のカジュアルレストランになっていて、ガイドブックやネットではほとんど紹介されていません。ランチならコーヒーを付けて20ユーロ強といったところ。もちろん上階ほどでないにしても見や目もクリーンで、気張らずに食事を楽しめます。
ウィーン2015-4
ちなみに妻の友人がウィーンに在住していて、そこで一緒にランチをするために利用したわけですが、ウィーンはある程度の人気店だと予約するのが慣習だそうで、席が多少空いていたとしても予約が入っていないと冷遇されることがあるとのこと。同じく聞いた雑談としてウィーンの人はシャイでフレンドリーではないのであまり客に接触しようとしてこないこと、ウェイターの反応が良くない(会計を要求してもなかなか来てくれないとか)ことはウィーンでは割りと当たり前とのこと。

【カフェ・ムゼウム(Café Museum)】
ウィーン2015-8
楽友協会でのコンサート後、ホテルに歩いて戻る途中の通り沿いにあってなんとなく入ったカフェ。カールスプラッツの駅の上に位置して大通り沿いの角にあるので目立ちます。周囲のカフェ、レストランより常時賑わっていて人気があるようです。後で調べたら1899年創業の歴史のあるカフェのようでクリムトやシーレも通っていたのだとか。お値段はリーズナブルで料理もなかなか美味しく、0時まで営業しているのでコンサート後に食事する場所としても申し分なし。老舗カフェですが2010年に改装したそうで小奇麗で落ち着きのある内装も良いです。

【フィグルミュラー(Figlmuller)】
ウィーン2015-12
この店はどのガイドブックにも掲載されているウィンナーシュニッツェルの有名店なのであえて料理については書きませんが、シュテファン寺院近くの本店の方はたぶん予約しておかないと入れない可能性が高いです(席がたくさん空いているのに門前払いされた)。ベッカー通りの支店はキャパに余裕があり、予約がなくても席が空いていればすんなり入れてもらえます。

【余談:水について】
ウィーンはガイドブックにも書かれている通り、水道水が飲めます。念の為にウィーン在住の方に聴いたところ心配ないとのこと。蛇口を捻ってしばらく放置するとどんどん水が冷たくなっていく(水道水とは思えないほど冷たい)のはアルプスの湧き水であることの証で、ミネラルウォーターを買う必要はありませんでした。

《ベルリン編》
【ホテル「ラディソン・ブル」】
ベルリン2015-1
川を挟んでベルリン大聖堂の向かいにあるホテルで、中に青い照明も鮮やかな巨大水槽があって多くの魚が泳いでいるという大きなホテル。部屋はBusiness Room(大聖堂に面した部屋)を予約してあったのですがアップグレードで1フロアに3~4部屋しかない角部屋のジュニア・スイートに。おかげで広さが倍になってとても快適、バスルームもバスタブをシャワールームが別々でゆっくり入浴することができました。ただし、部屋の方角が当初と逆になり2方向に広がる窓の向かいはビジネスビルでお互いが丸見えという、もうひとつ落ち着かない部屋でもあったので、気になる人は予約時に大聖堂側(ドアにはBusiness Classと書かれていた)か、大通り沿い側、または内側の巨大水槽が見える部屋をリクエストしておいた方が良いでしょう。

電車や地下鉄の駅があるアレクサンダープラッツまでは徒歩10分程度、バス路線100番、200番のSpandaeu Str.停留所とLustgarten停留所のちょうど中間くらいでそれぞれ徒歩3分程度というロケーション。ベルリンのバス路線図はどこにも情報が出ていませんが、チェックイン時にもらったマップでだいたいわかるようになりました。また、ホテル正面玄関前はタクシー乗り場になっていて常時何台か待機しています(少なくとも朝8時にはもう待機していた)。

周辺はレストランなどが沢山あり、食べるところには困りません。周辺の店、レストランはチラッと見た限りでは21時で閉まるところが多いように見えました(まだ開いているところもあったとは思いますが)。

サービスはちょっと???なところが。留守中のターンダウンでコヒーカップが1個片付けられていて、翌日のルームメイクでは2個とも回収されて代わりが用意されていなかったり、部屋に備え付けのNespressoのカプセルが少なくなったのでおかわりが欲しいとお願いしたら、最初にあった6個ですべてと言われたり(その後、ルームメイクのときに補充されていた)。無線のWiFiはここも不安定、ただし有線LANもあるので自分で無線LAN環境を用意していった方が良いかもしれません。尚、ホテル内のサービスについては、http://eu.radissonbluonetouch.com/blu_bgmy/app/web/ を見てくださいとなっています(ホテル外からも閲覧可)。

朝食はなかなかレベルが高く、特にハム、ソーセージ類とパンは何を食べても美味しくいただけました(調子に乗っていると食べ過ぎてしまうほどで自制心を問われる)。余談ながら、クロワッサンにバターを塗って食べている人を複数見かけてちょっと驚きました。

《ベルリン:食事》
【KANTINE DELUXE】
ベルリン2015-2
ラディソン・ブル・ホテル北側の通りを挟んで反対にあるごく普通のカフェ・レストラン。特にウリがあるわけではないのでネット上で日本語の情報はゼロ、ガイドブックにもたぶん載っていないと思います。着席すると7インチくらいのタブレットを渡され、日本の居酒屋のようにそれを操作して注文します。操作方法は一応英語で教えてくれるので迷うことはないでしょう。ドリンクは店員が持ってきてくれますが料理はできあがるとそのタブレットに通知が来て、カウンターに行き、タブレットの裏にあるカードの番号を告げると料理を受け取れるという運用(これも事前に説明してくれる)。店構えはよくある欧州のカフェ・レストランながら、よく考えるとやっていることはフードコートとほぼ同じで味はまずまず(量は多め)、レストランとしては値段が安く、店内も広いので気軽に食事をするところとして悪くないと思います。セルフサービスなので当然チップも要りません。

【ルター&ヴェーグナー(Lutter und Wegner)】
ベルリン2015-4
ベルリン・フィルのコンサートを観る前に、ポツダムプラッツの交差点で観光向けベルリンの壁モニュメントを見て、さてどこかで軽く食事でもしようかと周りを見回し、リッツ・カールトンホテルの方に歩くとちょっと目立たないところに小奇麗なレストランがありました。後で調べたらここも結構有名なレストランだそうで、コンクールで賞を取ったというザウアーブラーテンをこれまた偶然注文していて、確かに美味しかった。
ベルリン2015-12
この旅行中のレストランは大衆店で過ごしてきたこともあり、それらと比べるとこの店は明らかに1ランク上のレベル。ワインの品揃えも充実していました。その代わり、一皿の量は少なめでお値段はそれなりに高い。多少高くても良いので美味しいドイツ料理を、という人にオススメできそうです。個人的にはドイツのレストランは量が多めなのでこのくらいのお上品なボリュームで調度良かった。店に入ったのが17時くらいだったので店はガラ空きでしたが、夜はある程度混雑するんじゃないかと思います。尚、ポツダムプラッツにあるこの店は支店のようです。

【Food Lounge Berlin(フード・ラウンジ・ベルリン)】
ベルリン2015-11
ここも特に紹介するような話題のあるレストランではありませんが、ホテル近くにあるいくつかのレストラン(この店はホテルと同じ建物にある)の中で一番賑わっていました。アイスバインを注文しましたがとても美味しく、値段は平均的。TripAdvisorでは10%のサービス料や30ユーロ以上でないとクレジットカードが使えないことなどから厳しい意見が結構多く書いてありますが利用しても後悔するようなことはないと思います。

【リンデンブロイ(Lindenbräu)】
ベルリン2015-6
ポツダムプラッツのソニーセンター内にあるレストランでガイドブックにも載っている有名店。メニューに日本語記載があるのでわかりやすい。日本人団体ツアー客もいました。ビールも料理も美味しく、値段も平均的(注:ここまで値段について書いているのは現地ではという話で1ユーロ140円レートだとどこに行っても実は高い)。シュヴァイネハクセを注文しましたが、量が多すぎて半分しか食べられませんでした。

【ベルリン:交通】
チケットの種類は広く紹介されているので、実際に迷ったところだけ紹介。券売機操作で最初の四択で「VBB」(だったと思いますがちょっと記憶が怪しい)を選ぶと、次に以下の画面になります。
ベルリン2015-5
1日券を買いたいのでつい「All-day-ticket」を選びたくなりますが、その先で「Tageskarte(1日券)」を選ぶと20ユーロ以上の金額が提示されて面食らいます。ここでは中央列の「Berlin AB」利用エリアを先に選んで、その次の画面で「Tageskarte(1日券)」を選ぶとABエリア正規の6.9ユーロで購入できます。

ちなみに、滞在中はバスにしか乗らなかったのですが乗車時に運転手はこの切符に一瞥もくれません。電車は改札がないとのことなので、つまり切符がなくても乗れます(ウィーンもそうだったかも知れないが一度も利用しなかったので不明)。しかし、検札員に切符不所持または開始時刻の刻印がないと罰金40ユーロを取られるそうなので変な気は起こさない方が良いでしょう。改札などに人の労力を割いたり設備投資しないこの仕組は、ある程度の性善説に基づいたもので、問題が起きると存在をなくしたり禁止したりするしかない日本と違って大人な文化だなあと思いました。

ちなみに、ベルリンで驚いたのはバスの停留所に「◯◯番経路到着まであと何分」という電光掲示板があったこと。
ベルリン2015-31
公共の交通機関なんて遅れるのが当たり前なんだから時刻表なんてないよ、という姿勢の都市が欧米のスタンダードな中、この分単位でのインフォメーション提供しているのには仰け反ってしまいました。更に驚くことに、Bus & BahnというiPhoneアプリ(VBBロゴの赤いアイコン)では最寄りの停留所をGPSから引っ張ってFromに入れ、Toを指定すると次のバスの時刻と行き先到着予定時刻がわかるという、日本で言う「乗換案内」に近いものがある。

ベルリン2015-7
VBBのアプリなのでUバーン、Sバーン、トラムも含んだ検索ができるようです。僕は乗換案内というシステムは緻密な公共交通運営ができる日本でしか存在し得ないと思っていたので、欧米にそんなものが存在していることに心底驚きました。やはりドイツというのは手堅いというか日本人のような緻密さがあるんだなと実感した次第です。

【余談:水について】
ベルリンの水道水は飲める、というのは確かな情報のようです。しかし、ホテルでバスタブにお湯を張るとやや黄ばんだ色に。湯船が黄ばんでいる経験をしている人は他にもいるようです。旅行中に体調を崩したくないこちらとしては飲む勇気が出ませんでした。

以上、お役に立てれば。

【余談中の余談】
ベルリンにいた実質2日半で、AC/DCのTシャツを着ている人を少なくとも5人は見ました。後で調べたら25日にベルリンOlympia Stadiumでライヴがあったようです。こっちも観たかったなあ。

ウィーン&ベルリン旅行(コンサート編)

僕はジャズを聴くことを目的にニューヨークに2度(2007年と2008年)旅行に行ったことがあります。ジャズ好きな人には改めて言うまでもなく、ジャズはアメリカで生まれ育った音楽。ニューオーリンズが始まりとされているものの、音楽として、興行として発展・成熟してきたのはニューヨークで、マンハッタンがジャズの本場であることに異論を挟む人はいないでしょう。そのジャズが育まれた場所で、今生き続けているジャズを体感したいという思いが嵩じてのニューヨーク旅行だったというわけです。昼間は適当に観光して、夜は毎晩2件〜3件のジャズ・クラブをハシゴするというそれはそれは楽しい体験でした。

本題に入る前に僕の音楽観をごく簡単に言うと、音楽というものはその土地の気候(天気や温度)、生活から生まれるものだと思っている。そこに住んでいる人種の体質、気質によって音楽は生まれ、何百年も前からその土地で培われて育ち、脈々と受け継がれてきた。いささか乱暴に言うならば本物の音楽はその土地にしか存在しない。だから、いくら日本人が腕を磨いても本来日本のもの(あるいは日本人の体内に宿っているもの)ではない音楽を体得することは絶対にできないと思っている。フラメンコが好きだというある人が「日本人のフラメンコはやっぱりちょっと違うんだよなあ」と言っていたのも、かつてエリック・クラプトンが本物の黒人のブルースに迫れないことに苦悩していたのも同じことを意味している。日本のジャズ・ミュージシャン、日本のオーケストラを素晴らしいものとして楽しんでいる人もいるのは知っているけれど、それらはどうがんばって自分の体内にないものを後天的に身に付けたもの以上にはなり得ないので「日本人のジャズ」「日本人のクラシック」で終わってしまう(同じ理由で日本にロックは存在しない)。確かに国際的に活動している日本の音楽家もいるけれど、彼らはそもそも日本で育っていないし生活もしていない人ばかりであることは無視できない事実だと思う。そんなわけで僕は日本人のロックもジャズもクラシックもほとんど聴かないし、劇団四季も見に行こうとは思わない。日本人による西洋人のモノ真似を見ても本物の感動が得られるとは思えないから。

一方で、日本には世界から一流のジャズ・ミュージシャンが続々とやってくるし、一流の指揮者とオーケストラもやって来る。東京はジャンルを問わず一流の音楽家を見れるという意味では世界のトップクラスと言っても良いほどの都市で外来音楽家の来日が多い。世界一洗練されてサービスが良いと評されるブルーノート東京や、サントリーホール、ミューザ川崎のような立派な器もある。来日する一流ミュージシャンをそこで観れば十分に本物を味わうことができるし、満足できる。それでも、それらの音楽が生まれ、育った地の空気を感じながら聴く体験はやはり違うことは、マンハッタンのジャズ・クラブ巡りで身に染みてわかった。日本では見られないような編成、音楽性を持ったミュージシャンを山ほど観て、これが本場のジャズの世界なのかと身体で感じることは日本だけでジャズを聴いていても叶わない。

そんな経験をしている僕がクラシックにハマったら、次に行くところは決まったようなもの。クラシックを本場で楽しむための旅行として、ウィーン・フィルとベルリン・フィルを本拠地で聴くことを目的に旅を計画したというわけです。以下、その音楽旅行記を。

尚、コンサートのチケット入手の経緯は過去のページを参照ください。
http://buhaina.blog.fc2.com/blog-entry-160.html

《ウィーンでのコンサート》
楽友協会までは、滞在したホテル「ベートーベン」から徒歩15分程度。建物正面向かって左手に回りこむとそこにBox Officeがあり、予約番号と名前を伝える(予約時に受け取ったメールを印刷して見せる)とすぐに発券してもらえます。たまたまなのか、余裕を持って早めに行ったからなのかはわかりませんが、並んでいる人は少なく、発券に時間は要しませんでした。

館内に入ってから見るべきものはあまりないので、早く行き過ぎると時間を持て余すかもしれません。そんなときには、日本のコンサートホールのようにホワイエが地下1階にあるので軽く飲んでゆっくりするのも良いでしょう。大ホールへは階段かエレベーターで上に登る必要があり、どの席かで降りるフロアが違ってきますがチケットを見せれば係員が教えてくれるので心配はいりません。

2015年6月22日(月)
会場:ウィーン楽友教会
ブロムシュテット指揮ウィーン交響楽団
【演目】
ベートーヴェン:交響曲第4番
ニールセン:交響曲第5番

VSO2015

ホールに入ると煌びやかな黄金の輝きに包まれて、その場にいるだけでゴージャスな気分に。1700人しか入らないホールなので予想通りこじんまりした印象。ドレスコードは格別厳しいとは思いませんが男性は少なくともジャケットは着て行った方が良いと思います(Tシャツ姿の東洋人も見かけたが明らかに浮いていた)。この日の席は1階16列目の3番(76ユーロ:オンラインで事前に購入)。設備が古いだけに席はやや狭く、椅子を揺らすとギシギシと音がする。座席配置も傾斜がなだらかで縦に揃った並び方をしているので、この地だと女性にも少なくない大柄な人が前に座ると視界が大幅に悪くなる可能性が高い。小柄な人はあまり厚くなりすぎない程度のクッションを用意するなどしても許されるんじゃないかと思います。このホールのステージはテレビ中継画面などでもわかる通り、高い位置にあり、1列ごとの段差も大きいので、1階の真ん中程度にあたる16列目だとどの演奏者にも概ね目が届く良いポジションだったと思います。

演奏中も照明を落とさないのは現代のホールにはないお作法でちょっと不思議な感じ。でもそのゴージャスな輝きに包まれて聴くことが楽友協会で聴くということなんでしょう。演奏が始まってまず感じたのは音が良く響くこと。これは好みの問題かもしれないけれど、かなり残響が多くて音の響きがリッチに感じる。このような響きが太古の昔よりクラシックを室内ホールで聴くということなんだろうな、作曲家はそれも考慮してオーケストレーションを施していたのだろうなと想像を膨らませてしまいます。

まずは大好きなベートーヴェンの交響曲第4番。テンポは早すぎず遅すぎずで第1楽章などは特にアグレッシヴに進めてはこない。このオケは大変気の毒なことに日本ではまるでウィーン・フィルのパチモノかのような扱いを受けているけれど、十分上手くて流石ウィーンのオケだなと思わせてくれました。

20分の休憩を挟んでニールセンの交響曲第5番。こちらは編成が大幅に拡大し、オーケストレーションの構成、響かせ方がまるで違ってくる。小太鼓のパートを含め、楽友協会の響きがとてもマッチして巨大な音響絵巻が展開される。あまりの迫力に第1楽章が終わったときの観客のどよめきが止まらない。第2楽章も壮大なこの交響曲のスケール感をたっぷり堪能、CDで聴いただけでは曲本来の魅力が伝わりにくいという意味ではマーラーやブルックナーを上回ると思えるほどで、生でこの曲の凄まじさを体感できたのはとても嬉しい経験でした。ニールセンは日本での演奏機会がほとんどないのでこれはとても貴重な機会だったと思うし、翌日に聴いたウィーン・フィルと較べてもオケが大きく力不足だと感じたところはまったくないくらいパフォーマンスは上々でした。

2015年6月23日(火)
会場:ウィーン楽友教会
ヤンソンス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
【演目】
マーラー:交響曲第3番 (アルト:ベルナルダ・フィンク)

VPO2015

さて、この日は今回の音楽の旅のハイライトとも言えるヤンソンスのマーラー。前日に既に「AUSVARKAUFT」(= Sold Out)と掲示されていて人気公演の模様。席はBalkon-Mitteという2階正面中央の8列目(最後列:65ユーロ)で、前日よりはステージが遠くなるもののさして広くないホール故に残念感はそれほどない。ただし、座席の傾斜が緩やかで見下ろす形になるので昨日以上に前に座っている人に隠れてステージ前方が見づらい。妻の席からはヤンソンスが、僕の席からはアルトのフィンクがほとんど見えない状態。ウィーンだと体格が良い人が多いせいもあってか日本のオペラシティの2階席のように視界が良いわけではありません。それでも段差が大きいステージ故に木管、金管、打楽器奏者はバッチリ見えます。視界が悪い代わり音響的には、音を正面から受ける好位置、オルガン席に座るウィーン少年合唱団が正面に来るので歌声もまっすぐ綺麗に届いていました。ちなみに2階には左右両側にも席がありますが、そこの様子を見ると2列目以降は中腰だったり立っていたりしていた人が多かったので恐らくステージはほとんど見えないじゃないかと思います(東京のオペラシティもサイド席はステージが見にくい)。

ヤンソンスの指揮による演奏はゆったりと雄大に。マーラーらしいダイナミックレンジの大きな曲を、微音はとても繊細に、強音では大迫力でしかも余裕を持って鳴らしてさすがウィーン・フィルと思わせる。やはり弦の美しさは素晴らしい。第1楽章の見せ場、ウィンナーホルンの美しい響きとアンサンブルも見事なもの。トロンボーン主席のソロ、オーボエ主席のソロも歌心溢れて聴き惚れてしまう。第3楽章のポストホルンのパートでは奥深い位置から、柔らかく澄み切った音が豊かに響いて神々しささえ感じられる。第4楽章でのフィンクの歌声は離れた位置からと思えない明瞭な声と豊かな声量、第5楽章のコーラス隊のやはり声量豊かで美しくも透き通った歌が染み入る。そして弦の美音をとことん堪能した第6楽章の深淵な響き。楽友協会特有の残響がまたすべての音を特別な響きにしている。正直言ってこの曲が特別好きというわけではないのに、ここまでのものを聴かされるとやはり圧倒されてしまうもので時差ボケを忘れてしまうほど曲に没頭していました。演奏はCDのヤンソンス指揮RCOでの3番と方向性に大きな違いはないものの、溜めるところはよりゆったりとスケールの大きな演奏。そして何よりもオケの音に強い主張を感じる。ヤンソンスがリードしているのは間違いないのに、指揮者の存在感がやや薄く感じるというこれまでに経験したことのない演奏に聴こえました。オケが上手いのは間違いないものの、どこか格調高く、くすんだ古風な音で、それを残響豊かなホールで聴くというのが楽友協会で聴くウィーンフィルということなのでしょう。いずれにしてもこの世に存在する音楽の中でも最上級のもののひとつを観たという満足感を得られたのは間違いなく期待を裏切らない素晴らしいコンサートだったと言えます。終演後、オーケストラ・メンバーが引き上げたあとにヤンソンスが2度もステージに呼び戻されていたことも付け加えておきましょう。

《ベルリンでのコンサート》
2015年6月25日(木)
会場:ベルリン・フィルハーモニー
ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
【演目】
ハイドン:交響曲第80番
陳銀淑(チン・ウンスク):
ソプラノと管弦楽のための「Le Silence des Sirenes(水の精の沈黙)」
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番(ピアノ:クリスチャン・ツィメルマン)

BPO2015

滞在したホテル「ラディソン・ブル」は東ベルリン地区のアレクサンダープラッツから徒歩10分程度、ベルリン大聖堂の川を挟んで隣りにあり、そこからだとバスの200番路線1本でフィルハーモニー・ホールに行けます。降車停留所はそのまんま「Philharmonie」で降りるとそこが正面入口。余談ながら100番と200番はアレクサンダープラッツ駅とツォー駅を結ぶ路線として観光客でも使いやすく、2階席にいても次に停まる停留所が前方に表示されているし到着前にはアナウンスしてくれるので気軽に利用できます。

フィルハーモニーの建物に入場するとスペースが広いことにまずは驚かされます。故に人が沢山いても窮屈な印象は皆無。限られた場所に作られた日本のホールとは違って、フィルハーモニーはかなり広い敷地をたっぷり使って建設されているので、そのような作りが可能なのでしょう。このホールももう40年以上の歴史があってサントリーホールのような綺麗さはないものの、さすがに100年以上の歴史を持つ楽友協会と比べるとモダンな作り。ホール内部への入り口がいろいろな場所に散らばっているので自分の席に一番近いところから入るには案内標識を良く見る必要があります。とはいえ、入り口を間違えたとしてもこのホールは各席のブロックが連なっているので恐らくどの席にも辿り着くことができそうです。

本番が始まる1時間前にハイドンとブラームスの曲についてのプレトークが別会場であり、一応参加してみましたがドイツ語だったので撃沈しました。他のコンサートでもよくある催しらしいのですが、ドイツ語がわからない人は行ってもちょっと厳しいですね。

座席はA linksブロック10列目の5番(94ユーロ)。日本のホールは1階だとオケの前列しかほとんど見えないのに対して、フィルハーモニーは1階でも傾斜が強いので10列目だと目線はだいぶ上がってきて金管や木管も概ね一瞥できる高さになります。オケ全体を見渡したい人はA links後方かB linksを選んだ方が良いでしょう。あとホールに実際に入って驚くのが、サントリーホールと比べるとステージの左右と後方がずいぶん奥まで(というか上まで)あることで、大袈裟に言うとステージが会場の中央に近いところにあるような感じがあり、どの席に座っても遠く感じられないように設計されたと本に書かれているのがなるほどと納得できる構造になっています。

時間が迫ってくるとステージにオケのメンバーが入場。コンサートマスターの樫本大進、第1ヴァイオリンの町田琴和、ヴィオラの清水直子と日本人が勢揃い、オーボエにルツェルン祝祭管弦楽団でも活躍するマイヤー、フルートにエマニュエル・パユとテレビで見慣れた人たちが目の前にいてワクワクしてしまう。そこにサイモン・ラトル登場。実物を見ると結構恰幅が良い。

最初はハイドンの交響曲第80番。室内オーケストラ規模の古典派の曲を聴くのはこれが初めて。編成相応のこじんまりした音が出てくると想像していたら、明瞭かつクリアな音が出てきてまずは驚く。どのパートの弦も実に良く歌っている。しかも余裕を持って自然に。ラトルは早めのテンポで進めるが、あらゆる音の揃い方がそれはそれは見事なもの。映像で見るベルリン・フィルはとても技術が高く、その高い技術力で立派な音を鳴らす様が時にいやらしく見えることもあると思っていたんだけれど、こうして生で聴いているとそんな印象はなく繊細かつ美音、デュナーミクもアゴーギクもコントロールが完璧ということが嫌というほどよくわかる(妻はそれが嫌味っぽく聴こえたのだとか)。席が左寄りだったのでラトルが第1ヴァイオリンの方を向くと顔の表情がハッキリわかってそれもまた臨場感があって楽しい。尚、フィルハーモニーの響きはサントリーホールなど一般のホールと似たような感じで楽友協会のような個性的なものではありませんでした。

2曲目は陳銀淑の現代曲。ラトルが指揮台に上がるとそのまま頭を垂れてじっと静止、しばらくすると遠くから歌声が聞こえ始める。座っていた席の真後ろにある通路からソプラノのバーバラ・ハンニガンが紫と白の派手な衣装で歌いながら登場。そのまま歌いながら歩いてステージに上がって行く。現代曲らしく、複雑かつアヴァンギャルドなリズムとオーケストレーション、そして大人数を要する幾多の打楽器の複雑な絡み合い。ハンニガンは何かが憑依したかのように歌い、時にラトルと手を合わせたりもする。衣装やこれら演出はどうやら作曲家が指定しているようで、曲が終わったあとに登場した作曲家の陳銀淑もハンニガンと同じような色彩の服を着ていました。

最後はブラームスのピアノ協奏曲第1番。コンチェルトをメインに持ってくるプログラム構成は日本ではほとんどないけれど、欧米ではたまにあるようです。ツィメルマンによるこの曲は昨秋、ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団で聴いたけれど、まずは導入部のテンポ設定がずっと早いところからして違っていた。オケは繊細さ、正確さ、音の艶やかさ、スケール感すべてが上回って早めのテンポに難なく追随していて感心するばかり。ツィメルマンも入魂の熱演で、持ち前の端正さを保ちつつ力強く、時に勢い余って先走る場面も。席からは手の動きもバッチリ見えてこれまた臨場感たっぷりで楽しめました。

何にしてもベルリン・フィルは上手かった。こんなに技術力が高いオーケストラを生で観たのは初めて。技術力と芸術性は別のものとしてこのような演奏をバカにする人がいることは知っているし、かつてのドイツ的響きがなくなっていることを嘆く人がいることも知っているけれど、僕は技術に頼っただけのオケだとはまったく思えなかった。そこには音楽を真剣に追い求めた集団の立派な音世界と豊かな音楽性があったと思います。

余談ですが、フィルハーモニー・ホールは楽友協会ホールとは違って演奏中は照明を落とすものの、日本ほどは暗くしない。そのせいか、ウィーン、ベルリン両方とも演奏中にパンフレットを読んでいる観客を何人も見かけました。もったいないなあと思う反面、慣れている人はそのくらい気持ちに余裕があって気軽に観ているということなのかもしれません。

2015年6月26日(金)
会場:ベルリン・フィルハーモニー
ソヒエフ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団
【演目】
R.シュトラウス:英雄の生涯

DSB2015

この日はカジュアル・コンサートで英雄の生涯1曲のみというプログラム。全席自由でチケット代は一律18ユーロと日本のラ・フォル・ジュルネのチケット代と同程度というお財布にやさしい設定。開演20分前ホール入りと少し出遅れてしまったのでA linksエリアはもう満席、今まで日本では経験したことない側面(E linksの右側)から観ることにしてみました。コントラバスとチューバは完全に死角に入っていましたがその他はよく見えて、特に正面の視界に入る指揮者とコンマスの様子が間近に見えて面白い。弦楽器はもちろん管楽器の響きも問題なく、十分良い席でした。(実際前から3列は一番高い価格のカテゴリー)。お客さんの入りは最終的には5割くらいだった印象です。

やさしいのはお財布だけだはなく、コンサートに行くハードルが低いことについても言えます。観客の服装(この日はジャケットを着用していなくてもまったく問題なし)と雰囲気も、前日のベルリン・フィル公演とはだいぶ違ってカジュアル、年齢層もやや低くなり、クラシックに特別深い思い入れを持っていない人でも気軽に来ている様子。ドイツもクラシック人気は下降気味、川口マーン惠美氏の著書によると少なくとも最低限の教育を受けて常識を備えているはずの(もちろんドイツ人の)若い大学講師がカラヤンを知らないということらしいので、こうやってハードルを下げて客層を広げようという試みは必要なのかもしれません。

オケのメンバーが入場していると全員が私服、しかも男性は襟なしシャツの人がいるし、女性ではノースリーブのシャツの人もいる。指揮者ソヒエフも私服で登場、「今夜は気軽に楽しんでください」という挨拶に続き、曲の解説が始まる。言語はありがたいことに英語なのでなんとなく言っていることがわかる(ちなみに僕の英語力はかろうじて旅行をこなせる程度)。曲の一部を演奏し、「ここは英雄がリタイアして穏やかに過ごすところを表現している」というような解説をしてくれるという趣向はとても楽しい。そして、この一部だけの演奏で早くもオケの実力の確かさを実感。前日にベルリン・フィルを聴いているので大きく聴き劣りするんじゃないかという懸念は吹っ飛び、むしろあまりの上手さに驚いてしまった。20分ほどの解説が終わるといよいよ通しでの演奏。統率が効いた音の揃い方にダイナミックで主張のハッキリした音と見事な表現。手が空いている奏者が隣りの人と二言三言会話をしていたりするところなどはあくまでもカジュアル・コンサートという趣。それでも、演奏が雑と思えるところは皆無で、日本のオケには到底望めないようなハイレベルの演奏に圧倒されてしまいました。この値段で解説付きでこれだけのものが聴けるとはいやはや本場というのは凄いところだなと実感した次第です。11月に行く予定の日本公演でどんな演奏を聴かせてくれるのか期待が高まりました。ある意味、今回の旅行で一番おもしろいコンサートだったかもしれません。

中1日でウィーン・フィルとベルリン・フィルを観るという贅沢な体験をしてみて、生で聴くとオケの性格がまるで違うことを肌で感じることができました。伝統を重んじるウィーン・フィルは格別に高機能という印象はあまりないけれど、音の響きに典雅さがあるのに対し、現代最高の技術を下敷きに最先端のオーケストラ・サウンドで洗練された表現をするベルリン・フィル。CDで聴いても傾向はわかるとはいえ、実際に聴くとその差は想像以上に大きく、だから音楽は面白いのだと思えたことがこの旅で最大の収穫だったと言えるでしょう。また、失礼ながらついでで購入したウィーン交響楽団とベルリン・ドイツ交響楽団の演奏も立派で素晴らしく、こういったコンサートが日常になっている彼の国の文化の深みも感じることができました。もちろん、日本ではなかなか聴くことができないプログラムで聴けるのも現地で観る面白みとして味わうことができました。本場で音楽を体験するというのはまさにこういうことで、音楽好きなら高い飛行機代を払ってでも観に行く価値があると思います。

旅行から戻っても頭の中でオーケストラの音が鳴り止みません。また、是非行ってみたいものです。次はニューヨークでジャズとクラシックを両方楽しむというのもいいかもしれない・・・と妄想しながら日常生活に戻るワタクシなのでした。

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