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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

「大統領の料理人」(ネタバレあり)

大統領の料理人

フランスのミッテラン大統領専属料理人として2年間仕えた女性料理人の実話を元にした映画とのこと。

この種のフランス映画はどこか洒落た感じがあって、そういうものを期待して観る人が多い。言い換えるとフランス映画に慣れていない人にも興味を惹かれるものがあるらしい。

なぜこんなことを言っているかと言うと、「話が平坦で盛り上がりがない」「特に変わったところがない」「地味」など、ハリウッド映画に毒された演出過多の過剰にデコレートされた映画を普通だと勘違いして比較していると思しきレビューが少なからず見えるから。あのお、フランス映画なんて淡々とした日常をそのまま描いて、オチもなくブッツリと終わるのが基本なんですが、何を言っているんでしょうか?「少年と自転車」「ある子ども」あたりを見ていればフランス映画にこんな無知をさらけ出すようなコメントを言う輩はいないでしょう。

むしろ、映像は綺麗だし、撮影もきっちりとしているし、話の見せ方もよく構成されている方だ。エリゼ宮に迎えられ、認められ、反感を買い、思い通りに行かなくなる過程と、辞めてからの南極での料理人の生活を交錯させた作りもうまくできていると思う。

この映画は実は人生を凝縮したものだと思えてならない。そして物事を考えて仕事をしている人と、伝統や慣習に流されて満足してしまっている人との対比でもある。

仕事をする以上、その仕事の内容を認めてほしい。これは多くの人が抱いている思いである。そして人は認めてもらうために正直に仕事をしようとするものである。しかし、仕事というのはそれだけではない。やりたいことがあっても制約を受けることも多々あるし、正しいことをやっていても邪魔をしようとする人も現れる。そうこうしているうちに正論を喜ばない人が少なからずいることに気づいてくる。この映画のように大統領も料理人も満足しているのに間にいる人が邪魔をしたりするケースもある。

主人公の女性料理人は、主婦になってから料理を始めて開眼したらしい。食材に恵まれた地域で生活していたとはいえ、それだけでは外国人向けのフランス郷土料理の教室を開いて、ジョエル・ロブションの目に留まるところまではいかないだろう。今目の前にある食材でどんな料理ができるかを考え続けて、それを美味しいといただく人たちをより満足させるために思考を重ねた人だからこそここまで来れた。フランス料理界にいて伝統に従っているだけで思考が停止している料理人(この映画で悪役として描かれていた料理長はその象徴)がいかに価値のないものしか作れないかをデザートの件でしっかり表現している。

エリゼ宮で大統領だけがやり甲斐を与えてくれはするものの、思考停止型の保守的な人間に煙たがられる職場環境。かたや南極の僻地で満足な食材が揃うわけでもない食堂で、みんなに愛されて感謝される職場環境。どうちらが良いんだろうという、仕事のやり甲斐という普遍的なテーマも描いている。

2つの時系列が並行して話が進んでいくと、南極でまとわり付くインタビューアが言うように、大統領の専属料理人から南極食堂の料理人とでは格が大違い、観ている方は「そうか落ちても現実的にがんばっている姿を描いているのか」と哀れみを覚えそうになる。しかし、最後に「ゴールじゃなくてトリュフよ」と言う笑顔で吹き飛ばしてしまうオチもいい。これだけのバイタリティがある人は、そう簡単に屈しないという逞しさにもニンマリする。

この映画は、仕事人は障壁とどう向き合い、どう理想と折り合いを付けていくのかという誰もが経験するテーマを扱ったもので、いろいろと考えさせてくれる。「特に何もないありきたりな話」という評をしている人はきっと平和で退屈な生活を送っていてそういう葛藤をしたことがないんだろう。それはある意味、幸せなんだろうけれど。

あと、素朴で飾り気のない料理がものすごく美味しそうで参った。フランス料理が芸術に近い思想と技術で成り立っていることも改めて思い知らされる。あー、キャベツとサーモンのファルシ、トリュフてんこ盛りのトーストが食べたい。



ありのままの自分を開放してみる-富士急ハイランドで絶叫

正月明けからいきなりの5日連続出勤で通常モードに戻されたのに抗って10日から13日まで四連休を取りました。

ホテル・マウント富士というところで一泊。決して高級ではありませんが、値段を考えると納得できる良いホテルでした。古い建物で、外観だけ見ると不安を覚えるものの、フロントや風呂場、内装などは改装されているようで綺麗だし設備的にも新しい。ハーヴェスト棟は部屋もリニューアルしてあるようで広く快適でした。食事(ディナーはフレンチを選択)も値段を考えれば妥当なものが提供されます。

そういった常識的なホテルの評価よりも、バルコニー右手に見える富士山の景色こそがこのホテルのウリ。真冬の富士山は千葉の拙宅からでも綺麗に見えますが、至近距離で見える富士の美しさは本当に筆舌に尽くしがたい。背景に日が沈むシーン、やや赤みがかって見える日の出のシーンと富士山好きには堪えられないでしょう。ただ、すぐ手の届きそうなほど隣接しているお隣のバルコニーからも宿泊客が見学している可能性が高く、プライベート感覚はないです。

fujisan2014

冬の富士山を満喫して温泉に入るのはなんとも言えない贅沢なわけですが、今回の旅行の目的は実はぜんぜん違うところにありました。

話を5年と少々戻します。

まだ結婚すると決まっていなかった独身時代に妻と紅葉狩りで富士山にドライブへ。インターチェンジを下りると、視界に飛び込んでくるのは皆さんご存知の富士急ハイランド(以下、富士Q )。妻は「あ~、昔は絶叫マシン大好きだったけれど最近はもういいかなって思う」、応じる僕は「そうねえ、行けば乗るけど別に好きじゃないかなあ」。このときは、「ああ、そういうのが大好きな人じゃなくて良かった」とそれで終わったのでした。

僕が好きじゃないというのは本当のことで、千葉に住んで30年以上にもなるというのに、たまたま周囲の人達にも好きな人がいなかったこともあり富士Qは行ったことすらありませんでした。出身地の愛知県には近くにナガシマスパーランドという絶叫マシンの聖地があって、若いころは名古屋の友達のところに遊びに行くと「じゃ、ナガシマでも行くか」ということが何度かありました。とはいえ、最後に行ったのはいつだったかもう思い出せない・・・少なくとも15年以上は前の話だったと思います。

そもそも、子供の頃から怖がりで強制的に乗せられたナガシマのジェットコースターで終始うつむいて怯えて乗り、完全なトラウマに。以降、乗ることはなく、前記の通り大人になってから数回乗った程度のごく普通の善良な市民でした。自主的に絶叫マシンに乗ろう、そのために遊園地に行こうなどと思ったことがありません。特にフリーフォール系の落ちる感覚と回転系の目の回る感覚は今でも許容できないくらい僕には合いません(コーヒーカップとか乗ると酔って死にます)。

2014年のある日、今となってはどういう展開だったのか思い出せない話の流れで妻と「富士Q行こうか」という話になったのです。実は僕の頭の隅に富士Qがあったのは「ドドンパ」というアトラクションがずっと気になっていたからでした。

クルマ好きな人なら、加速性能を数字で見ればある程度の加速感が掴めます。ちなみにウチのアルファロメオMiToだと0→100km/hが8.0秒ですが、これでも結構いい加速をしてくれますし、ポルシェ911のように5秒台ならかなりの加速性能とわかり、フェラーリやランボルギーニのようなスーパーカーの性能仕様に書かれている3.8秒とかを見ると、きっと笑っちゃうくらい凄い加速なんだろうなと想像がつきます。しかし「ドドンパ」はわずか1.8秒で172km/hに到達すると謳っているのです。およそ2億円のプライスタグを掲げるブガッティ・ヴェイロン(0→100km/h 2.5秒)ですら足元に及ばない加速を数千円で味わえるのなら一度体験してみたいと思っていたわけです。

そして初の富士Qへ。行ったのは昨年の11月23日。道中の渋滞も凄く、到着したのはちょうどお昼くらい。ゲートに着いてアトラクションの待ち時間情報を見てぶったまげました。人気アトラクションは最低でも2時間待ち、最高だと3時間超え。えええっ?富士Qってそんなに人気のある遊園地だったの?チケット売り場で「フリーパスを」と言うと「この時間からだとあまり乗れませんがよろしいですか」と訊かれてしまう有り様。翻訳すると「残り8時間だとフリーパスで元を取るための4回乗車は叶いませんけどいいですか?」ということです。ナメてました、すいません、富士Qって凄いところだったんですね。3連休の中日であることもまったく考慮していませんでした。

とにかく混んでいるので空いているところと思って待ち時間が比較的短め(それでも1時間50分)だった「富士飛行社」へ。これ、怖くないんですね。悪くないんですが、この種の見せ物系娯楽はディズニーランドの完成度と比べるとどうしても分が悪く、あえて富士Qまで足を運んでまで観るようなものではないかなあと思ってしまいました。相変わらず奇抜なジョークでアトラクションの立ち位置を設定しているのは面白いんですが。

次に念願の「ドドンパ」を。Launch Startの加速は壮絶。顔が歪みます。最高速は世界中の遊園地でこれを上回るものが次々と現れているようですが、加速については未だに「ドドンパ」がぶっちぎりのようです。息が詰まるような加速とはまさにこのこと。「ドドンパは最初だけですぐに終わっちゃう」という人も結構いるようですが、その最初に十分凄みがあります。スタートからずっと下っていない(厳密に言うと少し下りますが)のに超高速で驀進するというのも他では類を見ません。高速故に振動も相当なもので視界が揺れまくるところも異次元トリップ演出を後押し。期待通りの加速を味わえて大満足。ちなみにこの日2つ目の乗車で早くも外は暗くなっていました。

時間的にはもう次で最後。迷った挙句「高飛車」へ。121度というギネス認定落下角度はもはや笑いの領域で、そのそそり立つ塔(?)が一際目を引きます。

高飛車2014

暗く寒くなった18時過ぎでも待ち時間は1時間50分。ようやく乗車し、「びっしゃーびっしゃーたかびっしゃー」の掛け声に送られてスタート。暗いトンネルを進み始めると速度が上がり「ああ、スペースマウンテンみたいに進むのね」と余裕をかましていると、急激な加速と共に何がなんだかわからない状態のままグルングルンと回り始めていました。ハイライトの121度落下が最初に来ると勝手に思っていたのがそもそもの間違いで、外が暗いだけにトンネルをいつ出たともわからず、自分が今どういう状態なのかわからないという恐怖が凄まじい。文字通り「ぬおー」と叫びながら悶絶して、回り始めてから5秒位経過してようやく「もう始まってるのかよ」と気づきました。そのハイライトの落下の前でようやく停止、一息つけたと思っているとここで待たされます。この待ちがまた恐怖を誘導。垂直に登り始める速度がやけにゆっくり感じるところも恐怖感を煽ります。そして頂上から少し下ったところで停止してタメるところがまたいやらしい。下から見ていたときにはそれほど高いと思っていなかったのに、寸止めされるとやたらと高く感じます。凹みながらの落下は意外と怖くなかったものの暗さ故になんだかよくわからない状態が最後まで続きゴール。降りたら足がフラフラしていました。何が怖いってコースの読み間違いと真っ暗で何がなんだかよくわからないところ。

ここで時間切れ。いやー、久しぶりに絶叫マシンに乗ったけれど、楽しい。何か体から毒が抜けたかのようなスッキリ感。ただ、8時間でアトラクションは3つだけしか乗れなかったのは消化不良と言わざるを得ません。まだまだ見た目にも楽しそうなアトラクションを横目に帰路に着くことになりました。

妻も楽しかったと大喜び。しかし同様に物足りなさは払拭できず、「出直そう」となりました。そして平日の真冬をあえて選択して思う存分絶叫マシンに乗ることこそが今回の旅行の真の目的だったというわけ。ホテルも富士山も温泉も楽しんだものの、これらは実はおまけに過ぎませんでした。

ゆっくりとホテルをチェックアウトしても10時30分に富士Qに到着。前回と違って駐車場はガラ空き。さすがにこの日はアトラクションの待ち時間が短く、長くても40分程度。心配していた寒さは気温が到着時で2度程度(日中は7度程度まで上昇)で風も弱く、日差しもあり、万全の防寒対策をしていったのであまり気にならないレベルでした。事前にわかっていたこととはいえ「FUJIYAMA」がメンテナンスで停止中というのが残念でしたが、それでもまだ乗っていないものが山ほどあるのであまり痛くはありません(ちなみに「FUJIYAMA」は前日まで稼働日だったもののその前日は強風で停止していた)。

まず、風で止まりやすいものを先に押さえようと「鉄骨番長」へ。これ、身も蓋もない言い方をすると単なる空中ブランコで、ただその高さがかなり異常です。体の固定もないので高所恐怖症の僕は結構怖かった。この日は風が穏やかだったとはいえ、ここまでの高さまで来るとそれなりに風で煽られ、向きが結構変わったりしてその不安定感が怖い。でも、好天に恵まれたこの日は景色が素晴らしく、冷たい風を顔に受けながらの旋回は結構楽しいものでもありました。

次に「ええじゃないか」。

ええじゃないか2014

この「ええじゃないか」、僕は見ているだけで好きです。いろいろな角度で落ちてグルングルンと旋回し、席までもが回転している様を見ると「なぜ人はそこまでして落ちながら回らなければいけないんだろうか」と思ってしまいます。設計した人、乗っている人、作り手と利用者のいずれもが「落ちて回る事」のために猛烈な熱意を持っていて、その無駄なエネルギーが凝縮されたものがあの見た目にも鮮やかな動きとして表現されていて感銘を受けてしまうのです。このアトラクションの振る舞いはもはやアートの領域まで行っていると評しても過言ではないでしょう。乗ってみるとバックして登っていく感覚がまず新鮮です。富士山方向と反対向きであることが惜しまれますが、上が見えないだけにどこまで登っていくのかわからない不安に気持ちを集中させるのためには美観はむしろ不要、特徴のない山の景色も演出ではないかと思えます。登り切ったあとのファーストドロップから、体験したことのないような向きと角度で、あっちこっちに回転、旋回し続けます。普通のジェットコースターは、待ち時間に眺めてコースのイメージを覚えてしまって乗ることが多いので自分がいまどのへんを走行しているのかわかるものですが、「ええじゃないか」は今自分がどこにいてどっちを向いているのかわからない状態が最後まで続きます。少々意外だったのは、足が浮いていることへの恐怖感がそれほどではなく、ガッチリと体が固定されていることから不安定さを起因とする恐怖感がそれほどありません。だから、僕のようなコアな絶叫マシンフリークでない人でも心置きなく振り回されて叫ぶことができるのです。もちろん降りたあとは足はフラフラ。これはめちゃくちゃ楽しい。外から見ていて幸せな気分になれる「ええじゃないか」は乗ってみても最高に幸せな気分になれる絶叫マシンでした。

次は「高飛車」へ。さすがに2度め、そして今回は明るい昼間での乗車なので前回のようなわけのわからない怖さはなかったものの、十分に怖くて楽しいです。加速というと「ドドンパ」が凄くて霞んでいますがこの「高飛車」もトンネルから抜けるところでは100km/hまで2秒だと言いますから、実は物凄い加速で恐怖感はたっぷり楽しめます。隣に座っていたオーストラリア人の女性は「ギャーーーー」と叫び続け、一休みのところで「Awesome!」と感嘆し、垂直上昇中は「Jesus!」とお喜びの様子。今回は頂上で景色を眺める余裕があり、目前に広がる富士山を前にドロップしていくのは他では得難い快感でした。

昼食をとったあとはちょっとクールダウンしようと「パニックロック」へ。先の2つと比べるとずいぶんと低く、スピード感ももうひとつと見た目に派手さのないアトラクションですが、大きな特徴として最頂上部で真っ逆さまの状態で止められることが挙げられます。体は固定されているものの少々遊びがあるためシートから浮き上がり、頭に血が上る経験は他のメジャーな絶叫マシンとは異質の怖さがあり、これはこれで楽しいです。

想定外に「パニックロック」が激しかったので次は穏やかに「マッドマウス」で。意外とプチ恐怖を感じられる乗り物で、左側の席だと外に飛び出そうな感覚もあって面白かったです。

さて、まだ時間は13時半くらい。見た目に楽しそうな「トンデミーナ」に乗ります。待っている人はほとんどおらず、ピザーラのロゴマークこそ目立つものの、他のコースター系のアトラクションほど人気になっていないようです。本当は回転系は酔うから苦手とはいえそんなにぐるぐる回っていないのでイケるでしょう、バイキングとかも嫌いじゃないし、とナメた心構えで乗ってみると、もの凄い高さから叩きつけられるように落ちるG感覚、天地無用な方向感覚、そこに回転が加わり、楽しさのレベルを超えてしまった恐怖感と、酔いに見まわれ撃沈。こりゃ「トンデモネーナ」に改名した方がいいんじゃないかと思ったほど、これまでの富士Qの乗り物の中で一番怖かったです。もう一度乗れと言われたら乗れなくはないですが、酔ってしまうのでできればご遠慮願いたいアトラクションで妻も同様に酔ってしまい2人して撃沈、閉園まで3時間を残しているにもかかわらず戦意喪失で退場したのでした(僕は翌日まで酔いが抜けなかったほど)。

これで「FUJIYAMA」以外は乗る(フリーフォールは最初から除外)ことができ、ようやく富士Qを味わったと言える状態になりとても満足しました。絶叫マシンフリークではなく、生粋のインドア派の夫婦ですが、これからもときどき行きたくなってしまいそうです。

後でネットでいろいろ調べてみると、恐怖を感じるポイントは実に人それぞれのようで、僕が楽しいと感じた「ええじゃないか」を「絶叫マシン大好きだけどこれは本当に怖くてトラウマになった」という人もいれば「トンデミーナ」を「ぜんぜん怖くない」と言う人も結構いて「へえー」とちょっとした驚きを感じました。

ところで、絶叫マシンが特別好きなわけではないことはここまでに書いた通りですが、好きでない理由は自分自身の性格のせいでもあることに富士Qに行って気づきました。僕はモノで自分を立派に見せて見栄を張ることはないんですが、自身が弱そうに見られることが嫌という妙なプライドがあります(他人に弱みを見せたくない、といヤツですね)。だから、恐怖におののいたり顔面がひきつっているところを人前で見せることに抵抗があったのです。でもそれを見ている人がいるわけじゃないことにふと気づき、思う存分「ぎゃー」と叫んで顔をひきつらせちゃえばいいのだとわかると、それが楽しい。もちろん生理的に受け付けないフリーフォール系や回転系は恐らく今後も克服できませんが、怖がっているところを表に出さないようになんて頑なになる必要などなく思い切り怖がればいいのだと悟ることができたわけです。これに気づいたことで、ありのままの自分をさらけ出すことへの抵抗がなくなり人としてひとまわり成長できたような気がします。

以上、どこまで本気なのかわからない(?)富士Qレポートでした。

ネルソンスのボストン交響楽団デビューと配信

nelsons bso sibelius


1年と少し前のバーミンガム市交響楽団で聴いて以来、アンドリス・ネルソンスは気になる指揮者の1人になった。この1年もベルリン・フィルやロイヤル・コンセルトヘボウの定期演奏会やルツェル・フェスティバル、果てはノーベル賞授賞式での演奏にも起用されているし、ルツェルンでの演奏がNHKでも放送されるくらいになったのだから、若手ではドゥダメルと並ぶほどの人気指揮者になりつつあるんじゃないだろうか。

そのネルソンスがいよいよボストン交響楽団の音楽監督に就任して活動を始めたようだ。ボストン交響楽団といえばクーセヴィツキーやミュンシュといった名指揮者で名声を得て、小澤征爾が長年監督を務めてアメリカの Big 5 を不動のものにしてきた一流オーケストラ。こう言ってはなんだけれど、バーミンガム市交響楽団とは格が違う名門の音楽監督に指名されたのもネルソンスの評価が高いからなんでしょう。

そのネルソンスのボストン交響楽団デビュー音源がオンラインで販売されていることをツイッターで知ったので早速入手してみた。内容はワーグナーのタンホイザーとシベリウスの交響曲第2番。とりあえずなのか今後もなのかはわからないけれどCDの販売はなさそう。ボストン交響楽団ほどのオーケストラでも旧来のレコード会社の販売ルートでは手間もコストもかかって、それほどの売上が期待できないということから自主販売の道を選ばざるを得ないということなんだろうか。オーケストラ運営が大変そうであることをなんとなくここでも窺い知ることができる。

とはいえ、ロイヤル・コンセルトヘボウはだいぶ前から自主レーベルでSACDをリリースし、ついにベルリン・フィルも自主レーベルでの販売を始めるに至っては、もはやレコード会社は要らないという雰囲気すら漂い始めているのも事実。いずれも従来のCDでの販売ではなく、SACDマルチなどの付加価値を持たせているのも特徴である。そしてこのBSOのオンライン販売で何が驚きかというと、ハイレゾが普通に販売されているところ。MP3 320kbpsが$9.99に対して88.2KHz/24bitのハイレゾが$10.99という、一般のCDと同じ程度の値付けがされている(ダウンロードすると実は96KHz/24bit音源だったけれど)。価格がCDと変わらない新録音の音源を発売するとなるとハイレゾという形態で金儲けしようという臭いは皆無で、ただできるだけ良い状態で聴いて欲しいという意思だけが感じられるところが清々しい。

タンホイザーは序曲で完結する短いドレスデン版での演奏。この曲は手持ちがテンシュテット、カラヤン、マゼールで偶然にもすべてベルリン・フィルでの演奏とあって、いずれも分厚い鳴りとダイナミックな演奏という傾向は共通している。これらと比較すると、柔らかくスッキリとした演奏でちょっと淡白な味わい。これはこれでもちろん良いと思うけれど、カラヤンとマゼールのパリ版での雄大でゴージャスな演奏を味わってしまうとちょっと物足りない。とはいえ、現代のオーケストラ演奏としてはカラヤンやマゼールのスタイルはもう古いとして、このスマートなスタイルとしているんじゃないかとも思う。ネルソンスは、「そうか、ここは巨匠風の大げさなスタイルか」「ここではアッサリと柔らかくやるのか」と曲の中でも予想できないところがあって、このタンホイザーでは全体の傾向として後者の印象が強かった。

シベリウスの2番は、実は個人的にはあまり聴き込んでいないのであまり比較対象がないけれど、ヤンソンスRCOよりも全体的にゆったりとした印象(特にフィナーレ)で、響きも豊かな印象。そうかといってバーンスタインVPOまでのやり過ぎ感はない。

ちなみに録音はとても良いと思う。各楽器の音は明瞭に分離されていてコンサートホールでは味わえない細かい音まで聴こえてくる。コントラバスのピチカートは普通「ウォン」という曖昧な響きになるけれどジャズのベースのように「ボン」という弦を弾くのと近い音が出てきたのには驚いた。一方で、低音域はかなり低いとことから録れているようで重低音の再現性に優れていて、音の広がり感と相まってスケールの大きな音空間を再生する。癖があるといえばある録音なので好みが別れるかもしれない。

ネルソンスは、演奏会ではベートーヴェンやブラームスといった王道ドイツ音楽をよくやっているけれど録音はまだ残せていない。定番人気作曲家の録音は人気指揮者と人気オケでの制作、名盤がいくらでもあり、ちょっとくらいの実績では、激戦区と言える名曲王道の録音をなかなかあせてくれないのがこの世界の慣習のようなので、ネルソンスもまだまだということなんでしょう。良いオケを得て、オンラインでリリースできるのだからこれからどんどん好き勝手にいろいろな曲を録音して聴かせてほしいもの。今後のネルソンス&BSOがどんな活動をしていくのか期待したいと思う。

「QUEEN Live At The Rainbow '74」

Queen Rainbow

Amazonに注文したのは7月、そのときの納品予定は9月上旬(発売日)だったものがようやく届いた。自他共に認めるクイーン・マニアである僕は当然スーパー・デラックス・エディション購入を決め、妻からの誕生日プレゼントとして買ってもらったものの、届いたときにはクリスマス・プレゼントとなってしまった。

でも、そんなことはどうでもいい。待った甲斐があった。そう思えるくらい内容が充実している。

ちなみに、この「Live At The Rainbow」、CD、DVD、Blu-ray、それら単品や組み合わせだけでなくTシャツ付きを含めるとバリエーションが膨大で何を選んだら良いのかわかりにくい。対象になっているライヴ音源はクイーンⅡツアーの3月31日のライヴ、シアー・ハート・アタック・ツアーの11月20日の2公演分。単品CDとして買えるのは11月20日公演、DVD/Blu-rayの映像も11月20日(3月31日も画質が悪いながら4曲収録)であることから11月20日公演がメインであることは間違いない。デラックス・エディション(これもCDのみとDVD/Blu-ray付きとがあるようだ)を購入するとCDに3月31日分が追加される。映像コンテンツはメディアが2種類というだけで内容はどれもすべて同じである。

11月20日の映像は、92年に「Box Of Tricks」という英国限定ボックス・セットに含める形で正規発売され、ファン・クラブのコンベンションでも配布されたとされている。つまりは限られた形ではあるとはいえ、実は既にオフィシャル・リリースされていたものである。そして、それをソースにコピーしたものがブートレグで出回っていたので熱心なファンにはすでにお馴染みのもの。

今回のリリースにあたってのトピックはまずは当然のことながら映像も音(DTS-MAで収録)も大幅に向上していること。オフィシャル・ビデオからダビングされたと思われるブートレグとのクオリティの差は歴然としている。低音(フロア・タムの音域あたり)がボンボン響いてロックらしい厚みのあるサウンドを聴けるのは嬉しい。

旧オフィシャルものでは、”Son And Daughter”のエンディングカット、”Father To Son”のエンディングでフェードアウト、”Keep Yourself Alive”のドラムソロ前大幅カット~”Liar”~”Son And Daughter”という流れに複雑に組み替えらていれたり、アンコールのロックンロール・メドレーが部分収録だったりという編集が施されていた。それも今回の(あえてそう呼ぶ)リイシューでは無編集(なぜだか"Now I'm Here"のエンディングが少しだけカットされていたのはそのままだけど)で収録されていること、アンコールの"Big Spender" "Modern Times Rock'n'Roll" が追加されていることが大きなトピックになっている。ちなみに、旧版もオフィシャル・リリースだったためコーラスは後からオーバーダビングしてあることがわかるほど手が加えてあり、そこは今回もそのまま採用されている。製品パッケージとしては、普通のオーディオ環境でのリスニングも考慮してかCDも付属しており、iPodなどでも簡単に聴けるようになっていて抜かりはない。

さてメインは11月20日公演であることは先に書いた通りだけれども、ブートレグに手を出すような人にとっては編集の違い(そこが結構大きいんだけどね)があるくらいでソースとしてはあまり目新しさはなく、むしろ3月31日の方に狂喜しているはずだ。この3月31日のライヴは、初期クイーン唯一のサウンドボード音源ブートレグで知られていた(「Sheetkeeckers」などのタイトルで有名だった)もので、音質だけでなく演奏も素晴らしいことから初期ブートレグの決定版の座を揺るぎないものにしていた。今回、音質やバランスを更にオフシャル・クオリティに磨き上げ、大幅に曲も追加("The Fairy Feller's Master-Stroke"のライヴ・バージョンなんて初めて聴いたし、"Great King Rat"収録も嬉しい)されて(恐らく)1ステージのコンプリート・ライヴ盤として生まれ変わったのがデラックス・エディション収録のCDというわけである。11月20日のライヴと合わせて、初期クイーンのライヴは長らくブートレグのみのお宝状態が続いていたけれど、ついに最上の状態で誰でも手にできるようになった。本当に素晴らしい!

ところで、この当時のクイーンのライヴは、他のグループを差し置いて凄いかというとそこまで演奏は上手くはない。ビデオ「Champions Of The World」でデビュー前のことをブライアンがこう語っている。「デモテープを各社に送ると、ライヴが観たい、と言われた。でも我々はライヴは苦手だった」。その通り、特別複雑な技巧をこなすわけでも他を圧倒するようなテクニックも正直なところない。ハードロックらしい激しさを持ちつつも、後に比べると丁寧で堅実にやろうとしている。言い換えると、丁寧にしか演奏できなかったんだと思う。もちろん、後も含めてクイーンは例えばフュージョン系のような正確で凄みのあるテクニックを備えたプレイヤーたちではない。でも、次第にこの4人でないとこのサウンド、ノリは出ないという組み合わせの妙が出てくるゆになって、他では真似できない領域に踏み込んでいく。そのように4人の演奏がうまく噛み合うようになってきたのは77年くらいからというのが僕の意見だ。

従って、この「Live At The Rainbow」はまだ初々しい初期の、一生懸命演奏している未完成のクイーンを楽しむためのもの。ステージは質素だしライティングも地味で、後期には天下一品の大観衆煽動力を持つエンターテイナーになるフレディのたどたどしいMCがなんとも微笑ましいではないか。ベスト盤に収録されるようなヒット曲がほとんどないセットリストであることも含め、クイーン初心者には向いていない。あるいはベスト盤しか聴いたことがないような人に、ハードロック・グループと呼んで差し支えなかった初期の魅力を知ってもらう機会になる可能性はあるけれど、やはりマニア向け音源、パッケージであることは間違いない。

マニアを起こしてしまったブラインとロジャーは、「もっと出せ」の声に応えてくれるだろうか。断片的にオフィシャル・ビデオにも収録されている有名映像だけでも、

ハマースミスのクリスマス・コンサート(75年:ミスがかなり多い)
ハイド・パーク(76年)
アールズ・コート(77年)
ヒューストン(77年)
カンボジア救済コンサート(79年)
パリ(79年)
アルゼンチン(81年)
フランクフルト(82年)
西武球場(82年) ※そのうち11曲は「Queen On Fire」DVDに収録
シドニー(85年)
ネブワース(86年)※最後のライヴ

がある。どんどん発掘してもらえることを期待しよう。

「ウルフ・オブ・ウォールストリート」

WolfOfWallStreet

僕は基本的に真面目で堅実に生きてきたサラリーマン。だからこの映画に出てくるちょっと「行っちゃってる」人たちに共感なんてできるわけない。相変わらず下品な会話のスコセッシ映画も特にカッコイイとか思ったことがない。

でも、この映画を観ていると、というかこういう人たちを観ていると「こういう生き方もアリなのかな」なんて変なことを思ってしまう。ほとんどラリってばかりの主人公の姿を3時間見せられることに不快感を抱く人も少なくないらしいんだけれど、この欲にまみれて生きる主人公がどうにも憎めない。ある意味人間らしい生き方だから。

スコセッシ監督もそのへんは十分わかった上での乱痴気騒ぎまみれの映画。おかげで異色のコメディに仕上がった。欲まみれに人生のスタートを後押ししたマシュー・マコノヒーとのランチ・シーンがなんとも痛快。この写真のシーンで歌っているマコノヒーの鼻歌は普段から自分をリラックスさせるために歌っていると聞くと、マコノヒーの人間としても面白さまで見直してしまう。

ただお下劣で下品、それでもハードボイルドな映画が多かった70歳スコセッシ監督の新境地といったところか。個人的には最高傑作なんだけど、万人にはおすすめできないない。何しろこの主人公は数多くの人にクズのような株を売って損をさせて、それによって自分の懐を肥やして、不正でそれを更に膨らませた人。「人生、お金じゃない」というキレイ事を言う人に「本当にそうか?」と問いかけているところもあるし、劇中いくつか考えさせるセリフも単発で出てきたりして面白いったらない。

また、当たり映画。いい正月だ(笑)。



「アメリカン・ハッスル」

アメリカン・ハッスル

この映画はある意味計算されつくされていて、そこが鼻につくのは確か。

だってクールでスマートな男のイメージのクリスチャン・ベイルにハゲでデブを演らせたらそれだけで話題になるに決まっているじゃないか。そもそもこのデヴィッド・O・ラッセル監督、「ザ・ファイター」で痩せこけて堕落したボクサーをベイルに演じさせて話題にした人であって、そんじゃあ今度はデブのハゲで行こうかという感じが見えてしまう。

その「ザ・ファイター」でそれまでのイメージを変えて色気が殆どない肝の座った姉御を演じていたエイミー・アダムスは、美しくセクシーで知性も垣間見えるという正反対な魅力を持つ女性を演じていてこれも恣意的なものと見えなくもない。でも、エイミー・アダムスは今回とても素敵だった。70年代のファッションがピッタリとハマって、あの時代に生きていた女性そのものに見える。

「世界でひとつのプレイブック」組では、アクがない薄味が持ち味だと思っていたブラッドリー・クーパーがお調子者で軽薄なFBI捜査官を好演していてちょっと見直した。ジェニファー・ローレンスは、この若さにして既に地位を確立したことを認めさせる安定した演技でありつつも、あのくらいの年齢の役者でないと出せない若さもあってなるほど適材適所のキャスティング。ここぞというところだけで特殊メイクのロバート・デ・ニーロを効果的に使うところもなかなか上手い。

つまり、この監督がこれまでに仕事をしてきた役者をうまく配して、うまく使ってできている映画で、うまく出来過ぎているところが鼻につくところでもある。それでもここまで書く登場人物を魅力的に見せてくれるならいいじゃないか、と思う。

70年代の雰囲気、ファッション、音楽が個人的にはツボに嵌るので、そういう雰囲気を楽しむ映画としても大事にしたい映画。ストーリーはあんまり重要じゃないかも。セリフ回しと役者の演技だけで十分面白い。

最近、当たりの映画が多くて嬉しい。

「ゴーン・ガール」(ネタバレあり)

ゴーン・ガール

去年は年末が4連休で、大掃除や年始の用意をしても大晦日には余裕ができたこともあって、映画(「ゼロ・グラビティ」)を観に行った。この余裕のある年の終わり方が気分良かったので、今年も映画館で最後のイベントを締めることに。

少し早めに映画館に到着したら、NHKのブロムシュテット指揮NHK交響楽団のチャイコフスキー交響曲第5番の8K放送を上映していたので覗いてみた。画面は200インチくらいだろうか?最初は想像ほど画面が鮮明じゃないかなと思ったんだけれど、4列目くらいの至近距離で見てもジャギー感がなかったところが8Kならではだったのか?それでも解像度はもうひとつと感じてしまった。最新の映画館の音響設備22hで聴いた音、それは生演奏とはまた全然違った体験ではあったけれどなかなか素晴らしくて面白くもあった。

時間の都合で第3楽章で抜けて、いよいよ「ゴーン・ガール」へ。

デヴィッド・フィンチャーと言えば、まずはオープニングのクレジットの見せ方のカッコよさを思い浮かべるけれど今回も期待を裏切らない。一人ずつ紹介するクレジットに合わせてシーンをスパッ、スパッと短いタイミングで切り替え、舞台となるミズーリの生活風景をイメージ付ける。

最初は失踪した妻エミリーの回顧でそこに至るまでの経緯を説明して行く。なんとなく焦燥感が欠如している夫ニックが気になりつつも徐々に話が展開して行くに従い、話がただの失踪事件ではないことがわかってくる。事実が明らかになっていくとエミリーという人の素顔がどんどん違うものとして見えてくる。

このエミリーの立ち位置の変わり方で、エミリーがどのような人物に見えてくるかも変わってこなくてはならないところをロザムンド・パイクが完璧に演じ分けているところがこの映画の醍醐味と言って良いんじゃないだろうか。若いころにボンド・ガールとして顔が知れた後は、地味目の映画に地味目の役が多かった彼女の才能はこの映画でこれ以上ないというほど開花した。美人で聡明な奥様から貧しく見すぼらしい女性、そして狂気が炸裂する凄みまでをここまでうまく演じ分けられる女優はそうはいない。デジー・コリンズ殺害シーンで血まみれになった姿には芸術性の近いものまで醸し出している。以前から注目していた女優だけれども、これで女優としての格は確実に上がったに違いない。最初と最後に同じカットで彼女の表情を見せるけれど、これが同じ人物に見えないんだからカメレオンぶりがよくわかるというものだ。

なんでもない、ちょっと弱さを持つ普通の男を演じることになったベン・アフレックも地味なながら好演技。アフレックは一時期、間抜けなキャラが定着しつつあったけれど、ここではそれをむしろうまく利用したかのような男役でこれまたうまく演じていた。蛇足ながら、個人的にはパトリック・フュジュットが脇役で活躍していたのも嬉しかった。

もちろん、これらを引き出したのはフィンチャーの演出に他ならない。いつも通りに血色悪い薄暗い色合いの絵作りに、キレの良いカット割りが冴えている。物語の展開のさせ方もお見事。不気味さを煽る効果音がまた秀逸。「ゾディアック」にも通じる不気味な緊張感で一瞬足りとも気が抜けないし、これほど優れたサスペンス・スリラーはそうはない。フィンチャーのファンなら必ず観ておくべき傑作だと思う。

余談ながら、夫婦でこの映画を観るなんて勇気があるとか、夫婦で楽しめるなんて凄いね、というコメントを妻の友人からいただいたけれど、なぜそう言われるのかよくわからなかった。この映画で、夫婦が心の中で思っていても相手に対しては言葉にできないことがあることがひとつのキーになっているけれど、それはどの夫婦にもあることだから2人で観るのはちょっとねえ、ということらしい。2人で観て、終わってから「いやー面白かったね」と言っていたウチら夫婦は普通とはちょっと違って脳天気なんだろうか?

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