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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 2014年日本公演

ヤンソンス2014

マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 2014年日本公演

2014年11月25日
サントリーホール
【演目】
ブラームス ピアノ協奏曲第1番(クリスチャン・ツィメルマン)
R.シュトラウス 「ドン・ファン」「薔薇の騎士」
[アンコール]
J.シュトラウスⅡ & F.J.シュトラウス ピッツィカート・ポルカ
リゲティ ルーマニア協奏曲 第4楽章

クラシックを真面目に聴き始めてから、この11月でちょうど2年になった。箱モノCDセットのコスパに惹かれて買いまくって日夜聴き続けてきたおかげでそれなりに楽しみ方がわかってきたように思う。

その2年前に来日して、ベートーヴェン・チクルスを演奏していたのがヤンソンスとバイエルン放送交響楽団(BRSO)。その4公演は2013年1月にNHKのBSで放送され、まだヤンソンスの名前もBRSOの名前も知らない中ですべて鑑賞。オーケストラの動いているところを見ることすら新鮮でとても楽しめたものの、演奏じたいはあまり深い印象を残したとは言い難いものだった。ひと言で言えば、アッサリ味で抑揚に欠けた淡白な演奏に聴こえたから。

その後、2013年にヤンソンスとロイヤル・コンセルトヘボウの実演で圧倒され、RCO Live!のCDを聴きこんでいくとヤンソンスがただのアッサリ味ではないと思うようになってきた。他のBRSOやサンクト・ペテルブルクの演奏も聴いてみても印象は変わらない。表面的にはお上質、でも内には青い炎のごとき灼熱を秘めていてそれが見え隠れする(そう、あくまでも見え隠れする感じ)。オーケストラを盛大にドライブさせ、爆音になっても上品さが崩れることがないところが持ち味。それを嫌う人もいるだろうけれど、実演を聴いてからこの持ち味の良さがわかるようになった。70年代、80年代の巨匠スタイルとは異なる味で、洗練させたスタイルが僕はだんだん好きになっていった。

またCDで聴くBRSOは、ヤンソンス指揮でのチャイコフスキー「フランチェスカ・ダ・リミニ」での熱演や、マゼール指揮でのブルックナー、R.シュトラウスなどで迫力ある演奏を聴かせていることなどを知り、BRSOもアッサリが特徴というわけではないということも(当たり前だけれど)わかってきた。

それでもヤンソンスBRSOのベートーヴェン(CDの全集も聴いてみた)は今でもあまり良い印象を持っていない。アッサリ系だとしてもアバドBPOのようなキレと華やかさがなくてやっぱり物足りない。ベートーヴェンは渋めに演奏するというコンセプトだったのかもしれないけれど、結局ヤンソンスBRSOのパフォーマンスの本領とは一体どんなものなのかというのはずっと測りかねていたというのが正直なところだった。

それをこの目で(耳で)確認する機会がようやく訪れた。

この日はまず、ツィメルマンのブラームスのピアノ協奏曲第1番。この曲はちょうど1年前にグリモーとネルソンスBCSOで聴いている。コンサート歴が浅い僕にとって、実は同じ曲を違う演奏者で聴くのは初めての体験でもある。会場も席も違うので直接の比較は意味がないとは思いつつ、ずいぶん違う印象を受けた。まず、オケの鳴りっぷりが予想ほどは良くない。コンチェルトとしては大きめの編成(14型くらい?)ながら、前述のベートーヴェン・チクルスのときの印象に近くて「う~ん、悪くないけどこんなもんなのかな」という思いが頭をよぎる。一方でツィメルマンのピアノは端正で美しく、それでいて力強さに溢れていて男性ならではの芯の通った音が響く。同じ強さで弾いても女性のそれとは基礎体力の違いのようなものがあり、エンジンで例えて言うのなら、同じ馬力(音量)を出していてもトルクが太いからエンジンを回していない(余力がある)というような違いを感じる。ツィメルマンの演奏を聴いて、「ああ、この曲はこんなに体力が必要で大変な曲だったんだ」と実感することになった。ミスと思われるところや勢い余ってと思えるところもあったし、オケとのまとまりももうひとつだったけれど、第2楽章の美しさ、第3楽章の勢いという見せ場の表現はしっかりしていて演奏としてはとても印象に残るものだった。後で思い起こすと特にピアノの音の印象が強く残っていて、それはオケを必要以上に派手に鳴らさずに、あくまでもピアノに寄り添う伴奏をしていたからなのかな、と思うようになっていった。

シュトラウスではオケの編成が更に拡大、ホルン以外の金管が大勢加わり、多彩な打楽器やハープ奏者も現れる。弦楽器も全パート増員(いわゆる16型クラスに拡大)。「ドン・ファン」の印象的な冒頭からオケの鳴りっぷりが一変、一流オケならの音の塊が放出される。コンマス、オーボエのソロは活躍の場が多く演奏も見事だったし、ホルン(大きめの外しも一発あったけれど)の響きも雄大だったり、個別の演奏力も堪能。CDで予習していたときは漫然と聴いていたこともあってゆったり静かなパートがなんとなく過ぎていたんだけれど、木管が実に美しいアンサンブルで色彩を与えていてシュトラウスの曲のおける木管の重要性がとてもよくわかる。こういう発見も生演奏の醍醐味。ヤンソンスは全体にゆったりと、時にじっくりとテンポを落とすシーンもあったりと恣意的な揺らし方をしていて、ケレン味があったのは少々以外な感じで「薔薇の騎士」で特にそういう傾向が強く出ていた。人によっては流れが悪いと思ったかもしれない。

その「薔薇の騎士」、最後のワルツ部の入りがものすごくズレたり、全体を通して演奏にいくつかの傷があったことは否めないけれど、なんだか人間味があっていいじゃないか、と僕は寛大に受け止めて楽しんでしまった。もちろん、僕が重視する「オケ総体としての鳴り・表現」がしっかりしているからという前提であり、日本のオケでこんな感じだとたぶん「あーあ」と思っていたと思う。

今回のアンコールは、なかなか実演で聴く機会の少なさそうで尚且つ初めて聴いてもとても楽しめるものを選んでくれたようだ。特にリゲティの民族臭漂う現代曲はソロの見せ場もたっぷりで観客を楽しませてくれる要素たっぷりの曲。有名曲で多くの人を楽しませるのも良いけれど、このように隠れた娯楽性豊かな曲を演奏してくれるのもまた楽しい。

というわけで、1年前のRCOのような魂を揺さぶる演奏、とまではいかなかったものの、そのときよりも溌剌としているように見えたヤンソンスの元気な指揮姿(ただし歩いているときは脚をひきずってましたが)を含め、十分楽しめました。バイエルン放送交響楽団、地力がしっかりとた良いオケだと思います。ベートーヴェンも、もうちょっと聴きこんでみようっと。

iPodからウォークマンA10シリーズに乗り換えてみた

以前記事に書いた通り、今ではニッチ製品に位置づけられるiPod classicを僕は愛用している(経緯はこちらhttp://buhaina.blog.fc2.com/blog-entry-76.htmlを)。そのiPod classicは、iPhone6発表のタイミングでひっそりとカタログから姿を消すことになった。

かつて画期的なプロダクトだったiPod。しかし今ではパソコンに圧縮音源をリッピングして聴くスタイルがほとんどの人に定着し、スマホでも聴けるようになったため、iPod classicどころかデジタル携帯音楽プレイヤー(DAP)すらニッチ商品になりつつある。大きく重く、一般的な音楽の聴き手には容量が過剰に多いiPod classicの需要がなくなっていったのは当然のことだと思う。1.8インチのHDDを生産しているメーカーも今はもうないようで新しく設計し直さない限り、大容量iPodは継続販売できない状況になっていたというのがティム・クック氏の言い分だ。

(余談ながら欧米ではダウンロードで購入して音楽を聴くスタイルがもはや古く、iTunes Storeの売上は右肩下がりで、代わって主流になっているのはPandraやSpotifyといったストリーミング・サービス。Spotifyは日本参入を試みているが、規制や障壁やしがらみが多い日本での展開は現時点では難しく、日本独自の思想や規制がここでも世界から後れを取ってガラパゴス化する一因になっている)

しかし、僕のような重度な音楽依存症は困る。大いに困る。アップルはメモリータイプであっても大容量iPodを出すつもりはないだろうし、今後は大容量iPhoneで機能を果たせるとして、iPodシリーズそのものが製品ラインナップから落ちていく可能性もあり、大容量DAPユーザーを切り捨てることになるかもしれない。

そもそも、スマホ最大の弱点は電池容量であり、通話やネットをするためのものなのに音楽を聴くという付加機能のためにバッテリーを消費したくない。DAPに話を戻すと、AAC 64kbpsでリッピングしても73GBもの音楽ライブラリを抱える僕のような人間にとって、標準的なフラッシュメモリー型DAPの容量上限が現状64GBとあっては使うことができない(そこまでの人は少ないと思うけれど)。

もちろん、より高額製品に目を向ければ大容量を実現することが出来るのは知っている。しかし、WALKMAN NW-ZX1のソニー以外は一般にはあまり名が知られていないメーカーばかりで、それらが欲しいとはカケラも思わない。なぜなら重かったり、デザインが悪かったり、試聴できないので音質が価格ほど優れているのかどうかも疑問だったりと興味を惹かれない。操作性は実機に触れないとわからないけれどあのデザインを見れば洗練されていることはないだろうと想像がつく。だいたい、外出時に聴くためのDAPというものは、周辺が雑音にまみれた環境で使うのだから音質をとことん追求することに意味を見いだせないし、落下、水没、紛失、損傷などのアクシデントと無縁でいられないこともあって5万円以上の高いお金を払う意義も感じない。中には定価で30万円を超えるものもあるらしいけれど、そんなものを買おうとしたときには「アナタ、熱中できるのはそんなことしかないの?」ともう一人の自分が言うだろう(そもそも欲しいとも思わないけど)。

このように選択肢がなくなってきたところに登場したのがソニーの新製品、WALKMAN NW-A10シリーズ。このモデルのウリは、ZX1やF880シリーズに次ぐハイレゾ再生可能なDAPであることとソニーは大々的に打ち出しており、世間でも広くそのように認知されている。僕のハイレゾに対するスタンスは別項(http://buhaina.blog.fc2.com/blog-entry-101.html)に書いたので詳しくはそちらを参考にしていただきたいが、要約するとハイレゾ化の際にマスタリングを(上手く)しなおしたものでない限りほとんど意味がないと思っている(ハイレゾ音源の音質向上がリマスターによる効果なのかハイレゾというデジタルデータ仕様によるものなのかを切り分けて明確にハイレゾだから「良い」と言えているコメントは見たことがない。マスタリングし直したらCDでも音が良くなって当たり前)。ましてやDAP程度のカジュアル・オーディオにハイレゾなんてまったくもって無意味。ソニーはイヤホンなどにおいても、カタログスペックの再生可能周波数特性が40KHzをカバーしているという基準のみでハイレゾ対応と謳う詐欺まがいの売り方(例え日本オーディオ協会の定義だったとしても)をしていることから分かる通り、ハイレゾの数値的仕様が高音質をもたらすのだと事実上広報しており、ネット上では「ハイレゾ対応ウォークマンだとハイレゾ対応イヤホンじゃないと意味ないんでしょうか」という可哀想な質問者が現れるほど啓蒙(洗脳?)に成功しつつある。個人的には、ハイレゾに触れる人が増えれば増えるほど音質向上がないことを知る人も増え、SACDやDVD-Audioと同じようにだんだん尻すぼみになっていくものと思っている。

そのハイレゾ音源は、圧縮音源はおろかCDよりも遥かに容量を食うため、DAPに多くのアルバムを持ち歩くとなると、ライブラリが多くない人でもそれなりの容量がないとすぐに一杯になってしまう。A10シリーズではMicroSDカードによる増設を可能とすることで不満を解消する仕様とした。A17の内蔵64GBに、現時点で最大サイズの128GB MicroSDカードを増設すれば、192GBもの大容量を抱えることができる。

このような経緯であったとしても普通のDAPでiPod classicの代替品になり得る大容量製品が登場したのは喜ばしい。もともと音質はウォークマンの方が良いと思っていたし、音質調整の幅も広かったという点でウォークマンの方が魅力があった。更に小型で電池の持ちが良いとなれば乗り換えを真剣に考えたくなる。

所有しているiPod classicは80GBモデルで、既に残り容量がほとんどなくなったという事情がここで重なったことによって、実に10年ぶりのウォークマンとしてNW-A17を購入することになった。かつて贔屓にしていたブランド、ソニーの製品はサスガと言わせてくれるものなのになっているんだろうか。

ウォークマンA17

(写真は BOSE QC20i と NW-A17)

【ライブラリの移行と使い勝手】
まず、iPodユーザーの取り込みは必須であることから、ALACとAACは当然サポートされている(これはずいぶん前から)。Media Goというソフトを使い、iPodのライブラリが保存されているフォルダを指定しておけば、20,000曲を超えるライブラリですらそれほど時間を要することなく Media Goに登録され音楽を再生できるようになる。このあたりはまずまず良くできている。

次にこれらの曲を転送してみる。iTunesほどではないまでもそこそこのスピードでデータコピーが進む。ところが転送エラーになる曲が続出。Media Goの仕様を確認すると Quick Timeが必須ということなのでインストールしてから再度転送を試みる。遅い。どうやら1曲ずつ変換しながら転送するように変わったようだ。最初の転送エラーは変換していなかった故に起きたものと想定したので辛抱強く待ち続けたものの、途中で止まってしまったりすることもあって、最初に指定した約40GB分の転送に丸2日間かかる遅さにすっかり嫌気が差してしまう。調べると、音楽を選択して右クリックしながら 左のペインにあるウォークマンにドラッグ&ドロップ、「詳細転送」でファイル「変換をしない」と指定することで変換を回避できることがわかったので早速試すとエラーなく、しかもまずまずのスピードで転送が完了した。再生に問題はなさそうで、最初からこうしておくべきだったようだ。変換ありの転送で73GB転送は、ここで書いたように途中で止まってしまうことも含めると恐らく4日間くらいかけてやることになってしまいそうなペースだった(変換なしだと3時間くらいか?)。尚、転送で上記右クリックのドラッグ&ドロップのときに「既存のファイル」→「転送しない」選んでおけば追加・変更分のみ転送できるので、ウォークマンに入っている曲がどれか、Media Goで更新した曲がどれかを意識しなくても差分だけ一気に転送できる。

ついでなのでライブラリ管理全体についても触れてみる。まだ使いこなしていないところはあるだろうことは前提にして、それでもやはり面倒だと言わざるをえない。まず、同期ではなく転送であることがやはり面倒だ。消したい曲はウォークマンを接続して本体から(Media Goのライブラリからも)削除する必要があり、新しくライブラリに追加したらその分だけ手動で転送しなくてはならない。特に消したものの管理が面倒で、iTunesから消したときにMedia Goとウォークマン内部の曲も消す習慣をつけておかないと、あとでどれを消したかを思い出しながら探すハメになる。厳密に言えばMedia Goでもマークでわかるけれど、iTunesフォルダから消したファイルがMedia Goライブラリのどこにあるのかを簡単に探す方法が見つからない。このあたりの上手い管理方法はあるのかも知れないが今のところわかっていない。iTunes+iPod のように接続したら同期完了、というのと比べると圧倒的に不便であることは間違いない。

そこに追い打ちをかけるのがウォークマンA-10シリーズのウリであるMicroSDカードの取り扱いで、内蔵メモリーとSDカードは完全に別のものとして扱われ、転送先(消去先も)はMedia Goでは指定できず、ウォークマン本体側でどちらのメモリーを使うか設定してからパソコンに接続すると、設定されたメモリーにだけ転送(あるいは削除)できる。これはつまり、内蔵かSDカードかどちらに曲が入っているかを意識しておく必要があるということも意味する。僕の場合、クラシックは本体、ジャズとロックはSDカードと使い分けているんだけれど、例えばクラシックとジャズのCDを1枚ずつ新規でリッピングして転送しようと思ったら、ウォークマンを内蔵メモリー設定にしてクラシック分を転送、ウォークマンの接続を解除してケーブルから外し(データベース作成で待つ)、SDカード設定に切り替えてもう一度接続してジャズの分を転送、という面倒なことをしなくてはならない。A10シリーズは、2台のプレイヤーが同じ箱に収まっていると捉え、再生の時だけは両方を合わせて扱えると理解すれば良いものの、そもそもそんなことを意識させる仕様は贔屓目に見てもスマートとは言い難い。パソコンとの接続中にはウォークマンの操作は不可能で、接続解除したあとにデータベース作成で待たされる(転送曲が多いと数分要する)のも使い勝手が悪い。

あと、ライブラリ管理に不可解なところもあって、しばらく使っているとMedia Goに登録されたライブラリが特に何も変更されていないのに「すべての項目が機器”WALKMAN NW-A10 Series"に既に存在しますが、ライブラリ内の項目のバージョンと機器上の項目のバージョンは異なる可能性があります」というメッセージがよく出てくるようになった。何を検知して、どういう状態なのかの説明がなく、しかも「可能性があります」とずいぶん謙虚な主張なので何をすれば良いのよくかわからない。ソフトの評判が良くないのは知っていたけれど、ウォークマンと同期が取れていない曲を一発で検索できるようにしてほしいことも含めてもう少しがんばってもらいたいと思う。

転送が終わって曲を確認してみると、音楽ファイルに埋め込んだジャケ写が映らないものが点在していることに気づく。PNGファイルをサポートしていないだろうことはわかった。でもJPEGはどんな仕様だと表示しないといけないのかがサッパリわからない。同じJPEG写真を埋め込んである異なるアルバムで、表示できているものとできていないものが存在する。こうなるとサイズを変えたり、別ファイルを用意したりと試行錯誤が続く。ちなみにほとんどJPEGで埋め込んであった僕の場合、アルバム数3000に対して、50くらいは画像ファイルの貼り替えを行う必要があった。

【ウォークマン本体の操作性】
ウォークマンそのものの操作は、僕のように20,000曲以上のライブラリになるとiPodほどは操作性が良くない。十字キーによる操作で送っていく操作は、アルバムの数が多いと煩わしく、iPod のクリックホイールのアイディアがいかに優れていたかを実感することになる。 それでも、右キーを押せば次ページにスクロール、または次のアルファベットにスキップという動作のおかげでそれなりにスムーズにできるので、慣れればそれほど悪くはない。曲の早送りも右キーを押し続けるだけだと2秒毎にしか進まないのでイラつくものの、一時停止してから右キーを押し続ければ20秒単位で進むのでそれなりに許容できる。

【一時停止ボタンで一時停止できない??】
数日使い続けていると、ひとつかなり気になるユーザー・インターフェイスの至らなさに遭遇することになった。曲を再生すると当然再生画面になる。そして再生しながら他の操作をする。例えば次に聴くアルバムを探したり、設定を確認したり、という操作は特殊な行為とは言えないだろう。そして、何らかの理由でその操作をやめてそのまま音楽を聴き続けていたとする。こういうときiPodは、しばらく時間放置しておくと自動的に再生画面に切り替わる。ところがウォークマンはそのままの状態が維持されて(常時ディスプレイ表示の設定にしていなければ)画面が消える。すると何が起きるのかというと、例えば駅のアナウンスが聞きたいと思って音楽を止めようと「再生/一時停止」ボタンを押すと、直近で操作していた画面の「決定」が操作されることになる。直近の操作画面が何だったかはそのときの状況次第ではあるけれども、いずれにしてもそのとき流れている音楽は停止しない。つまり、「再生/一時停止」が刻印されているボタンを押しても一時停止できないという、ちょっとビックリするようなことが日常使いの範囲で起き得る。通勤途中で聴いていて、いつでも音楽を止めることができるようにしておくためには、ポケットに入れる前に常に再生画面の状態にしておかなくてはならない。iPodのように再生画面に戻るインターフェイスが良いと言うつもりはない。操作状態をそのまま維持しておくほうが便利な場合もあるからだ。でも維持しておくのがウォークマンの思想ですと言うのなら、決定ボタンと一時停止ボタンを共通にしたのは設計として欠陥だ。それぞれ独立させておけばメニュー操作中に一時停止できなくなる状況を回避できることくらい誰でも思いつくこと(それでコストが上がるというなら操作状態維持思想は捨てるべき)なのだから、やはり何も考えていないのだと言わざるを得ない。

【音質】
ここまで来てようやく試聴開始。音質操作のためのさまざまな機能があり、すべてをオフにして聴くとiPodと意外なほど近い音で聴こえてくる。あとは音質調整の機能を組み合わせて好みの音に近づけることができるのがウォークマンの強み。イコライザーの効きも iPodより幅が広く、iPodでは弱い低音を強化できることは好ましい。iPodでは「色付けが少ないだけで音が悪いわけではない」と自分を言い聞かせていたものの、自分なりの色付けができるウォークマンはやはり良い。この部分は購入前から期待していたところで、その期待通りの音を得ることができてとても満足している。DAPとしてはこれ以上の音質を求める気はない。

しかし、iTunes+iPodから移行したユーザーにとってウォークマンにはとても大きな欠陥が2つあることを使ってみてから知ることになった。

【ディスク番号に対応していない】
ひとつは、ディスク番号に対応していないこと。2枚組のアルバムをひとつのアルバム名に集約してライブラリを管理していたとすると、iTunes、iPod、ついでに言わせてもらえば拙宅のリビングで使っているネットワークプレイヤーの一種であるSqueezebox Touch(Logicool Media Server)、いずれもディスク番号を認識できるので、Disc1が全曲流れたらDisc2の1曲めに移り、最後まで再生される。ところがディスク番号に対応していないと曲番号しか認識しないので、1曲めの次はもう1枚のディスクの1曲めが再生されてしまう(どちらが優先されるかまでは調べていない)。まあ、これくらいならアルバム名に[Disc 1」などと着ければ済む話ではある。ところがクラシックやジャズのボックスセットなどでできるだけたくさんの曲を詰め込もうとしたCDセットの場合は同じアルバム、同じ曲が複数のCDに跨っていることがある。それを本来のアルバム、あるいは曲ごとにアルバムとして整理していると話はややこしくなる。例えばベームLSOのチャイコフスキー後期交響曲集だと、第5番はDisc1の5曲めと6曲目に第1楽章と第2楽章(1~4曲目は第4番の第1~第4楽章)が、Disc2の1曲めと2曲めに第3楽章と第4楽章(3~6曲目は第6番の第1~第4楽章)が収められている。この4つのトラックを、Tchaikovsky: Symphony #5 というアルバム名でひとまとめにしてしまえばシームレスに演奏できるのがリッピングされた音源の強みだというのに、ディスク番号を認識せず、トラック番号だけで演奏順が決まってしまうため、第3、4、1、2楽章の順で再生される。マーラーやブルックナーの長い曲だと、Disc2に収められた最終楽章が1曲めのトラック番号1になるから、第1楽章の次に最終楽章が再生されてしまう。トラック番号の修正は当然一様ではないので複数組みCDアルバムすべてのトラック番号をチェックして、丁寧にひとつひとつデータを修正して行かなくてはならない。ちなみに、驚くことにMedia Goではディスク番号をちゃんと認識できているのでこの問題は起きない。技術的なハードルが高いとも思えない機能だというのに、ウォークマンだけがディスク番号をハンドリングできないという何とも間抜けな仕様になっている。

【ギャップレス再生できない】
もうひとつは、ギャップレス再生できないことだ。もちろん、すべてではなく Media Goで一定の条件でリッピングしたものであればできるものもあるらしい。でもiPod用にiTunesで蓄えたAAC、MP3ファイルはできない。これは驚いた。iPodでは大昔(たしか8年くらい前)に既にできるようになっている機能であり、他カテゴリーでは例えば製品登場初期はできなかったDLNAベースのネットワーク・プレイヤーでさえも最近ではできるようになってきている。だから僕はイマドキの音楽再生装置はギャップレスで再生できるのが当たり前だと思っていた。なのに、それができない。DLNAもMP3も本来は仕様でギャップレス再生ができないことになっているが、各メーカーが独自に工夫して回避している。みんなの憧れだったソニーが世に出した製品でこんな初歩的なことすらできないことに驚き、呆れてしまう。かつてiPodの対抗製品としてソニーが初めて出したHDD内蔵DAPのVAIO Pocketという製品でギャップレス再生できなないことが不評となり、ファームウェア・アップデートで改善したこともあるのに、現代の製品でまだ曲間が切れるなんて夢にも思わなかった。

ときどき「ギャップレスなんて必要ない」というような書き込みをネットで見かける。そう思うのはどうぞご自由にと思うけれど、つながっているものが切れるというのは明らかに欠落であるという主張に対して「そんなの気にするのおかしいんじゃないの」ということを言う人には反論しておきたい。

例えばマイルス・デイヴィスの60年代後半以降のライヴなどは最初から最後まで休みなくメドレー形式で全曲演奏するし、スタジオ録音「On The Corner」(8曲)も切れるのは3箇所だけだ。また、ピンク・フロイドの「The Dark Side Of The Moon」は言うに及ばず、ビートルズの「Abbey Load」のB面、クイーンの「Sheer Heart Attack」のA面のような流れも分断されることになる。ジェフ・ベックの「Blow By Blow」は各曲をクロスフェードさせているし、スティーヴィー・ワンダーの70年代4部作はクロスフェードしていたり曲間をまったく開けていないところも少なくない。もっと厄介なのがクラシックで、楽章間がつながっていることはよくあるし、オペラなどは細かい曲が連なっているのが当たり前。シノーポリSKDやカラヤンBPOのマーラー交響曲第9番のように、ディスクによってはひとつの楽章や曲の中で作曲者が指定した注意書きのポイントごとにトラックを切ってある(全部で30トラックにもなる)ものもあって、それらの曲がブツ切りにされてしまう。

より厳密に言えばこれらは「つながっている」のではない。音楽を作った人、CDという商品を世に送り出す人が意図的して「つなげてある」あるいは「つながっているものにしおりを付けてある」のだ。作り手の意図通りに再生できない音楽プレイヤーを、だから僕は敢えて「欠陥品」と呼ぶ。ディスク番号に対応していない点を含め、ソニーの開発をしている人は自分で音楽を聴かないんだろうか?かつて「外出先でも音楽を楽しめるように」と、音楽をもっと楽しむために開発された初代ウォークマンの志はどこにいってしまったんだろう?ハイレゾという実態が見えないようなものでコンシューマーに妄想を抱かせている一方で、音楽の楽しみを阻害するような仕様のまま発売してしまうことが今のソニーという企業の問題点を代弁しているように思えてならない(Media Goでも同様にギャップレス再生できないのでどの程度のギャップなのかか知りたい人は試しにインストールして使ってみることをお勧めする)。

【ジャンルから全アルバムを表示できない】
また、ライブラリが多くない人にとっては些細なことと思われる、しかし個人的にはとても不満ポイントがひとつだけある。それは、ジャンルから検索した場合に、「全アルバム」をリストできないことだ。僕はアルバム数が膨大になってしまっているため、いかに早く目的の音源に辿り着けるかを考えた結果、ジャンル分けをある程度細かく管理し、ジャンルからアクセスする方法を採っている。例えばジャンルClassicalではなく、Classical(Beethoven)、Classical(Brahms) のように所有CDが多い作曲家は単独ジャンルとして分けておく。こうしておけば、ジャンルから全アルバムがリストされれば、「今日はベートーヴェンの交響曲第5番を聴こう、では誰の演奏で聴こうかな」というときに、クリックホイールでサッと下方にスクロールすると30枚ほどある第5番の一群(同じ曲名でひとまとめにされないように Symphony #5 に演奏時間を付加してアルバム名にしている)に辿り着き、じゃあ今日はクライバーで聴こう、という流れになる。ところが、ウォークマンだとジャンル選択の後、一番上に来るのはそのジャンルの「全曲」でアルバム単位での表示ができない。ちなみに、Squeezebox(Logicool Media Server)もジャンルから辿ると同じように「全アルバム」が一番上に出る仕様になっている。そして「全アルバムリスト」を選ぶとその一番上に「全曲」が現れる。つまりウォークマンには「全アルバム」表示がなく、「全曲」の階層がひとつ上に来ている。「全曲」で探したい人がいたとしても、iPodの仕様で困る人はいないし、技術的ハードルの問題でもないので早急にファームウェアのアップデートで改善してもらいたいところだ。

その他、コンピレーション・アルバムを扱えない(これもなぜかMedia Goではできる)とか、スマートプレイリスト機能がないというところも個人的には残念なところだった。ただし、ここはできないとどうしても困るとまでは思っていない。

僕自身のDAPの使い方で、iPod classicからウォークマンに変えて使い勝手が良くなったと思えることは、BOSE Soudlink MiniをBluetoothで鳴らせるようになったことだけだった。大容量を求めていなければ、Bluetoothが使えるDAPなんてもうずいぶん前からいくらでもあるからイマドキの製品としてはありがたがるほどのものではない。ウォークマンでこんな程度の喜びしか得られないというのは、かつてのソニーファンとしては本当に悲しい限りだ。

【総合的に見ると】
音質の良さ(あるいは音質調整の幅広さ)にはiPodより明らかにアドバンテージがあるものの、それ以外は惨敗と言っていい。あとは小型軽量でバッテリーの持ちが非常に良いことが優れている点だろうか(小さいので画面が見づらかったり、キー操作しづらいという面もある)。ソニーがダメになったとはだいぶ前から言われていることだけれど、今回のウォークマンの使い勝手を見てとことんダメなんだと肌身で感じることになった。

結論。iTunesでの管理曲数が多く、CD単位ではなく自分流にライブラリを整理している人はiPodからの乗り換えはで大幅な整理・調整を要求されるなど、決してスマートには行かない。iPod classicがなくなった今、大容量の必要性から乗り換える人はこれを選ぶしかないけれど、それなりの覚悟が必要だと言える。

[追記]
いろいろな方からSonictunesという、ItunesのライブラリをWalkmanで同期できるフリーソフトを紹介いただきました。このツールの説明の画面を見ているとミュージック、ビデオ、プレイリストなどのカテゴリー別に同期できるようで、なるほど便利そうではあるものの、A10シリーズは転送に関して、実質は2台のウォークマンとして扱ってそれぞれを指定して転送をする構造になっているため、ミュージックだけを選択して同期しても、内蔵あるいはSDカードどちらかに同期することしかできないようなので見送っています。

「ダイアナ」 (ネタバレあり)

ダイアナ

不評の声も聞こえていた「ダイアナ」を観てみた。

ちなみに、僕はダイアナ妃にはなんの思い入れもなく、好きでも嫌いでもなかった。ゴシップネタにまったく関心がないからそれも仕方がない。さして魅力的でない女性に亭主を取られ、慈善活動をしつつも結局最後は金持ちとくっついて悲劇的な死に至った、それが僕が持っているイメージすべてで、それ以上はまったく何も知らない。

さて、映画始まるとダイアナ(ナオミ・ワッツ)の後ろ姿だけのカットがしばらく続く。ここで殆どの人がこう思うはずだ。

「に、似ていない・・・」

大柄で骨格ががっちりして顔もそれなりに大きいダイアナ妃に対し、小柄で細身で顔が小さいナオミ・ワッツ。ふわっとしたボリューム感のあるあの髪型も小顔のナオミだとボリューム感が出ない。おいおい、なんでこんなにタイプの違う女優をキャスティングしたんだ、と首を傾げたくなる。

話が進んでも似ていない感はずっと尾を引き、いちいち本物のダイアナ妃の顔と姿を脳内で置き換える作業を余儀なくされてしまった。ナオミ・ワッツの演技に不評は少ないものの、似ていないという事実は如何ともし難く、不評の要因のひとつになっているようだ。存在感たっぷりの立派なダイアナ妃に対してナオミ・ワッツはあまりにも可愛らしすぎる。

話は心臓外科医との純愛が中心で進む。というか、基本的にはその話だけである。王室でどういうことがあったのか、チャールズ皇太子との関係はどうだったのかなどの話は皆無。慈善活動の話もダイアナ妃の人生の一部として出てくるけれど、基本的にはハスナット医師との話と言って良い。

そしてここで描かれるダイアナ妃は、世界一の有名人で特別な立場の人であり、料理もできないお姫様であること以外はごく普通の女性であるということがこの映画の特徴であり、主旨であると言える。

だから、(無意識な人も含めて)ダイアナ妃のイメージを自分の中で作り上げてしまっている人には違和感が大きいに違いない。特に、清く正しく美しく凛々しい女性像を作り上げてしまっている人には許しがたいと思う。なにしろここで描かれているダイアナ妃は、普通に恋をして、わがままを言って、時に自分の思い込みで突っ走った行動をする人である。ましてやベッドで恋人と横たわっているシーンなど下劣と感じる人もいるだろう。この映画を酷評している人は、(ごく普通の恋愛なのに)薄っぺらい恋愛やわがままであることを俎上に上げて、何のためにこんな下衆な内容の映画を作ったのかというような論調が多い。恐らく勝手にダイアナという女性を高い位置に置いてしまっている人なんだと思う。

つまりはそういう普通の女性を、かわいらしい一面を描こうとしたのがこの映画なんじゃないだろうか。世間で持たれている慈善活動のシンボル、不幸な結婚にもめげずに慈善活動に邁進する強い女性というイメージではなく、多くの普通の女性が持っている可愛らしい一面を描きたかったのなら、ナオミ・ワッツを起用した理由がとてもよくわかる。

ちなみに映画の掲示板では、ハスナット医師が自分の道を譲らなかったことを不思議に思っている人も少なからずいたようだけれど、それこそ低俗なモノの考え方だと思う。ボストンの病院にすぐに受け入れてもらえるような実績と才能の持ち主が心臓外科医であることに生きがいを感じているという、99%の凡百の人とは違う「天からの授かりもの」を持つ人間であり、そんな人が理想を求めて多くの人の命を救うという高邁な志を進んでいるのだから、その道を変えたくないと思うのは当たり前のことで、特に高い志も持たず、仕事もどうしてもそれでなければならないとまで思って生きていない99%の人の目線ではこの人の立場が理解できるわけがない。

というわけで僕は生身の人間「ダイアナ」を描いたこの映画でダイアナ妃を身近に感じるようになった。ひとつひとつのエピソードがどこまで本当なのかわからない話だったとしても。

プリンス新作-休養明けの殿下はいかに?

Prinde Art Official Age
3RDEYEGIRLS

最初にお断りしておくと、僕はプリンスの熱心なファンではない。ただし、類稀に見る才能を持ったアーティストだと尊敬していて、アルバムも8割くらいは所有している。

出会いは月並みに「Purple Rain」だった。洋楽全般を幅広く、そして熱心に聴いていた高校生のころに大ヒットし、広く世間にプリンスの名を知らしめたことは知っての通り。聴きやすくもひねくれた面を持つ音楽に引っかかりを感じ、ロック的な要素があったことも手伝って何度も聴いた記憶がある。同じ時期に録音され、売れセンを狙っていない曲を収録したという触れ込みでリリースされた「Around The World In A Day」は流石に「Purple Rain」のようにはスッと心に入ってこなかったものの、奥深さがあるように感じ、「何度も聴けばきっとわかるはずだ」と思いながら繰り返し聴いていた。音楽には天才的なものを感じつつもこのアルバムを好きと言えるほどまでにならなかったことは、他の一般的なポピュラー音楽の聴き手も似たようなものだったと思われ、実際にセールスは前作ほどは振るわなかった。そして次の「Sign Of The Times」は個人的にはもう魅力を感じられず、ついに戦線離脱。

以前、ジミ・ヘンドリクスの項目でも書いた通り、僕が黒人音楽を楽しめるようになったのは30代になってからのことで、学生時代にプリンスを真に理解できなかったのは今思えば当然のことだったと思う。それでも、最小限の音数でベースもギターも入っていないのに骨太のグルーヴを作った"Kiss" など、その存在を忘れさせない活躍をしていて頭の隅には「また機会があったら聴いてみてもいいかも」という思いが残り続けていた。

時は過ぎて2003年、CDショップ店頭で新作「N.E.W.S.」を発見。当時いた会社にプリンスが大好きな人がいて「最近はジャズに走っている」と言っていたんだけれど、僕自身がジャズの面白さが分かり始めてきた時期だったこともあってぐっと興味が増し、久しぶりに聴いてみた。ここで展開されているのは電化してからのマイルス・デイヴィスを少し思わせるファンク風味が濃いフュージョンで、オール・インストゥルメンタルのこのアルバムを僕は結構評価していた。ただ、プリンスをもう一度好きになったというよりは、「N.E.W.S.」のサウンドと演奏(実際かなりハイレベル)が気に入ったという感じではあった。

次の「Musicology」もその勢いで購入、聴きやすくもスカスカでグルーヴィなサウンドが心地よい興奮を呼ぶ、音楽性とポップ性のバランスが優れたアルバムに仕上がっていて、レビューには「殿下が地上に還ってきた」と評する人もいた。この時期、僕は通勤時間の9割は50~60年代のモダン・ジャズばかり聴いていたし、70年代のファンクの良さがわかるようになっていた。即ちく黒人音楽に目覚めつつあった時期であったこともあり、かつて聴いていたときには聴き取れなかったプリンスの魅力がわかるようになってきたようで、失われた年月を取り戻すべく旧作を次々に買い求めていった。

そうは言っても最初に書いた通り、僕はプリンスのマニアではない。アルバムのクオリティが常に安定しているわけではないし、量産される曲の数とくらべて名曲と呼べるようなものは少なく、口の悪い人はそこそこ品質楽曲の大量生産だと言う人もいて、僕もそういう傾向は否定できないと思っている。ただ、遡ってひと通り聴いてみて思ったのは、一部、意図的に完成度を狙わなかったものを除くと、どのアルバムもとてもしっかり作られていて、しかもほとんどプリンス1人で制作しているという凄さ。効果音やパーカッションを含めて、一音一音、どの音がどのタイミングでどういう鳴り方をさせるかをすべて計算してやっていることから、プロデュースや録音エンジニアリングの実力も凄いこともわかる。

もっと凄いのは、楽器演奏も含めて多くの部分を1人で制作しているというのにほぼ1年に1枚のペースでアルバムをリリースしていること。クラシックやジャズとは違って、ポピュラー・ミュージックの世界はアルバムがヒットすれば多額の印税が入り、音楽ビジネスの世界にどっぷり浸かると2年おき、3年おきにアルバムを出すのが大物アーティストの常識であるこのご時世において、ここまでアルバムを量産できる創造性には舌を巻くほかない。

そんなプリンスが、2010年に雑誌の付録という形態でリリースした「20ten」から3年間ものインターバルをおいて発表したのが「Art Official Age」、そして3RDEYEGIRL名義での「Plectrum Electrum」。

1人密室ファンクの前者と、バンドスタイルでロック色が強いの後者という使い分けは、内容こそ違っているとはいえ2009年に3枚組でリリースした「Lotusflow3r/Mplsound」と似たような試みでプリンスとしては目新しくはないけれど、2面性をハッキリ区別しているだけにアルバムのカラーは明確で聴き手にはわかりやすい。

完成度はプリンスとしては80点のデキだと思う。今回もそこを悪く言う人がきっといるに違いない。でもプリンスの80点は、ほとんどのファンク系ミュージシャンの100点を超えている。みんなプリンス・クオリティに慣れてしまって麻痺している側面もあるに違いない。既に50代半ばを迎えたミュージシャンにかつての弾けるポップ性を期待するのは難しい一方で、黒人由来のグルーヴ感はより確固としたものになっているように思えるし、音楽の密度も濃厚なまま。本当にこの人は生粋のミュージシャンだと思う。音楽への情熱に溢れ、人生が音楽になっている人を僕は尊敬せずにはいられない。

80点でいいんじゃないですかね。こんな音楽を作れる人、他にいないんですから。もし、亡くなったというニュースを聞いたらショックを受けるであろうミュージシャンはそんなに多くないけれど、プリンスは間違いなく大きな喪失感を味わうだろうな、とマニアでもない僕はそう思っている。

Led Zeppelin リマスター第二弾

LZ4-Remasnter
Houses Of The Holy-Remaster

レッド・ツェッペリンの2014年リマスター・シリーズ第二弾として「Ⅳ」「The Houses Of The Holy」がリリースされた。

早速、音質チェック。音の明瞭度が一段階上がった感じで、エレピのバッキングや残響など今まで耳に届いていなかった脇役的な音がしっかりと聴き取れるようになった。音の細部が綺麗に再現させるようになったことで、(感覚的な表現ではあるけれど)ややささくれだった部分が滑らかになり、響きや音場感が豊かになっていて、「The Houses Of The Holy」はその効果がより大きいく感じられる。これまで同様、目を見張るような変化ではないけれど、具体的には

ベースがよりソリッドで重心の低い音に
バスドラムの音圧と明瞭度が向上し、シンバルの残響が豊かに
アコギがクリアで響きが豊かに
メロトロンが鍵盤を押した瞬間まで感じ取れる


というような差異がある。それぞれが小さな向上であるものの、細かい音を拾おうせず全体として漠然と聴いても、「おっ、良くなっているな」と感じ取れる違いになっている。とはいえ、旧マスターでそれらの音がまったく聴き取れないかというとそんなことはなく、聴き返してみればちゃんと音は出ている。要は、埋もれがちだった音、言い換えると曲の本質とまでは言えない脇役の音がよく聴こえるようになったという程度の違いと言うこともできる。

今回も従来のスタンス(http://buhaina.blog.fc2.com/blog-entry-109.html)同様、初めて聴く人や音質に拘らない人にはこの2014リマスターを薦めようとは思わない。この違いを実感するためにはそれなりのヘッドフォンやスピーカーを、それなりの音量で鳴らす必要があるというのがお薦めしない理由である。より安価に手に入る旧盤でもツェッペリンの魅力は十分理解できるのだから。

とは言いつつ、両者ともにサウンドの見通しが良くなっているのは確かで、音場感の広がりなどにこだわりを持つ人なら買い直しは当然アリ。ひと昔のリマスターのトレンドのようにコントラストを強調するかのような解像感ではなく、トゲトゲさせることなく音の情報量が上がっている仕上がりは、この時代の録音にはよく合っていて好ましい。ジミー・ペイジ自ら音作り、仕上げを行っているのでそのあたりは抜かりないと言える。

それにしても「Houses Of The Holy」がこれまでになくリマスター効果が大きいと感じるのが不思議だ。これは勝手な想像だけれども、今回の全アルバム・リマスターはペイジの監修で同じエンジニアを雇って仕上げているはずだ。作業を始める前、あるいは進めていく中でリマスターの手法、方向性には一定のものがあったと思われるので、そうであればどのアルバムも似たような傾向で音質が向上するのかと勝手に思っていた。しかし、こうやって5枚目まで聴き進めてきて思うのはアルバムによってリマスターの効果の出方がやや違うということ。オリジナル・マスターテープ、録音の状態によって同じアプローチでリマスタリングをしても効果の出方が違うということはあり得るかもしれない。

コンパニオン・ディスクの内容は今回も微妙。単なるミックス違い、ヴォーカルなし、ギターソロなしなど、オリジナルマスターをいじり直しただけのものが大半を占める。◯◯レス・バージョンは、確かにその音が失くなったことで聴こえてくる音もあり、それなりの発見はあるし、ミックスが違っているものも音の感触が違っているので「ふ~ん、違うね」という新鮮味はあるものの、完成度で本テイクに及ぶはずもなく、違う味わいがあるわけでもないので繰り返して聴こうという気にはなれない。楽器でもやっていて自分の演奏のために研究するとかいう人でもない限り、価値ありと思える人は少ないんじゃないだろうか。

「Ⅰ」~「Ⅲ」の2014リマスター盤の記事の繰り返しになるけれど、リマスター盤を買い直す人は、かつて何十回、何百回と聴いてきた人でもあり、それでいて最近はそれほど聴いていない人が多いんじゃないかと思う。人間、環境や年齢が変わればそうなって当たり前。リマスター盤を買って聴き直し、改めてツェッペリンの凄さを再認識する。それこそがこのリイシューの意義のように思う。ジミー・ペイジがそこまで計算してやっているかどうかはわからないけれど。

その「改めて再認識」のことを書いてみよう。世間一般ではレッド・ツェッペリンはハードロックというジャンルの象徴的始祖であり、その代表作が今回リリースの「Ⅳ」というのが定説になっている。だから「クラシック・ロックを聴いてみよう」と思い立った若者が最初にこのアルバムを手にする可能性はきっと高いはずだ。そして聴いてみたら落胆する人が多いんじゃないだろうか。「なんだこれ、ハードロックっぽくない曲が多いじゃん」と。

「I」「Ⅱ」はブルース色が強いとはいえ、一般に認知されているハードロックのサウンドに近い。しかし、トラッドフォークの要素を打ち出した「Ⅲ」を経て制作された「Ⅳ」は、ツェッペリンが本来持っているサウンドの幅の広さがそのまま現れている。"Black Dog" "Rock And Roll"といったいかにもハードロック愛好家に好まれる曲は確かに名曲だけれど、このアルバムの魅力は "The Battle Of Evermore" や "Four Sticks" にある。特に "Four Sticks"は、奇妙なリフの繰り返しと5拍子のリズムの混沌としたサウンドにプラントの中性的なヴォーカルが乗る名曲で、この曲の面白さがわかない人がツェッペリンを真に理解しているとは思えない。もうひとつ言えばまるで世紀の名曲かのように扱われている "Stairway To Heaven" はそんなに凄い曲なんだろうか。もちろん良い曲には違いないんだけれど少なくとも僕は、この曲が好きでたまらないという人には会ったことがないし、この曲のどこが素晴らしいかを語っている雑誌の記事も読んだことがない。アメリカ人は好きなのかもしれないけれど。

そしてもっと理解されていないのがアルバム「The Houses Of The Holy」。これも通して聴いて一般的なハードロックをイメージする人は少ないと思う。また有名曲もない(実は以降のアルバム全体を見ても超有名曲はないけれど)。そしてヒプノシスによるデザインのジャケットも気持ち悪い。だから最初に手に取る人は少ないに違いない。僕もこれをツェッペリン最初の1枚として進めるのはやや気が引ける。なぜなら、ここで展開される重量級ファンクとジョン・ポール・ジョーンズが大活躍するキーボード系の怪しいサウンドは、ツェッペリンの本道ではないから。しかし、それこそが本アルバムの魅力。一体、誰がこんなにパワフルでバタ臭いファンク・ロックができるというのか。"The Songs Remains The Same"の疾走感と絶妙なテンポ・チェンジ、手癖そのままで曲として成立させてしまっているギターワークにシャウトとも呻きともわからないプラントの声が絡みつく異様さなど、チャレンジと勢いが一体となった傑作と断言できる。アコギも効果的に使い、レゲエまで取り入れるなど曲想も豊かでバラエティに富んでいる。それなのにロックとしか言いようがない力感がある(ボンゾのドラムに負うところ大)というわけで、僕は「Ⅳ」と変わらないくらいこのアルバムをよく聴いてきた。一般的なハードロック、ツェッペリンのイメージに合っていないだけで、内容と完成度、発散しているエネルギーという観点で見れば「最初の1枚」として何ら差し支えない内容の濃さがある。

そういったことなどを改めて思い出させるリマスター盤の制作とそのビジネス。批判する人もいるでしょうが、それは普遍的かつ優れた音楽を作ってきた者だけができる強みであり、これまで聴いてきた人がまた感動できるのならいんじゃないでしょうか。



「サイド・エフェクト」(ネタバレ)

サイド・エフェクト

久しぶりのソダーバーグ監督映画鑑賞。

なんでも、これをもって映画監督は終了、今後はテレビに活躍の場を移すとのこと。真意はよくわからない。

それにしてもオープニングの映像、クレジットの入れ方、カメラワークからソダーバーグらしさに思わずニンマリしてしまう。この少し抑えたトーンの乾いたスタイリッシュな映像がいかにもソダーバーグらしい。

最初は薬とその副作用によって起きた殺人の責任を取れるかの裁判モノを思わせる展開で、さほど物珍しくない話とはいえ作りがしっかりしているだけに退屈しない。地味だなと思い始めるあたりから話が急展開、鬱病が実は嘘かもしれないというあたりからサスペンス色が濃厚になっていく。

新薬とそれを投与する精神科医の選択、リスク管理、道徳性といったところから、事件になると悪いと証明されていなくても切り捨てようとする仕事のパートナーたち、幸せな人生から一転不幸に陥れた恨み、同性愛、お金、欲、感情で崩れる信頼関係などが複雑に入り混じるという、いろいろある人生、人間の持つさまざまな一面を表した話であり、形式としてのサスペンスの陥らず、人間をしっかりと描こうとしているところが話を骨太にしている所以だと思う。

もちろん、サスペンスとしての作りもしっかりしているし、誠実で正義感が強く、一時は落ちるところまで落ちて、しかし復讐をやり遂げる厳しさを持った精神科医をジュード・ロウが、薄幸の若奥さまから大嘘つきでしたたかな面まで振幅の広さを求められる患者役のルーニー・マーラが見事に演じきっているところがまた素晴らしい。美しさを抑えて知的かつ腹黒さを漂わせるキャサリン・ゼタ=ジョーンズも含め、3人の光る演技も見どころだった。

というわけで、久しぶりに大満足のサスペンス。ちょっと地味かもしれないけれど、ここまで見応えのあるサスペンスはなかなかないんじゃないだろうか。それにしても、日本で公開されていることすら知らなかったんだけれど、ソダーバーグの知性が光る通好みの1本と言えると思う。

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