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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

ジミ・ヘンドリックス-黒人音楽の理解度の試金石

Jimi-Electric Ladyland

僕はロックをもう30年以上聴き続けている。高校生の時(83~85年)から、その時代の音楽よりも70年代のロックの方が遥かにカッコいいと思い、過去の名盤を次々に聴き漁っていたから、その頃の英国ロックには結構詳しいつもりでいる。とはいえ、有名ドコロでも得意不得意なアーティストがいてその不得意の代表格がジミ・ヘンドリックスだった。

高校生の頃の情報源は雑誌のみで今と比較すると得られる知識は格段に少なかったんだけれど、歴史を紐解くと早い段階でジミの名前が目に入ってくるのは当然のことだった。そして当時、新譜としてリリースされたのが「Jimi Plays Monterrey」で、早速買って伝説と言われるライヴを聴いてみた。ところが、何度ターンテーブルにレコードを乗せても良さがもうひとつわからない。ギターは80年代のギタリストのように速く正確というわけでもないし、ハードロックとは微妙に質が異なるという違和感が拭えなかった。このライヴはジミのアメリカ凱旋の意味合いが濃く、それゆえにコンパクトで聴きやすいヒット曲が中心だったので、ロック・クラシックスの勉強としてはまあ良かったかなという程度の受け止め方でジミとの最初の出会いは終わってしまった。

その後も、ときどきジミのCDには手を出したものの、大きく印象が変わるほどではなく、再度ジミを聴くようになったのは30代半ばを過ぎたあたりから。次々に発掘、リイシューされるライヴ盤を聴いてライヴ・パフォーマンスの凄さが少しずつわかるようになってきた。一方で、スタジオ録音の演奏はこじんまりした印象で「聴かなくてもいいかな」と評価せず、依然として僕の好きなロック・ミュージシャン・リストの上位にはやってこない。

本当にジミがイイと思えるようになったのは実に40歳を過ぎてからのこと。理由はわかっている。僕が黒人音楽を聴くようになったからだ。タワー・オブ・パワー(ほとんどが白人だけど)を筆頭に70年代のファンクのカッコ良さを知り、プリンスのアルバムを次々に聴いて黒人のグルーヴに心酔できるようになり、ついにジャズを聴くようになったことが大きい。

特にモダン・ジャズの全盛期である50~60年代のジャズはほとんどが黒人で、黒人でないと醸し出せないグルーヴがあることは多くの人が認めるところだと思う。その後、ジャズは70年代に向かってファンク、ソウルの要素を取り込み、フュージョン化していく流れがあり、マイルス・デイヴィスやハービー・ハンコックなどの大物がその本流にいたほどだった。ジャズからの流れでこれらの音楽を僕も楽しめるようになり、耳が肥えていったというわけだ。とまあ、簡単に書いているけれどこの「徐々に理解してく」期間はおよそ15年にも及び、ある日突然開眼したというよりは徐々に体に馴染んでいったというのが正直なところである。

黒人音楽の特徴は、やはり太くウネるリズムとグルーヴにある。リズムはベースとドラムに限った話ではなく、ギターにも歌にも黒人独自のリズム感が根付いていて、それらが複雑に絡み合って黒人音楽を成している。

実はその高校生時代に夢中になっていた70年代のロック、レッド・ツェッペリン、ハンブル・パイ、フリーなどは黒人音楽であるブルース(英語発音だと「ブルーズ」で淡谷のり子や青江三奈のブルースとはまったく関係ない)の影響が濃厚でそこが好きでたまらなかった。そうか僕はブルースが好きなんだ、じゃあ、ブルースを突き詰めようと聴いた B.B.キングの「Live At The Regal」は、しかし僕の感性にかすりもしななかった。どうやら、泥臭くて黒人度100%なものは馴染まなず、白人が加工した少し洗練させた黒人音楽が僕には合っているようだと思うようになっていった。

黒人音楽は小難しいわけではないし、装飾が少なく基本的には簡潔である。それでいて単純でないところもある。世にあるヒット曲には印象に残るキャッチーな歌メロを何度も繰り返し、ほとんどブリッジとサビだけを聴かせるためだけのようなものがある。例えばワンチャンの "Lets Go" とか、ペット・ショップ・ボーイズの "West End Girls" などはその典型で、白人音楽の代表ジャンルであるユーロビートなどはそういうものが多く見られる。打ち込みで単調なリズムとシンセでお手軽に色付けをして、少しの印象的な歌メロだけでできあがってしまうという作り手に取ってお手軽なもので、後に何も残らない。このユーロビートの安易さに全面的に乗っかったのが昔の小室哲哉の一連のヒット曲だといえば多くの人に安易さを実感していただけると思う。

一方で、黒人の歌は曲の骨格がしっかりしていて、歌メロにはほぼ例外なく起承転結があるところが特徴と言える。黒人は、同じメロディを単調に何度も繰り返すだけの歌というのはまず書かない。例えばプリンスが作曲したバングルスの "Manic Monday" はわかりやすいヒット曲だけれど歌にはしっかりとした起承転結があり、同じメロディをしつこく繰り返すようなことがない。だから演奏がなくても鼻歌で歌うことができる。黒人のアイデンティティを示すことに熱心だったとは思えないポップスター、マイケル・ジャクソンの曲ででさえも概ね同じことが言えるくらい、歌の起承転結は黒人にとって当たり前のことになっている。

余談ながらその昔、黒人を気取ってバラエティ番組によく出ていたなんちゃらブラザーズが「オレオレオレオ~、ヤレヤレヤレエ~」としつこく繰り返していた歌をヒットさせていたけれど、あれなどは黒人音楽とは対極にある白人的な曲で、形だけ黒人のマネをしても、あの頃はお金が儲かるある意味良い時代だったんだなあと今にして思う。

それはともかく、もう一度繰り返すと黒人の歌は簡潔であっても単調でなく基礎がしっかりしている。ある意味、簡略化をあえてしていないとも言える。リズム、特にベース・ラインは一見ただの繰り返しに見えることはあっても微妙にニュアンスを変えるのがお約束。間違ってもラインベースなどは弾かない。

このような単純化に陥らないための要素が集まった結果、洗練される方向に向かうことがなく、それが泥臭さにつながっているように思える。そして、そういう黒人音楽の核とも言える泥臭さの魅力がサッパリわからなかったのが、まだ音楽について幼い感性しか持っていない学生時代の自分というわけである。

ジミの話から話が膨らんでしまったけれど、こと自分に関しては黒人音楽を直感的に理解することができず、こんな感じで遠回りをしながら理解してきたことがこんな逡巡の経緯を書かせている理由である。そして、ようやく40歳を過ぎてからジミ・ヘンドリックスの本当の魅力がようやくわかってきたというわけである。

ジミの音楽の基本は言うまでもなくブルースであり、ソウルやファンクの要素も濃厚。そこにこの時代特有のサイケでフリーキーなテイストが加わってくる。言い換えるとツェッペリンやパープルのようなハードロック的な要素はあまりない。ギターは、正確さやスピードと言った面では今となってはそれほど見るべきものはないかもしれないけれど、ギターを歌わせる技術は未だに近づける人すら存在しないと思わせるものがある。映像を見ると、身体とギターがひとつになったかのような表現に呆気にとられてしまう。ジミのギターの凄さがわからない人はエレクトリック・ギターの本質が見えていないとすら思う。ソロだけでなく、カッティングもオブリガードもすべてが有機的につながったギターワークをこんなにハイレベルに融合させている人を他に知らない。

まだ理解しきれていなかったときにはワイルドなライヴ演奏に魅力を感じていたけれど、ジミのことがわかってくると密室で落ち着いて作り込まれたスタジオ盤の魅力がまた捨てがたく、ソウル、ファンク、R&B、ブルースを無作為にぶち込んでロックに仕上げた「Electric Ladyland」はその頂点といえる傑作だと思う。死後にエクスペリエンス・ヘンドリックスが関与した未発表モノは、基本リハーサルや没テイクかもしれないけれど、それゆえにジミの持っている音楽の素顔が見えて、その素顔だけでも他のどの音楽よりも素晴らしいと言えてしまうほどの輝きがあることに思わず唸ってしまう。

ちなみに、ここ日本で「この人、めっちゃ黒人音楽好きなんだんなあ」と思える人に僕は会ったことがない。もちろんネット上ではそういう人も見かけるけれど、現実の世界ではそれに近い人にすら出会ったことがない。たぶん、日本人は実は黒人音楽は肌に合わない人種なんだと思う。だからジミも人気がない。昔、ポール・ロジャースが日本ツアーでジミのカバーを数曲演ったらまったくウケず、次の日からセットリストを変えてしまったというエピソードがあるくらいジミは日本では一部の物好きにしか聴かれていない。

そう、ロック好きがジミを楽しめるかどうかは黒人音楽の面白さをどこまで理解しているかを測るリトマス紙のようなものだ。ジミが大好きで他の黒人音楽はまったく聴かないという人は恐らくいないだろう。彼がいなければプリンスもレニー・クラヴィッツもヴァーノン・リードも現れなかった。エリック・クラプトンもジェフ・ベックもリッチー・ブラックモアも違うスタイルでギターを弾いていたに違いない。

このように、あるジャンルやあるミュージシャンの魅力を時間をかけながら理解できるようになっていくことは音楽を聴く趣味の醍醐味だと僕は思っているんだけれど、今や「わからない音楽をわかるように努力する」という忍耐を持った人はもう殆どいないんでしょうねえ。

洋楽離れは何を意味しているのか

最近はCDが売れないというのと合わせて洋楽離れが深刻だという。ある調査によると45%の人が、まったく聴かないかほとんど聴かないという結果が出ている。

確かに洋楽は邦楽を聴くよりはハードルが高い。歌詞の意味がわからないし、一見洋楽と同じような演奏形態を採っている日本のバンドも実は質が随分違うので、洋楽の免疫がない人にとって日本の音楽と同じようにすんなりと耳に馴染んでくるわけではない。

僕が中学生のころは、そんな洋楽は背伸びのためのファクターのひとつだった。タバコを吸おうと思ったり、コーヒーをブラックで飲んだりするのと同じように。昔はインターネットで情報を簡単に入手できなかったので洋楽情報を得ようと思ったら雑誌を読み込んだり、洋楽番組を見たり聴いたりしなくてはならなかった。ちょいと注意を払えば知識が身に付くものではなく、積極的に自分から入り込んでいかなくては身に付かない。でも、だからこそ洋楽に通じることはひとつの嗜みだったんだと思う。

一方で、これだけ情報が氾濫する世の中になるとそれほどがんばらなくても知識が得られるわけで、邦楽のサウンドが洋楽化していくのも手伝って、邦楽、洋楽と区別を付けることにたいして意味がなくなってきていて、もはや背伸びの対象にならなくなってしまったので洋楽離れが進んだのだと勝手に思っていた。言い換えると誰も洋楽のことをオシャレとかカッコイイとか進んでいるとか思わなくなったということなんだろうと思っていた。

他の項目でも書いている通り、洋楽化した邦楽は所詮モノマネでしかなく、音楽の深み(繰り返して聴いていろいろな発見)はないという僕の意見は変わっていないので、あくまでも多く若い人たちにとってはきっとそうなんだろうな、程度に思っていたとはいえ、洋楽を特別視しない風潮はまちがいなく一般化したのだと勝手に結論づけていた。

で、最近ふと気づいたんである。ショッピングモールやアウトレット、美容院などで流している音楽が洋楽ばかりであることに。これは何を意味しているんだろう?やはり洋楽はカッコイイ(あるいは邦楽はダサい)と認知されているということなんじゃないだろうか?

僕が学生のときは、洋楽のレコードは高い国内盤を近所のレコード屋で買うのが一般的でおいそれと沢山買ううわけにもいかず、ならば安い輸入盤を買おうと思えば渋谷まで行かなくてはならなかったのに対して、今ではパソコンで数クリックで遥かに安く輸入盤が買える世の中になったというのに、若い人は洋楽を聴かないということらしい。

誤解を恐れずに言えば、音楽を深く楽しもうと思ったら日本の音楽だけではまったく物足りないわけで、今の若い人たちはもはや音楽に楽しさをじっくり味わったりする気持ちがなくなっているということなんだろう。そうだとすると、CD離れでも洋楽離れでもなく、これはもう音楽離れということではないか。

何もクラシックやジャズの話をしているわけじゃない。ポピュラー・ミュージックですら若い人は興味を失ってしまっているということらしい。確かに近年の音楽は洋楽も面白くないけれど、もう50年くらいの歴史があるロックには幾多の名盤と、個性豊かなレコード(CD)が山のようにあるというのに、これを聴かずに人生を過ごしていくとは、なんともったいないんだろう。

僕なんかこの世にある素晴らしい音楽を、死ぬまでに楽しみきる時間が足りないことが悩みにひとつだというのに、ああ、若い人はこんなに素晴らしい音楽を聴くという楽しみを放棄しているだなんて、本当にもったいない。Youtubeなどで音楽を聴くことじたいは簡単な行為になったけれど、CDを何百枚も持って繰り返しいろいろな音楽を聴くという楽しみをもっと多くの若い人に知ってもらうことはできないものだろうか。

ま、そこまで音楽業界のことを考えなくてもいいですけどね。音楽好きとしてはこの風潮はかなり悲しい、というか残念極まりない。

懐かしのサントリーカップ

SUNTORY CUP

錦織の活躍で、テニスに夢中だった高校生のころを思い出してきた。

当時、コナーズの大ファンで初めてのテニス観戦をしたのが83年のサントリーカップ。この大会はまだシーズンが本格化する前(まだ全豪は12月開催だった)の春先にトップ中のトッププロ4人だけを集めたエキジビション・マッチで、毎年豪華な顔ぶれだった。なぜこんなメンツが集まったかというと、2試合を勝ち抜いて優勝したら4大大会と同じくらいの賞金を貰えたから。当時はたぶん4000万円くらいだったと思う。先日のUSオープンの優勝賞金が300万ドルだったことを考えると、当時はまだ賞金は低かったんですねえ。

で、83年のサントリーカップはボルグ、マッケンロー、コナーズ、クリークというメンバーで、ボルグの引退試合として注目を集めていた。決勝はボルグとコナーズの対戦で、会場全体がボルグを応援する雰囲気の中、一人でコナーズを応援していたことを思い出す。ライヴの雰囲気といつもと違う角度で見るテニスがとても新鮮だったし、憧れの選手が(遠くだったけれど)目の前でプレイしているだけでワクワクしたものだった。

翌84年は、なんと前年の(写真左から)ウィンブルドン優勝、オーストラリアン・オープン準優勝(この後の全仏優勝)、USオープン優勝、フレンチ・オープン優勝者が揃うという超豪華メンバー。さしずめ、今ならジョコビッチ、ナダル、フェデラー、マレーが勢揃いといったところか。こんな顔ぶれの試合を見ていたなんて我ながら凄いなあと思ったりする。

エキジビジョンなのでプレイの本気度は少し低かったけれど、その分、雰囲気はリラックスしていて、それはそれで楽しかった。スマッシュを打つ時に「ううっ」と大声出してドロップショット打ったりして笑いを取ったりしてたっけ。

今調べるとサントリーカップはWikiにも載っていなくて、大会があったことすら忘れられてしまっているみたいで、ひょっとしたらあれば夢だったのかも、なんて思ったりするけれど、こうしてチケットが手元に残っているんだから間違いなく現実にあった話。

オールド・テニス・ファンのノスタルジーでした。


錦織がいかに偉大か - オールド・テニス・ファンの想い

錦織2014USオープン


僕のテニス観戦歴は結構長い。

昔はテレビのテニス中継は珍しいことではなく、ちょくちょく見ていた記憶がある。どの大会かということを意識して初めて見たのは中学2年生のとき、マッケンローがボルグに勝って初優勝した81年の全英・ウィンブルドンから。以降、ウィンブルドンの男子シングルス決勝は欠かさず見ているし、全仏・フレンチオープンも、1月に実施するようになった全豪・オーストラリアン・オープンもかなり見ている(全米・USオープンは時差の都合上さすがにあまり見ていない)。ウィンブルドンはテレビ朝日(後にNHK)、フレンチはテレビ東京、USオープンは確かTBSがそれぞれ放送していたといういい時代だった(そればかりか全日本選手権でさえもテレビ中継があった)。

また、テレビ東京で「ワールドビッグテニス」という番組を毎週日曜日に放送しており、世界のツアーの試合のハイライトを見ることもできた。当時高校生だった僕は、この番組でトッププロの技に酔いしれ、自分に取り入れてテニスの技術を磨いた。藤吉次郎アナウンサーと解説の渡辺康二さんの軽妙な掛け合いはテニスをよく知っている仲間同士の会話のようでなんとも楽しかったものだ。

その当時、ここ日本では秋にセイコー・スーパー・テニスというグランドスラムに次ぐ大きな大会が行われていた。歴代の優勝者は、ボルグ、コナーズ、マッケンロー、レンドル、ベッカー、エドバーグ、イワニセビッチ、チャンなど錚々たる顔ぶれがズラリと並ぶ。そんなトッププロが出る試合もTBSが1回戦から放送、決勝はゴールデンタイムに放送していたほどだった。本当に良い時代だったなあと今になって思う。

では当時の日本のテニス界はどうだったかというと、No.1は福井烈、しかしランキングは100位台中盤くらいと4大大会本戦に出ることができない順位でしかなかった。

ちなみに、ここで書いている80年代の内容はすべて僕の記憶によるもので多少事実と違っているかもしれない。インターネットなどまだ一般に知られていない時代だっただけに記録が一般人の目に触れるところにほとんど残っていないので確認が取れないことをお断りしておく。なにしろ「セイコー・スーパー・テニス」のWiKiですらも情報のウラがとれないと匙を投げてしまっているくらいなのでご容赦願いたい。

さて、そのセイコー・スーパー・テニスには主催者推薦枠があって、本戦に出場するランキングにいない日本人はその枠で出場させてもらっていた。83年に国内大会という名の予選を勝ち上がって出場した白戸仁は上り調子の成長株で日本人にしては珍しい攻撃型テニスをウリにしていた。1回戦で、前年にウィンブルドンとUSオープンを制覇して復活、直前のその年のUSオープンで連覇を成し遂げたコナーズと対戦。繰り返すけれど、当時はこの大会に出場することすらできないランキングの日本人選手がトップ中のトップと対戦するとあって「どこまで通用するんだろう?」と思いながら見ていたわけである。結果は 0-6、0-6。1ゲームも奪えないばかりかDeuceにすら持ち込むことができない。なのにコナーズは息も上がらず、汗もかいていないように見えたほどだった。赤子の手をヒネるような、というのはまさにこのことで、その様子を「公開処刑」と今でも呼ぶ人がいるほど試合にもなっていなかった。

これを見た当時高校生だった僕は「体格の劣る日本人にテニスは無理なんだ」と現実を知ることになった。いや、認めたくなくてもそう思うしかないほどのショックを受けたと言った方が正しい。日本人に世界トップレベルのテニスは無理なんだと。

その後、女子では伊達公子が活躍(最高4位、4大大会ベスト4が3回)し、もちろん今でもそれは素晴らしかったと思っているけれど、女子はまだパワー全盛になる前の時代で技術をとことん突き詰めればここまで行けるんだという思いがあった。だからいくら伊達が活躍しても男子はムリだろうという思いに変わりはなかった。

ところが、松岡修造がエドバーグに勝ったり、ウィンブルドンの準々決勝でサンプラスから1セット奪うという活躍を見せた。これは物凄い事件だった。修造は日本人テニス選手としては断然体格に恵まれていてサーブは間違いなく世界レベルだったからこそ、ここまで行けたけれど、こんなに体格に恵まれて才能がある選手はもうなかなか出てこないだろうなあとも思っていた。

そして錦織が登場。デビュー当初から大物食いをしていたのは将来性のある証拠ではあったけれど、体格には決して恵まれておらず、期待しつつも厳しいだろうなあというのが正直なところではあった。

2年前の楽天ジャパン・オープンで優勝したときには立派になったもんだと感心。そのテニスは高度な技術と俊敏性をフルに活かしたもので、なるほど体格ではなくスピードと技術もここまで来ればやれるんだと思わせるものがあった。一方でトップ10クラスにはまだ力不足に見えたし、ましてやナダル、ジョコビッチ、フェデラー、マレーの四天王までには程遠いと思っていた。

こんな風に日本人のテニスを見てきた僕が、2014年USオープンの錦織の活躍に感慨ひとしおなのはご理解いただけるかと思う。ラオニッチ(6位)、ワウリンカ(4位・今年の全豪覇者)に勝っただけでも凄いことなのに、ジョコビッチに完勝したのは驚きを通り超した偉業だった。

決勝は一方的で、もう残念だったとしか言いようがない。チリッチはサーブだけでなくストロークも安定していてプレイも萎縮したところがなかったから相手を褒めるべきではある。ただし、錦織が良いプレイをしていたかというとそうではなかった。序盤は動きが特に硬く、スピンを強くかけているわけでもないのにボールをヒットする音が鈍い(上手ボールを捉えきれていない)。コースは甘く、浅いボールばかりで、ストローク戦の主導権を握ることができなかった。確かに、その悪い流れを変えさせなかったチリッチを賞賛するのは間違いではない。でも隙がなかったとも思えないのは、ストロークで左右に振ると大柄な選手特有の体の遅れが見られ、ミスショットをしているシーンもあったから。錦織に硬さがなければリターンももう少し良かっただろうし、そうなればチリッチのサーブにも影響が出ていたはずだ。

この動きの硬さはここまで3戦を挑戦者として戦えたのが一転、勝たなくてはとなったことが原因だと思う(本人もそう言っている)。チャンの「お前は勝てる」というメンタル強化のトレーニングがここに来て裏目に出てしまった気がしなくもない。もちろんそういうチャンの指導があったからこそここまで来れたわけだから、メンタルのコントロールというのは誠に厄介だとしか言いようがないし、やはりグランドスラム大会は甘くないということなんだと思う。

世間では「あれだけ大騒ぎしたのにアッサリ一方的に負けてガッカリ」という論調もある。でもこれまで日本のテニスを見てきた僕からすれば、ジョコビッチ相手に神がかり的な試合をしたことは本当に凄いことだと思う。この1年でサーブが目に見えて速くなり、大幅に強化されたことも素晴らしい。かつてトップレベルから見たら練習相手にすらならなかった日本人テニス・プレイヤーが大会最終日の表彰式の場にいる(これには2週間のトーナメントを闘い抜くフィジカルの強さを身に付けたという意味も含む)ということが何よりも偉大だと言える。

今大会のレベルのテニスができれば、これからもまだチャンスがあるはず。ガンバレ、錦織!

サイトウ・キネン・フェスティバル松本 2014 - 9月3日 マーカス・ロバーツ・トリオ コンサート

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9月6日のガーシュウィンのプログラムのために招聘されたマーカス・ロバーツは1日にソロ・コンサートを、そしてこの日はピアノ・トリオでのコンサートをすることになっていた。せっかくフェスに参加してもらうので、マーカスのいつも通りの活動でもついでにコンサートをやってもらいましょう、ということなんでしょう。

僕はジャズは好きだけれどもピアノ・トリオの良い聞き手ではないので東京でマーカス・ロバーツ・トリオのコンサートがあったとしてもまったく興味を惹かれなかったと思う。でも、せっかく松本に居て観れるのだったらまあそれもいいかという軽い気持ちで観に行った。

前日のコンサート同様に入り口でパンフレットを手にすると、本日のセットリストがクラシック・コンサートのように記載されていて、曲の解説まで書いてあることにまずは驚いてしまった。

続いて中に入ると小さいホールにもかかわらず立派なオルガンがあることにびっくり。松本市には、やはりサイトウ・キネン・フェスティバルで利用する立派なオペラ・ハウスもあり、この小さな町に立派な演奏会場がこんなにいくつもあることに驚くとともに松本市政の理解にも頭が下がる思いがした。

肝心の演奏は、まあ普通でした。マーカスはエキセントリックなピアニストではないし、曲もスタンダードが中心で少々面白みのない内容。曲はこのフェス用に選んだものなのか、いつもこんな感じなのか知らないけれど、余りにも伝統的ジャズ・ピアノ・トリオのオーソドックスなものばかり。でも実際に聴く機会がない(当たり前すぎて演奏されない)"Billy Boy" "Armad's Blues" というところを実演で聴けたことはなんだか妙に嬉しかった。ベースとドラムは水準をクリアしているものの、こちらもあと一癖面白みが欲しいところ。

すべての曲が始まる前に必ずマーカスがひとこと加えて曲を紹介し、拍手をしてから演奏に入るというスタイル。演奏者がいちいち毎曲紹介するのも、紹介の都度客が拍手するのも通常のジャズ・ライヴにはない慣例で、そのことも含めて観客はジャズを聴き慣れている感じはしなかった。せっかくのジャズだというのに99%の客はリズムを取ることもなく地蔵状態でブルーノートで観るライヴとは客層が違っていたことは間違いない。逆に言えば、地元松本市民や普段はクラシックしか聴かない人が肩肘張らずにジャズを楽しみに来ていたとも言える。余談ながら第2部の演奏から小澤征爾さんも客席に来てライヴを楽しんでいた。こんな夜遅くのライヴを観に来るくらいなので体調も悪くないということなんでしょう。

アンコールに3回も応じるなどサービス精神も旺盛だったジャズ・ライヴ、コアで濃厚な演奏を好む僕には物足りなさはあったけれど、ジャズ・クラブの2セット分相当でチケット代も6000円と夏休み旅行の夜の楽しみとしては悪くなかったんじゃないかなと思いました。

サイトウ・キネン・フェスティバル松本 2014 - 9月2日 オーケストラ・コンサート

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行ってきました松本。観てきましたサイトウ・キネン・フェスティバル。

ジャズを聴き始めのころに、ご健在のうちに姿を拝んでおこうとウェイン・ショーターやソニー・ロリンズやエルヴィン・ジョーンズを観に行ったのと同じように、クラシックを聴き始めである今はマエストロがご健在のうちに観ておきたいと思っている。日本人にして世界的な指揮者である小澤征爾は特に。

しかしながら、小澤の体調が万全とまではいかない現状は公演数が限られ、チケット入手困難な状態が続いていておいそれとは観に行けない。サイトウ・キネン・フェスティバルのチケットもヤフオクで定価より高い値段でようやく入手したのだった。確かに日本のオケと思うともともと高い値付けで、しかも松本まで出向かなくてはならないので、他のクラシックのコンサートと比較すると何かとハードルが高いけれど行ったことのない信州もまた良いのでは?と夏休みの観光も兼ねて行くことにした。

行ったのは2日、3回めのコンサート。会場に着くと東京でのコンサートとは明らかに雰囲気が違う。なんと言っても年齢層が高い。感覚的には50代以上が大半で40代ですら少なく、30代となると親の付き添いで来ている人くらいしかいなかったような印象。

1曲目は、指揮者なしで演奏されるモーツァルトのセレナード第10番「グラン・パルティータ」。まったく予習してなかったのが迂闊だったんだけれど、木管8人(オーボエ、ファゴット、クラリネット、バセット・ホルン各2人)に4人のホルンとコントラバス1人という編成ということすら知らず、室内楽の楽しみ方をまだわかっていない僕には少々お上品すぎる演奏で、曲がまた思ったより長かったこともあって少々眠い時間を過ごすことになってしまった。とはいえ、オーボエとクラリネットの第1奏者(外国人)の音色の素晴らしさはそんな僕でも感銘を受けるほどのもので腕の確かさをここで既に実感することに。

そしてメイン。オケのメンバーと一緒に指揮者も入場という珍しいスタイル。まだこれから演奏が始まるというのに今にも立ち上がりそうな勢いで熱狂的な観客の拍手が迎える。指揮者の入場をこんなに熱烈な拍手で迎えるというのは僕の過去の経験(といってもまだ数えるほどだけれど)では記憶にない。小澤征爾は確かに素晴らしい実績の持ち主である。しかしそれ故にネット上ではその経歴だけを取り上げて「だから凄い」という論調も少なからず見受けられく、小澤の音楽のファンというよりは世界レベルの指揮者が同じ日本人にいるということだけで崇拝している人も結構見かけるように思う。この入場時の雰囲気はそんなことはどうでも良いから小澤の音楽を聴きたいという思いだけでいた僕には少々気持ちが悪かった。僕は音楽は中身あってのものだと子供のころから思っているのでこういう外面的な人気に支配された空気は苦手なのである。

しかし、ひとたび演奏が始まればそんな空気はどうでも良いものとなった。基本的に椅子に座りながらの指揮である小澤のアクションに応えるオケのサウンドは、骨太で力強く、その鳴りっぷりに最初から圧倒されっぱなしだった。カッチリと統制が取れているという感じはあまりしないものの、弦が活き活きと雄弁に歌う。モーツァルトでも活躍したオーボエ、クラリネットに加えフルートの豊かかつクリアでで美しい響きも素晴らしい。これまで日本のオケに良い印象を持ったことがなかったこともあって、精鋭集団と言えども所詮日本人中心の所帯なのでは?という懸念は最初の5分で完全に吹っ飛んでしまった。寄せ集めでありながら海外オケと遜色のない鳴りの凄さを体全体で受け止めさせられる、と言ったら良いだろうか。

ベルリオーズの幻想交響曲は、ベートーヴェンの少し後の時代に書かれた曲なのにロマン派の音楽として十分な新しさがあることに一目置いていたものの、大好きと言えるほど気に入っていたっわけではなかった。そして、過去の経験から、それほど好きというわけでもない曲で感動させてくれるとしたらそれはオケが素晴らしいからというのが僕の見解であり、この日はまさにそういう思いをさせてくれる演奏だったと言える。実際に演奏を観ていると、木管の使い方や弦の使い方が実に個性的で、ベートーヴェンの交響曲第9番初演からわずか6年後に書かれた曲であるにもかかわらず、大編成オケを存分に使い切り、オーボエや打楽器(鐘)を舞台裏から鳴らす効果を早くも採り入れるなど斬新なことをしていることがよくわかる。

終演後のスタンディング・オベーションは開演前の雰囲気から予想できていた。それでも演奏はそれに値するものだったと断言できる。

観客の反応は、クラシックを聴き慣れた人のそれとは少し違っていたし、そういうクラシックファンとは微妙に違う小澤ファンの集会を避けている人もきっと少なくないとは思う。でも、それを理由に聴かないというのももったいない、ニュートラルなクラシックのリスナーにもっと聴かれるべきコンサートだと思った。もっとも、小澤&サイトウ・キネン・オーケストラの演奏を聴くためにクリアすべきハードル(首都圏から遠い、チケット入手困難など)は数多いためになかなか普通のリスナーの耳に届くのは難しいのが現実ではある。

最後は拍手に呼び戻されたオケのメンバーと小澤が再度ステージにバラバラと集まると、オケのメンバーでハッピーバースデー(前日が小澤征爾の誕生日だった)を即興的にやったのも和やかな雰囲気で、気分よくコンサートは締めくくられた。

繰り返しになるけれど、小澤征爾を盲目的に崇拝することによって聴けなくなる(聴く機会を奪われている)人が多いのはやはり残念。小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラの演奏は、聴く価値が間違いなくあると思う。個人的な意見では3月に観た、スマートで小奇麗なシャイーとLGOの演奏よりも遥かに力強さと良い意味で勢いのある素晴らしい演奏だと思ったくらいだ。オザワというブランドに関係なく素晴らしくも感動的なコンサートを観れたことを素直に喜ぶ気持ちでいっぱいになれた。ありがとう、小澤&サイトウ・キネン・オーケストラ!

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