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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

リビングの模様替え-オーディオはセッティングが大切

今のマンションに住み始めてかれこれ14年になる。拙宅のリビングは標準的な長方形で約14畳のスペース。テレビとオーディオ、ソファにダイニングセット、あとは食器棚というごく標準的な家具が置かれている。

Living Before

隣の部屋は和室だけれど、オリジナルの間取りは洋室だったところをオプションプランで変更したもので写真で見えている襖は本来は壁になっているはずのところ。だからなのかテレビのアンテナ差込口はこの角に用意されており、自然とテレビの配置はここに落ち着く。住み始めたころのテレビは縦横比4:3の29インチで当時のブラウン管テレビは奥行きが深く、コーナーに設置することが前提であるかのような形状であったこともあり、ここに45度の角度で置かれていた。部屋のどこにいても見るのに支障のない置き方であり、今思うとこの部屋はブラウン管テレビをコーナーに置くことを最適とするファシリティ設計だったように思う。

その後、テレビは16:9の36インチブラウン管(確か24万くらいしたっけ)に変わり、オーディオ類を追加していくとテレビ周りの設備がどんどん横長に、オーディオへの興味が加熱して増強していくと更に横長になっていき、バルコニーへの出入口を侵食しないように収めようとすると、45度だったテレビの角度はどんどん壁と平行に近くなっていった。そこで3.11で震度6弱の揺れに襲われる。総重量100キロにも及ぼうかとする機器満載のラックが微妙に移動してさらに壁と平行になり、テーブルから見てほぼ横を向くような形になるに至った。妻のテーブル席からはテレビ画面がもはや真横から見える形になってしまった。以来、ラックを分解してオーディオの配線をやりなおしてまで再配置する気力もなく、そのままの状態で使い続けてきた。

僕は家にいるときはほぼ音楽を聴いているんだけれど、テーブル席でパソコンに向かいつつという「ながら聴き」をしていることが多い。このレイアウトだとテーブル席にいるときにスピーカーからの直接音はあまり聴き取れなくなり本来の音が楽しめないこと、特に指向性が高いと言われるホーン型ツイーターを備えるJBLのスピーカーだと正面で聴く音とだいぶ違ってしまうことはよくわかっていたものの、まあ本気で聴きたいときはソファに座って聴けばいいかと思っていた。

長らくそんな状態だったある日、突然模様替えをしようと思い立った。テレビとオーディオを窓側に置けばテーブル席にいてもスピーカーがこちらを向いてくれる。いやそれは昔から実はわかっていたことではある。なぜそうしなかったかというと、窓際に置くことで部屋が暗くなってしまうこと、オーディオの裏面に直射日光が当たってしまうことを懸念していたから。

妻に提案してみると「南東向きの部屋でもともとあまり直射日光が入らないからいいんじゃない?」とアッサリOK。オーディオに直射日光が当たるのは背面に布をかければ良いだけの話で、そうしておくことで埃よけにもなるはずだ。これで問題は解決したはずなので、フローリングのワックスがけに乗じて模様替えを決行してみた。それが以下の写真(キャットタワーの頂上に愛娘がおりますが)。


Living After

部屋は予想通りやや暗くなったものの、もともと日差しが燦々と降り注ぐほど明るい部屋でもないので気になるほどではなかった。それよりもテレビが見やすくなったこととオーディオがこちらを向くようになったメリットの方が遥かに大きい。

左右スピーカーの間隔を従来よりも広く取ったことやリスニングポイントとスピーカーとの距離が従来より長くなったことで、聴こえてくる音が別物と思えるくらい変わったことにはちょっと驚いた。それは予想を大きく超える良い意味の変化で、ポテンシャルの高いスピーカー本来の音を部屋のどこにいても味わえることの悦び、満足感といったらそれはもう筆舌に尽くしがたい。音の詳細まで耳に飛び込んでくるだけでなく音場も広くなり、箱庭ホールと呼びたくなるほど響きが豊かになった。大袈裟に言っているわけではない。音質にあまり関心がない妻ですら聴こえてくるようになった音の素晴らしさに感激しているほどなのだから。

オーディオに凝っていても生活空間との折り合いで、一般的な家庭では本来そうしたいレイアウトでスピーカーを置けないという悩みをお持ちの方は少なくないと思う。諦めることもオーディオ道では避けて通れないことではある。でも、妥協によって宝の持ち腐れをしてたことを痛感してしまった。やはりスピーカーを部屋にどう置くか、というのは極めて慎重かつ大胆に判断されるべきという当たり前のことを思い知らされました。


さて、模様替えには実はもうひとつ狙いがあった。プロジェクターで映画を観るときに従来はテレビの前にスクリーンを立てていた。その際に右スピーカーを1メートルくらい毎回ズラすという手間をかけつつもスクリーンを立てるスペースに余裕はあまりなくサイズは80インチが限界で、IZUMI-COSMO社の廉価なスクリーン(確か3万強程度:生産終了品)を使っていた。また、ソファの後ろにスペースがなかったのでプロジェクターのレンズシフトをフルに横に移動させてソファの横に置くというやや苦しい配置を強いられるなど、プロジェクターで映画を観るためにいろいろな無理をしながらなんとか環境のやりくりをしている状態だった。

スクリーンによる映画鑑賞を趣味としているとやはり3桁インチは憧れのサイズであり、模様替えでスペースに余裕ができたことを機に100インチ・スクリーンを導入。自立式スクリーンで16:9の100インチスクリーンは少ないので思い切って吊り下げ式を選択、オーエス社のSMC-100HM-2-WGという製品を選択してみた。

天井に直付けすればいいだろうと安易に考えていたら、拙宅の天井は柔らかく薄い板であることが判明。ネジ穴は簡単に開けられるものの簡単に手で抜き取ることができるほどヤワで、とてもじゃないが10.4キロのスクリーンを固定することなど不可能。

こうなると補強工事をお願いしなくてはならないけれど、調べてみると少なくとも6万円以上はかかりそうだ。今後スクリーンをそこから永久に動かさないということであれば、それもまあ納得できるかとは思うものの、レイアウトを変える可能性がないわけではない。

調べてみると、天井と床の間に突っ張り棒を立ててそこに固定するAVC社の「つっぱりポール式 APS-260」という製品を発見。突っ張り棒を立てることで正直なところ見た目はだいぶ悪くなるけれど、そこも妻の寛大な心によって許可が出て導入を決定。ついにスクリーンを設置することができた。AVC社は韓国の会社のようで、メールのやりとりの文面も結構怪しいのでやや不安を感じるものの、締め付けるときにヒビが入ってしまったストッパーの交換部品をすぐに再送してくれたりしてとても対応が良く、アフターケアは安心できるものでした。納品時に韓国のお菓子まで入れてくれるというサービスがあるのは不思議でしたが。

突っ張り棒の設置はそれほど難しくない。簡易水平器が付属しているのでそれをポールに巻きつけ、ポールの位置を決めたら水平器を見ながら上の位置も決める。突っ張った状態にしてストッパーのレンチを締めればそれで終了。ここはうまくやれば1人でもがんばれるかもしれないけれど2人でやったほうがいい。思い切り大きくポールを揺さぶったらどうなるかはわからないけれど、腕の力をある程度入れて揺さぶったくらいでは問題ない。あとはスクリーン受け側の金具を同じ高さに固定する。もう1本のポールを立てる際にはスクリーンの幅と合うように適切な距離を測って立てる必要があり、ここが少々気を使うところ。紐などで距離を合わせた上で位置決めを行いながらするしかない。受け側の金具には数多くの穴を設けてあり、横にスリット状になった穴を使えば多少の距離の誤差は吸収できる。

ポールの位置決めが終わればスクリーンの片側を緩めに固定して、そこから持ち上げていって反対側を固定するだけなので10キロあるスクリーンでも1人で持ち上げていくのはそれほど難しくない(スクリーン固定方法によっては左右同時に付けなくてはいけないものもあるらしい)。そしてついに設置完了。

100inch

自立式スクリーンと比べると吊り下げ式のスクリーンにはメリットが2つある。ひとつは画像投影部の高さ設定の自由度が高いこと。高い位置に設定することはもちろん、このオーエス社のスクリーンは長さに余裕があるので、その気になればかなり低い位置に画像投影部を持ってくることもできる。もうひとつはスクリーン下端より下は何も遮るものがないので、オーディオ機器のリモコン利用に支障がなく、センタースピーカーが隠れないことも利点として挙げられる。

実は自立式のスクリーンでもリモコンを通す仕様のものが多い(ひょっとすると僕が知らないだけでリモコンが通るのは当たり前の仕様なのかもしれない)けれど、センタースピーカーについては自立式スクリーンの場合100%隠れてしまう。そうなるとマスクされたような感じになって高音が失われることは避けられない。さすがに耐えられないので僕の場合は、その部分をナイフで繰り抜いていた。これで改善されたんだけれど、安いスクリーンだからこそできた荒業でもあった。自立式でも100インチになるとそれなりの価格になり、繰り抜いて万が一スクリーンに妙なシワが少しでも寄るようなことがあったら目も当てられないことになってしまう。

吊り下げ式はこのような心配が一切ない理想的な形式というわけである(って当たり前ですが)。

実際に映画を観てみる。やはり一回り大きく確実に観えてくる世界は変わった。この大きさのサイズを一般家庭で見て物足りないと感じる人はまずいないんじゃないでしょうか。ただ、拙宅のリビングのレイアウトの都合上、スクリーンと視聴ポイント(ソファに座ったときの視点)が2メートルしか確保できていないのでちょっと近すぎるかもしれない。ただ、その近い距離で観てもサイズ拡大によって画質が荒くなったと感じることはなかったことにはちょっと安堵。映る画は自然な発色がとても美しい。画質がワンランク上がったように感じるのは、従来のスクリーンがただのツルツルの表面だったのに対して、マット仕上げに変わったことによるものではないかと思われます。スクリーンの素材が画質に影響を与えることは知識としては知っていたけれど、こうやってちゃんとした(?)スクリーンで観てみるとやはり違うものだなと実感する。

あと実際に映画を観て予想外だったのは、センタースピーカーが完全に露出したことでセリフや音がかなりクリアに聴こえるようになったこと。前述のとおり、それまではスクリーン下部を繰り抜いた穴越しに聴いていたとはいえ、スクリーンの張りへの影響を意識してあまり大きな口を空けていなかったので、スクリーンの裏面に弾き返されていた音も少なからずあったということなんでしょう。やはり音の広がりや高周波成分がしっかりと出るためにはスピーカーの前には何もないことが理想であるという、これまた当たり前のことを実感。

ちなみにこのスクリーン、納品時はスクリーンの素材か接着剤系の匂いがかなり強いので匂いに敏感な人は注意が必要。とはいってもしばらく引き出したままにしたりして一週間ほど経ったらかなり気にならなくなるレベルに落ち着いてきたのでいずれほとんど匂いはしなくなることでしょう。

というわけで、オーディオ&ビジュアル環境の改善を目的とした模様替えは大成功。やっぱりセッティングは重要ですね。

MITSUMINEでスーツを購入

スーツ2013


僕はファッションに特別な関心があるわけではない。若いころ、特に20代のころなんて今思うと酷い服装をしていたと思うくらい関心がなかった。

まあ、服なんてのは寒さをしのげれば何でもいいというのは一理ある。またコダワりだすとトレンドの研究やブランド、ショップの知識も必要となり、それなりに時間と手間がかかる。つまり結構めんどくさい。

だから服装への優先順位が低いと、ついつい後回しにしてしまう。僕の場合、若いころは服よりクルマに投資する方が重要だった。クルマへ投資してきたことにまったく後悔していないし、その後オーディオに投資したこともまったく後悔していない。今でもそこで得た知識やその知見に基づいた自分なりのコダワリの品を手にして心が豊かになっているのだから。

若いころはお金に余裕もなかったからそのような優先順位でも仕方がなかったと思う。でも40歳を超えて安っぽい服装はさすがにヤバイと思うようになってきた。安い服は別にいい。でも安っぽい服はやっぱりヤバイ。

それでも若い頃から実はスーツだけは自分なりに選んできた。高級品は買ったことがないけれど、いわゆる「青山」とか「コナカ」みないなところでは買ったことはない。社会人になって24年間、夏と冬に1着ずつ購入する習慣を欠かしたこともない。定期的に買っている理由は、スーツは3年も着ればデザインが古くなってしまうから。

年に2着くらいスーツを買っていると、デザインのトレンドが少しずつ変わってくることに嫌でも気づく。するとデザインの古いスーツをいつまでも着ている人、それも結構いい年齢の人だととても残念な人に見えてしまう。

写真はMITSUMINEで買った今冬のスーツ。紺の無地のスーツはずいぶん久しぶり。そこに太めのストライプと最近では珍しい大きめのペイズリー柄を合わせてみた。ちなみにスーツ購入時にタイとシャツを合わせてセットで買ってしまう(その場で合わせられるから楽という意味)ところに僕のファッションへの興味がそれほどでもないことがよく現れている。

紺の無地は生地が安っぽいとリクルートスーツみたいになってしまうんだけれど、このロロ・ピアーナ生地は光沢があって質感が高く、見る人が見ればモノが良いことはすぐにわかる。こういうシンプルで質感の高いスーツこそが40代以上が着てサマになるスーツなんじゃないかと個人的には思う。

ちなみにスーツ業界も景気的には厳しく、中間価格帯の店がどんどん減って低価格帯の店と高級点に二極化している。その中で、ロロ・ピアーナやゼニアの生地を使って、中年が着て様になる高品質スーツをリーズナブルな価格で作っているMITSUMINEは大変ありがたい存在。デザインも最新トレンドを取り入れながら、先走りすぎていないところが良い。

このスーツも生地の質感が高く、縫製もしっかりしていて実に着心地がいい。生地はそれほど厚くないながら肌目が細かく暖かさを感じる。見た目だけでなく着心地も良く、20万円以上するスーツと較べても品質は見劣りしない。MITSUMINEさんには今後もがんばってほしいです。

「野心のすすめ」林真理子・・・そこから自分を考え直してみる

林真理子 野心のすすめ


帰宅途中の乗換駅で少し待ち時間があったので、駅内の本屋を覗いてみるとこの本が目に留まった。

著者は僕の世代(40台半ば)なら知らない人はまずいない有名人ながら、どんな人なのかはよく存じ上げていない。大昔のテレビの記憶を辿ると、なんとなく「あまり感じの良い人ではなさそう」という程度。あとは、一部に熱心な女性ファンがいるようなのできっと何かを持ち合わせているんだろうなというかなり曖昧な印象しか持っていなかった。正直なところ特に好きというわけでも嫌いというわけでもない。

最近、仕事が非常に悪い方向に向かっていて少し精神的に弱っていた。自分で言うのもナンだけれど、社会人を23年やってきて仕事は常に高く評価されてきた。ただし、それは才能に溢れた人が目覚しい成果を残すといった類のものではない。サポート系、サービス系の仕事でどちらかと言うとクレームを言われるのが基本という地味な職種の中、与えられた使命はどんなに困難であってもやり遂げてきたことを評価されてきた。大火事になっている案件を何件も消火して実績を積み上げ、それを評価されてそれなりのポジションまで上ってきたという自負はある。

ところが、今の仕事では「そんなに与えられた使命をキッチリやり遂げなくてもいい。そこそこでいいから契約外のことをやってくれ」と客に言われたのである。いや、実際に言われたのならいろいろ僕もいろいろ考えることができたんだけれど、遠まわしにウチの会社の上層部に言ってきた。ちなみに、その仕事において我々が与えられた使命を成し遂げるべきことは、本来はそのお客さんの組織の業務目標に直結していることであり、契約が始まったころはその人から口酸っぱく「しっかりやってほしい」と言われてきたことである。だから今更表立って「やり遂げなくてもいい」とも言えない。でも本音は「業務目標のためなんていいから緩くやってくれよ。その代わりウチの組織がだらしなくてできていない部分、本当は契約外だけどそっちで吸収してよ」ということだったようだ。

この本音を受け止めてあげた場合、お客さんの組織は楽できるが70人にも及ぶ僕のチーム全体にしわ寄せが来てしまう。パートナー企業の曾孫請け以下で働く人が大半の僕のチームで、理不尽で永続的に負荷増が続くと辞める人が続出し、業務を回せなくなってしまう恐れがある。完全なボディショップ案件なので増員するのが唯一かつもっとも効果的な方法だが、契約書外の追加業務のためにパートナー企業のメンバーを増やすことはコスト増になり、顧客から追加料金をいただけないコスト増を認めれくれるほどウチの会社は寛大ではない。

ともあれ、客は表向きには不満を言わずに裏から手を回して、僕のチームが契約を守ってしっかり仕事をやりすぎているという不満を社内上層部に言ってきた。繰り返すが、契約内容をしっかりとやり遂げることがお客さんの組織の業務目標に直結しているにもかかわらず、である。表向きに言えないのは契約文書で業務区分を謳っていて、署名までしているからだ。ところが契約更新時期にさしかかっているため、うちの会社の上層部はそんな要求にすら「はい、ウチが至りませんでした」と言われるがまま。もちろん、その担当者はそういう時期を狙って言ってきている。

ここに来て、僕は初めて仕事ぶりが悪いと評され、案件から外されそうになっている。

これはなかなか堪える。もちろん仕事でお客さんから叱られたことは山ほどある。至らない部分があったとしても最終的には「よくやってくれました」と言わせるのが僕の「やり遂げる力」だ。熱意と誠実さは必ず相手に伝わり、最終的には満足してもらえていたし、それを歴代の上司には評価してもらっていた。与えた仕事をきっちりやり遂げて上司が欲しい結果を出すという意味で「計算できる」と評されたこともある。

そういう仕事の仕方が通用しなかった。理由は何であれ「使えない人」扱いされたのは屈辱である。

僕は仕事がうまくいかなかった場合に徹底的に自分の悪かったところを洗いなおす。平たく言うと反省しまくる。自分を責めることで自分を成長させようとするのが僕のスタイルだ。だから叱られれば叱られるほど最終的には良いパフォーマンスを出すことができる(余談ながら、「僕は褒められて伸びるタイプなんです」なんて自分で言う人は、成長しない人間だと自ら宣言しているようなものだと思っている)。

かような不満をぶつけられたことに対して、いつも通りに何がいけなかったのかを考えに考えた。でも、根本的な部分において「こうしておけば良かった」という答えが出てこない。

前置きが長くなってしまったけれど、この本に遭遇したのは、そういう状況のときだった。

ページをめくって目次を見ると「屈辱感こそ野心への第一歩」という、今の自分にピッタリなテーマが目に飛び込んでくる。というわけでそのままレジに持って行き、昔から名前だけは知っている作家の本を初めて読むことになった。そんな経緯なのでベストセラーになっていることも話題になっていることも知らなかった。

そもそも著者のことを僕はよく存じ上げていないので、その押し出しの強さと言いっぷりの良さにまずは「ほお」となる。この本はエッセイなので、野心について自分の経験を元にいろいろとお書きになっている。しかし、残念ながら著者の生きてきた時代のことでしかないので、例えや価値観がいちいち古い。どうのし上がってきたかを説明されても、それはバブル時代だったからなんじゃないの?と言いたくなってしまう(ご本人も一部認めていらっしゃる)。

経済が停滞しているからってあきらめて、とりあえず食っていくには困らない程度の低い安定を求めるなんてそんな人生でいいの?というようなことが書いてあり、それは確かにその通りだと思う。僕のチームにもパートナー企業から派遣されている若い人がたくさんいて、しかし、向上心を持っている人が非常に少ないことを常々感じているから尚更そう思う。彼らに対して「40歳になっても今のままの仕事やっていたくないだろう? ただ毎日仕事をこなすんじゃなくてに目標を持って、少しずつレベルアップしようよ」と言ってもまるで自分には関係ないかのように無反応な人が多い。まさにこの本で標的になっている「毎日ユニクロを着て松屋でいい」「50歳になって居酒屋で働いて20代の正社員に使われるという想像力がない」タイプの人たちが驚くほど沢山いる。

ただ、彼ら(ほとんどは曾孫請け以下の会社に所属)の境遇を見ると、やる気がしないのもとてもよくわかる。なぜならがんばっても何も報われないから。実は若い人たちの中でも一部には大変前向きで優秀な人材もいる。彼らは学歴がなく、恐らく勉強もあまりできないと思われるが、自分のチームには何が求められているかを常に意識して、規定されていないことであっても自分で考えて積極的に行動することができる。有名大学を出て、大企業に勤めていても実はこういう行動が取れない人が圧倒的に多い中で、15人に1人くらいの割合でそういう逸材がいる。

優秀で前向きに行動する人を、その現場の財布を管理している立場の僕としては大いに報いてあげたい。でも、会社同士の契約の壁、運用コストの厳しい締め付けによって個人に対して単価を上げたり、その人の給料を上げることはできない。更に、ウチの会社の購買もえげつないのでしょっちゅう値引きを要求して無理やり飲ませることもある。そうすると減るのは彼らの給料というのがこの世界の仕組みなのである。

がんばっても、いい仕事をしても給料が上がらない。それどころか下がる場合すらある。あるとき優秀な人材が所属会社を辞めるのでチームから離れるというので話を訊いてみると、どんどん年収が下がっていると言う。今の仕事はやりがいがあるけれど、結婚して子供が生まれたばかりなのでこれじゃあやってられないから会社を辞めざるを得ないと諦めたように言われてしまい、こちらも言葉を失ってしまう。

著者の「野心を持ってがんばれ」という主張は、このように徹底的に給料が上がらず、ポジションも上がらない人たちの世界においてはまったく響かないはずだ。どんなにがんばっても報われないのだから。彼らは書類上は正社員だけれど、どこかの会社の仕事のために派遣されているただの駒に過ぎず、そういう人を送り込むだけの会社がこの世にはゴマンと存在する。そういうリソースを大手の会社が使い、価格を叩く。そして、この仕組みの中に組み込まれている人は何万人、いや何十万人、何百万人もいる。

ならば転職してステップアップすればいいじゃないか、というのもバブル時代の発想だ。自分で考えて仕事をする力を持った優秀な人材は、履歴書やたかだか1時間程度の面接でわかるはずもなく、経済低迷の時代に虐げられ、閉塞した社会に閉じ込められてきた人目を引かない紙面上のキャリアで結局は評価されてしまう。もちろん、100人に1人以下のごくひと握りの優秀な人はそんな壁をも乗り越えることができるかもしれない。でも、そこまでエクセレントな人でなくても、15人に1人という人でも十分に良い仕事ができる。そしてそのくらいの人たちが一番社会に虐げられている。こんな世の中の構造を常に目の当たりにしている僕からすると、著者の物言いは少し世間を知らなさすぎると思う。著者が思っている以上に世の中の労働環境は悪くなっていて、若い人たちのやる気をとことん奪っているということはもう少し知っていてもらいたいなと思う。

このような重大な欠点を内包しているとは思いつつ、僕はこの本に書かれている基本的な部分には大いに共感した。

簡単に言えば「向上心を持て」と言っているだけで、それを自らの経験に重ねて面白おかしく書いている本、しかし向上心を持っている若い人がどんどん減っていることを嘆き、危機感を持つように言葉を投げかけている。

いつだったか、テレビの情報番組で「よし、今日はオレが全部おごってやる」と飲み会の席で上司がいうと今の若い人は「みっともないお金の使い方だ」と思うのだと紹介していた。昔は「いつかはオレもこうやっておごってやれるように出世するぞ」と思ったのに、と中年コメンテイターが嘆いていて、僕も同じように思ってしまった。確かにお金があれば心が豊かになるかといえば必ずしもそうではない。でも、そこを逃げ口上にして「だからお金に執心するのはみっともない」と飛躍して向上心のない自分を正当化するのもちょっと違うんじゃないかと思ってしまうのである。

この本に書かれているのはそういうことだと思う。

それで結局、仕事で凹んでいた僕にとってこの本はどのように有益だったか。たどり着いた結論は、「次の仕事で高い評価を勝ち取ろう」だった。うまくいかなかったことは先に書いた通り、反省しない。そんな嘘とまやかしの組織に加担して評価なんかされたくない。とはいえ、できない人間と評価された事実に対する屈辱は、よりできる人間と評価されるためのバネにしようと思うことにした。つまり、この本で言う「新規まき直し」に気持ちを切り替える。

この本を読んでいなかったら、たぶん反省し続けて、いつも以上に苦しんでいたに違いない。でもやっぱり、どう考えても自分がやっていたことの根本的な部分が間違っているとは思えない。もちろん世の中には自分と違う考え方をする人がいるのはわかっている。でも正しいことをして正しい評価を受けるのが僕の生き方だと、改めて思いを強くした。嘘やまやかしで保身に執心する人に評価なんてしてもらわなくていい。

さて、本そのものについても少し感想を書いてみたい。

先にも書いた通り、書いてあるエピソードはどう贔屓目に見ても古い。でも自分で体験してきたことしか書けないし、そこで言いたい本質的なことはわかってくれるだろう、というある意味図々しささえ感じさせる物言いで一貫している。たぶん、この作り方がアンチの人にとってもっとも揚げ足を取りやすいところだと思う。でも、普通に読めば言いたいことの本質は十分読み取れると思う。表現が古いというだけのことで、これに対して鬼の首でも取ったかのように批判している人はちょっと大人気ない。

また、みんながみんな、そこまでして野心を持たなければならないと言っているようにも読めない。偏見なしで読み進めていけば、現状維持でいいと諦めている人の中にはまだまだやれる人がいるはず、そんな人たちの潜在意識を呼び覚ましたいというメッセージが読み取れるはずだ。

正直に言うと、数々のエピソードを読んでいくと林真理子という人は少々品がないし知性もあるとは言い難いように思う。ただし、作家ならではの鋭い審美眼で人物を観察していて、品と知性がどんなものか、どういう人が一流に見えるかがわかっている人でもある。その両面が時と場合によって代わる代わる顔を出すところがなかなか面白い。

この本一冊だけで著者のすべてをわかったなどとと言うつもりはないけれど、自由に言いたいことを言っていることが伝わってくる(だから一定のファンがいるのですね)ので、ウケるのを計算して捏造したネタを工作しているなんてことはたぶんないでしょう。

よく、一流の人は自分を客観視できると言われるけれど、林真理子は明らかに自分を客観視できている人だと思う。ただ、「自分のスタイルはコレ」というものがあって、それが万人ウケする性質のものではないので批判も受けてしまうようだ。

でも、だからこそこの人の言いっぷりを聴いていると清清しい気分になってしまう。

僕も「ある程度ポジションも上がったから現状を維持できればいいか」と思い始めていた時期だったので、著者の煽りに乗せられて、まだまだがんばれるんじゃないかと思えるようになったという意味でも読んで良かったと思う。

まあ、ファンになったわけではないし、本の中にも同意できないことが少なからず書いてあるし、何度も読みたいと思う本ではないけれど、著者はなるほど注目を集めるに値する才能と個性の持ち主だとは思う。いずれにしても久しぶりに面白く読めた本だった。

(その後、仕事の契約がまとまると他に僕の代わりになる人がいないので案件に残ることになった・・・会社上層部というのはかくもいい加減で自分勝手なものである)

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