FC2ブログ

Enjoy Life, Enjoy Hobby

趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

「ラブ・アゲイン」

ラブアゲイン

あまり有名ではない、いわゆるラブコメ映画。

まず、邦題がお安い感じがしてとても残念。これだけで観る気がなくなる人がいるんじゃないだろうか。まあ、内容と合っていると言えば合ってますが。原題は「Crazy, Stupid, Love」。単に「クレイジー・ステューピッド・ラブ」でもいいような気もする。

調べてみると、ちゃんと日本でも公開している模様(WOWOWは未公開映画に邦題を付けて放送するときがある)。ただし、全国で8館、都内でも1館だったようなので目に付かなかったとしても無理はないかも。

男でラブコメをすすんで観たいと思う人はたぶんあんまりいないと思われ、僕も滅多に自分では選ばない。これは妻のチョイスで観ることになった。よって事前知識ゼロでの鑑賞。

いやー、かなり面白い。

別に深みがあるとかそういうことではないんだけれど、人物描写がしっかりしていて、脚本もきっちりできているのは確か。あとは、世間一般には馴染みが薄くても、映画を観慣れている人には結構な豪華キャストであるところも良い。特に、シリアスな映画でも良い演技を見せる俳優が何人もいるから、軽快な話でも過剰に軽くならない。ケビン・ベーコンがこんな役で出てくるとは思わなかったなあ。

個人的には、マリサ・トメイのパンチの効いた存在感が楽しかった。「スーパー・チューズデイ」で、見た目は冴えないけれどネタに喰らいつこうとするいかにもジャーナリスト役(ライアン・ゴズリングと絡んでいた)をやっていたのが初見だったので、この映画でのギャップが余計におかしい。「たぶんこの人はちゃんとした格好したら綺麗なんじゃないかな」と思っていた通りなかなかの美貌でちょっと行き過ぎた熟女を好演。他には、見た目垢抜けない思春期の純粋な男の子を好演していた長男役のジョナ・ボボも良かった。(ちなみにエマ・ストーンはちょっと苦手・・・)

あとは面白い台詞、特にファッション関係の軽妙な台詞がいっぱいあるのも楽しい。ファッションへの関心ゼロのスティーヴ・カレルにライアン・ゴズリングが言う台詞が笑える。

「あんたは中学生か?」「いや」「じゃあスティーヴ・ジョブスか?」「違う」「ならスニーカーを履く資格はない」とNew Balanceのスニーカーを捨てるシーンや「GAPで満足するな」(Be better than the GAP)っていう台詞は、実は笑えないお父さんもいるんじゃないだろうか。

それから、ダブダブが流行だった時代を通り過ぎて今のピッタリ服にトレンドが変わってきたことを知っている僕の世代の中には、イマドキの服を窮屈だと避けて、ダブダブから抜けられない人もいるんだけれど、まさにそんな感じのカレルが言う「20年違うサイズの服を着ていた」(I’ve been buying the wrong sized suite for like twenty years.)という台詞もクスっと来る。

New BalanceとかGAPとかを実名でこんな風に扱っていいのかっていう心配したくなってしまうけれど、観ている人にはとっても伝わりやすくて実感できる笑いになってしまう。あと、マジックテープの財布も含め、日本もアメリカもダサいファッションというのは変わらないんだなあということがわかったのも面白かった。

僕もそれほどファッションに興味がある方ではなく、ついついユニクロやGAPで済ましてしまうんだけれど、やはり45歳でそういう服しか持っていないのはマズいだろうと思って、時にはBrooks BrothersやBurberry(ただしBlack Label)の服を買ったり、JIL SANDERの財布を選んだりしている。ちょっと贅沢かなあと思ったりもしたんだけれど、ある程度良いものを身に着けようという意識がなくなっちゃうとやっぱりヤバいんだなあと身が引き締まる思いでした(冷汗)。

この映画、ラブコメ好きは必見ですよ。

Rainbow Rising

Rainbow Rising


前回は、80年代の僕たち世代は雑誌やテレビという限定された情報を頼りに洋楽知識を得ていたことに触れた。

実はもうひとつ、ごく自然に情報を得る手段として周囲の友人の口コミというのもある。

学生時代の80年代後半ころ、(本当は既にピークは過ぎていたのかもしれないけれど)僕の周辺でハードロック小僧に圧倒的な人気を誇っていたのがリッチー・ブラックモアだった。

リッチーのギターは派手でスピーディ、誰が見ても華やかで目立つ。ギターソロには少年に分かりやすい凄さがあった。

ところが僕はそれほど好きになれなかった。トリッキーで見世物的なギタープレイは「エレクトリック・ギターはこんな弾き方ができるものなんだ」という思いにさせるほどだったのは間違いない。一方で「こういうふうに弾くことがギターの本当の魅力と言えるんだろうか」とも思っていた。少し天邪鬼な性格がそう思わせていた部分もあったかもしれない。

当時の僕は70年代のブルースロックに大変魅力を感じていて、例えばフリー、ハンブル・パイ、テン・イヤーズ・アフター、ウィッシュボーン・アッシュといったブルースを基盤に持つバンドを愛聴していた。大好きなクイーンのブライアン・メイも基本はブルースだ。これらのバンドのギタリストは、アルヴィン・リーを除けば驚くほどの早弾きをすることはなく、しかしシンプルなブルースを基本に少ない音数による表現で勝負していた。指を早く動かすよりもチョーキングだけでどれだけ魅力的なニュアンスを出せるかの方が僕には重要だった。

リッチーのギターはブルース系ギタリストとは対極にあって、生意気にも音楽的に浅いと思っていたわけです。
もちろん、リッチーがただ早く弾くだけのギタリストではなく、表現力を持った素晴らしいのは今となってはよくわかっていますが。

リッチーをそれほど好んでいなかった僕でも、これは名盤だと思っていたのがこの「Rainbow Rising」。とりたててファンというほどでもないので、デラックス・エディションが出ていることを最近知り、聴いてみた。

このアルバムはトータルで34分にも満たない。CD時代には有り得ない短さながら、その短さによって1枚のアルバムとしての印象を高めている。余談ながら、人間の集中力は最大でも30分と言われているのに、詰め込めるからと言ってCDに曲を詰め込んでいるアルバムを見かけるけれど、長ければ長いほどアルバムの質を維持できないことに早く気づいた方が良いと思う。アナログLPの標準的な収録時間である40分前後というのは、実は1枚のアルバムとして聴くには最適な長さだったと思う。

話がそれてしまった。

レインボー(今ならきっと「レインボウ」という表記になるんだろうな)はバンドとしての力はそれほどでもないと思っている僕でもこのアルバムの凄みはよくわかる。というかぶっちゃけこのアルバムはコージー・パウエルのドラムが凄すぎる。個人的は分かり易い曲とドラムの迫力を堪能するためのアルバムだと思っている。

デラックス・エディションでは、Los Angels Mix なるものも収録されていて、こちらはジミー・ベインのベースの音量が高くなっており、ベースの重要性を再認識してくれるものの、ギターとのユニゾンか、バスドラムに合わせただけのベースにそれほど見るべきものはなく、フランジャーなどの音響効果も多用して作り上げたオリジナルの New York Mix の方が完成度が高い。

とはいえこのデラックス・エディションは、かつて聴き倒してきたマニアならかなり楽しめることでしょう。聴き倒すまでは行っていない僕でも細かい発見があって楽しめているくらいなのだから。

インターネット時代の娯楽情報がもたらすもの

前回書いた「ロック・オブ・エイジズ」、映画の掲示板を覗いてみると僕と同じようにノスタルジーに浸っている人、それを喜んでいる人が想像以上に多くいることがわかって少々驚いてしまった。こう言ってはナンだけれど、映画のレベルが高いというわけでもないのに結構な盛り上がりを見せているのは、同じものを見て同じような気持ちになれるという「共感」を呼んだからでしょう。

ふと今の10代後半~20代前半の若者たちは、何に夢中になり、何を共有しているんだろうかという疑問が頭をよぎる。少なくとも音楽については、誰もが知っている歌というのがほとんどなくなった今、共有しているものが実に少ないように見える。

同じ世代の人たちが同じ文化を共有しているという感覚が薄れてきているのは、情報の取捨を自分でコントロールできるようになったインターネットの影響がかなり大きいと思う。

例えば、80年代に洋楽を聴いている人たちが得ていた情報は、いくつかの音楽雑誌(ミュージック・ライフや音楽専科)といくつかのテレビ番組(ベストヒットUSAやローカル局の独自放送)に限られていた。これらのメディアで情報を提供しているのは、国内外のレコード会社からの資料や、海外メディアのニュースを元にしていただけのもので、極めて限定的であり、情報提供をする人も同じような顔ぶればかり、つまりはその人たちが取捨選択したものだったんだと思う(クラシックやジャズも大同小異だったようだ)。インターネットもない時代に、海外の雑誌を取り寄せ、英語を読み解くような知力と労力と財力を駆使してまで情報を得ようとする若者はさすがにごく一部に限られており、公共メディアでの情報提供に頼るのは至極当たり前のことだったと言えるでしょう。

これには良い点と悪い点がある。良い点はある程度出所がしっかりしている情報が整理されて展開されること。悪い点は情報整理が不適切だと誤った認識や観念がリスナーに植え付けられる可能性があり、情報整理者が自身の思いで脚色してしまうとそれで洗脳されてしまう人が増殖する恐れがあること。

海外旅行が今ほど一般化してなかった時代に外国の音楽事情を知っている人など稀で、熱心な音楽ジャーナリストが渡航して得た情報は、その人が見た範囲だけのものでしかないにもかかわらず、圧倒的な事実情報として受け手に届けられてしまう。例えば、LAに行ったへヴィメタル系のライターが「LAにはイングヴェイより上手いギタリストが山ほどいる」と書けば、確認する手段もない読み手は「そうなのか」と実際に見た人の強みに逆らうことができない。

インターネット社会の現代においては、日本語のやりとりだけでも多くの情報が得られるし、英語が読めればかなり広い範囲で情報を得ることができる。その情報量はもはや個人で整理できるレベルを超えており、与えられていたものを重宝してありがたがってきた昔とは違い、自分で好みの情報のみを吸収すことができる状態になっている。

そんな現代と比較すると、80年代の洋楽好きは今と違ってほぼ同じものを見て、聴いて、読んできた。アメリカ人だってみんなMTVで同じものを見ていた。だから「ロック・オブ・エイジズ」で取り上げた曲や80年代のカルチャーを、同じ世代の人が同じように懐かしく感じることができる。いや、80年代のカルチャーだけではなく、情報が少ない時代には、同時代の人々は同じものを必然的に共有することは当たり前のことだった。

ちなみに、僕は中学生のとき(82年)からクイーンに熱中していてすべてのレコードを揃えていた。でも彼らのライヴ・パフォーマンス映像を観る手段が当時はなく、ただただ想像するしかなかった。フレディはどういう姿で歌っているのか、ブライアンはどのように指を動かしているのか、ロジャーはどうやって歌いながらドラムを叩いているのか・・・。それは会えない恋人に思い焦がれる純粋な想いのようなものだったかもしれない。結局、85年に武道館で観たのが初めての動くクイーン体験というのが僕の世代では普通のことだったのだ。今ではタダで動くクイーンを見ることなど小学生でも容易いことになってしまった。便利なことは素晴らしい。でも、僕は情報の飢餓感というのは、人の興味をより強くさせる大きな要素だと思っていて、モノと情報に満たされることが何かを深く知ろうという意欲を削いでしまっている面があるんじゃないかと思っている。

もちろん80年代だって日本の若者が洋楽ばっかり聴いていたわけじゃない。僕の記憶では日常的に洋楽を聴いていたのはせいぜい3人に1人くらいだったと思う(しかも首都圏での話)。本当に好きで聴きこんでいた人となると更に3分の1くらいにのレベルでしょう。「ロック・オブ・エイジズ」を「アレ、懐かしいから観てみなよ」と勧められるほど洋楽を愛聴いていた人は、今でも付き合いのある同級生の友達の中には1人か2人くらいしかいない。

ところがネットの世界であれば、それを共有して語り合えるかつての若者を沢山見つけることができる。

若い頃にネットがなかったからこそ共有してきた一部愛好家向け文化を、ネットが当たり前の時代だからこそまた共有できる。僕は自分の音楽の嗜好からするとあと10年~20年早く生まれたかったと何度も思ってきたけれど、こんなことを考えているうちに、情報に飢えていた時代の良さを知りつつ、情報を簡単に共有できる時代の良さを両方味わえる自分の世代も悪くないなと思えるようになってきた。

でもねえ、「ロック・オブ・エイジズ」のようなみんなでノスタルジーに浸れる映画は20年後には成立しないんだろうな、きっと。

「ロック・オブ・エイジズ」を観てみた

Rock Of Ages

1967年生まれの僕は、高校、大学生時代(80年代後半)はツッパリだった。

素行のことではない。音楽についての話。

クイーンから洋楽に入ったあと、僕の好みは徐々にハードな方向に傾倒していった。

レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、フリー、ハンブル・パイ、ウィッシュボーン・アッシュ、テン・イヤーズ・アフターなどなど、黄金の70年代ロックに(他にはキング・クリムゾンなどのプログレ系も)ハマっていった。リアルタイムの音楽ではなく、既にその時点でなくなっていたバンドのレコードばかりを買い漁っていた。

なぜ、自分の幼少期である70年代前半の音楽に惹かれたのか。まず、音楽のどこかにユルさ(大らかさ)があり、人の温もりが感じられるものだったこと。音楽的にはブルース色が濃く、白人によるブルースの解釈がツボに嵌った。この「白人による解釈」にそれぞれ強い個性があるのがまた大きな魅力だった。そう、この時代は大衆迎合や物マネは聴き手がブーイングを浴びせるという素晴らしい時代だった。純粋に音楽を愛し、表現していた人たちが鎬を削っていた時代、どのバンドの音楽にも溢れるようなパッションがあり、聴いていてそれが伝わってきた。

一方で、80年代にリアルタイムで活動していたロック・グループといえば、ケバケバしいだけでサウンドが軽いLAメタル系、さらにヒットチャートを賑わしていたのはジャーニー、フォリナーなど、今となっては口にするのも気恥ずかしいAOR(Adult Oriented Rock)系ばかり。ガツンと来るものもなければ表現の深みもない、ただ耳あたりがいいだけのロック。「キーボードがチャラチャラいってる軽薄なモンはロックなんかじゃねえ」と僕は忌み嫌っていた。(例外的にナイト・レンジャーとデフ・レパードは割と好きで聴いてましたけど・・・)

僕はへヴィでピュアなロックこそがこの世でもっとも素晴らしいと思っている音楽のツッパリだったというわけです。

ここでようやく本題へ。

トム・クルーズがミュージカルを演っているという「ロック・オブ・エイジズ」を観てみた。予備知識が「トムがロック・ミュージカルを歌っている」だけという状態で。

トム・クルーズが出演していたとうのに、この映画、日本ではあまり話題になっていなかったような気がする。観てみると確かにトムである必然性をあまり感じない。こんな役をよく引き受けたもんだなとも思う。それでも、そこにいるだけで存在感があったのは確か。

「ヘアスプレー」の監督ということで、映画の雰囲気やタッチは正直なところ自分に合わなかった。だから映画として好きかと訊かれると「いやそれほどでも」というところになってしまう。

ところが、ここで流れる曲がいちいち懐かしい。

取り上げているのは当時アメリカで流行したロック系の曲ばかりで、僕の好みとは違うんだけれど、何しろもっとも感性が鋭い10代後半に耳にしてきた曲ばかりで9割以上は口ずさめるというヒット率である。

デイヴィッド・リー・ロスの "Just Like Paradise"、ツイステッド・シスターの "We're not gonna take it"、クワイエット・ライオットの "Come On Feel The Noise"、ポイズンの "Every Rose Has Its Thorn"、REOスピードワゴンの "Can't Fight This Feeling"、スターシップの "We Build This City" などなどはCDなんて一度も所有したことがないし、ここ25年以上は耳にもしていないにもかかわらず、サワリだけで体が反応してしまう。

同時代の音楽というのは好むと好まざるとにかかわらず、自然と耳に入ってきていたんだなということを強く実感した次第。たぶん同世代の洋楽ロック・ファンにはまたとないタイムスリップ・ムービーだと思う。

ストーリーは他愛のないもので、コメディとして気楽に観れるのもイイ。キャサリン・ゼタ=ジョーンズが美味しいところを全部持っていってしまうのもまた楽しい。

ちなみに当時、「卑猥だ」「悪魔崇拝だ」とか「自殺を幇助する」とかいって歌詞を検閲し、レコードをレイティングしようとする動きがあり、後に副大統領になる(いや大統領になれなかったと言うべきか)のアル・ゴア氏の奥様、ディッパー・ゴア氏はそういう団体であるPMRC(父母音楽情報源センター:はずかしい名前・・・)のリーダーとして君臨していたのは本当のことで、そういう時代背景もこの映画はうまくネタにしている。

近所でサマーソニックをやっているのに、エアコンが効いた部屋でこういうのが楽しいなんて言っているのはオジサンの戯言ではありますが、久しぶりに気持ちがスッキリしました。

映画が終わったあとはクラシックなんて放ったらかしてロック三昧。やっぱり本当に好きなのはロックなんだなと再認識した次第。

余談ながら、今ではジャーニーの「Escape」と「Frontiers」は名盤だと思ってます。

該当の記事は見つかりませんでした。