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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

「THE GUILTY/ギルティ」(ネタバレあり)

ギルティ202004


ネタバレなしで映画について書くのは難しい。この映画は特に。この記事ではできるだけ控えたつもりですが。

ほぼ一人芝居、場所は部屋だけのシチュエーション設定のアイディアに「なるほど」とか「その手があったか」と思わせ、世間の評価ではそこだけが一人歩きしている感もある。また映画会社の扇動的な宣伝文句に踊らされて観た、映画を観慣れていない人による感想も少なくない。

ちなみに、その種の観慣れてない人が集まったときにに良く見られるのが「どんでん返しは読めた」というもの。このコメントは入るだけで「ああ、この人映画に通じた人じゃないんだな」とわかってしまう。読めるか読めないかなんて映画にとって重要なことではないということがまるでわかっていない。そして、読めたことを証明できない場所で後出しで「読めた」と胸を張って言うことの愚かさに気づいてない精神年齢の低さも痛々しい。更に言うならば、この映画のストーリーはどんでん返しでもなんてもなく、単に話が展開しただけに過ぎない。

でもですね、こういうのが面白い映画というものですよ。

アイディアが面白いからではない。110番(デンマークでは112番だそう)で主人公がオペレーターとして受け取った会話、携帯で同僚とする会話が98%という、限られた条件の中で、この主人公の性格、頭の良さ、正義感、一方で自分勝手さ、私生活の問題がわかってくる。電話の相手の人物像も然り。これは脚本がよほどしっかりしていないとできない芸当。

ほぼ終始主人公の顔しか映っていない画面で感情の機微を表現する主演役者の演技も素晴らしい。電話相手の声の演技も、不自然さがないにもかかわらず、「向こう側」の状況が手にとるようにわかる。この映画の凄いところは、電話相手がどんな人なのかを思い浮かべずにはいられないところ。見えていないところの想像力を掻き立てる演出も、相当頭を凝らしていないとできない芸当だと思う。

あと、この映画は音響環境が極めて重要。会話だけなので家のテレビで観れば良い、という意見が多いけれど、電話の「向こう側」の状況がわかるのは音だけ。その音は、電話越しであるため、小さい音量でしか聴こえない。その音の機微を感じるためには優れた音響設備が欠かせない。

もちろん、映画なんて好みの世界でもあるわけで、この映画をつまらない、くだらないと評するのは個人の自由ではある。僕も、傑作とまでは思わない。でも、製作者がアイディアを絞り、練り上げて、丁寧に作った映画であることがひしひしと伝わってくる。僕が良い映画の判断基準にしている、人の心の動き、人間とはそういうも生き物(自分勝手でご都合主義)だ、というところがしっかりと表現できている。「カメラを止めるな」と同列に語る人もいるようだけれど、人物描写に関しては天と地ほど、レベル差がある(まさに大人と子供の違い)。

好き嫌いはともかく、この映画をデキの良い映画と思えるかどうかで、映画鑑賞の成熟度がわかるリトマス紙的な映画でもあると思う。

「グリーンブック」(ネタバレ控えめ)

グリーンブック20200223


アカデミー作品賞受賞で、ネットの掲示板でも破格の高評価を得ているこの映画。

あらすじを読んだだけで、どんな話なのかおおよそ想像がつく。黒人が屈辱的な差別を受けてきた映画も既に数多くある(「ヘルプ ~心がつなぐストーリー~」「ドリーム」、余談ながら共にオクタヴィア・スペンサーが出演していて本作でもエグゼクティブ・プロデューサーに名を連ねる)中で、展開も着地点もほぼ見えているストーリーを楽しんで観ることができるのかと、一抹の不安を抱きながらの鑑賞。

結論から言うと心配は無用。娯楽映画として、とても良くできた映画に仕上がっている。

もちろん、南部に行くほど黒人差別を目にするようになっていくんだけれど、それをエグく演出過多に描いてるシーンは少ない。それによって、さりげない日常の中に差別が根付いていることを控えめに印象付ける。

この時代のジャズ・ミュージシャンが南部に行ったら差別を受けるなんて当然だよね、当たり前すぎて話がベタベタになっちゃうんじゃないの?という懸念は、このドン・シャーリーというあまりにもユニークな音楽家の個性とバックグラウンドによって、一筋縄ではいかない苦悩によって払拭される。

映画で観ていても、ドン・シャーリーの音楽はあまりジャズっぽくなく、むしろクラシックの影響を強く感じさせながら、しかし黒人らしいフィーリングが漂っていることを感じさせる。そして、クラシックのピアニストを目指しながらも黒人では成功の望みがないことから仕方なく選んだ道であり、それ故にこのような音楽を演奏しているのだということが説明されている。しかし、クラシックの道を歩んできたドン・シャーリーは、黒人なのにリトル・リチャードもアレサ・フランクリンも知らない。黒人らしい音楽の道を歩んできたわけではなく、黒人が目指さない道に進みたかったのに、結局は独自の実験的な大衆音楽に進むことになり、そのオーディエンスが白人のインテリぶった富裕層であるというのも皮肉である。この複雑な音楽的背景に、同性愛者であることが加わり、いくらホワイトハウスに呼ばれて演奏するほどの評価を得ていても自分が何者なのかという葛藤から抜け出すことができない。

そんな複雑な背景を背負うピアニストの心を、粗野なイタリア系ボディ・ガードが解きほぐして行く。黒人差別はもちろん重要な部分だけれども、最大の見どころは、人間ドン・シャーリーが抱える複雑な事情を汲み取って理解を深めて行くトニーの人間としての懐の深さにある。

単なる黒人差別に同情して正義感をひけらかす映画ではなく、深い部分での人と人の心のつながりを丁寧に描いているからこそ、ここまで心に染み入るんでしょう。銃の扱い、手紙の扱いも思わずニヤッとさせられる演出があり、堅実な作りながら、丁寧で上質な人間ドラマを描いている。後味の良さも、過剰な演出がなく心に染みる。単なる「いい話」に陥らない、しっかりと作られた良質な映画。観て損はありません。

「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」(ネタバレあり)

ペンタゴン・ペーパーズ202002

実際にあった、ワシントン・ポスト紙の話を映画化したもの。原題は「The Post」。

政府と歴代大統領がひた隠しにしてきた、ベトナム戦争の秘密、具体的にはアメリカが介入することに意義がないこと、戦況が思わしくなく勝ち目がないことなどの隠し事を、ジャーナリズムが暴くというある意味わかりやすい話。

しかし、見始めると少々とっつきにくい。登場人物が多く、西洋人の顔と名前と覚えるのが苦手な人には状況が掴みにくいかもしれない。でも、そこはあまり重要ではない。話の主題は中盤以降にあるから。

ジャーナリストの権力監視と国家機密の保護のどちらが正当化されるか、という意味では線引きが難しいかもしれないけれど、不都合なことを隠して体裁を守ってきた政権側が正当と見る人はまずいないだろう、という意味で話は結局、善悪のはっきりしたものになっている。

この映画が素晴らしいと思うのは、(いつも言うように)人間をしっかり描けているから。権力監視、報道人としての義務感という意味で熱心に機密情報を暴き出そうとすることは正しい行為だと言える。でも、例えばトム・ハンクス演じる編集長は、ニューヨーク・タイムズに遅れを取りたくない、遅れを取ったら自分の立場が危うくなるからスクープを発表しなくては、という保身の要素も垣間見える。単に正義感を貫くという綺麗事だけでなく、ある意味人間らしい原始的な動機で行動している面も描いているところが良い。

撮影などの技法では、相変わらずスピルバーグは光の使い方が上手いな、と思う。自然光をうまく入れて室内の雰囲気を作るところ、また、冒頭で機密情報を持ち出すときに文書をコピーしているジャーナリストの顔に、コピー機のスキャンの光を顔に当てて緊迫感を表現する演出はいかにもスピルバーグらしいところ。

演技面で言うと、トム・ハンクスは高値安定。どこかユーモラスな面を内包しながら、正義感を持ったキャラをうまく演じられる役者であることを見せつける。その他、脇役もみんな上手い。そしてなんと言っても素晴らしいのがメリル・ストリープ。

「プラダを着た悪魔」以降、ボスキャラ的な貫禄女優としてのキャスティングばかりで、そのイメージが定着して、観ている方としては食傷気味なメリル・ストリープ。しかし、この映画で演じるのは、家族経営のワシントン・ポスト氏で、父と夫を亡くしたが故に、自分の意思とは関係なく社長として仕事をしなてはいけなくなった女性。故に、自信がなく、強靭な意思を持って経営方針を決められない。まだ、女性が意見を言うことが憚られる時代で、社長であっても経営会議では(リハーサルをしてきたのに)恐る恐る発言することしかできない気弱な女性でもある。そんな自信のない女性を、メリル・ストリープはまったく違和感なく演じている。政権の圧力を恐れずに機密情報を掲載する決断をしたことに、観ている人が高揚感を抱くことができるのは、メリル・ストリープがこの女性社長のキャラクターを完全に消化して演じきっていたからに他ならない。

トータルで見て、クオリティの高い映画であることは間違いなく、映画ファンであれば間違いなくその完成度に満足できる違いない。

差別や、自分さえ良ければ良いという風潮が世界中で強まり、特に我が国においては権力を握っている政治家が、税金や政治を私物化している状況にあっても、日本ではこういう映画やドラマを作る人がいない。日本という国はジャーナリズム、マスコミを含めて、とても不健全だな、ということにも考えが及んでしまう。そもそも、トランプ政権が誕生したときに急いで制作した、スピルバーグの思いが込められた映画ではあるけれど、日本にとっても他人事ではないメッセージが詰まっている。

「THE UPSIDE 最強のふたり」(ネタバレあり)

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フランス映画で大ヒットした「最強のふたり」をハリウッドがリメイクした、ということで話題のこの映画。どんな仕上がりなのかと興味津々で映画館へ。

オリジナルのフランス版はネットでの評判も高く、フランス国内でも大ヒットした映画。僕も楽しく観た。紆余曲折あったとはいえ、フランス版は全体に明るくコメディー色が強いハッピーなトーンだった記憶があり、そこが魅力でありつつも、僕はあまり得意な雰囲気ではなかった。実話を元にしているとはいえ、演出としてそういうやり方を選んだのでしょう。

ハリウッド版はどうだったか。冒頭のカーチェイスのシーンは、そのままフランス版をなぞるという手法。それ以外はまったく同じような描写はしていないけれど、あえて冒頭のシーケンスを同じにしたところに、アメリカ版の自信が現れていたように思う。

全体の雰囲気も、ところどころクスっとさせるところはありつつも、全体的に落ち着いた真面目なトーン。黒人介助士の家族構成や生活レベルの低さ、多くのアメリカ黒人同様に収入の低い職業にしか就けず、盗みをすることも「どうせ自分のような黒人は社会の落ちこぼれなんだから」という諦感をハッキリさせる描写(少々やりすぎ感はあるけれど)もアメリカ的。

音楽の対比では、フランス版がフィリップはクラシック愛好家でありながら、黒人介助士(ドリス)はパーティのときにEW&Fの曲で踊るシーンがあったくらいだったのに対し、フィリップは熱心なオペラ・ファンで、黒人介助士(デル)はアレサ・フランクリンのファンとより音楽の好みを明確にして、最後にオチを付けているところはハリウッド版の作り込みの巧さを感じさせる。

フランス版の評判が良いのは観ているときも視聴後感も爽やかな気分になれるからでしょう。ハリウッド版は、ハリウッド版という言葉からイメージされる華やかさはなく、実直に作ってあってある意味地味。いくら実話を元にしているとはいえ、映画なんて所詮作り話なんだから、という潔さがフランス版なら、実話をベースに人生の機微を丁寧に作っているのがハリウッド版。ニコール・キッドマンの使い方も上手いし、同じ話を違う映画として見せるという意味では、この2作はとても良い対比になっていて面白い。

個人的には、アメリカ版がシンプルな人間ドラマになっている分、心に染み入ってきました。良質な人間ドラマ映画としてオススメできます。フランス版を観ていない人にこそ観てほしい。

「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男」(ネタバレあり)

ボルグ・マッケンロー201909

僕がテニスを真剣に見始めたのは81年ウィンブルドンから。この年は、マッケンローがボルグに勝利して、ボルグの6連覇を阻止した年として知られている。マッケンローは悪童として名を馳せていて、世界的に見てもボルグを応援する人が多く、中学1年生の僕もボルグを応援していた。そして、結果は世代交代を実感させるものだった(まさか翌年にコナーズが復活するとは誰も予想していなかった)。

その前年、今でもテニスファンの語り草になっている伝説のウィンブルドンの決勝を題材にしたのがこの映画。

ボルグとマッケンロー、あらゆる面で対象的な2人はそれだけでファンの関心を惹いていた。1人は哲学者のような風貌と心を乱さない冷静沈着なキャラクター、もう1人は感情をありのままに表に出す荒くれ者。1人はベースラインの後方でトップスピンをかけて粘り強く打ち返すベースラインプレーヤー、もう1人はサーブアンドボレーを中心に、スピードと並外れたテクニック(彼以上の技巧者は今でもいないと思う)を駆使したネットプレーでポイントを重ねる攻撃型プレーヤー。

80年のウィンブルドンは、映画でも描写されていた通り、第4セットの伝説のタイブレーク、その末にセットを失ったボルグがファイナルセットを接戦の末にモノにするというドラマが未だに語り草になっている所以。では、テニス史に残る試合をどう描くのか、テニスファンであり、映画ファンでもある僕にとってこれほど興味を引く作品はない。

まず、テニスのシーンのリアリティはなかなかのものだと思う。もちろん、顔が写っているシーン以外は役者ではない吹き替えで、それでもフォームやスイングも厳密に言うと完全コピーにまでは至ってないし、テニス経験者なら作り物感を覚えるところは確かにある。それでも十分、この2人のムードを出せているし、プレーの臨場感もあった。試合のシーンは、映画としてはほぼ満点をあげてもいいくらい、がんばっていると思う。

役者のなりきり度合いも、完成度が高い。特にボルグ役のスヴェリル・グドナソンは猫背の姿勢などまでほぼ完璧なコピーっぷり。マッケンローの身長が180センチと知っている僕には、シャイア・ラブーフは背が低すぎて違和感があったけれど、悪童の雰囲気は良く出していたと思う。

2人の人物描写は、映画としてのケレン味を考慮してもよく描いていたように思う。ただ、連覇を続けるボルグがプレッシャーと戦っている苦悩が割としつこく続いて、正直な所、途中で胃もたれしてきてしまう。映画なんだから、いろいろな要素を持たせて苦悩の幅を広げてしまっても良かったように個人的には思える。一方で、マッケンローのエピソードはそれほど触れる要素がなかったのか、あまり掘り下げておらず、ヤンキー(ニューヨーカー)丸出しの行動、服装、髪型でキャラクターを作った感じがする。シャイア・ラブーフは実生活でも問題行動が報じられていて、そのイメージをうまく使った感じがしなくもない。とはいえ、ボルグの幼少時代はキレやすい性格であったこと、品のないヤンキーイメージのマッケンローが比較的裕福な家庭で育ってそれなりの教育を受け、頭が良いことにも触れていたこと、対照的と思われている2人が実は似た者同士だったという描写は、長くテニスを見てきた人にとっても新鮮で楽しめる部分だったと思う。

総じて面白い映画だったとは思うけれど、これが例えばF-1映画「ラッシュ」のようにアメリカのエンターテイメント性が加味されれば、もっと面白い映画になったのでは?という思いがしないでもない。なにしろ、全体に遊びがない。少しクスッと笑えるような余裕があると、映画としてもっと面白くなったような気がするんだけれど、それはちょっと欲張りすぎというものなのかもしれない。

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