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趣味の人生を楽しむサラリーマンの日記

ユリア・フィッシャーに魅せられる

ユリア・フィッシャー201903

某ネット販売サイトでクラシック映像ソフトのバーゲンセールがあり、その中で選んだ1つがフランツ=ヴェルザー・メスト指揮クリーヴランド管弦楽団のブラームス・ツィクルス。

ちなみに、過去にはカラヤンやバーンスタインのDVDなども鑑賞したことがあるけれど、映像、カメラワークがいかにも古く、また、70年代の録音なら十分に聴け音質のCDやレコードが、映像の音質となると数ランク劣ってしまう(フィルムに記録できる音質には限界があったから?)。だから僕は最近の映像作品、少なくとも16:9の画面で、マルチトラックのマスターテープから5.1ch再生のために丹念にトラックダウンしたソフトでないと観る気がしない。

クリーヴランド管弦楽団の映像は、当然ハイビジョン、音声はDTD-Master Audioでの収録とあって、画質も音質も申し分ない。この3枚組ブルーレイには、ブラームスの交響曲、管弦楽曲の定番3曲、そしてヴァイオリン協奏曲とピアノ協奏曲2曲が収められている。昨年の6月にサントリーホールで実演に接して、クリーヴランド管弦楽団は世界でもトップクラスの実力を持つことがわかっていたから、高画質、高音質が期待できるこのブルーレイセットは間違いなく楽しめるだろうと期待しての購入だった。

交響曲は、全体的に早めのテンポで、大げさに音を引き伸ばしたりせず、しかしオケは実に良く歌っているという演奏。英国プロムス(ロイヤル・アルバート・ホールという録音条件の良くない会場)収録の1番でも音質は素晴らしく、最上の録音で聴くことができるブラームスの映像ソフトだと思う(演奏の好き嫌いはあるにしても)。

ピアノ協奏曲はブロンフマンの演奏で、抜群の安定感と品格のある表現が素晴らしく、最上の録音と相まって聴き応えがある。

クラシックを聴き始めて6年、CDを大量に買って聴き、それなりに多くのコンサートに足を運んだ結果、どのようなオーケストラが素晴らしいのかということはだいぶわかってきたつもり。一方で、ソリストの良し悪しというのはあまりわかっていない。テレビ放送やCDで聴くソリストは当然、世界レベルの一流がほとんどで、誰を聴いても技術が不足していると感じることはない。それが、最近になってようやく少しずつ演奏の良し悪し、というか自分が良いと感じる演奏がわかるようになってきた。

ピアノは自分で弾き始めて、その難しさを身に沁みて感じるようになったことがやはり大きい。要求されるタッチの難しさ、強音と弱音のダイナミックレンジの表現の難しさは、ピアノを1年も習ってみたらプロの演奏家の凄さがわかるようになってくる。しかし、ヴァイオリンという触れたこともない楽器の技巧については想像がつかない。一流演奏家の演奏ばかり聴いていると、そのくらいのレベルの演奏が当たり前だと思ってしまう。

それでもなんとなく良し悪しがわかるようになってきたのは、テレビ番組で演奏している、決して一流とは言えない人の演奏を数多く聴いてきたことも要因。いささか上から目線的な物言いになってしまうけれど、そういう人たちの演奏を聴くと明らかに物足りない。まず、音量が出ていない。音色に艶がない。要するに楽器が歌っていない。おまけに音程やリズムが不安定で正確さに欠けている。演奏者は、自身の意図で揺らしたり、強弱付けをしたりするものだけれど、一流の演奏家が色付けして曲を豊かに表現するのに対して、それほどプロとしての実績を認められていない演奏家だとそれが稚拙に聴こえてしまう。生意気な言い方だけど、レベルがまちまちな演奏を多く聴くことで、一流の演奏家がいかに技術と表現に長けているかがわかるようになってくる。

そんな時期になってから聴いたのがこのクリーヴランド管弦楽団のブラームス・チクルス。ここでのヴァイオリン協奏曲は、名前だけは知っていたユリア・フィッシャーの演奏。初めて観たときに、目と耳が釘付けになってしまった。

ユリア・フィッシャーの演奏は、基本的には生真面目で折り目正しいもので、もちろんヴァイオリン奏者として音の表情付けはしているけれど、格調高く、端正な表現を持ち味として、大げさに揺らしたりヴィヴラートをかけることで情感を煽るという安易な手段を採っていない。卓抜した技巧と、抑えを効かせつつも見事に楽器を歌わせる音色は、実直で清楚でありながら、ヴァイオリンの持つヒステリックな音、荒々しい音から極限に繊細な音まで表情も豊かという技巧と表現のバランスが、それはそれは見事なものだと感動してしまった。

あまりの感激にフィッシャーのCDを収集して聴いてみると期待通りの素晴らしさで、バッハ無伴奏ヴァイオリン集はPENTATONEレーベルの最上の録音と相まって、至高のヴァイオリン演奏となっている。ヴァイオリンのソリストは、シェリング、ムター、ハーン、ヤンセン、ツィマーマン、ハイフェッツ、バティアシュヴィリ、五嶋みどりなど数多くの名手がいて、それぞれに個性があるけれど、これ見よがしでない端正な演奏に、しかし確かな技巧、そして情感まで兼ね備えたフィッシャーの音は誰とも全く違う個性があって異次元に聴こえる(あくまでも僕の感覚ですけど)。

これまで、特定のソリストを熱烈に聴いてみたいと思ったことがない僕にとって初めて「ファンである」と言える存在になってしまったユリア・フィッシャー。7月にあるという来日公演が楽しみです。

ピアノ・レッスン 第44回

(ピアノレッスンの記事は自分のための備忘録を主目的としています)

チェルニー Op.599-No.19前半部。2小節目と4小節目の左手和音変わりのタイミングが違っていて、しかし同じように変えてしまう生理的な反応を修正するのに家での練習では苦労してきた部分。レッスンでもややトチリながらもなんとかこなす。それに気を取られていることもあってか、左手のコード変更でスムーズに行かないことで手首が下がってしまう。この、スムーズに弾けないところ、力が入りにくいところで手首が下がる癖はそう簡単に修正できるものではなく、長期的なテーマとして意識し続けていかなくてはならないようです。

また、曲の強弱の付け方について興味深いことを教えていただきました。もちろん、原則は譜面に従うのですが、右手と左手が中央に寄っているときは弱めに、両手が(音域が)広がるときには音を主張したいからなので強めに、という意味合いを持たせていることが多いとのこと。表現のコツのひとつとして覚えておきたいアドバイスでした。

次はリトルピシュナ46番、左手のみの練習。これまで取り組んできた曲にはなかった左手の返しを多用する、そしてそれを練習するために取り組んでいるわけですが、今の所、黒鍵に白鍵が交じる(黒鍵の間の白鍵に指をねじ込む)ところで打鍵が弱くなり、その先をスムーズに動かすことに影響が出てしまっている。それを克服するために手に力を入れて最初から広げる形を作る、という状態を無意識に作っていました。その力みを取って最初から手を大きく広げずに手を柔軟に移動させると良いとのアドバイスをいただく。これを意識して引き続き練習していこうと思います。

次は「ワルツ・フォー・デビー」。今進めているのは赤枠部分。

Debby201903

音数が少なく、一見たいしたことがなさそうに見えて、両手で進めるのがとても難しい。拍を取るポイントがわかりにくいこと、主メロディと補足音とが譜面から読み取りづらいことから、音を取ることができても曲に聴こえないという状態に陥り、行き詰まっていました。ここもポイントを教えていただいて、その先の譜読みを進めてこの日は終了。それにしてもこの曲、練習曲や「月光」のように形式がきっちりしていない(音階や音の進行が自由な)ため、とても難しい。ジャズとクラシックのピアノが別世界であることは音楽の聴き手としてはわかってはいたのですが、弾いてみると別物だと更に実感します。

最後に、表現を磨く(=強弱とテンポの揺らし方)ことに注力しながらずっと欠かさず練習してきている「月光」をひさしぶりに先生に聴いていただく。1箇所、ミからミへ1オクターブ飛ばして、そのタイミングでペダルを抜くところがあり、ミを打鍵してから大きく手を移動するために最初のミでペダルを抜くと音が切れてしまう問題があって、それをカバーするために強く打鍵してごまかしていました。そこはやはり強すぎるということで、それでも音を切らさない方法として強く打鍵するのではなく、弱くてもそっと少し長く指を置くやり方で、と教えていただく。とはいえ、それをやると続くミの音が遅れるので加減が難しく、その場で試してすぐにできるほど簡単ではありません。ここはまだ詰めていかなくてはいけないところです。

それ以外のところは、とても上手く弾けている(もちろん習い始めて2年弱としては、ですが)ので、今度録音して残しましょう、と嬉しい言葉をいただきました。上記箇所以外も、主メロディ部の音の浮き立たせ方が不十分であったり、伴奏部分が強くなりすぎるところがあったりと、自分としてはまだ納得できていない部分もあるので仕上げに向けて更に磨いていこうと思います。

今回のレッスンまでの教訓
●左右の手が中央寄りのときは弱く、両手が離れているときは強く引く場合が多い。
●左手返しの練習は、最初から力を入れすぎずに手に柔軟性を持たせる。
●ペダルを抜くときに音切れを回避するのは強く打鍵するのではなく長めに打鍵する。

クリス・ボッティ @ブルーノート東京 2019

クリス・ボッティ201902

2019年2月23日(土)コブルーノート東京、クリス・ボッティの2ndセット。

参加メンバー:
Sy Smith(vo)
Andy Snitzer(sax)
Joey DeFrancesco(org)
Eldar Djangirov(p)
Erin Schreiber(vln)
Leonardo Amuedo(g)
Reggie Hamilton(b)
Lee Pearson(ds)

最近、ジャズのライヴはご無沙汰だなあ、と調べてみると2017年6月のジェフ・バラードが前回のライヴで、もう1年半も前のことだった。

たまにはジャズも生で聴きたいなあと思っていたからというわけでもないんだけれど、どうしても行きたいアーティストというよりは、一度生演奏を聴いてみてもいいのかな、というくらいの軽い気持ちで選んだのが今回のクリス・ボッティ。

実は、クリス・ボッティはジャズを聴き始める前から知っていたトランペター。98年4月にキング・クリムゾン・プロジェクトと銘打って赤坂ブリッツでライヴがあった。当時のクリムゾンはダブルトリオ編成活動のあと、それぞれのメンバーのスケジュールの都合で6人揃っての活動が難しくなり、メンバーを自在に組み合わせてアルバムを発表するというプロジェクト方式での活動を行っていた。その番外編として、トニー・レヴィン、ビル・ブラッフォード(今はブルフォードと表記する)をメインにしたBruford Levin Upper Extrimitiesというグループが組まれて、アルバムを発表していた。そのユニットのメンバーに、ギタリストのデイヴィッド・トーンとクリス・ボッティがいたというわけです。

このグループ、レヴィンを中心に、変拍子を自在に操るブラッフォードとのリズム・セクションに、およそ普通のフレージングとは世界を異にするデイヴィッド・トーンの奇妙なサウンドのギターとクリス・ボッティのクールなトランペットが乗って独自のアヴァンギャルド・ミュージックを創造、僕はかなり好きなグループだった。特にライヴ盤がカッコ良くて今聴いてもスリリングでカッコいいと思っている。

BLUE Nights201802

この時期、並行してクリス・ボッティはスティングの活動などに参加し始め、あれよあれよと言う間にメジャーになり、豪華ゲストを迎えたライヴ盤まで発売されるようになった。ただし、ボッティ名義のアルバムは、聴きやすい有名な曲を中心にクールなスタイルの、それでいて温もりのあるトランペットで上品な安楽な音楽を志向していて、「トランペットのケニーG」と呼ぶ人がいる(褒めているのか貶しているのかわからない・・・)くらい、良くも悪くも毒のない、心地良い音楽に徹したトランペッターとしての地位を確立している。

そんな方向性の音楽は実はそれほど興味があるわけではないんだけれど、あのクールで甘味なトランペットを一度生で聴いてみたかったというのもあってブルーノートに足を運ぶことになったという経緯なのでした。

この小さな会場で聴くあのトランペットのサウンドはやはりイイ。管楽器の生音(半分PA通しの音ですが)ってイイなあ、と改めて思い出す。1曲めはキーボードだけをバックにお得意の"Ave Maria"で入る。その後は、ベース(曲によってウッド・ベースとエレキを使い分け)とドラムが出ずっぱりなだけで、あとは入れ代わり立ち代わりと目まぐるしくメンバーが変わる。"I Thought About You" "So What" "When I Fall In Love" といったマイルス縁の曲を中心に、"Cinema Paradiso" や、レッド・ツェッペリンの "Kashimir"(ボッティ抜けてヴァイオリン中心)まで飛び出す幅の広さ。とにかくメンバーがコロコロ入れ替わり、それに応じてさまざまな曲が演奏されるので観ていて楽しくて飽きない。特筆すべきは揃いも揃って演奏技術が素晴らしく高いこと。誰一人として「まあ、この程度の人もいるかも」と思わせれることがなく全員、演奏の腕が確かなこと。これだけ上手い人たちが入れ替わり、さまざまな組み合わせで聴かせるのだから楽しくないはずがない。特に印象に残るのは、セントルイス交響楽団でアシスタント・コンサートマスターを勤めているというエリン・シュレイバーのヴァイオリンと、ジョーイ・デフランセスコ(12年前にマンハッタンのJazz Standard)で観たことがある)のオルガン、そして鉄壁かつ聴かせどころを心得たベースとドラム。ギターも含めてみんな上手い。上手すぎる。

演奏が始まって1時間くらいが経過して、もうそろそろ最後の曲かなと思っていると、会場席に歌手のサイ・スミスが登場して歌い始める。ショウは更に続いて、終わったときには1時間半以上が経過、ボリューム感でもお腹いっぱいに満足させてくれる。

演奏中は、お休み中のメンバーが合いの手を入れたり、観客とカジュアルな会話をしたり、とにかく楽しく、リラックスした様子が会場を包み込む。ボッティのCDを聴いて「悪くないんだけど安楽でお高くとまったムード・ミュージック」と思っていたんだけれど、ライヴは熱量も表現も幅が広いし、根底にはバート・バカラックやトニー・ベネットのようなアメリカン・エンターテイメントの世界にも通じていて、観ている者を楽しませるショウとして一級品だった。確かにCDは、一定のイメージ作りや統一感が必要な商品で、作り込む必要があるんだけれど、ライヴはそんなことは関係なく、自由に伸び伸びと自分の音楽を演っているクリス・ボッティ。ボッティの本来の姿はライヴだからこそ、ということがよくわかった。

一度生演奏を聴いてみてもいいのかな、なんてノリで行ってホントすいませんでした。こんなに充実した楽しいライヴは初めてと言って良い素晴らしい体験で、ああ、行っておいて良かったと思えるライヴでした。

ピアノ・レッスン 第43回


(ピアノレッスンの記事は自分のための備忘録を主目的としています)

先週に続いてのレッスン。インターバルが1週間だとさすがにあまり練習は進まず。

チェルニーOp.261-No.16は間違えて覚えてしまっていたところの修正にこの1週間を費やし、全体もあまりスムーズに弾けるとまでは言い難い仕上がり。それでも、レッスンの場で何度か弾いているうちになんとかそれなりに形になって先生から修了印をいただく。前回注意点となっていた右手の4番5番の力の入れすぎは今回も修正しきれていませんでしたが、こちらもレッスンの場でなんとかそれらしい形になりました。

次の練習曲は、同じくチェルニー Op.599-No.19で、その前半部部分の譜読み。この曲も譜読みは簡単ながら、いかにズムーズに指を動かすかが課題になりそうです。

次に左手練習だけで取り組んでいるリトルピシュナの46番。前回から4小節進めた部分まで弾いて、音を外さずに弾けることについてはお褒めの言葉をいただく。ただ、この曲の課題は手の返しをスムーズにすることで、ところどころ返しが遅れるところがあり、その理由は5番の指を話すのが遅れているからとのこと。1音1音しっかりと押さえようとしているからそうなってしまっていて、そこまでずっと押さえ続けていなくても良いとの指導で、指離れを早めるように弾いてみると、なるほど、返しのアクションに余裕が生まれることがわかりました。自分で練習しているときには気づかないものです。あるいは、こういうところに気づけるようになることも上達ということなのかもしれません。指離れを意識して更に練習するところが次の課題。

「ワルツ・フォー・デビー」は、2回めのテーマに続く部分に差し掛かり、ここが指の動きが複雑でどう弾けば良いかがわからない状態。ここは時間がかかりそうで、あせらずじっくり練習して行くしかなさそうです。先生に弾いてもらうと、この部分がとてもカッコいいし、いかにもジャズらしい響きで、なんとか弾きこなしたいとモチベーションが上がるのでした。各小節のコードを意識して、1音目を強調するところもデモしてもらって、確かにそうすることで曲の音楽の形が明確になることがわかりました。

今更ですが、ピアノというか音楽というのはいろいろな作法、セオリーを守らないと綺麗な形にならないことをしみじみ感じています。

今回のレッスンまでの教訓
●力が入りにくいからと言って力を入れることに注力すると動きが硬くなってしまう(繰り返しですが)
●手の返しを意識して弾き終えた指を早めに離す、
●音階を意識して出す音と引く音を弾き分ける。

ピアノ・レッスン 第42回


(ピアノレッスンの記事は自分のための備忘録を主目的としています)

3週間ぶりのレッスン。この期間、結構練習の時間が取れました。

チェルニーOp.261-No.16は、一番練習の時間を割いたものの、これがなかなか上手く弾けない。右手と左手が同じ音とはいえ、両方でメロディを弾き続ける曲は初めてで、なおかつ後半の3度、3度、5度と上昇して行く指の運びがなかなか上手くいかず、続くソファソファソファが右手だと54545番と力が入りにくいために却って力を入れすぎてしまうという、ぎくしゃくした演奏になってしまう。と、書いてみたものの、自分で気づいたわけではなく、レッスンで先生にみてもらって教えてもらったから。いくら時間をかけて練習しても、49歳からピアノに触れた初心者はそんなことにも気づけないのです。また、3度、3度、5度と上昇して行く指の運びをスムーズにすすために体を右に寄せていくような動きをした方が良いとのこと。

次に左手練習だけで取り組んでいるリトルピシュナの46番。前回はまったくスムーズに音をつなげることができなかったけれど、指移動が大きいところでは、無理してキッチリと音を連ねなくても良い(音と音の間で少し空白の時間があっても良い)と教えてもらっていたので、その考え方で練習してきて、ある程度格好がつくようになりました。音が切れても良いと先生が言っていたのは、普通の曲だとペダルを踏んでいるので、問題ないから。というわけで、ペダルを踏んでやってみましょう、となってやってみると、なるほど確かに指が多少離れていても音切れなく綺麗につながる。一方で、調が変わるところでペダルを踏み変えないと音が濁るので、ペダルの踏み変えの練習になる、という別の側面も出てきて、これはこれでまた練習になりそう。次の4小節に(また別の調に)新たに進めてこの日は終了。

「ワルツ・フォー・デビー」は、前回譜読みした部分を正しくトレースできるかの確認。あとは3和音のところでの強弱(音楽らしく聴こえる表現)と、ペダルの踏み方(上げ方)を教えていただく。ここでの踏み方はとても繊細さを求められるので、ペダル扱いの難しさを思い知らされます。その先は、左手のパターンがまた変わり、左手内でも2つが並列で進むところが難しいので、上のパートはとりあえずなしにして、下のパートだけで練習することを勧めてもらう。下のパートだけで曲としては成立するので、なるほど、という感じです。

以上で、今回のレッスンは終了。

実は、レッスンでは今は弾いていないんですが、前課題曲の「月光」第1楽章は練習継続中。譜面通りに音を出すところはできるようになったところで、家にあるCDを何度も聴き返すと、同じ音を出しているのに別の曲に聴こえるのです。それはテンポのタメであるとか、強弱の付け方の違いによるもので、それだけでまったく違う曲に聴こえてしまう。CD(一流のプロの演奏)を聴くと、これこそが表現力というものだと思い知らされます。真似して少しでも近づけるように弾いてみると、ぐっと音楽的に聴こえるようになり、この曲の素晴らしさ、奥深さに感心させられます。そうやって、表現力をつけようと努力していると、更に曲の素晴らしさがわかるようになってきました。ようやく、ピアノという楽器の難しさ、奥深さについて気づき始めた、ピアノを弾くことのスタート地点に立ったということができるかもしれません。ピアノって本当に面白いと思えるようになって、ますます楽しくなってきました。

今回のレッスンまでの教訓
●力が入りにくいからと言って力を入れることに注力すると動きが硬くなってしまう。
●音の移動が大きいところは手や腕だけでなく体の移動も必要。
●片手の中で、音の進行が並行するところは、基本となるひとつの音だけから練習してみる。